晴雲寺 ~長崎県島原市の寺院 | 九州下町おやじの珍道中

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2017年5月1日の島原出撃レポの続き。

 

島原武家屋敷」を見学した後は、「晴雲寺」に向かいました。

 

 

島原武家屋敷(その3)篠塚邸のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12490707114.html

 

 

島原武家屋敷から北に暫く進むと、左手にお寺「晴雲寺」が見えて来ます。

 

 

山門の扁額には山号「高岳山」とあって…。

 

 

山門をくぐると、「隠し十字入地蔵」『即非筆の書「高岳山」及び同扁額』という島原市指定有形文化財の案内碑がありました。

 

 

隠し十字入地蔵」の由緒書き。軽石質の家型石で正面を四角形にくり抜き、その中に地蔵が浮き彫りにされ、背面部には十字が明確に彫られています。

 

 

地蔵像は全体が丸と十のクロスロザリオ記号「示」という文字を象徴し、示偏は神を象徴する字です。

地蔵がキリシタンの隠れ造形に使用されるのは、既に多くの先覚が発表していて、この造形形式は古くはローマ時代に遡り、慶長から元和期の作品であろうと推察されます。

 

隠れキリシタンが多かった長崎・島原ならでは、隠し造形ですね…。

 

 

即非筆の書「高岳山」及び同扁額』の由緒書きもありました。即非は明の福建省福清県の人で、15歳から黄檗山に入って、隠元禅師に師事、順治7年(1650)に印可を受けました。

 

 

4代将軍徳川家綱公の招聘を受けて渡来し長崎の興福寺に住していた隠元禅師の招きにより明暦3年(1657)に来日し、長崎興福寺に住みました。

当時、福済寺にいた木庵とともに「黄檗の二甘露門」と称され、その書は、隠元・木庵とともに「黄檗の三筆」と称されました。

 

ということは、先程の山門の扁額が、それに当たるのかな?

 

 

境内を進むと、御堂があって…。

 

 

そのお堂の中の様子。

 

 

御堂の脇には祠があります。

 

 

中には僧侶の像があって…。即非でしょうか…?

 

 

鐘楼。

 

 

こちらが本堂のようです。

 

 

本堂の中の様子。立派ですね~

 

 

境内には、堂宇がいくつもあって…。

 

 

記念碑も…。

 

 

お地蔵様もたくさんいらっしゃいました!

 

 

庭園のようになっている石橋・飛石を渡って行って…。

 

 

その先には、大きな石祠と、小さな祠がありました。

 

 

左手の小さな祠に近づくと…。おお!家形の石像だ!四角くくり抜かれ、浮き彫りになっている像が見えますね。

 

 

後ろを見ると、十文字!ということは、前述の島原市有形文化財「隠し十字入地蔵」なのか~!いや~、これは見事なお地蔵様だこと!(^^)

 

 

晴雲寺」のお参りを終えて、山門を出て、正面に延びる参道を…。

 

 

参道の両脇には、石像がいくつも並べられていて…。

 

 

その参道もかなりの長さでした…。

 

 

振り返って、「晴雲寺」を…。

 

 

晴雲寺」をお参りした後は、帰りの時間が近付いて来たので、島原港に戻りつつ、島原散策を続けました。

その様子は、また後日。

 

 

 

晴雲寺

長崎県島原市南柏野町2934

http://nagasaki-hiroba.net/seiun/

 

 

 

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