スケート断ちの日々

フィギュアスケートと怪我のブログのはずだったのに、怪我でスケートは休業してしまいました(まだ廃業宣言はしていない)。スケートのためにピラティスやTRXなんかもやりましたが、現在続いているのはバレエとジョギングです。







怪我とスケートの記録は長ったらしいのでこちら


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ジョギングも復帰

だらだらとさぼっていたジョギング。

一カ月以上間をあけてついに復帰。

モチベーションは、古着屋で買ったステラのトップス。

買ったんだから着なきゃ、ジョグらなきゃ…みたいな。

 

久々だし、途中歩いてもいいやと思ったけど歩きませんでした。

 

病み上がりモードはいいかげんやめよう。

 

とでも書いておかないと、またサボりそう。

自分に甘い私。

バレエへの復帰

コロナが去って、ぼちぼちバレエに復帰しています。


毎夜のストレッチはさぼり気味。ジョギングは雨天もあってずーっとやっていない。(内心ラッキー!)


バレエもギクシャクするかな、と思っていたら、O脚の膝がくっつかなくなっていました。ターンアウトすればくっつくようになっていたのに、たかだか3週間かそこら休んだら元に戻るなんて早すぎる。永続性がないのはプチ整形と同じだな、と変な共通点を見出してしまいました。美しさって油断するとあっという間に失われるのね。



コロナ明け

コロナ籠りの5日間が明けた。

 

それでもモノによると10日間は感染力があると言う。

 

八百屋は狭くて、ばあさんでごった返すので行かない方がよさそうだが、スーパーなら人と接近しないし話もしない。米国に行く前にかなり食材を消費して行ったので、食べ物も少なくなって来ている。

 

というわけで、スーパーに行ってみた。足元がふらついたりしないかと思ったが、むしろいつもよりもしっかりしていた。銀行にも行った。

 

なぜかオレンジゼリーが食べたかったが、昨今オレンジ加工品はほぼ大陸モノである。大陸モノを避けたい私はオレンジジュースを使って家にあるであろうくず粉かゼラチンかそんなもので代用品を作ることにした。家に帰って冷蔵庫を見たら、粉ゼラチンがあった。めでたし。

 

母と一緒だと食べられない、骨付きの魚も買った。ほかにも母と一緒に食べられないものが欲しかったが、臭いがしなくてどうせ味わえないので、治るまで延期することにした。

 

コロナ明け2日目。

夜中に目を覚まして洗面所に行くと、右目が赤くなっていた。

夜が明けて眼科に行くと、流行り目の診断。

抵抗力が弱ると発症しやすくなると言う。

コロナの副産物だ。

顔を洗う時、右のタオルと左のタオルを変えた方がいいのかと思ったら、いずれ左もなるからそれは必要ないとのこと。その代わり、右も左も、一日何度も目薬をささなければいけなくなった。

忘れそうなので、iPhoneのアラームをセット。ここでも携帯に支配される羽目に(ちょと違うけど)。

 

コロナ明け3日目。

おお、なんだかね、臭いますよ。嗅覚、かなり戻っています。

食欲全開が近い!

何って桃が食べたい。高いんで、完全復活してから挑みます。半分しか味わえなかったらもったいないですから。

 

アメリカみやげ?

日本に戻っても試練は続く。以下、戻ってから3日目からのお話。

 

Day 0
数日前から咳が顕著だったが、朝起きて何となく異変を感じる。熱を計ったら38℃越え。病院であっけなくコロナと認定。発症日をDay 0として、Day 5まではお出かけしない方がいいと言われる。たくさんの人が咳をしていた飛行機でうつったんだろうか。鼻水は出るし、体の節々は痛いし、なぜか歯茎も痛い。老眼も進んだ気がする(関係ない?)。食欲なし。寒い。汗をかきつつ毛布を巻き付けて寝る。

Day 1
38℃台後半の熱。朝は辛かったが、バナナを食べてみる。味がする。が、半分でギブアップ。一眠りして14:00ごろ起きたらちょっと気分がよくなっていた。食欲が戻り、熱は37℃台まで下がる。シャワーを浴び、寝る前にアイスクリーム、コーヒー、みそ汁を食べる。みそ汁塩辛い。みそ入れ過ぎた?

