航海日誌 -155ページ目

研修会…


土曜日と日曜日は茨城県の霞ヶ浦でA級審判員研修会でした。


土曜日の夜は懇談会でビールを飲まされてバタンキューだったので、ブログは中止。



二日間に渡った研修会、それは熾烈を極めた壮絶なものだった。
ナイフひとつを渡され山に篭り、蛇や昆虫を食し、涌き水で喉を潤し…なんて事はもちろんやりません。


でも、主審・副審・線審・記録をこなし、尚且つグループを作り設問を掘り下げていく作業が大変でしたね。



ここでケーススタディーの設問を少し…


◆情報◆
昨夜8時過ぎ、山田スタッフが、保養施設「◯◯山荘」の中会議室での研修の打ち合わせを終え、会議室を出たとき、ふと見ると談話室で4人のメンバーが麻雀をしていた。
そのうちの一人は木村弘といい"鬼軍曹"のあだ名のあるリーダー新井清の後輩にあたる男でる。
◯◯山荘には利用における賭博行為を禁止する規定は特にないが、所長は、これに類することについては注意していた。

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上記の情報を踏まえて、
「その通り」と断定出来る項目を選んでみて下さい。

複数個選択OKです。


①山田スタッフは、賭博行為に類することについて注意していた。

②木村弘は、新井清の後輩である。

③昨夜8時過ぎ、4人のメンバーが談話室で麻雀賭博をしていた。

④◯◯山荘における賭博行為はハッキリと禁止している。

⑤リーダーの新井清は、研修の面での厳しさで有名である。

⑥4人のメンバーが麻雀をやっていたのは、研修時間外であった。

⑦新井清は、麻雀の現場にはいなかった。

⑧山田スタッフは、4人の男が麻雀をやっているのをふと見かけた。

⑨所長が、麻雀の現場を見つけたのではない。

⑩この情報を簡単に言うと「一人の男が麻雀の現場を見つけた」話しと言える。

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さて、何番を選択しましたか。


まず個人で結論を出し、その後数人のグループで話し合い、結論をひとつにまとめて発表します。

自分自身で考え抜いた結論が、グループの公論に晒されて多数に飲み込まれる…当然私は最若輩。

10歳も20歳も離れた年長者の説得力は半端なく、お顔に深く刻まれた年輪の威圧感と共に、自分の意見も身体も、次第に矮小化していくような錯覚に陥ります。

あぁ~…
気持ちいぃ~…
な訳ないっす。


答えは②のみ。


ご意見ご質問がございましたら、コメント欄かメールでお願いします。


説明出来ないかも…


バンクーバー…


メダル、メダル、メダル…メダルはいくつ取れますかね!?
メダルを期待してもいいですよね。
メダルに向けて発進…


な~にを言っちゃってくれちゃってんだよ馬鹿アナウンサー達よ。


メダルなんぞ努力した先にあるもんで、数を競うもんじゃねーんだよ、べらぼーめ。


「参加する事に意義がある」と言ったのは、かのタルボット大主教。

「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」
と言ったのはクーベルタン男爵。


民放のキャンペーン
『日本に勝利を』
な~んて愚中の愚。

戦争じゃないんだからね。


あいも変わらず、アナウンサーの大本栄報道にもうんざり。


スケートもスキーも先行者から大幅に遅れているのに、「ここからです、ここからですよこの選手は。後半強いんです」…
これじゃ返って選手もつらい。


何も喋る事が無いなら喋らなきゃいーじゃん。
ラジオじゃないんだからね。

最近のアナウンサーはすぐ
絶叫~ビックリマーク
(ノ゚◯゚)ノ
するし、うるさいよなぁ~


あと、ふぉーふぉーとか、ひょーひょーとか、外国人のような奇声を発する日本人が多くはないか。

「欧米か!?」と言いたくなってくる。


あまり…というかかなりみっともない。

高揚した気持ちの発露で奇声を発するんだろうが、全くもって野蛮だし品性に欠けた所作だと断じるほかない。

まるで「吠え猿」だ。


きっとコンサートなんかで拳を突き上げる…あの延長なんだろうが、あれじゃ応援とは言い難い。


あの奇声を上げてる馬鹿面が世界に配信されてると思うと恐ろしい。

果たして国母選手の事を笑えるのだろうか。


自問して頂きたいものだ。



五百円硬貨…


最近始めた五百円貯金が二万円を超えた。

貯めるつもりでは無かったのだが、何故だか私は五百円硬貨が事のほか好きなのかもしれない。


幼少期には切手・コインの収集に興味を持ち、鳥シリーズや花、趣味習慣を追いかけた。

哀しいかな、貧困民族な私では『収集』と呼べる程のコレクションには至らなかった。

雪の蒲原、見返り美人などは今でこそ数千円で手が届くものの(当たり前…)当時は高嶺の花で、漫画雑誌の巻末に掲載されていた見本を、ジーッと見つめては溜め息をついていたものだった。



切手でそれなので、コインにいたってはそれこそ全く手が出ない。

それでもまだ祖父達が明治生まれだったので、古銭ならばいくらかは手に入ったものだ。


お気に入りは五銭銅貨。
黄銅貨かもしれないが、現代の五百円硬貨と同じ位の大きさだったように記憶している。


外国のコインのように女王や偉人達のレリーフのないシンプルなデザインで、真ん中に



と書かれた五銭玉は、「まだ使えるんだよ」と教えてくれた亡き父親の声とともに、今だに忘れ難い想い出となっている。



時代は移り、私の子供達が幼かった十数年前、私がトラックに貯めていた五百円硬貨をよく「ちょーだい」と言って欲しがっていた。

それはどう贔屓目にみてもコレクションの為ではなく、菓子やゲームソフトを手に入れる為なのは明らかだ。

カメラのフィルムケースに入れていた五百円玉を見つけては、二人して小さな手の平を揃えて、アーモンドのような眼差しで私を見つめていた往時が、涙が出る程懐かしい。


だからなのか知らないが、今でも時折思い出したように五百円硬貨を集めたくなったりする。



今、仕事を始めた彼らには見向きもされない五百円玉。

私に向けられたあのキラキラした眼も、もう見られないのだろう…



福島飯坂にて…