押部城 神戸市西区押部城(神戸市西区押部谷町福住字北山)別名:福住古城『別所御内押部弥太郎孫伝聞之趣』(「三木法界寺文書」)に「押部谷一万石を納む者也」という記述があり、押部谷は三木別所の一族押部弥太郎が治めてあたと考えられる。そして、その居城としては、地理的・構造的にみてこの押部城が該当すると推定できる。なお、押部弥太郎は天正八年(1580)正月十八日三木落城の時に鷹尾山城にて自殺したと伝えられており(『明石名勝古事談』第十本)、押部城もこれに前後して落城したのであろう。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)主郭南土塁?東土塁?北土塁?西土塁?押部城遠望神戸市西区の城