小説西寺物語 37話 平安時代の大パフォーマンス、薬子自害で「薬子の変」終結・光明塚

 この10月1日に攘夷大将軍坂上田村麻呂が約2000名の上皇征伐軍を組織して平城宮に攻め入るという情報は薬子にも届いていた。薬子にすれば上皇の身柄さえ駿河に置いて駿河の豪族が建造した駿河宮で「一国ニ天皇制」を高らかに宣言すればそれで万事上手くいくと信じ切っていた。そこで薬子は武士貴族の従六位佐治と弟の忠道を宮殿に呼んでいた。一段高い舞台の真中には平城上皇、上皇の左には薬子、右側には忠成が座り、それを仰ぐように忠成の前には佐治、薬子の前に忠道が座っていた。薬子は佐治に、
「明日の朝、ここから駿河の国の駿河宮に出発いたしますから今晩中にその用意をするように」
 佐治は、
「出発するといっても駿河までは約80里(約320キロ)もあります。病弱の上皇さまにはとても無理になります」
「なにを言っておる。京の都から平城宮までと同じ上皇は牛車で私は輿でよい」
「いや、牛車と輿では敵の格好の弓矢の標的になり宮殿を一歩で出るだけで20や30の矢が飛んできます」
「そ、それなら上皇も私も歩きますから佐治は上皇を守りなさい」

 そこで忠道が、薬子に、
「ここから駿河まではまず宮殿の前の大和国の武士30数名、そして伊賀の国の関所に伊賀国の武士30数名、それに伊賀国と伊勢国との国境の関所にも伊勢の武士30数名がいます。上皇が無事駿河に行けるのは到底無理になります」
 薬子は、
「何を言っている。こちらは武士300名もいるのにたかが30数名ぐらいは蹴散らせ!、そのために300名もの家来を雇っている…が、佐治はどう思う?」
 佐治はひれ伏したまま答えなかったが、これに腹を立てた忠成は、忠道に、
「忠道、お前はどう思う?」
「この度の攘夷大将軍坂上田村麻呂さまの平城宮への挙兵は上皇さまを征伐する目的ではなく、上皇さまが出家するように促すためのものだと聞いています。したがって今日中にご出家をご決心なされますと田村麻呂が挙兵する意味がなくなります」

 薬子は顔色を青くして、
「忠道、お前は上皇を裏切ったのか?」
「いえ、私はただただ上皇のお命を守っただけです。薬子さまは駿河にまだ上皇の住む駿河宮を信じられておられますが、八割方できた駿河宮は解体されて東大寺の境内に運ばれて、上皇さまが出家される「安徳院」という寺の建造に使われてもう完成しています。上皇さまがもし今夜頭を丸めてご出家されれば私が京まで走り田村麻呂の行軍を止めてきます」
 そこで忠成は観念したのか、
「そか、忠道、少し考えさせてくれ」
と、いい忠道と佐治はそのまま宮殿の大広間で待機させられていた。

 忠道は佐治にもし上皇が出家を決意されたら即座に牛車を用意して上皇を東大寺の安徳院にお連れして東大寺貫主の権藻にお髪剃りの儀式を執り行ってほしい」
「分かりました。それで薬子さまと忠成さまは?」
「ささ、それは私にも分からないが、朝敵と判断されれば処刑されるのはお二人ともご存じのはず。佐治はこの件にはなにも関わりがないことは私が一番知っている。最後までこの件には関わるな!佐治」
「はい、分かりましたが、忠道さまは姉の薬子さまと兄の忠成さまを…」
「佐治、なにもいうな!、もし上皇が駿河で駿河宮を宣言すれば駿河、関東、東北の農民10万人が兵役として駆り出される、これは嵯峨天皇側も同じになるが、どちらが戦に勝っても犠牲になるのは農民になる。これを阻止するための最小限の犠牲はやむを得ない」

 忠道と佐治は一刻ほど待たされたいたが、忠成が上皇ともに現れたが、薬子の姿はなかった。忠成が忠道に、
「上皇はご出家されることになったが、忠道は末永く上皇に仕えよ!」
「はい、私が命をかけて守ります」
「そか、忠道には辛い目にあわせて悪かった」
「して、姉上は?」
「奥で寝ているが、後で顔を見てやってくれ」

