御用御清水と、時鐘楼と ~長崎県島原市の史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2017年5月1日の島原出撃レポの続き。

 

晴雲寺」をお参りした後は、帰りの時間が近付いて来たので、島原港に戻りつつ、島原散策を続けました。

 

 

晴雲寺のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12503937821.html

 

 

晴雲寺」から南に進んで行くと、左手に、石碑と石垣が見えて来ます。

 

 

こちらは「史跡 御用御清水」。島原市の文化財にしてされています。

 

 

御用御清水(ごようおしみず)」の由緒書き。寛文9年(1669)丹波国福知山から入府した藩主松平忠房公は、武家屋敷一帯の生活用水としての水道を設置、この「御用御清水」も城主の居館があった三の丸(現 島原高等学校第一小学校敷地)の用水として建設されたことが、松平文庫の古文書に記されています。

 

 

竹田流軍書候圮師神之巻」の「方角を以て水を用うべきの事」の条に「酉の方よりの出水をば智水という也、才智名にして自然に富貴到来の家となる。合戦するときは大いに切り勝相也」とあって、三の丸御殿の真西に当たるこの湧水を特に大切にしたことは、大変興味のあることです。

建設以来300年以上、どのような干ばつにも枯れることなく、豊かな清水が湧き出ています。

 

へぇ~殿様が使っていた用水になるのか~興味深い!

 

 

木戸を開けて、「御用御清水」の内部を拝見。石垣に囲まれていて…。

 

 

奥の方に、井戸がありました。ここから「御用御清水」を汲み上げていたんですね。

 

 

井戸の蓋の上には、「稲荷大明神」と刻まれた石碑が!何故、お稲荷さん?

 

 

 

御用御清水」のすぐ近くに「武家屋敷周辺」の案内マップがあって…。これを先に見たかったかも…。もう武家屋敷の見学は終わっちゃいましたもんね…(^^;

 

 

更に南の方、島原城方面に進むと、武家屋敷の入口の路地が見えて来ます。

 

 

この路地の左手には「山本邸」があります。

 

 

山本邸のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12465422685.html

 

 

更に進むと、左手に、石碑があって…。灯籠もありますね。庚申塔のようでした。

 

 

 

この庚申塔がある角を左折し、島原城方向に向かうと、左手に櫓のようなものが見えて来るんですよね。こちらは「史跡 時鐘櫓」。

 

 

櫓に近づいて…。

 

 

石段を上ると、梵鐘が!時を知らせる櫓なのですね!

 

 

時鐘櫓」の由緒書き。島原藩主松平忠房公は、「民に時刻を知らしめ、これを励行せしむることは政治の要道である」として、延宝3年(1675)豊後高田の治工藤原正次に巨鐘を鋳造させ、この地に鐘楼を建てて、時間ごとに撞き鳴らして時刻を知らせました。

 

 

以来、島原の人たちに「おかみの鐘」として親しまれ、生活に溶け込んでいましたが、太平洋戦争下の昭和19年、供出されてしまいました…。

昭和55年に、志ある人たちの希いと浄財をもとに復元され、その銘文紋様は、日本彫塑界最高峰の北村西望先生の労作によるものです。

 

 

時鐘櫓」の敷地内には、石碑もあって…。

 

 

碑文は、先程の由緒書きと同じもので…。時を知らせる鐘を造り、時間ごとに撞き鳴らされて、島原の人たちには、とても便利なものであったことでしょうね。

 

 

御用御清水」「時鐘楼」を見学した後もまた、島原港に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

御用御清水

長崎県島原市城内1-1183-1

 

 

時鐘楼

長崎県島原市城内1-1120

https://www.city.shimabara.lg.jp/page2897.html(島原市HP)

 

 

 

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