誰もが違うということを前提とした教育にしていこう! -28ページ目

誰もが違うということを前提とした教育にしていこう!

主に特別支援教育、インクルーシブ教育、ASD、ADHD、LD等について書いていましたが、社会全体が大きく変わってきており、特定した話だけでは答えのない答えを導き出せない時代がやってきたと感じています。そのため何でも思いつくままに書いています。

7月28日(日)発達障害のジャーナリスト=大橋広宣さんを
お招きして「発達障害といじめセミナー」を開きます。

いじめの背景には発達障害が関係していることが実に多いのが現状です。
いじめを無くすには、まずは私達大人が発達障害といじめの関係を
知らなくてはならないのかもしれません。

講師の大橋さんは学習障害があるため、
小学校時代、勉強についていけず、集団生活にもなじめず、
ものの考え方や行動パターンがユニークなことから、
ひどい「いじめ」にもあい辛い経験をたくさんしてこられています。

そんな大橋さんが「発達障害のオレが好きでしょうがない」と
言えるようになった人生を振り返り、
軽妙なトークで、いじめをなくすためにはどうすればいいのかを
提案してくれます。

大橋さんのお話は子育てのヒントや、教育のあり方が
まざまざと見えてきます。

今いじめに遭っている子ども達のために、
多くの方にご参加頂きたい内容となっています。

講師:大橋広宣氏
1964年山口県生まれ。地方新聞社の記者を経て、
現在「和田山企画」代表。
ライター、ディレクターとして番組制作や雑誌の取材、映画の宣伝や
制作支援などをしている。
また、LD(発達障害のひとつ)当事者で、全国の学校等で講演を展開中。
山口朝日放送で現在放送中の「シネキング」では映画の情報提供や解説をするMC「マニィ大橋」として出演し人気を博している。

詳細はこちらからご覧ください↓
発達凸凹の人の中に、KY(空気が読めない)と言われる人がいます。

相手の表情や言葉の裏の意味を読み取ったり、周りの状況等を感じとる脳の部位がうまく働いていないため、どうしても周りからKYと言われてしまうのかもしれません。

でも、周りがちゃんと理解していれば大丈夫なんですね。「そのくらい察してよ!」なんて思わず、穏やかな気持ちで具体的に肯定的に直接的に伝えればいいだけのことなんです。そうすれば、KYと言われている人達だって、ちゃんと気づきます。

伝わらないときは、こちら側の伝え方が悪いだけなのです。丁寧に直接的に伝えるようにしていれば、その子の周りにいる子ども達は私達大人の様子をよく見ていますから、そのように対応してくれるようになります。

KY
は「いじめ」に発展しやすいのですが、私達大人がKYの人達に対する態度に気をつけて、接し方を温かなものにしておけば、まず「いじめ」に発展することはないでしょう。

一方、
KYは、いいところがいっぱいあることも知っておいてくださいね。KYだからこそ、人が躊躇するようなことでも行動できたりするので、実行力のある人になれますし、空気が読めない分、自分がやらなければならないことに集中してとことん貫き通すことだってできるわけです。起業家やノーベル化学賞受賞者のほとんどがそうだと言われています。

苦手なところに注目するのではなく、得意なところを見つけて褒めることが大切です。つまり、発達障害の子ども達の支援は
「いいとこ探し」から始まるのであります。

かく言う私もとーってもKYなので、KYらしく生きています(笑)

発達障害のあるひいちゃんが小学校6年生の時に書いた作文をご紹介します。
この作文は、平成21年度人権作品コンクールで小学校作文の部最優秀賞を受賞しています。

「ぼくの人生こんぺいとう」

僕には、「発達障害」というものがあります。
障害ではあって病気ではありません。
これは生まれた時からある物なのです。

ちなみにぼくの障害名は、
ADHD(注意欠陥多動性障害)」と、
「高機能自閉症」です。

他にも発達障害の内には
LD(学習障害)」や、
「アスペルガー症候群(略してアスペ)」、
さらに「自閉症」などあります。

僕に障害があるとわかったのは、
2歳9ヶ月の頃です。
しゃべり始めが遅く、
不思議なことばを言っていたらしいし、
走り出したら止まらないので、
障害にくわしいお医者さんにみてもらったようです。

