転がるお前に『苔』は生えない

Rockers (1978)

キングストンのゲットーに住んでドラマーをしているリロイ・ホースマウスには、

妻と3人の子供連れ。奥さんはMonica Madgie Craig、ほんとに奥さんと子供も3人出ている。

音楽だけでは経済的に苦しいリロイは、ミュージシャンのコネを使いレコードの配達販売を始める。

友人達に借金をして中古バイク(ホンダCB)を買い、

バイクのタンクに友人のペインターに旗を持ったライオンの絵を描いてもらう、

このラスタなタンクのバイクがジャマイカを舞台に颯爽と走る。

レゲエファン憧れのこのバイクと言って良いでしょう


これがベトナムなら、「カブ」ですかね




転がるお前に『苔』は生えない

Dillinger

「CB 200」 Island  1976  ↑SIMPLY VINYL↑ 重量盤です

Playlist :
C.B. 200
Dillinger & Rod Taylor - No Chuck It
Cokane In My Brain
The General
Power Bank
Plantation Heights
Race Day
Natty Kick Like Lightning
Buckingham Palace
Crankface

Engineer : Ernest Hoo Kim & Ossie Hibbert

Vocals : Dillinger
Backing Vocals : Trinity
Drums : Ben Bow & Sly Dunbar
Bass : Family Man & Ranchie
Rhythm Guitar : Chinna
Keyboards : Ossie Hibbert
Horns : Vin Gordon & Tommy McCook & Bobby Ellis
Percussions : Sticky

Studios :
Channel One (Kingston, JA)


少年時代からサー・コクソン・ダウンビートやロイド・ザ・マタドールといったサウンド・システムに

足を運んでいた彼は70年代初期にエル・ブラッソというサウンド・システムで

DJとしてのキャリアをスタートさせ、活動当初はデニス・アルカポーン・ジュニアと名乗り、

Dennis Alcapone、U RoyらDJ先駆者達を真似たスタイルで活動していた。


最初のプロデューサーであるLee Perryにディリンジャーと名付けられた彼はその後、

Coxsone Dodd、Augustus Pablo、Yabby U、Bunny Lee、Joe Gibbsなどのプロデュースで録音し、

コクソン・ドッドのStudio Oneからは初アルバム"Ready Natty Dread"をリリースした。

Big Youth、U-Roy等と並ぶオールドDJ最重要人物の一人


70年代を代表するプロダクションとして知られるChannel Oneでは

2枚目のアルバムとなる"CB 200"を録音し、

チャンネル・ワン産のロッカーズ・サウンドに乗せた彼のトースティングは

ジャマイカのルード・ボーイ達に支持され、

"CB 200"に収録された"Cocaine In My Brain"はヨーロッパやアメリカで大ヒットを記録した。


その後も82年までヒットを連発するのですが、

83年にメジャー進出してコケたらしい。

しかしこれは、定番オールドレゲエリズムにキラー・トースティングをカマすイカしたアルバム。


ディリンジャーのソロ2作目は「チャンネル・ワン」が誇る、

DeeJayスタイルの重要アルバムとなっています。

ルーディな男の代名詞であった70年代のディリンジャー。


彼のヒーローにあやかってデニス・アルカポーン“Jr”を名乗ったところ、

リー・ペリーに「お前はディリンジャーだ」と言われ、

その名がついたという有名なエピソードがありますが、

何だか映画の1シーンみたいで妙に惹かれます。


彼の在り方、そしてトースティングは掛け値なしにカッコいい、男の憧れって感じでしょうか。

名盤中の名盤の一つである事は間違いないでしょう



異論はありませんね?



そんな話



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↑上の作品と ↓下の作品の2In1で、発売されております(CD)

転がるお前に『苔』は生えない

Dillinger

「Bionic Dread」 Island  1976

Playlist :
Bionic Dread
King Of The Road
Invisible Dread
Forward Commandments
Ragnampiza
Rastaman Skank
Ital Fighting
Combination Two
Selassie I
Natty B.S.C.