Day 2
熱は38度線を上がったり下がったり。あまり辛くはない。が、気づいてしまった。ニオイがしないのである。みそ汁の味噌の香りがしなくてただ塩辛い。試しにコーヒーを飲んだらただ酸っぱかった。香りがしない。これって後遺症だと思っていたが、こんなにすぐに現れる現象?味がするだけまだマシなのか。と思ったが、チョコレートを食べてみたら、香りがする。単に味噌がまずいのか、コーヒーがイマイチなのか。さらなる検証が必要だ。

気が付けば、超高齢者の母の咳の頻度が上がっている。熱を計ったら、微熱がある。


うつしてしまったらしい。これはまずい。非常にまずい。
時間の経過とともに、熱が上がっていく。
夜中もずっと咳をしていた。

自分はというと、鼻水とまらず、歯茎裏の腫れはちょっとマシ。咳、突発的。熱、ときどき38℃以上。声が出にくい。枯れているわけではなく、発声する力がない。

Day 3
朝、母38.9℃、自分37℃台

母いつもよりも力が弱い。
幸いなことに食事はしてくれるが、すぐに眠り込んでしまうので、量はいかない。
寝る時は喉からひきガエルのような変な声。あれって大丈夫なんだろうか。
涙出てるし。

 

この日は訪看さんの日。右肺に肺雑ありとのこと。


わきの下、保冷剤入れてもすぐに熱くなる。
熱ずっと38℃台で下がらず。
夜中の咳は夕べよりは減った感じ。
今日明日がヤマか。
命にかかわるんだろうか。
少なくとも寿命は縮んでる気がする。

かかりつけに母の薬をもらいに行く。

往診なし。当然か。テストなしのコロナ認定。


自分、夕方には37℃台。

Day 4

朝、昨日はどこか変だった母の顔つきが、少し元に戻った。

ご飯を進んで食べ、お茶も積極的に飲む。

持ち直すのかな。

 

お昼過ぎて様子を見に行ったら、肩で息をしている。

結局救急車を呼ぶことに。

コロナ患者の私は連れて行ってもらえなかった。

 

夜中、もしかしたら病院から急を知らせては来ないか気になったが、静かな夜だった。

 

 

Day 5

担当医と病棟看護師から電話あり。危篤状態というわけではなさそうで、言葉も発していると聞き一安心。退院後はどうするとしつこく聞かれたが、まだ入院したばかりだし、様子も見ていない私にどうしろと言うのか。

 

要はコロナが治ったらすぐに退散しないといけないということだと納得。うーんと考えて、家に戻れるにはこれとこれができることという条件を絞り出した。退院や転院の話が出るだけでも安心材料だ。

日本へ戻る

帰国の日
早くも日本へ戻る日。早朝便なので電車がなく、Uberを利用。ライドシェアなのに相乗りメイトはおらず、タクシー状態。51ドルちょいは高いけど、しかたない。久々のHWY101、ここを毎日運転していたんだと思うと感慨深かった。

今回はHNL経由。空港で何か食べたかったがすべて高い。ラーメンがおいしそうだったが、外にかかっているメニューには値段が書いていない。レストランには壁がなかったので、お客が見ているメニューをこそっとのぞき込んだら16ドルとか17ドル台。ありえない。ほかにもバーキンに20ドル超のメニューがあって物価の高さにびっくり。スタバのギフトカードを持っていたのでそれを使うことにしたが、残は2ドルちょいだった。ないよりゃマシだ。

