アトリエえんどうまめ 今季洋の日記 2。

アトリエえんどうまめ 今季洋の日記 2。

アトリエえんどうまめの今季洋のブログ日記です。こちらの日記の以前のバーション1。は、こちらになります。https://plaza.rakuten.co.jp/mokuseiki/

私が本格的に西洋占星術を学び始めたのが2003年だったから、今から20年前になります。

 

その始めたばかりの頃は、こんなにも長い間、自分がサビアンシンボルにこだわり続けるとは、思っても居ませんでした。

 

でも、思い起こせば、最初の頃から「サビアン」「サビアン」って言っていた。

某研究所の門を初めて叩いたのも、サビアンシンボルのお絵描き講座だった、くらい最初からサビアンシンボルだったのです。

 

なんで、自分がこんなにも長い間サビアンシンボルとともに人生を歩んできたのか?なんて、普段はあんまり考えないから、自分でも分からなかったのだけれど、さっき、はっ!と気が付いたことがありました。

 

それは、サビアンシンボルというものが、映像的つまり右脳的である、ということなのです。

サビアンシンボルは、良く「詩文的な文章」といわれています。

ジョーンズのサビアンシンボルは、パチリと写真で切り取ったような文章で、それに対してルディアのサビアンシンボルは、動画で撮影したような動きがあるものが多いのですが、いずれにしても、詩文=右脳が刺激されると言っても良いのかも知れません。

 

右脳は、感性や潜在意識に直結している脳と言われていますが、それだけにサビアンシンボルが持っている、「ストン」と深いところにアクセスするパワーはハンパなくて、私はそれが好きなのだ、ということがわかったような気がしました。

 

それは、左脳を経由してロジカルに踏み込んで行くよりも、ずっと手っ取り早くてストレートなアクセス方法ということができます。

 

そんなサビアンシンボルを使ってアクセスする先は、どこかと言いますと、

 

サビアンシンボルが指し示しているワールドは、ちょっとアカシックな世界ということもできて、そこにアクセスすると、神話的な生命力に満ちた不思議なエネルギーが、パワーチャージされて行くので、いつまでもやっていても楽しいし飽きないのだと、わかりました。

ゆうべ見た、このYouTube、超良かった!

 

何がどうよかったと言葉で表現するのが難しいけれど、魂レベルの私は、この世界がとっても懐かしいし、とってもよく知っているような気がしています。

 

わたしの、ふるさと、な感じ。

いまのところ、それしか言葉にならない、、、

けど、とても大切なことを伝えてくれていると感じるので、ここにアップしておきたいと思います。

 

そういえば、ヤタガラスも出できた。

太古の環太平洋の精神世界と深い関わりを持っているよね、ヤタガラス。

 

 

 

 

 

前回の、こちらのブログで紹介しましたYouTubeに出でおられた吉野信子さんが、とても興味深いことを書いておられるので、それを今回はご紹介したいと思います。

 

 

それは「神とは遮(さえぎ)るもの」である、という考え方です。

 

私などは、もし「神さまってどんな感じだと思う?」と聞かれたら、なんとなく、「そうね~、愛にあふれていて、光り輝いているイメージかな」と答えるように思うのです。

 

「神とは遮(さえぎ)るもの」であるという考え方には、ビックリしましたが、吉野信子さんの『カタカムナ 数霊の超叡智』という著書を読むと、なるほど、と思いました。

 

そこには、おおよそ、次のようなことが書かれています。

 

遮(さえぎ)るものとはエネルギーを遮り、取り込む「形」のことで、つまり「身体や物質」が神であるという意味。

神は永遠なるものではなく、滅びゆく肉体の中にこそ神が居る。

滅びゆく肉体があるということが、永遠なる今を感じるために必要。

滅びゆく肉体を神と見た場合、肉体がこの「永遠なる今」を滅びながら生き行くことが、神を顕現することになる。

「中今」「今に生きる」という思想は、滅びゆく命の中でこそ、感じられる尊さ、醍醐味なのではないか。

 

 

 

 

 

以前に見た、『憑神』という映画の中の

「神は永遠、人は刹那。永遠は刹那に恋をする」というような言葉に感服して、長い間この言葉は私の中で生き続けていたのですが、

 

この吉野信子さんのカタカムナの「神とは遮(さえぎ)るもの」という考えも、とても興味深いと思いました。

遮(さえぎ)るからこそ、違いが生まれ、個が生まれる。

だから、逆に神(ワンネス)に回帰するには、遮(さえぎ)るものを弱めたり、薄めたりして行けばよいということになろうかと思われます。

 

 

それにしても、このカタカムナの言霊の世界は、

古代の人々が使っていた言葉なのだろうな~と、思いますね。

 