そのとき「
ADHD」としんだんされたようです。
不思議な言葉のことは、
「あ、宇宙語ですね」
と言われたそうです。

一年生の時、
「高機能自閉症」
としんだんされました。

小学校に入ってからいじめが多くなりました。
からかわれている事もありました。
しかし幼いころは遊んでくれているんだと思っていました。

でもそのうちいやがらせだと分かりました。
「ガイジ」とも呼ばれました。
悲しかったです。

泣いて帰ることもありました。

そんな時お父さんは、
「発達障害を持っていることは悪いことではない。
悪いのはいじめることだ」
と言ってくれました。

確かにそれが分かった気がします。

発達障害にもいい所があると分かりました。
興味あることに集中やひらめいたり、
熱中しています。

パズルやマンガ作り、
テレビ「IQサプリ」は大得意でした。

なんでも夢中になると、
周りの様子が分からなくなることが欠点ですが、
これは作用の中に入れておきます。

僕がまだ小さい頃、
何かに夢中で、線路に座り込んでいたらしいです。
でも、ご近所の人がぼくを家まで送ってくれたらしいです。

3年生になった時、初めてぼくの障害名を聞きました。
テレビを見て、
(発達障害の)「ぼくはどれ?」
とお父さんに聞いたらしいです。

聞いた時は大したリアクションではありませんでした。
しかし聞かれたお父さんは
なんと言おうかとドキドキしていたらしいです。

友達と遊びたいけど、
どんなふうに話しかければいいか、
どう反応すればいいか分からないから、
友だちとケンカになったり、
友だちを泣かせてしまったり、
そういうことをしたことがあったけど、
僕は友達がたくさんほしいです。

4年生の時、
仲の良いクラスの友達と、
どうすれば友だちが増えるのか相談しました。

そして、みんなに手紙を書こうと決まりました。
夜まで書きました。
数日後、みんなに手紙をわたしました。

内容は、
「ぼくは、『ADHD』と、
『高機能自閉症』という発達障害を持っています。・・・・」

みんなの反応はというと、
内容を分かってくれて、
友だちになってくれた人もいたけど、
逆に、
手紙を返したり、
破っていたり、
いじめがエキスパートしたり、
いろいろでした。

これを聞いたお父さんは、
「お前は勇気がある」
と言ってくれました。

お父さんは、
発達障害のある子どものことを
「こんぺいとうキッズ」
と呼んだりしています。

色も形も色々で、
いい所苦手なところのでこぼこがいっぱいあるけど、
そこがまたみりょく的だからこんぺいとうなのです。

ぼくは聞いただけで何をするかは苦手ですが、
目で見て何かをするのと、
パズルや迷路は大得意です。

忘れっぽいですが、
思い立ったらすぐに始める行動力があります。

運動は苦手ですが、
ちょうせんする心はあります。

発達障害のない人たちへ、
発達障害の人に
「かわいそう」や
「かわっている」など言わないで下さい。
その人が悲しんでしまいます。

発達障害がある人たちへ、
あなたのところでいじめはありますか?
いじめは自分のせいと思っていませんか?
決してそうではありません。
からかう方が悪いのです。

まだみんなに発達障害だと伝えていないのなら、
朝か帰りにみんなに告白しよう!
きっと友だちが増えるかもしれないよ。

自殺なんかするよりも、
今、自分のいいことを探してみよう。

時間という物は味方、
そして、
発達障害は天からのプレゼントだ!

プレゼントだからいい物に決まっているじゃないか
!

