相の谷古墳と乎致ノ命 -31ページ目

「相の谷1号墳」の被葬者は誰?

愛媛県最大規模の前方後円墳である「相の谷1号墳」の後円墳・石室に埋葬された方は誰でしょうか?

もちろん、ここで結論を出すことはできませんが、考古学者ではない私は、学者の固定観念に縛られずに自由に発想できます。

偉い学者さんが議論を尽くしても、あの卑弥呼の邪馬台国でさえ結論が出ないのですから、地方の一古墳のことは更に難しいことでしょう。
イモヤンのライフワークのブログ ここで私個人の考えを述べます。

まず、「相の谷1号墳」の地図(愛媛県歴史文化博物館資料目録第16集「今治市相の谷1号墳出土遺物」より)をご覧ください。

方位が示されていますが(Nが北)、この前方後円墳の向きは北11度東、すなわちほぼ北に向いています。

Google Mapで見ていただいてもわかりますように、その方角にはぴったり大三島・宮浦の大山祇神社があります。

大三島に「大山祇ノ神」を最初に祀った方は、大山祇神社に今も生き続ける樹齢約1700年のご神木である楠木(重要文化財)を植えた「オチノミコト」です。

この「オチノミコト」は「相の谷古墳」のすぐ近くにある大浜八幡神社の主神「オチノミコト」のことです。(大山祇神社・三嶋禰宜様にも確認しました)

大浜八幡神社の桧垣宮司の話では、昔、「大浜」のことを「王浜」と言っていたということでもわかりますように、「オチノミコト」はこの地方最大の「王」でした。


誰が考えてもわかる簡単な推理ですが、”相の谷1号墳の被葬者はこの地方最大の「王」であった「乎致ノ命(オチノミコト)」ではないか?” 

これが私の推理ですし、良識ある今治市民であれば同じ推理になると思いますがいかがでしょうか?

(大浜八幡神社・桧垣宮司ももちろん同じ)


「相の谷1号墳」は調査の結果、古墳時代前期(3世紀後半から4世紀初め頃)に造られたものだとされています。
そして、「オチノミコト」は大浜八幡神社の社伝には「応神天皇の命により大浜の地に来られた」と伝えられていますが、「応神天皇」は3世紀後半に在位された天皇(諸説あり)ですので、年代はぴったり一致します。
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相の谷古墳の現状報告(3)-半壊状態

現在、愛媛県最大の前方後円墳「相の谷1号墳」は半壊状態です。

40数年前の宅地造成の開発(現在は中止)と、その後の地崩れにより古墳の西方向面はかなり破壊が進んでいて数年後には後円墳そのものが地崩れにより破壊されるかもしれません。

私は、一今治市民として、今治を愛する者として、この地方の歴史の始まりを現在に伝える貴重な文化遺産を後世に伝えるために保存活動を広げていかなければならないと思っています。



先日の「相の谷古墳」に初めて行った帰り途、地元の今治市会議員の木村文広氏にお話を伺いに行った際に驚くような事実を聞かされました。それは次のようなことです。

当時はそこにこのような古墳が存在しているとは知らなかったため、

「宅地造成のため相の谷古墳の西面が削られました。そしてこの時削られた土砂は近見中学校のグランドの拡張整備に利用されたのです。後に近見小学校のグランドの拡張にも利用された。」とのことです。


これを聞いて思い出したことがあります。

確か、私がまだ近見小学校に通っていた小学生の頃のことだったと思いますが、「近見中学校のグランドから埴輪や土器が出てきた」というものです。

そして、「近見中学校の辺りは昔、古墳だったのではないか?」という話です。

この話を当時の小学校の先生から聞いたように思います。

そうではなかったのですね。相の谷古墳の西面の土砂が中学校に運ばれて、埴輪や土器が出てきたのですね。それらは相の谷古墳の遺物だったということなんですね。

この事実を知って本当に驚いたとともに、なんと悲しいことだとも思いました。

地元の本当の史実を知らないということは怖いことだと思いました。


次の写真3枚は宅地造成開発の後の土砂崩れのため削り取られたようになった「相の谷1号墳」西面。



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次の写真2枚は今から40数年前に「相の谷1号墳」の発掘調査時に正岡睦夫氏により撮影された貴重な写真です。(愛媛県歴史文化博物館資料目録第16集「今治市相の谷1号墳出土遺物」より)


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相の谷古墳の現状報告(2)

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相の谷1号墳の円墳部の主葬者の墳墓の写真です。

私は今日、初めてここを訪れました。

古墳まで迷うことなく進めました。

そして、後円墳の石室周囲の竹や草刈りをしていただいていたことで石室を見ることができました。

時を同じくして活動を始められた「しまなみ海道周辺を守り育てる会」の方々のお陰です。


しかし、なぜ40数年もの間、お墓をあけたまま放置しておいたのでしょうか?

墳墓を保存する思いやりが感じられません。

とても悲しい思いでいっぱいです。

自分も含めて、私は今治人としてとても恥ずかしいです。

何度も言いますが、ここは今から約千七百年前に実際に存在したこの地方最大の「王」の墓です。

もっともっと大切に保存していかなくてはならないのでは?

どうすればこれからここを守っていけるのでしょうか?


私でもできることから始めます。

後円墳頂上の石室周りの草刈りと清掃、そしてここに埋葬された「王」を偲んで献花を定期的に行っていきたいと思います。

皆さんもこの活動へのご参加をお願いします。


次回の草刈り、清掃活動の日程等についてはここでお知らせします。