 上皇は忠成にも忠道にも声をかけずに佐治に案内されて大広間を出て牛車で東大寺に向かった。忠道は侍女に案内されて薬子の部屋に入ったが、薬子は毒薬を服用したのか亡くなっていた。薬子に最後の別れをして大広間に戻るとそこには首が吹っ飛んだ忠成が横たわっていた。首の骨ごと切り落とす腕を持つ武士は佐治しか考えられないが、佐治は上皇とともに東大寺に向かったのでこの忠成を殺害した犯人は歴史上は不明になった。

 忠道は宮殿の外で待機していた大安寺の副貫主の順法に二人の遺体の処理を任して単身京の都に向かった。順法は二人の遺体を東大寺の裏山の中腹に穴を掘って埋葬したが、そこには墓石どころか木の墓標もなく土饅頭が二つ並んで数年後には歴史上からも消えていた。この土饅頭からは上皇が出家した安徳院の庭が見えている。出家した上皇はこの寺で毎朝、毎夕には必ず裏山に向かって薬子、忠成を偲んて読経していたという。824年7月7日、上皇は50歳で亡くなっている。

 810年10月1日、朝一番に宮中朱雀門から騎馬隊60頭が全力疾走で朱雀大路を駆け抜けた。地震のような地響きに驚いた人々は朱雀大路に駆けつけたが、大路の辻々の東側には比叡山仏教の僧侶が、西側には奈良仏教西寺派の僧侶が立っていた。町民らはこれらの僧侶から、
「攘夷大将軍坂上田村麻呂さまと源氏の武将の静野さまが、朝敵の平城上皇を征伐に行かれるためにもうすぐここを通られる」と聞いた町民らは口々に、
「田村麻呂さまは知ってはいるが、源氏の武将とは誰?」と詮索を始めた。そしてそれが嵯峨天皇と分かると大歓声が上がった。
 そまそも天皇の顔を拝めるのは貴族の中でも従四位以上で庶民には信じられない話しに都中の住民が幅80メーターの朱雀大路の両脇に集まってきた。

 朱雀門から騎馬2頭がでてきたころはもう朱雀大路には鈴なりの観衆で拍手と歓声が宮中の大内裏まで届いていた。右側の馬には攘夷大将軍坂上田村麻呂が、左側の馬には源氏の祖源静野が乗り、2人とも鎧兜と太刀と弓の戦場での武将の正装だった。若い女性は絵巻物の若武者が目の前に現れたと興奮して過呼吸でバタバタ倒れていた。老婆は親から天皇を見ると眼が潰れると教わったのか手で顔を隠していた。

 騎馬2頭を先頭に騎馬隊が60頭、その後にはこれも鎧兜の武士2000名の大行列は朱雀門から羅城門までの1里の間を2時間もかけるほどの優雅な行軍だった。隊列は九条大路を東へ、大和大路を南下して稲荷神社まできた。一の大鳥居の前には奈良仏教西寺派の守敏僧都、比叡山仏教の空海、そして稲荷神社宮司の伊呂具が嵯峨天皇と田村麻呂を出迎えていた。

 嵯峨天皇と田村麻呂は伊呂具の戦勝祈願の祈祷の後には例によって車座で会議という宴会を始めた。この上皇征伐の進行予定は元々ここまでしかなかった。騎馬60頭も2000名の武士もやはり同じように稲荷神社の境内で昼食という宴会をしていた。宴会も半ばになったころ神職が上皇の使者を連れて本殿の宴会場に来た。

 その使者は従四位の忠道だった。忠道は、
「申し上げます。昨夜、平城上皇は東大寺貫主権藻の弟子になりご出家されました。従三位薬子さまは自害されました。従四位忠成さまは何者かに殺害されました。ご遺体は大安寺副貫主の手で東大寺の裏山に埋葬されましたが、朝敵のために墓標もなく埋葬の記録は奈良仏教会にも記してはおりません」