平成21年度 人権作品コンクール 小学校作文の部 最優秀賞
国府小学校6年 河上 光(ひいちゃん)

ひいちゃんのご家族より、
多くの方に発達障害について知って欲しいとの願いから掲載の許可を頂きました。


毎日毎日、殴り合いの喧嘩にはなってはいないものの、激しい口喧嘩などを繰り返している子ども達がいます。平均的な子ども達は喧嘩をすることで「人はどうやって生きればいいか」ということを自分で考えて学ぶことができます。それが難しいのが発達凸凹の子ども達です。だから、支援がいるんですね。

この支援がないままに育つから、発達凸凹の子ども達は、衝動性を押さえられなかったり、周りからの理解が乏しいためにエネルギーを発散させる場所がなかったりして、傷害事件を起こしたりすることさえあります。

社会全体でこの子達をどのように育てるかを、しっかり勉強することは(法律もできていることですし)必須です。私達大人はこの子達の育て方が「分からない」では済まされないのですね。あたたかいまなざしを持って、見て分かりやすい具体的支援をすれば、この子達はちゃんと成長していきます。

さて、私達大人はよく子ども達に「反省」をさせようとします。一般的な子どもなら記憶がしっかりしているので反省することができます。しかし、発達凸凹の子ども達は短期記憶が弱いため、反省しようにも何を反省したらいいのかさえも覚えていることができません。

そのため、親や先生に叱られないようにするために上手に「反省したふりをすること」を覚えていきます。「反省したふりをすること」を覚えると、周りの大人はこの子達が理解していると勘違いします。

でも、彼らは、叱られただけでは何が悪かったのか?どうすればよかったのか?を理解できないのです。どういった理由で叱られて、これからどうすべきかを具体的に教えられていないと、また、同じ過ちを繰り返すことになります。そして、また怒られます。その繰り返しによって、発達凸凹の子ども達は自己肯定感を失っていきます。

自己肯定感のない子ども達は「どうせオレなんか、何をやってもダメだ」と言うようになり、次第に自分の困難さを隠すために人を批判したり、バカにしたり、反社会的行為をしたりするようになる可能性が高くなります。こういった流れを食い止める方法をしっかり勉強することは私達大人の使命だと、私は思っています。

例えば、ルールを見て分かりやすく明確にする方法があります。

[いい行動]
・喧嘩になる人の近くへ行かない        
(愛を持って見て見ぬふり)             
・腹が立ったら深呼吸10回する        
・ストレス発散させる(マットをパンチ等)    

[悪い行動]
・人を殴る、蹴る
・喧嘩する

① 
まず、このルールを守って欲しいことを伝えます。

② どうしてこのルールを守って欲しいかの理由を伝えます。
「理由は、人を殴ったり蹴ったりするのは犯罪です。犯罪は絶対してはいけないことです。だから、このルールを守ってください。工夫をすれば大丈夫です」

③ ○の部分をちょっとでもしようとしたら即座に褒めてやります。これを私達大人が繰り返すことで、子どもに良い行動が定着していきます。私達大人はどんなささいなことでも子ども達の良い行動を見逃してはなりません。どんなささいなことであっても私達大人が子ども達を褒めてやることで、子ども達は「ぼくを(私を)先生は(親は)見てくれている」という喜びを感じることができます。そこから信頼感が生まれてきます。

④ 
一方、×の「殴る・蹴る・喧嘩する」は無視してはいけません。速攻、止めに入ってください。そして、「喧嘩はダメ!」と強い口調で短く叱ります。
※ 注意!○の部分を常日頃からたくさん褒めていれば、たまに叱ることが効果をあげます。日頃から悪いところばかりに目を向け叱ってばかりいると悪い行動が定着していきますので、私達大人はいつ何時も心して彼らの良い行動に目を向けることが大切です。私達大人ができて当たり前と思うことであっても、彼らにとっては大変な思いで、その良い行いをしているということを知っておいてください。

こうやって、私達大人が彼らのがんばりを認めてやることで、ちょっとずつ、彼らは衝動性を抑えることを学んでいきます。また、それに代わる方法(深呼吸、個々に必要なストレス発散法、物事の捉え方を変える等)で自分をコントロールすることを覚えていきます。

発達に偏りがあっても、幼少時から適切な支援をして(障害特性に配慮しながら)訓練すれば、着実に成長します。平均的な子ども達よりも遥かに高い精神性を持つことができるまで成長する発達凸凹の子もいます。

親や教師が「この子はダメだ」と思っていれば、その子はダメなままになります。「この子はすごい才能を持っている。きっと、すばらしい成長をするに違いない」と信じていれば、その子はそのように成長していきます。


FB「涙が止まらない」さんのシェアです。

「ありがとう」

俺には母親がいない。
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。
産まれたときから耳が聞こえなかった俺は 
物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。

耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、
障害者用の学校で学童期を過ごしたが、
片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。

耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない
(というか知らない)が
 
あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。

その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、
やがて障害があるということがその理由だとわかると
俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。

自分に何の非もなく、
不幸な目にあうのが悔しくて仕方がなかった。

だから俺は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。
なぜこんな身体に産んだのか。
なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。
手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。

ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、
ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。
その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。

そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。
俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、
ずっと診てくれた先生だ。
俺にとってはもう一人の親だった。
何度も悩み相談にのってくれた。

俺が父親を傷つけてしまった時も、
優しい目で何も言わず聞いてくれた。
仕方がないとも、そういう時もあるとも、
そんな事をしては駄目だとも言わず、
咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。

そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、
泣いても泣ききれない、
悔しくてどうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。

長い愚痴のような相談の途中、
多分 「死にたい」 という事を手話で表した時だと思う。
先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。
俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。
先生は泣いていた。
そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。

ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて
先生の所へやってきたこと。
検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を
父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと
詰め寄ってきたこと。
そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。

「君は不思議に思わなかったのかい。
君が物心ついた時には、もう手話を使えていたことを」

たしかにそうだった。

俺は特別に手話を習った覚えはない。
じゃあなぜ・・・

「君の父親は僕にこう言ったんだ。

『声と同じように僕が手話を使えば、
この子は普通の生活を送れますか?』

驚いたよ。

確かにそうすればその子は、
声と同じように手話を使えるようになるだろう。

小さい頃からの聴覚障害はそれだけで
知能発達の障害になり得る。

だが声と同じように手話が使えるのなら、
もしかしたら・・・
でもそれは決して簡単な事じゃない。

その為には今から両親が手話を
普通に使えるようにならなきゃいけない。

健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに
数年かかる。

全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、
とても間に合わない。

不可能だ。
僕はそう伝えた。

その無謀な挑戦の結果は、君が一番良く知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。」

聞きながら涙が止まらなかった。

父さんはその時していた仕事を捨てて、
俺のために手話を勉強したのだった。

俺はそんな事知らずに、
たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。

俺が間違っていた。

父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。
誰よりも俺の悲しみを知っていた。
そして誰よりも俺の幸せを願っていた。

濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。
なんて馬鹿なことをしたのだろう。
あの人は俺の親なのだ。
耳が聞こえないことに負けたくない。
父さんが負けなかったように。
幸せになろう。そう心に決めた。

今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。
俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。

父さんに紹介すると、
母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。
そして遺影を見たまま話し始めた。

俺の障害は先天的なものではなく、
事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、
居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽症ですんだが、
母さんと俺はひどい状態だった。

俺は何とか一命を取り留めたが、
母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」
父さんは強くうなずいて、約束した。

でもしばらくして俺に異常が見つかったそうだ。

「あせったよ。
お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって、
約束を守れないんじゃないかってなぁ。
でもこれでようやく、約束果たせたかなぁ。
なぁ母さん。」

最後は手話ではなく、
上を向きながら呟くように語っていた。

でも俺には何て言っているか伝わってきた。

俺は泣きながら、
父さんにむかって手話ではなく、声で言った。

「ありがとうございました!」

俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。

父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。
俺、いま幸せだよ。

今日は「言うことを聞かない」「口ごたえをする」と言われている(かわいくないと思われてしまう)子ども達について書いてみようと思います。

だいたい「かわいくない」と言われている子ども達というのは、発達にデコとボコがある子ども達なのだろうな~と思っています。

しかし、ちゃんと理解して関われば、実にかわいくて純粋な子ども達なのです。私達大人が自閉症スペクトラムや
ADHDLDについて、きちんと理解できていないがために、子ども達は「人の言うことを聞かない」とか「口ごたえをする」とか言われているんですね。

つまり、かわいくないと思われている子ども達というのは、相手の言っている意味を耳からうまく情報処理できない子ども達とも言えるわけです。
平均的な脳の働きをしている人達とは、かなり違った脳の働き方をしている人達ともいえます。人によっては知的障害があり一般的な伝え方では到底理解できないということもあります。