HNLから日本への便は見たところほぼ満席。中は寒く、食事はまずい。あちこちでみんなが咳をする。空港も靴を脱がせたりしないで、熱を測ってほしい。

日本到着。アパートの敷地にはいって、スーツケースのキャスターが壊れているのを発見。どこまでついてないんだよこの旅。

日本帰国翌日
スーパーのATMでキャッシュしたチェックがreturnされたことを告げるメールを発見。SFOを発った日に送付されていたが今頃気づいた。チェックの期限が切れていたのだろうか。日付はなかったのに。2枚で1200ドル。もう疲れたので、次にSFへ行った時に再発行の手続きをしよう。

 

久々のバレエへ。クラスの人のコロナ体験を聞く。一人は40℃を超える熱が5日間続き、もう一人は2週間たった今も味覚がないと言う。どちらも辛そうだ。

 

アプリの設定、アップデートは続く。母の銀行口座のオンラインバンキングをアップデート&再設定していたら、銀行に電話せよとのメッセージが表示された。電話したら、本人の同意がないと設定できないと拒絶。絶望的な気分になったが、自分の口座をオンラインバンキングにすれば各種振込はできると気を取り直す。これも携帯変えたせいなんだろうか。今まで普通に使えてたのに。

 

ネットで調べたら、安くはないが、スーツケースは修理できるらしい。9年物なので同じものはないが、ソフトケースの新品は倍近い値段になっていた。修理して、あと9年がんばってもらうしかない。9年もすればもう旅はできない体になって、スーツケースは不要になって…いるだろうか。

SFにて Day 5 & 6

Day 5

朝弱い私が5時台に目覚める。

iPhoneのセットアップは続く。あちこちに謎の番号が現れるので、これって誰かの使い古し?と思ったが、よく見るとそれが自分の番号だった。電話で購入するとき、「今の番号そのまま」だと確認したのにびっくりだ。2段階認証の電話番号を変えないといけないではないか。しかも受け取った請求書が80ドル。70ドルではないのか?チャットをしたかったが、チャットリンクが見つからなくなった。そしてそして、iPhoneの電源がチャージされていない。バッテリー残量がじりじりと減って行く。ググったらなんと、充電するにはアダプターを購入する必要があると判明。再びショップへ。あり得ないことが多すぎる。

ショップの帰り、24時間営業のATMに再び挑戦。給付金のカードが期限切れになる前に残高を銀行に預けたかったのだが、ATMは日曜もクローズだった。

その足でトイペを買いにスーパーへ。重たいトイペをスキャンの機械に置いたままにしてたらなんと3回もスキャンされた。スーパーのカスタマーサービスで返金手続き。こんなことまでうまく行かないってどういうこと?

 

Day 6
週が明けた!まずは2段階認証に携帯が必要なサイトの会社(複数)へ電話をかけまくる。携帯番号を変えるにはログインしないといけないが、ログインの認証には携帯番号が必要というトラップ状態。あるところでは確認コードを送られてからリンクをクリックして手続きをし、あるところでは15分かかりますと言われ、いくつかのサイトに数時間を要した。携帯で身分証明書の写真をアップロードするなんて会社もあったが、写真がうまく撮れないせいか認証できない。PCからも手続きできることがわかり、そちらではなぜかうまく行った。今どきは認証アプリというものがあって、それなら携帯番号はいらないようだ。そうなのよ。恒久性のない携帯番号に本人認証を依存するって間違ってるでしょ。

それから申し込んでないクレジットカードの件で、チャット再開。結局銀行には私のデータは何もなく、専門の調査会社に連絡するようにアドバイスを受ける。後日、おすすめされたequifaxを調べたら有料。しかも調査するんじゃなくてモニターですと。うーん、思っていたのと違う。

お次は携帯会社への連絡。ブルーの端末を頼んだのに来たのは白。月額は70ドルではなく80ドルになっている。しかも電話番号が変わった。ほかにも古い携帯の返送キットが来てないとか言うのもあったが、古い携帯はしばらくキープしたかったのでこちらは保留。

