~参考~
自殺率・新型V

「第2波」(7~10月)16%↑、

「第1波」(~6月)14%↓

/都医療機関調査結果

~参考~
〔新型V長期化子どもへの精神影響

~小学生15%、中学生24%、高校生30%に

中等度以上の鬱症状〕

 

 

 

【NHK】
〔自殺した児童生徒 最多の479人 高校生の女子が大幅増加〕
(2021年2月15日)

 

【読売新聞】
〔昨年の児童生徒の自殺、最多479人

…女子高生の増加顕著〕
(2021年2月15日)

 

 

~参考~
〔2018年「自殺した児童生徒(小中高)」332人

~1988年以降過去最多(前年比1.3倍↑)〕

 

 

 

 

〔自殺した児童生徒 最多の332人 昭和63年度以降で〕
(2019年10月17日 NHK)

 

 

 

〔いじめ54万件、不登校16万人で過去最多 昨年度調査〕
(2019年10月17日 朝日新聞)

 

〔2018年度のいじめ認知54万件 小中高、過去最多〕
(2019年10月17日 日本経済新聞)

 

 

~参考~
〔9月1日子ども自殺最多/故・女優・樹木希林さんからの

最期のメッセージ『どうか生きてください』〕

 

~参考~
〔「白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる」(箴言16-31)

/聖書の老い&病の捉え方〕

〔国連「子どもの権利条約」市民団体がキャンペーン

〜日本批准25周年⇔現状は形骸化&悪化傾向〕

 

 

ドキュメンタリー映画『“樹木希林”を生きる』予告編(2019/8/27)

樹木希林

「ある日の遺言~食べるのも日常 死ぬのも日常(DVDブック)」

(2019/4/19)

希林さんの死、見守った夜の空気に思う 

内田也哉子さん(2019/9/7)

 

〔9月1日は子ども自殺最多 樹木希林からのメッセージ〕
(2017年11月1日 不登校新聞)

2015年8月22日・登校拒否・不登校を考える全国合宿in山口

/基調講演「私の中の当り前」より

 

 

 

 

   

<あの人のことば>

〔『どうか生きてください』樹木希林が亡くなる直前、

娘につぶやいた9月1日への思い〕

(2019年8月27日 不登校新聞/ハフポスト)

 

 

~参考~
〔三原山(東京・伊豆大島)自殺事件

/1933年:男性804人女性140人合計944人の投身自殺〕

 

~(厭世の世相期を中心に)

いつの時代にも

特に若者が悪魔によって翻弄される

死への誘い~

 

 

 

〔一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第547話 「三原山」〕
(2009年7月25日)

自殺の名所になっている場所には、

現地へ行ってみると

”なるほどね”と納得できるような場所と、

”なんでこんなところが?”という場所

とに大別されるような気がします。

大雑把に区分すると、

前者は観光の名所になっているような景勝地に多く、

後者はビルや橋、鉄道など人工物に多い

ように私には思われるのですが、

絶対的な法則というわけではもちろんありません。

景勝地というか自然の中で死んでいく名所といえば、

3-546”華厳の滝”の回でも触れた、

富士の樹海、三原山、東尋坊が有名ですが、

他には、三段壁(和歌山県)や足摺岬(高知県)

なども自殺者が絶えない景勝地として知られています。

参考

 

景勝地の中でも、

天ヶ瀬ダム(京都府)のように、

人工物と組み合わせになっている自殺の名所

もあるのですが、

こうした景勝地の近くの自殺の名所というのは、

道路などが整備されている事が多く、

密林を何日も走破してやっと辿り着くような場所ではなく、

手軽に接近しやすくなっている

のが一つの特徴かもしれません。

今回取り上げている三原山(みはらやま)は、

伊豆大島(東京都大島町)にある活火山で、

標高758mの複式楯状火山ですが、

世界三大流動性火山

(後の2つは、

ハワイのキラウエア火山、

イタリアのストロンボリ火山)

としても知られています。

火山壁の高さが600~700m程で、

火口の中央付近には

1950年から翌年にかけての噴火で生じた

三原新山とよばれる火口丘があるのですが、

まあ、こういった地形は

大規模な噴火があると短期間で変わる可能性があります。

最近でも、前述した

1950年から翌年の大噴火と、

1986(昭和61)年11月21日の約1万人の島民が避難した

大噴火が発生しています

 

 