こういった子ども達は、前もって教えられていないことは一切理解できないといった脳を持っていますから、
先行予告さえしておけば、だいたいのことは理解できます。前もって「具体的に、肯定的に、視覚的に」教えておくという方法です。

そして、その教えておいたことができた時、即座に褒めてやるわけです。そうすれば、この子達も「言うことを聞かない」なんて言われることはなくなります。そして、うまく理解出来ないために、つい口ごたえをしてしまうということはなくなります。

ただ、私達大人は子どもが適切な行為をすると、つい「当たり前」と思ってしまい、素通りしてしまうことが多いのです。だから、適切な行為が定着しないのですね。ポイントは
「出来て当たり前と思わず」即座に褒めるです。

つまり、どんなこともだいたい
先行予告さえあれば子ども達はうまくいきます。それを、私達大人が怠って、適当にやらせてみて、私達大人が思っている通りにならないと、子どもを叱るのですね。叱るだけでなく、感情を爆発させてまで怒る大人もいるわけです(笑)考えてみると、大人というのは、実に身勝手なのであります!

特に、発達障害の子ども達は脳機能の不具合から、周りの様子や相手の表情や言葉から察して「こういう意味なんだな」なんて理解しながら行動することは難しいのです。発達障害の子ども達の不適切な言動は本来、障害によるものではなく、
私達大人達が引き出してしまったものなのだということを忘れてはならないでしょう。

山本五十六さんがたくさん名言を残していらっしゃいますが、誰もが知っているこの言葉、まさしく自閉症スペクトラムの子ども達への支援方法です。

「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」


細かいことを言うと、「言って聞かせて」のところは「明確に見せて」に変えた方がいいですが・・・(笑)


先日、ペアレントトレーニング(応用行動分析を使った教師や保護者のための子どもへの対応の仕方)の経過報告会に支援者と保護者が集まりました。

皆さん、ペアレントトレーニングを始めて2ヶ月経つと、子どもとの関係がとてもよくなることを実感するようで「本当にうちの子、こんなにいい子だったっけ?と思うくらい、すごい変わったんですよ!子どもが悪かったんじゃなくて、私の対応の仕方が悪かったんですね~。子どもには本当にかわいそうなことをしてきました」と口々におっしゃっていました。

実は、子どもの不適切な言動を引き出しているのは、すべて私達大人なのであります。
発達障害の子ども達の不適切な言動は、本来、障害によるものではなく、周りの大人達が引き出してしまったものなんですね。そこに気づかせてくれるのが、ペアレントトレーニングです。

先日、フェイスブックにペアレントトレーニングについてすこしばかりですが書いてみたら、小中学校の先生方から「そういうことなんですね。分かりやすいです」というお声を頂きましたので、ご紹介します。

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 発達障害のある人達や一般的な子育てでは、なかなかうまくいかない場合、応用行動分析を使うことがあります。この応用行動分析には、人の困った行動を減らすのに「無視」という方法を使います。「無視」と言っても、いじめ等で使う無視とは全く質的に違います。

「愛を持って見て見ぬふり」
をするということです。

 分かりやすい例で言うと、おやじギャグを炸裂させる男性に対して、若い女子達が喜んで?(気を遣って?)笑えば笑う程、その男性は「みんなが喜んでいる」と思いますから、
おやじギャグを炸裂し続けます。

 もし、このおやじギャグを本当になくして欲しいと望んでいるなら、誰もが「愛を持って見てみぬふり」をすると、いつしか、この男性はおやじギャグを言わなくなります。ただ、2ヶ月以上、根気よく「愛を持って見て見ぬふり」をしなければおやじギャグを言わないという行為は定着しません。

 そして、「愛を持って見て見ぬふり」だけではいけないんですね。自分に注目してもらうために、おやじギャグを飛ばしているわけですから、おやじギャグがなくなったとしても、
別の注目をしてもらうための行為が始まります。

 それを回避するために必要なのが、適切な言動が出た時、即座に「褒める」ということです。

 この適切な行為に対して「褒めて」強化していくと必ず、よい言動が増えていきます。これは、子どもにも大人にも使えます。お試しあれ~!
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私達大人は子どもの悪いところばかりに目を向ける傾向があります。実はよく観察してみると、子ども達は結構、良い行いをたくさんしています。私達大人が、子どもの良い行いを
やって当たり前と思って気にとめていないだけなのです。

