小説西寺物語 28話 西寺工作僧侶奈良警備隊に任命され貴族に大出世
奈良に派遣された21名の工作僧侶は各出身本山の塔頭の一寺院に立て籠もり本山の動きを警戒しながら情報を集めた。この塔頭に西寺の使者が居座ることへの抵抗は各本山の貫主も幹部にもあったが、なにせ高齢のために見てみない振りをしなければならなかった。かつては若手の僧侶が薙刀と刀で武装した僧兵を組織して貫主の命令一つで敵と戦ったものだが、この時の若手僧侶が西寺の僧侶となり守敏僧都の指揮下にあった。つまり、各本山の貫主らは「飼い犬に手を噛まれた」と思っていたが、それすら口に出せない立場に追い込まれていた。
この工作僧侶の隊長は大安寺から西寺塔頭に派遣されて今では塔頭の住職になっている順法で西寺僧侶の中でも40歳の年長組になる。この順法もそうだが、西寺の僧侶のすべてが農民の三男、四男以上でたとえ本山で何年修行してもよっぽど運が良くなければ有力寺院の住職にはなれない。有力寺院とは奈良仏教全体でも100寺院ほどでなんとか食える寺院は1400寺院ほどで残りの約1000寺院は貧乏寺院で世襲制に漏れた順法などの僧侶が住職になっていた。
この順法らの農民出身の僧侶らが官営西寺の塔頭の住職になって奈良の本山に戻って古い体質の貫主や幹部を罷免して奈良仏教を改革するという行動に対して各住職の出身集落では大歓迎をして村民僧侶の凱旋姿を一目見ようと各塔頭に駆け付けてくれた。それぞれの村の農民は米や野菜から川の魚から山の猪の肉や鹿の肉まで差し入れてくれる。また般若湯も奈良に残った酒蔵からもお布施があった。
これらを苦々しく思うのは当然の各本山の貫主、幹部も連日連夜会議という宴会をしていたが、一方の工作僧侶の塔頭には若手の後継ぎ僧侶や修行僧などが集まり塔頭住職の思想教育の寺小屋となっていた。これらの僧侶は本山勤務の者が多くて貫主や幹部の行動や言動、それに天皇や貴族から届く密書などを逐一工作僧侶に報告していた。
順法の元に集められ各本山の情報は工作僧侶2名一組になって西寺の守敏僧都に定期的に届けらている。守敏はこの情報を現皇太子で次期天皇(嵯峨天皇)に決まっている源静野に届けていた。なぜなら平城天皇が退位して上皇になり住まいを元平城宮にすると決められたが、上皇が平城宮に連れていくと指名したのは5家の公卿と12の有力貴族でこれらはすべて奈良仏教系になる。しかし、これも昔の話しで半ば現職の平城天皇からの命令でやむなく住まいを奈良にする貴族が多かった。この奈良仏教系貴族の代表格は平城天皇の愛妾の薬子とその兄の藤原忠成一族になる。
順法から守敏僧都に送られる書状の中には工作僧侶の出身地から各塔頭に差し入れされる物資を運んで来る村の代表から聞き込みをして農業や流行り病などの相談を聞いてなにかと対処策を伝授していた。やはり多いのが稲作での水不足であり、また京の都で栽培が盛んな九条ねぎやセリなどの野菜栽培の農業指導が多い。
その農民らの悩みを解決するための農業用水土木工事専門僧侶や野菜栽培専門僧侶、それに医学、漢方薬専門僧侶をその村に派遣する人選などもすぐに返事があり該当する村の寺の住職を解任して守敏僧都が選んだ僧侶を住職にするようにする交渉を工作僧侶が各本山の貫主を捕まえてはしていた。貫主のほうもこの案に反対する理由も考えられずこの住職の交代を認めていた。こうした末寺が工作僧侶就任わずか三ヶ月で100寺院を越えていた。
こうなれば西寺塔頭の僧侶が不足することになり奈良仏教本山の修行僧を引き抜くことになった。また解任された村の僧侶は本山に戻ってくるが、高齢者ばかりで各本山は貫主、幹部を含めて爺捨て山、特別老人介護施設となっていた。各本山の工作僧侶も我が物顔で本山に上がりこみ若手の後継ぎ僧侶や修行僧に西寺派の思想教育を堂々と広めていたが、これらのたった3名の工作僧侶の行為に対して貫主や幹部も口さえ挟めない力関係になっていた。
平城宮の整備工事も京の都からの宮大工約600名の大量動員で予定より3日早く完成をしていた。公卿や貴族らも京から奈良への引っ越しも15日から始まった。平城天皇は退位、即位の儀式を無視して退位即位の儀式の1日前の809年5月17日に牛車、輿、荷車300台で京の都を出発していた。牛車には平城天皇、輿には薬子の他官女、侍女、自侍らは歩いて500名の大行進を見た農民らは薬子の都落ちだと揶揄していた。
これらの行列を警備していたのが攘夷大将軍坂上田村麻呂、正二位左大臣藤原冬嗣、従四位紀田上のいずれも朝廷の大幹部になる。3人は先頭の馬に乗り、騎馬50騎、武将300名を引き連れていた。この攘夷大将軍の坂上田村麻呂を平城天皇の警備に命令したのは明日の仮即位式で第52代天皇になる嵯峨天皇だった。しかし、この平城天皇への警備は表向きで本当の目的は平城天皇と平城宮に住む公卿や貴族に対して嵯峨天皇に逆らったら攘夷大将軍坂上田村麻呂が成敗するという牽制が主たる目的だった。
坂上田村麻呂と高級貴族の藤原冬嗣と紀田上の3名は大安寺に宿泊して貫主の恵慈と西寺塔頭工作僧侶21名代表の順法を呼んで宴会をしていた。恵慈が奈良仏教を代表する従六位の大僧正だとしても朝廷の大幹部とは天と地、月とスッポンほど身分に差があり田村麻呂が恵慈に酒を注ごうとしても恵慈の手は震えて止まらなかった。恵慈さえこれなら順法は身体が死後硬直のように固まり田村麻呂が差し出す徳利にお猪口が当たりカタカタ音が鳴っていた。
坂上田村麻呂は順法に、
「お主のことは守敏僧都から聞いている。お主ら21名を宮殿警備隊預かりの奈良警備隊に任命する。隊員の官位は従10位として隊長のそなたは正10位とする。この勅命は明日の嵯峨天皇仮即位式から発令される」
(正10位とは高級、有力貴族ではないが、地区の警察署や消防署の署長ぐらいの貴族になる。従10位とはその部下になる)
その明くる日には藤原冬嗣と武将100名を奈良に残して坂上田村麻呂と紀田上は嵯峨天皇の即位の仮儀式に出席するために京に帰っていた。そして順法ら21名の工作僧侶は藤原冬嗣の指揮下に入っていた。
この大安寺での坂上田村麻呂と恵慈との会談の様子を奈良仏教すべての僧侶が奈良仏教始まって以来の大事件と注目してこの夜のうちに隅々まで広がり各本山の貫主及び幹部は上皇と薬子さまとは一線を画すのか?、それとも上皇と共に比叡山仏教と戦うのかの結論は朝まで出なかった。しかし、明日の京の都での嵯峨天皇の即位の仮儀式の時間には上皇と薬子さまと奈良仏教七大本山貫主との初の面談が予定されていたが、これを出席しないという理由などどこを探しても出てこなくやむなく七人の大僧正は正装で奈良仏教の金30万貫で修繕整備された平城宮の御殿に上がっていた。
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