 それはそれはご苦労さまでした。ささ、こちらへお座り下さい」と、守敏が勧めた場所は最初から一席空けてあった。この忠道と守敏僧都は上皇の新しい平城宮の造営を作るための見積書を作成するための作業で忠道は西寺に半月ほど宿泊したことかあが、その時には連日連夜守敏の源光寺で飲んだことがある。そして守敏から「戦争に反対して、庶民を救い、幸せにする」思想を学んでいた。

 忠道は指定された場所に座るが、その目の前には嵯峨天皇が笑顔て徳利を持ち忠道の杯に酒を注ごうとしていた。忠道は京の都でも従四位の高級貴族だったが、嵯峨天皇の顔を見るのは初めてでさすがの忠道も手に持つ杯が震えて止まらなかった。天皇は、
「忠道のことは守敏からすべて聞いている。これからも上皇を守ってほしいが、それには忠道を奈良に置かねばならないので忠道を大和国国司大和の守とする」

 忠道は朝敵となった上皇派の貴族で姉も兄も当然死罪になるのは分かっていた上に自分も重い処分になると覚悟していたが、大和国の国司に任命されたことに驚いていた。さらに天皇から、
「薬子の雇っていた武士団300名を武家源氏の源融の家来として雇いたいが、忠道、交渉をしてくれないか?」
「あっ、はい、その武将は従五位の藤原佐治といいますが、それはそれは喜びます」

 この武家源氏は嵯峨天皇がまだ皇太子になる以前に旗揚げしたものだか、桓武天皇の崩御で家来のないまま嵯峨天皇の六男の従三位融(光源氏)に源氏を継いで貰った。嵯峨天皇は近衛兵や国軍よりも軽く動ける武士団を結成して警察組織を作ろうとしていた。そこに訓練された武士で守敏僧都の情報でも正義感のある好人物と評価された佐治を抜擢した。

 忠道は自分の国司への温情ある人事も驚いたが、薬子の侍大将であった佐治の日頃の言動や行動までも守敏僧都が把握していることには正直恐怖を感じていた。その時、なぜか?、西寺奈良工作隊の僧侶道行を忠道は頭に浮かべていた。そうか~私はお釈迦さまの手のひらならぬ、守敏僧都に踊らさせていたのかと感じたが、それはそれで結果が良ければいいと思うようにしていた。

 

 

↓この記事はツイッター、インスタで人気があったものを紹介しています。(音川伊奈利・otokawainari)

痴呆症物語 52 京都第16師団
#遺族不明の遺骨 400余柱が埋葬されている #光明塚 というのがある。 #戦後75年 、この遺骨は #英霊 と呼ばれたが、まだ家には帰れなく、いずれ忘れられる。400余柱もある墓地だが、検索では出てこない。せめてこの記事で残そうと思った。(京都市南区唐橋井園町)

大東亜戦争中、京都師団より東寺食堂に預かられた遺族不明の英霊の遺骨400余柱を昭和25年8月、此の地に埋葬、光明塚とした。(石碑から)

#痴呆症物語 55 #詐欺に注意
アパートのドアポストに宛名も差出人もない封書が入っていた。そこには「困り事相談」とあり、買物、草刈り、出張料「無料」とあった。つまり、後は高額な料金を請求されるかも知れない。しかも団体住所、会社住所もなく「携帯電話番号」だけだから詐欺と書いても名誉毀損にはならない。
#困り事相談 #詐欺防止 #なんでも相談

 