だから、子どもは自分のことを親や教師に認めてもらいたいという気持ちが強くなりますから、自分の方に目を向けてもらおうと不適切な言動をどんどんするようになります。

子どもの良いところを見つけて、常に褒めてやり「あなたのこと、いつも見てますよ」という
温かい心が子どもに伝わっていれば、発達障害のある子どもであっても実に穏やかなのであります。

※発達障害というのは「障害」ではありませんよ。発達にばらつきがあるということです。言い換えるなら、発達にデコとボコがあるということです。子ども達のボコを私達大人がつつくから、子ども達に不具合が出るんですね。ボコはつついちゃいけないんですよ。デコを伸ばして、ボコは私達大人がサポートすればいいだけのことなんです!


Facebook「癒しと笑いと感動のページ」に素敵な内容が書かれていましたので、
ご紹介します。

【人は欠点で愛される】 

この世に完璧な人は存在しません。 

完璧に近い人は存在すると思いますが探せば 

必ず一つや二つの欠点は持っていると思います。 

マンガを面白くするコツは登場人物に欠点をつくることだそうです。 

また、司馬遼太郎の小説に出てくる主人公も、 

必ず欠点が明確に描かれています。 


坂本龍馬は自分の着物の洗濯もしないし、 

袴の紐をベロベロとなめながら話すのがクセの不潔男として描かれ、 

高杉晋作は上級武士の子として威張っているにもかかわらず、武芸オンチで、 

しかも海軍を目指すも船酔いであきらめる。 

でも、これがたまらない魅力になっているのです。 


月も同じです。 

歌に詠まれている月は、 

ほとんどが欠けたお月様。 

『三日月』、『上弦の月』など。 

お月様だって、欠けているから魅惑的なのです。 


欠点があるから、人間的な魅力が増し、長所が引き立つ。 

そして、まわりの人はなぜかそれを見ると【ほっとして】応援したくなる。 


自分の欠点で悩んでいる方おられませんか? 

安心してください。 

欠点こそ個性。 

あなたの欠点は神様の演出だったのです。 


「いつも学校は楽しいんだけど、今日は特にすっごく、学校が楽しかった~!」とはしゃいでいる子どもがいました。

詳しく話を聞くと、担任の先生が「うすいまさとさんの脳の歌」のDVDを教室にあるモニターで見せてくれたのだそうです。この先生、きっとインクルーシブなのでしょうね♡

その子の話では「朝の会と、昼休憩と、大休憩と、帰りの会の計4回、歌いたい人だけが一緒に歌って踊った」のだそうです。


ポイントは「歌いたい人だけが、一緒に歌って踊った」というところでしょうか?「脳の歌」に興味のない人は、皆と一緒に歌って踊る必要はなかったようです。

「◯◯
君は図書室で歴史の本を読んでいて、◯◯君と◯◯ちゃんと◯◯君達はドッジボールをしていた」と、その子は言っていました。

人はみんな違うわけで、楽しみも違うわけですよね。

休み時間は「みんなで目標を立てて、みんなで◯◯に向かって、みんな一緒に◯◯すべき」なんて考えが担任の先生にあったら、子ども達は生きるのが苦しくなってしまうでしょうね。休み時間なのですから、休み方はそれぞれ違っていて当たり前。

みんなと同じことを一緒にできない子がいたっていい、みんなとは違った楽しみがあっていい、何もかも違っていていいと思うのが、私です。

だから、クラスには合理的配慮や教育的配慮が必要となってくるわけです。それは、人と同じようにできない自分自身に悩み苦しみながら、周りに必死で合わせて生きている子ども達がいるからです。外見上、普通に見えるがゆえに、誰にも気づいてもらえず助けてもらえず、理解してもらえないまま、皆と同じようにするために自分自身を押し殺して、無理して周りと同じようなふりをして生きている子ども達がいます。それが、発達障害の子ども達なのです。