Producer : Joseph Hoo Kim

Engineer : Mac & Ernest Hoo Kim & Barnabas

Vocals : Dillinger
Drums : Sly Dunbar
Bass : Ranchie
Rhythm Guitar : Rad Bryan
Lead Guitar : Rad Bryan
Keyboards : Ossie Hibbert & Ansel Collins & Tarzan
Percussions : Sticky & Barnabas
Studios :
Recording :
Channel One (Kingston, JA



転がるお前に『苔』は生えない

「CB200 + Bionic Dread」

Hip O Records US /Island 2008


レヴォルーショナリーズが手腕を発揮しているトラックは掛け値なしに素晴らしい
.
僕はリディムに詳しくないですが、
.
現行の国内盤では『CB200』収録作品のリディムが掲載されているので、
.
そっちを掘り下げたい方はぜひご一読を。

この国内盤、3rdアルバム『Bionic Dread』が2in1で収録されている

素晴らしい再発です。『Cokone In My Brain』と『Ragnampiza』という

キラーな競演が出来てしまうわけです。

音もすごく良いです。


転がるお前に『苔』は生えない

Cibo Matto

Stereo Type A」 1999

Working For Vacation
Spoon
Flowers
Lint Of Love
Moonchild
Sci-Fi Wasabi
Clouds
Speechless
King Of Silence
Backseat
Blue Train
Sunday Part I
Sunday Part II
Stone
Mortming
Country

Miho Hatori:vocals,shaker,acoustic guitar
Yuka Honda:sampler&sequencer,organ,piano,electric piano,synth,
harpsichord,vocoder,vocals
Sean Lennon:electric bass,synth bass,drums,electric guitar,acoustic guitar,
percussion,synth,vocoder,vocals,12string guitar,delay pedal
Timo Ellis:drums,bass,vocals,electric guitar,acoustic guitar,8string bass,
cymbal,slamming door

Prodused by Yuka Honda with CIBO MATTO



99年の2ndアルバムからショーン・レノン、ティモ・エリス、デュマ・ラヴを加えた

5人組バンド編成で活動。

しかし、現在はそれぞれ別の道に進み、現在は事実上解散とう状況にあるとの事です・・・

本田ゆかは一時期恋人関係でもあったショーン・レノンと別れ、新たに音楽活動中。

羽鳥美保もニューヨークからサンフランシスコに移りスモーキー&ミホとして活動中との事です。

更にGORILLAZにも参加。


一応ショーン絡みでチボ・マットを紹介しとくと、


もともと彼がチボ・マットの二人(羽鳥美保と本田ゆか)に出会ったのは


ヨーコの"Talking To The Universe"のリミックスを二人が手掛けたのがきっかけ。


その後ショーンは彼女らのツアーにベース・プレイヤーとして参加。


ビースティー・ボーイズと知り合ったのも彼女達からの縁だったらしい。



高橋健太郎氏のライナーによると、この『ステレオ タイプ A』というタイトルには


彼女達がアメリカで活動する中で受けた「日本人であること」「女性であること」故に


受けた偏見に対するメッセージが込められているとのこと



ロック、ヒップ・ホップ、ジャズ、ヴォサノバ、ファンク等が渾然一体となったサウンド、



サンプリングの業というか、この音作りは素晴らしい。


そして羽鳥美保のラップ/ボーカル、


人数も増えたし、バンドとしての生の演奏、


これらが前作以上に前面に出ている



転がるお前に『苔』は生えない

Sean Taro Ono Lennon

「Into the Sun」 1998

Mystery Juice
Into the Sun
Home
Bathtub
One Night
Spaceship
Photosynthesis
Queue
Two Fine Lovers
Part One of the Cowboy Trilogy
Wasted
Breeze
Sean's Theme