たしかバベルの塔が壊された時に、それまで人々は世界共通の言葉を使っていたけれど、神がそれを分断された、という神話がありますが、

カタカムナの言葉は、その分断以前の、言霊による世界共通の言語なのだろうと感じます。

 

その頃にフォーカスしてみると、古代の海洋民族が帆船を巧みに操って、地球上をのびのびと移動しているイメージが浮かんできます。

 

その頃の人はみんな、河合隼雄さん曰くの「中空構造」をした人たちであったろうことは、簡単に想像することができますね。

 

みろく(369)の世の到来のおはなしは、最近のYouTubeの世界などでは、さまざまな人たちによって語られていますが、ゆうべ見たこちらのYouTubeの中にも、それが出てきていました。

 

 

 

 

 

 

 

この中でも、私が印象的だったのは、薩摩隼人の盾に描かれた、二つの渦巻きの文様のお話の部分。

 

と、いいますのも、以前私も、前に開催していた『十牛図お絵描き講座』の中で、6と9の関係性にとても興味を持っていたからです。

 

そのことについて書いてある、わたしの過去ブログは、こちらです。

 

 

 

 

それにしても、どうして私はお絵描き講座を、今、現在進行形でやってないんだっけ?

と、振り返ってみました。なんだか、浦島太郎の気分。

 

そういえば、コロナになって、リアル講座の開催が難しくなって、オンラインにはいちおう切り替えて、その頃、開催していたタロットのお絵描き講座は完了したのだったけど、そこで、なんとなく尻つぼみになって、休止したままになっていたのだなぁ。

 

その理由として一番大きいのは、本づくりのほうに集中しているからなんだけど、

 

それまで、頑張ってきたので(ひょっとしたら、頑張り過ぎている状態が続いていたので)、エネルギー切れを起こしていたのかも知れません💦

 

でも、その空白のお休み期間に、いろいろな切り替えが起きて、最近のわたしは、自力では頑張らない方向にシフトしているので、おおいなるものにお任せしてみようと思います。

 

私が、お絵描き講座を再開した方が良ければ、そういう流れが起きて行くことでしょう。

流れが起きているのがわかったら、お絵描き講座を再開して行くかもしれません。

 

わぁっ!どうなって行くのか、楽しみです💕

 

 

それにしても、みろくは菩薩ですが、「菩薩行」というのは、すごいことだよ。

 

決して、自分だけが解脱すればよいとは考えず、全ての衆生が解脱するまで、自分も解脱しないで、何度でも転生すると誓を立てるということが、「菩薩行」らしいよ。

 

みんなと共に光明を得ることを目指し、一人残らず平等に光明を得るまでみんなと共にある、このことこそ、菩薩行の根底に流れている精神、という人も居ます。

 

ほんと、ありがたいことだし、すごいことです。

そして、「光明を得たい!」と願う心を起こした人は、みな、もうすでに菩薩であるだそうです。

 

まぁ、その人たちが全員、「全ての衆生が解脱するまで、自分も解脱しないで、何度でも転生すると誓を立て」ているかは、わかりませんが、


私は身の回りに、「みんなと共に光明を得ることを目指し」みんなと共に歩んでいる人たちを、複数知っています、ということはできます。

十牛図の牛の絵が、描けたことに気が付きました。

 

 

なんで、このアストロロジカル・マンダラぬり絵が、十牛図の牛の絵なのか?と、誰もが理解できないことでしょう。

 

それもそのはず、この感覚は言語化できないので、感じてもらうしかないのです。

 

十牛図で牛をゲットできると、ギアチェンジが起きて、急にステージが変わります。受動的な状態から能動的な状態へとシフトします。

 

それだけではなくて、重量感が増します。パワーソースとつながるからです。

 

そういえば、私のネイタルの太陽にトランジットの冥王星がトラインをかけ始めたタイミングで、牛が再生したことに、あらためて気が付きます。

そういえば、さいきん占星術に関して「あれ?」と思ったことがありまして、それは、冥王星の水瓶座イングレスについてなのですが、予想していたよりも具体的な発動が少ない。

 

冥王星は今年2024年の01月21日に、二回目の水瓶座イングレスをしましたが、このことを象徴的に表わすような社会的な出来事は、ほとんど見当たりませんでした。

 

山羊座に冥王星がイングレスした2008年頃とか、その前に、射手座に冥王星がイングレスした1995年頃とかも、「あぁ、時代が動くなぁ」と感じる、具体的な出来事を見つける度合いが、もっとハッキリとあったように思うのです。

 

個人的には、《こちらの日記》に書いたようなことを見つけたりはしましたが、もっと大きなことが、いろいろと波のようにバンバンやって来るとばかり思っていました。

 