そして、いつしかその無理が高じて、不登校、いじめ、ひきこもり、自殺、精神疾患等さまざまな問題を抱えることとなります。

私達大人は、子ども達一人ひとりが違っているということをよく理解して、子ども達に関わっていかなければ、こういった社会問題はいつまでたっても解決できないでしょう。

私は子ども達に「違っていいんだよ。違いは間違いじゃないんだよ。人はそれぞれ発達の道筋も、物事の捉え方も受けとめ方も感じ方も違っていいんだよ」って伝えながら関わっていきたいと思っています。

子ども達が、今日が楽しくって、明日も楽しくって、明後日もきっと楽しいだろうと思えるようにしてやりたい。そうするには私達大人がまずはそれぞれの子ども達の本当の心を知らなければならないでしょう。

毎日毎日、大人の勝手な判断でがんばらされて「今、苦しんでがんばったら、将来きっと楽しく生活できるようになる」と思わされて、またがんばらされている子ども達。どれほど多くの子ども達が燃え尽きてしまっているかを、あなたは知っていますか?

どんなことでも、楽しくてしょうがないからがんばれるわけで、発達障害の子ども達がありのままの自分を押し殺して苦しんでがんばった結果、楽しい生活ができるようになるということはまずないでしょう。小学校時代、出来ないことを出来るようにと具体的支援がないまま、必死で、苦しんで、がんばって、中学生になったら不登校になってしまったという子ども達がどれほど多いことか!

私達大人は今、ちょっと立ち止まって、発達障害の子ども達への教育を真剣に考え直さなければならないように思います。


私ももれなくそうですが、ADHDのニオイがぷんぷんする医師や教師、テレビ関係者がたくさんいます(笑)つまり、落ち着きがなかったり短気だったりするわけです。でも、落ち着きがないというと欠点のように聞こえますが、落ち着きがないからこそ行動が早い・仕事が速い・決断力があるのですね

欠点だと思っていても、ちょっと見方を変えれば長所となります。つまり、短気は悪い欠点かもしれないけれど、裏側には必ず「行動力がある」とか「仕事が早い」とか素敵な長所が隠れています。だから、その裏側にある長所を前面に出して
良い欠点?で生きればいいということですね。つまり、ADHDのニオイをぷんぷんさせながら楽しくやっている医師や教師達、テレビ関係者はもれなく良い欠点(発達障害の特性)を活かして生きているのであります。

このように、発達障害の持ち味を活かして生きている人達というのは至る所にいるのです。でも、子どもの頃、「あれもできない、これもできない」と叱られてばかりで自己肯定感が持てなくなり、自分を守るために攻撃的になってしまったり、物事の捉え方がすべて否定的になってしまったりして現在ひきこもっている大人もたくさんいます。そこを、私達は知っておかなければなりません。

こういった不登校やひきこもり、ニートやフリーター問題が表面化し、国は学級に発達障害の子どもが1~2人いるので、この子達のサポートをしてくださいと言っているのですが、なかなか理解してもらえない現状があります。
みんな発達障害の特性で困っている部分はあるのだから、個々のニーズに合わせた教育的支援・合理的配慮は当たり前なのですが、どうも、私達は生きていく過程の中で「人はこうあるべきだ」といった凝り固まった考えがこびりついてしまっているようです。

みんな、それぞれ困難さがあって、我慢して生きているのだから、あなたも我慢して当たり前(忍耐・根性・継続)といった考え方が蔓延ってきたから、
日本はひきこもり・不登校・鬱病国家になってしまったのかもしれません。

生来の脳機能障害からくる「困難さを我慢させよう」「困難さをなくせるように(長所を活かすことを忘れて)訓練しよう」というのが、そもそも間違っていたわけです。その結果、多くのいじめや不登校、ひきこもり、精神疾患、不良行為を生み出してしまった日本人は、今その後始末に追われています。自分のやったことは必ず自分に帰ってくるようです。

これからは
恐ろしいほどまでに、人はみな違と肝に命じながら個々が持ち味を活かして生きることが必要ですね。医学や脳科学が進歩したおかげで、人はみな、とんでもなく違うと理解できた今、発達障害者は救われるはずなのですが、いまだ救われていないというのは、発達障害者があまりに普通に見えてしまうというところから来ているのかもしれません。