新連載小説

小説盆栽物語 1話 空海唐から盆栽50鉢持ち帰りへ

小説盆栽物語 2話 宗景造園業に弟子入りで盆景和尚となる

小説盆栽物語 3話 盆景(盆栽)のルーツ、雅山少年が発見

小説盆栽物語 4話 宗景、玉林の禁断の恋から若者たちが盆景を爆買い

小説盆栽物語 5話 玉林、宗景皇帝に祝福され結婚…豆盆栽

小説盆栽物語 6話 日本茶のルーツは武夷岩茶の盆景になる

小説盆栽物語 7話 椿の盆景が明懸尼寺を再興させた

小説盆栽物語 8話 玉林(ユーリン)に赤ちゃんが! 桓武天皇崩御

小説盆栽物語 9話 空海屁理屈禅問答で盆栽は戦争をなくす

小説盆栽物語 10話 玉林、盆景和尚長安での最後の別れの夜

小説盆栽物語 11話 最澄、空海官位剥奪の上5年間謹慎処分

小説盆栽物語 12話 遣唐船嵐でニ隻難破、空海長崎で説法会

小説盆栽物語 13話 空海真言宗を開山、1月7日は「盆栽の日」に制定

小説盆栽物語 14話 盆栽無事京の都に、その夜、比叡山燃える

小説盆栽物語 15話 東寺、日本大観覧盆栽・植木市へ

小説盆栽物語 16話 第一回東寺盆栽展、大植木市大盛況

小説盆栽物語 17話 盆景日本初の茶の種を撒く、坂本、信楽、朝宮茶

小説盆栽物語 18話 坊主が太ろうと思えば、まず農民を太らすこと(最澄)

小説盆栽物語 19話 盆栽の大流行で「清水焼」が誕生した

小説盆栽物語 20話 盆景和尚東九条村で小麦栽培指導へ

 

小説 「西寺物語」 1話 守敏と空海の因縁の争い・西寺跡発掘調査・女装小説家 オカマのイナコ

小説 西寺物語 2話 九条葱が西寺を救った

小説西寺物語 3話 守敏、芹と葱で大僧正に!

小説西寺物語 4話 稲荷神社のお告げで長岡京遷都決定

小説西寺物語 5話 寺と村落ぐるみ乗っ取り大作戦

小説西寺物語 6話 東大寺権操、守敏長岡京へ抗議の旅

小説西寺物語 7話 東大寺僧兵300名稲荷神社と戦へ

小説西寺物語 8話 農民稲荷神社炎上を救う

小説西寺物語 9話 守敏僧都、都を代表する名僧に!

小説西寺物語 10話 最澄、空海唐へ、守敏奈良仏教から破門

小説西寺物語 11話 僧侶不足で奈良から僧侶引抜き大作戦

小説西寺物語 12話 神野親王武家源氏を旗上げ

小説西寺物語 13話 巨大権力(奈良仏教)には経済封鎖を

小説西寺物語 14話 皇太子の不倫…人妻・薬子の変

小説西寺物語 15話 平安時代の美魔女薬子の野望

小説西寺物語 16話 平安時代のスーパースター光源氏誕

小説西寺物語 17話 薬子の限りない野望…その1

小説西寺物語 18話 807年空海真言宗を立ち上げる

小説西寺物語 19話 最澄罪人ながら凱旋門から入城、比叡山へ

小説西寺物語 20話 即戦力になる奈良仏教の僧侶改宗大作戦

小説西寺物語 21話 奈良仏教稲荷神社の仲介で金銀三十万貫を比叡山へ

小説西寺物語 22話 西寺東寺塔頭60ヶ寺建造工事着工へ

小説西寺物語 23話 西寺建造僧侶350名の大ストライキ

小説西寺物語 24話 西寺守敏僧都は最澄、空海、稲荷神社に騙されているのか?

小説西寺物語 25話 西寺派守敏僧都の悪知恵で布教大成功へ

小説西寺物語 26話 守敏僧都350名を百戦錬磨の僧侶に育てる 気になる木

小説西寺物語 27話 平城天皇上皇へ、西寺派奈良に21名のスパイ僧侶派遣

小説西寺物語 28話 西寺工作僧侶奈良警備隊に任命され貴族に大出世

小説西寺物語 29話 第52代嵯峨天皇即位、最澄、空海復活へ

小説西寺物語 30話 女帝(薬子)西大寺爆破命令で大炎上

小説西寺物語 31話 京の都、東の都「一国ニ天皇制」薬子の陰謀

小説西寺物語 32話 守敏僧侶の適材適所の人材育成は天才

小説西寺物語 33話 攘夷大将軍坂上田村麻呂が関東、東北制覇・痴呆症物語

小説西寺物語 34話 薬子の野望と不倫は天下一品

小説西寺物語 35話 朝廷と駿河豪族との歴史的和解へ・京のいけず石、いけず石、親切ないけず・痴呆症物語

小説西寺物語 36話 嵯峨天皇、平城上皇征伐に武将源氏として初陣へ・痴呆症物語

 

…お知らせ…ブログランキングに参加しています。このブログが少しでもおもしろければここをポチリとクリックしてください