が、前者の噴火で誕生した三原新山

はそれまでの最高峰だった剣ガ峰を抜いています。

それでいて、

おだやかなときの三原山は絶景の地として知られていて、

観光地としての整備も進んで火口を周遊する

遊歩道なども整備されています。

ただし、約2万年前から現在まで、

100年か200年の周期で

合計百数十回の大噴火が起きたと推定されている活火山

であり、

古くから三原山の噴火と火山をそれぞれ

御神火、御神火様と呼び神格化されています。

その火口の内部などは、

映画”ゴジラ (1984)”で、ゴジラを三原山に誘導し、

人為的に爆破することでゴジラを火口へ落とすと同時に

噴火を誘発するという物騒な作戦

にともなって見る事ができます。

実際、火口から火山底を見る事ができることなどから、

噴火の予測が他の火山に比べると行いやすい形状とされ、

噴火予知の精度はかなり高い事が知られています。

ちなみに、

”リング (出版・1993、TV・1995、映画・1998)” の

ヒロインである 山村貞子の母親(山村志津子)も

三原山の火口に消えたことになっているそうです。

もっとも、三原山が自殺の名所になってしまったのは、

昭和8(1933)年1月8日に発生した、

実践女学校の生徒の火口へ投身自殺と、

同年2月12日に

同じく実践女学校の生徒が投身自殺した2件

の自殺に、

同じ女子生徒が立ち会っていたことを

新聞などが猟奇事件というか”三原山に死を誘う女”などと

センセーショナルに報道した事が原因というのが定説で、

この年だけで

(推定で男804、女140)944人が

三原山で投身自殺する

という異常事態に陥っていて、

対応能力を超えた大島警察が

警視庁に応援を要請しています。

歴史的に昭和8年といえば、

世界恐慌の終わりの頃で、

映画”キングコング”が公開された年で、

前年に5・15事件が発生しているのですが、

大島関係では、

小唄勝太郎の「島の娘」「大島おけさ」、

藤山一郎の「燃える御神火」

などのヒット曲が世に出ていたこともあり、

大島や三原山が全国区で知られる下地になっていた

と考えることもできます。

特に2件目の自殺が話題になったようですが、

(自殺した当時)

実践女学校専門部国文科2年だった

松本貴代子(21)は昭和7年の春にも

同級生20人ほどと三原山へ旅行に出かけています。

その翌年の昭和8年2月に

”三原山の煙を見たら私の位牌と思ってください”と

父親に遺言めいた言葉を残して家出し、

1件目の自殺に同道していた親友の富田昌子(21)に

自殺の見届けを依頼、

2人で東京湾汽船菊丸に乗って大島へと向かった

とされています。

そして、”ここで死ぬわ。

みなさんによろしく”と言い残して

火口へ身を投げたとされているのですが、

彼女の場合は、潔癖症で、

万葉集などの古典の文学に造詣が深く、

結婚(というか男性)を嫌い、

老いることを嫌っていたようです。

最初の自殺者は

実践女学校で富田昌子の1年先輩だった

真許美枝子で、彼女に関しては、

日頃から病気がちで”死にたい”が

口癖になっていたとされています。

なお、真許の自殺では、

冨田は火口近くまで同道したものの

”あなたがいると死ねないから帰ってちょうだい”と

言われて途中で別れたことから、

自殺を目撃していないようです。

彼女たちの奇異な行動に関しては、

当時の独逸映画「制服の処女(1931)」を足がかりにして

理解しようとした文化人が多かったようです ・・・ 

私的にはかなりピントがずれた分析のような気がしますが。

いずれにしても、

現在とは比較にならない

マスコミのセンセーショナルでエキセントリックな報道に

煽動されて

三原山の火口には自殺志願者と見物人が押し寄せ、

2日に1人は自殺志願者が島で保護される事態となった

そうですが、

そんな火口で見物人の1人が”

誰か飛び降りる者はないか”と誰にともなく野次を飛ばすと、

2人連れの若い男の片方が”俺が飛び降りる!”といって、

その場で火口に消えるといった具合に、

多くの見物人の目の前での自殺が結構あったそうで、

阪神タイガース優勝時の道頓堀へのダイブと

どことなく似た光景が展開していたようです。

それはともかく、

2人の親友の自殺の立ち会い人となった富田には

”変質者”、”狂人”といった

世間の非難と罵倒が殺到したこともあって、

体調を崩して寝込んでいたのですが、

昭和9年4月29日に埼玉の実家で

変死(自殺説あり)しています。

結局の所、

彼女の死をもって”なぜ、死の見届け人のような事を

何度もしたのか?”

とか自殺の動機はなんだったのか?”

とかいった本質的な問題への答えは永遠の謎となり、

関係者が全員死亡したことと

対外戦争の拡大が事態を沈静化させていったようです。

三原山での自殺騒動の影響もあってか

昭和8年は

戦前の自殺ブームの年と言われる事があるのですが、

実際に戦前の自殺がピークを迎えたのは

昭和15年の1万3611人だったりします。

したがって、

三原山の投身自殺の頃は、

自殺がニュース報道の対象になりえた時代

ということになり、

戦後の昭和26(1951)年に

2万1710人と2万人を越えた頃から、

自殺が珍しくなくなっていたようです。

まあ、日本の自殺者数が3万人を越えて

10年以上が経過し、

2009年は3万~3万5千人くらいが自殺する

のではないかという物騒な推測も出ていたりしますから、

昭和8年頃よりも余程酷い時代を生きている

ことになるのではないかと思われます。

 


~参考~

〔「自殺したいと考えた」成人4人に1人、増加傾向

/「自殺未遂経験者」約53万人/年(2016)〕)

 

〔深澤真紀さん(コラムニスト/獨協大学経済学部特任教授) :
「座間市事件を避けるための対策!若者が生きにくい社会」〕
~「大竹まこと ゴールデンラジオ」大竹紳士交遊録~
大竹まこと/はるな愛/太田英明・アナ
(2017年11月7日)

 

~参考~

〔自殺未遂50万人の衝撃

~4人に1人が「本気で自殺したいと考えた」〕

(2016年9月27日 日経ビジネス)

 

 

〔「自殺したいと考えた」

成人の4人に1人 増加傾向、厚労省調査〕
(2017年3月22日 時事ドットコム)

参考