2017年5月1日の島原出撃レポの続き。
「島原武家屋敷」の続き。
島原武家屋敷(その1)吉田松陰来訪の地・鳥田邸・水神祠のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12458394096.html
https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42313117.html
島原武家屋敷を更に進むと、茅葺屋根の建物が見えて来ます。
こちらは「山本邸」。
「山本邸」の由緒書き。明治元年に建築された建物。
山本家の初代山本佐五左衛門は、松平忠房公の先代三河の吉田城主松平忠利公時代から家臣となり、寛延2年(1749)5代松平忠祇(ただまさ)公の宇都宮移封、安永3年(1774)6代松平忠恕(ただひろ)公の島原への所管の所替に際して随行し、その後、幕末まで前後13代の城主に使えました。
5代山本茂親氏は、寛政2年(1790)に一刀流の免許、文化元年(1804)には荻野流鉄砲術師範、文化8年(1811)大銃術の免許皆伝を得て、代々重職を務めました。
17石2人扶持で、門構えは最後の城主松平忠和公から特別に許されたものになります。
「六五(ろくご)の井戸」という由緒書きもあって…。ここ鉄砲町は古くから町筋の中央を流れる清水を、水奉行の厳重な管理のもと、飲料水として使用していました。
大正初期、終始に田園地帯が急増し、灌漑用に使用するなど、当時の通水は従来の4分の1程度に減少し、更に伝染病が猛威をふるい、大きな問題となっていました。
山本家8代当主山本秀左右は、井戸掘りに着手。大正6年5月に完成を見たので、それに因んで「六五の井戸」と命名しました。
この井戸が、その「六五の井戸」のようです。
「山本邸」の建屋に近づいて…。
建物の中に入ります。板戸の細工もなかなかいいな♪
奥座敷に進むと、おお!山本家の当主の方でしょうか、学問をされていますね。
奥座敷の床の間横の違い棚、天袋、地袋も渋か~♪特に地袋は、丸くなっていて、面白いな♪
こちらも、スゴい!
隣の座敷に進んで…。
床の間脇の障子の上部の彫刻もまたいい!
居間には、奥様とお子様がいらっしゃって…。妙にリアルだな~(笑)
台所。
お庭も立派だこと!流石は、島原藩の重職を代々務めた御宅ですね(^^)
「その3」に続く。
山本邸
https://www.city.shimabara.lg.jp/page2993.html(島原市HP)
島原武家屋敷
https://www.city.shimabara.lg.jp/page935.html(島原市HP)
https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/295/(長崎県観光連盟HP)
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