高畑城は、文明十八年(1486)に伊川荘(山城大光明寺領)の代官職に任命された明石氏が構築したものと考えられている。その初代城主は『蔭涼軒日録』によると、赤松春日部流の明石法眼周防守宗安である。その後百年間、この城の歴史は史料に見えず謎であるが、天正年中(1573~1591)に明石与四郎則真が城主として登場する。その則真は、天正六~七年の三木合戦で羽柴秀吉側に属し、端谷城攻略のための対城として高畑城を守備したとある(『村上源姓衣笠氏族譜』)。三木城落城後、則真は豊岡城へ移封され、これを機に池谷城は廃城とされたと思われる。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)
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