1998年 にはビースティ・ボーイズ が主宰していたグランド・ロイヤル・レコードから

初のソロ・アルバム『イントゥ・ザ・サン』を発表(プロデューサーはチボ・マットの本田ゆか )。

これといったヒットにこそならなかったものの、評論家の間では概ね好評を博した

ジョンとヨーコの子どもね

 ロック、ソウル、前衛ジャズ、ファンク、ボサなどを発想豊かにミックス、

というNYらしさも感じさせるサウンド。

しかも、それが嫌味でなくとても等身大の表現になっていて非常に好感触

 公私ともにパートナーだというチボ・マットの本田ユカ嬢の好サポートがあったと思われます。

甘くあってもザラつきある父親譲りの声とか・・・


ま、良い作品です。



そんな話


転がるお前に『苔』は生えない

Cibo Matto

「Viva! La Woman」 1996

apple
beef jerky
sugar water
white pepper ice cream
birthday cake
know your chicken
theme
the candy
le pain perdu
artichoke
(untitled) - (hidden track)

Miho Hatori (Vo)
Yuka Honda (Kb)
Sean Lennon (B)…1999年正式加入
Timo Ellis (D)…1999年正式加入
Duma Love (Percussion, Rap)…1999年正式加入


1994年3月、ニューヨークを拠点に1988年から音楽活動を続けていた本田ゆか


当時留学生でほとんど音楽活動の経験が無かった羽鳥美保


共通の知人の紹介で出会い、意気投合。


"Improvisation night"という即興ノイズミュージック 系のイベントに出演するために


ユニット「Leitoh Lychee」を結成。当初はこのイベントのみの活動の予定だったが、


ステージでのパフォーマンスにある種の手応えを掴み、その後も2人組でライブ活動を続ける。


同時期にイタリア語 で食べ物狂いを意味する「Cibo Matto」に改名。


1995年にEl Diablo Recordsからシングル「Cibo Matto」を発表。


ソウル・コフィン とジョイントライブを行なった際に、


見学に来ていたミッチェル・フルーム に見初められ、


彼の紹介でワーナー・ブラザーズ・レコード と契約を交わす。


1996年にミッチェル・フルーム&チャド・ブレイク をプロデューサーに迎えた


アルバム『Viva! La Woman 』でメジャーデビュー。


食べ物を大々的に取り上げたユニークな歌詞とサウンドの所以でカレッジ・ラジオ 層を中心にファンを獲得。


同アルバムの収録曲「Sugar Water」「Know Your Chicken」のプロモーションビデオを


それぞれミシェル・ゴンドリーエヴァン・ベルナルド が手掛け、MTV層のファンを獲得。



同時期にミュージシャン間の交流も増え、オノ・ヨーコ


アルバム『Rising Mixes』でのリミックスの依頼を受け、


そのレコーディングをきっかけに本田がショーン・レノン と交際を始めたのを皮切りに、


ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン のラッセル・シミンズ (ドラム)、


スケルトン・キー のリッキー・リー (パーカッション)、


映像作家のマイク・ミルズ と、


チボ・マットのサイドプロジェクトButter 08 を立ち上げ、


ビースティー・ボーイズ のレーベルからアルバム『Butter 08』を発表。


転がるお前に『苔』は生えない

Butter 08

「Butter 08」 Grand Royal Records 1996

9MM
Shut Up
Butter of 69
Dick Serious
How Do I Relax
It's the Rage
Mono Lisa
What Are You Wearing?
Sex Symbol
Degobrah
Hard to Hold
Butterfucker



転がるお前に『苔』は生えない



同アルバムにはショーン・レノンもゲスト参加している。


1997年のシングル「Super Realx」からショーン・レノンティモ・エリス が、


1999年の「Working for Vacation」からデュマ・ラヴが加入したが、


2001年夏のライブを最後に表立った活動を停止した。






そんな話





この頃、チボ・マット然り、

少年ナイフ然り、


一見、普通のおねーちゃん風なのに、

本国・日本からの強力なバック・アップとかコマーシャルとか全然無しで

ひょんなことからアメリカでキャリアをスタートさせ、

仕事が認められ、ファンを掴み、多くの方々に愛され、

物凄いビッグ・ネームと色々な仕事をして、作品として残っている。


素敵な事です。


Utada全米デビューとか、いかに茶番か、ってことです。