電話番号は回復できないと言う宣告を受けた(予想通り)。月額は、支払い方法をデビットカードか銀行引き落としにすると5ドルの割引になるからと。それでも70ドルにはならないが、これも仕方あるまい。そして端末の色。カスタマーサービスのお兄ちゃん曰く「The blue is very white.」グリーンやピンクやイエローもあるけど、すべてほのかに青みや黄みなどがかかった白い色だそう。全部白いと言われて大笑いしてしまった。どうせカバーつけるし、これもいっかとあきらめる。

その後は期限切れの給付金のチェックやプリペイドカードが再発行できるかを尋ねるためにいくつかのお役所に電話。民間と違って待たせるわ、電話が切れるわ、なかなかはかどらない。しかもFAXか郵便で書類を送れとか、処理に6週間かかるとか、こちらは過去30年ぐらいまったく進化した兆しが見られなかった。やるだけのことをやって、あとは本当にやってくれるのを待つしかない。信用ならないけどしかたがない。

そんなこんなで、明日の早朝日本に戻る前に洗濯をしたかったのだが、コインランドリーに行くエネルギーは尽きてしまった。アパートの洗濯機で洗濯しようと思い、ランドリーに両替に行ったら、両替機がなかった。ここにもキャッシュレスの波が。ちなみにこのランドリー、中に入るには、携帯からテキストを送ってコードをもらわないといけない。携帯がない人は中に入れないってこと?

 

残った食べ物を平らげる。夕食はたまご2個。

 

余談だけど、冷蔵庫や引き出しは期限切れの食料でいっぱいだった。冷凍した肉や魚は半年までは実験済みだが、さすがに4年は無条件で破棄。使いかけバターは冷蔵庫の味がして破棄。アイスクリームも変な味がして破棄。フォーションのお茶はおいしかったのでキープ。十割そばは未開封だったので日本へ同行…とまあ、いろいろあり。ひところ凝っていたサプリもたくさん残っているのだけど、もう効果なさそうな。次に行った時に思い切って捨てねば(と敢えて宣言)。

SFにて Day 3 & 4

Day 3
本日は携帯配達の日。予定時刻は11:45-15:45。アパートのドアベルが壊れているので、携帯会社から「配達に来たら家電に知らせる」という指示は配送屋さんに送ってもらったけど、そんなものあてにならないのがこの国。階段を何度も上り下りして、外を覗きに行く。

 

見に覚えのないクレジットカード申し込みの件で、郵便を送って来た銀行に問い合わせようと思ったが、それらしい問い合わせ先がわからずFBのチャットから連絡。電話番号を教えてくださいと返事が来たが、配達がいつ来るかわからないので保留にした。

 

郵便と格闘しながら時は容赦なく過ぎ、やがて15:45だというその時、配送会社のトラッキングの画面が突然変わった。配達予定時間、16:00-19:00に。夕方バレエに行くつもりだったが、もちろんボツ。やがて18:57になり、もう来るはず!と思ったら、今度は配達ステータスが「attempted」に変化!やっぱり電話しないで立ち去ってしまったのだった。This is America.

実り無き日々に成果を残そうと夜、24時間営業とウェブに乗っていたATMに州政府発行のコロナ給付金のチェックを預けに行ったら、ATMは24時間営業ではなかった。

Day 4
本日の再配達予定は14:00-18:00。友達との17:00のディナーに間に合わない可能性大だ。電話して遅くしてもらう。土曜なので、期限切れの給付金カードやチェックの相談とかもろもろはできない。ひたすら郵便物と格闘。24時間ATMで預けようと思っていたチェックは近所のスーパーのATMに持って行った。やがて配送会社のウェブサイトにライブマップを発見、トラックのおおよその位置がわかるようになった。トラックはこちらに向かったかと思えば遠ざかり、迷走。16:00ごろ、近くの角を曲がってこちらの方向へ向かったのをマップで確認。大急ぎで階下へ突進し、めでたく携帯をゲットした。小さなパッケージを開けたら電話は青を申し込んだのに白だった。中身は電話とケーブルだけ。ほかに何もない。電源につなげないので、とりあえずPCにつないだ。早速友達に電話して、ディナーを19:00にすることにした。

出かける前にiPhoneのセットアップをこころみたが、iCloudのダウンロードがやたら時間がかかる。あきらめて電話を放置して出かけた。

楽しいディナーから戻り、セットアップを続ける。iPhoneのバージョンがいくつか飛んでいるせいか、見慣れない項目が多くてわけがわからない。全部終わらないうちに一日を終えた。

 

携帯配達に振り回された2日間だった。

SFにて Day 1 & 2

Day 1

空港で荷物がなかなか出てこないなんてのは序の口だった。BARTという電車はチケットが廃止になり、チャージ制のカードを$3で購入しなければならなくなっていた。これも序の口。

 

電車を降りてその足で携帯ショップへ。なんと顧客情報が見つからないのでカスタマーサービスに電話してくれという。携帯ショップで簡単に新しい端末をゲットという目論見がはずれる。携帯キャリアの買収時に顧客情報が引き継がれていなかったので、新しい携帯を申し込む羽目に。キャンペーンで端末無料の月額$70プランがあるという。電話番号もそのまま引き継がれるというのでほっと一安心。日本と連絡が取れないと困るので、お急ぎ料金を払い、明後日に配達してもらうことになった。アパートのドアベルが壊れているので、入口で家電に電話してくれるように配達の人に伝えてもらった。

 

そして4年分の郵便物との格闘。銀行のATMカードやら給付金のカード、チェックが出てくる。ATMと州発行の給付金カードはすぐにアクティベートできたが、政府発行のカードのうち1枚は何かがおかしい。オペレーターと話したら、給付額$1,300のうち$1,200が使われていて、残が$100しかないという。被害届のようなものを「即」出すように言われ、メールで提出したが、受取確認メールは来なかった。大丈夫だろうか?取引のない銀行から来た、身に覚えのないクレジットカード申し込みの拒否通知も2通発見。

 

近所の24時間営業のスーパーが24時間営業ではなくなっていた。22時閉店の別のスーパーに駆け込みで夕食を買いに走った。

 

Day 2

免許の更新へ。居住証明書類を忘れてしまって2度手間する。アメリカは住民票がないので、居住証明は電気代の請求書とか、銀行の明細だが、このペーパーレスの時代、考えを変えた方がよくないだろうか。しかもあろうことか1度目の帰り、道に迷う。サンフランシスコに20年近く住んでいたのにもう完全アウェイだ。道は変わっていないというのに。この日は食料買い出しもあり、19,000歩近く歩いた。家では郵便物との格闘が続く。

 

(続く)

4年ぶりのSF

4年ぶりにサンフランシスコに行った。

 

携帯電話の機種が古くて5G対応ではなく電話機能が使えなくなった上に、キャリアが他社に買収されてしまった。2段階認証が進む昨今、携帯が使えないのはかなり致命的である。もっと早ければ無料で新しい電話に切り替えられたのだが、その頃は家を空けられる状況にはなかった。

 

それからコロナ給付金のチェックだのなんだのも送られて来ているはずである。日本のように銀行振り込みにしてくれればよいが、アメリカでは銀行振り込みは一般的ではない。

 

コロナも5類になって、巷の人々も海外に行って生還している今日この頃、そろそろ行き時かなと思った次第である。飛行機のチケット価格も落ち着いてきている。

 

しかしこの旅は初日から何かがうまく行かなかった。(続く)

10年たった

最後にスケートした日から、10年経ちました。

言い換えれば、10年スケートしていません。

週に5日練習していた日々もあったのにな。

あの怪我がなければまだ滑っていたんだろうか。

あの怪我がなくても別の怪我してたんだろうな。

どんくさい私。

 

スケート関連で始めたバレエはいまだに続いています。

昨日は初めてポアント履いたポアント記念日でした。

スケート靴作った時のこと思い出しました。

 

10年

 

いろいろ変わりました。

 

自分も

世の中も

 

またスケートする日が来るんだろうか。

もう骨折はしたくないな。

 

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