それで、天文歴を見ながら、「02月13日に火星が水瓶座に入って、冥王星と合になるタイミングで、何か動きが出るかな?」と考えていたのです。といいますのも、冥王星単体ではイングレスの動きが出にくい場合も、身近な天体とコンジャンクションすることで動きが出ることは、良くあることだからです。

 

が、このときもハッキリした動きが無く、「えっ!」と、ちょっと肩透かしを食らったような印象さえ持ったくらいです。

 

それで、最近、私の中で仮説として浮上したのが、「冥王星は水瓶座の中では居心地が悪く、発動がストレートでは無いのかも」というものです。

 

かつては、モダン占星術においては、あまり惑星のディグニティを使うことはありませんでしたが、最近は古典占星術の影響を受けて、これを使う人たちも増えています。ただ古典はトラサタを使わないので、冥王星のディグニティについて書いてある本はほとんど無いので、このあたりは、ただいま勉強中です。

 

このあたりのことについては、こちらの本のp.155に書いてあることが興味深いのですが、この本の中で紹介されているジューン・ウェークフィールドの『コスミック・アストロロジー』は、今の時点では日本語訳が出ていないので、原文を読むしかないみたいです。

 

それに、背景に神智学があるとなると、やはり、ちょっと特殊な概念になると思います。

 

 

 

 

 

それと、現在もう一つ、この水瓶座の中の冥王星と同じように、居心地が悪く発動がストレートでは無いのかも、と思う天体配置があって、それは、牡牛座の中の天王星です。こちらも、全く発動していないわけでは無いのですが、どうも動きがパッとしない印象があります。

 

まぁ、水瓶座の中の冥王星にしろ、牡牛座の中の天王星にしろ、表面的にパッと発動していないだけで、水面下では着々と動いていることには、変わりが無いのだとは思うのですが。

 

「占星学とは」について、「おおっ!」と感動した、とてもすばらしい文章と出会いました。

 

それは『占星学とカバラ 生命の木』という本のp.10に、「集積された知識」という見出しとともに書かれている、次の言葉です。

 

「占星学は多くの観察者による何世紀にも及ぶ努力の結果である。

情報の獲得と総合は、啓示とは極めて異なったプロセスである。

ここでは、諸原理は、観察を統合し天体の影響の包括的描写を作り上げることによって発見される。」

 

二行目に、「啓示とは異なった」とあるのは、この本自体が「二つの古くからの学問である占星学とカバラを近代心理学の光のもとに結びつけ、運命の仕組みを考察するさい、より一層の洞察が得られるように試みた。」ものであるからです。

 

カバラのほうは、「啓示が枠組みの基礎として用いられてい」て、「秘教的知識が鍵」になっていると、p.03に書いてあります。

 

啓示が枠組みの基礎として用いられているカバラと比較することによって、占星学が持っている本質が、際だって浮き立ったようにも思えます。

 

「そうだよなぁ、そうなんだよなぁ」と、何度もこの文章を繰り返し読んで、味わっています。

 

 

 

 

 

 

おもしろいなぁ!と思いました。

土の時代から風の時代への移行を、そのまま映し出して活動しているアーティストの存在を知りました。

長坂真護(ながさかまご)さん。

 

時代の申し子といいますか、ご本人ご自身もそのあたりのことを十分認識して、そこにご自身のスタンスを築いておられます。

 

アフリカのガーナに流れ着いた先進国のゴミで作品を作って、それを先進国で売って、そこで得たお金でアフリカからスラム街を無くすという活動をしておられます。

 

 

 

 

 

 

このYouTubeを見ると、あらためて土の時代とは資本主義の時代だったんだなぁと、つくづく感じます。

 

この動画の中にも出てきますが、投資家からお金を集めない、銀行からも借りない、アート作品が売れたお金で活動を回して行くということをやったアーティストは、ほんとうに他に居ないかもしれません。

 

バンクシーとかは、社会の問題をあらためてアート作品によって提示しているけれど、それでは、どうしたら良いのか?というところにまで踏み込んだアーティストは、類を見ないといえるでしょう。

 

なによりも、時代の移り変わりを、典型的に表している人であるところがすごいです。

まさに、世を映す鏡。

 

土の時代から風の時代へ、その移行期のはざまで、さらにその一歩先の未来を、ご自身の活動を通して提示されているところが、ほんとすばらしい!

今朝、水卜アナウンサーが出ているニュースのトピックで、LINEの文末に「。」を付けると、今どきの若い人は威圧感を感じたり、怒っているの?という印象を発信した人に持ってしまう、というのをやっていました。

 

ええっ!そうなの!

知らなかったよ。

大変ビックリしました。

 

そういえば少し前に、家族から、私のLINEの文章に対して「恐っ!」というリアクションが返ってきたことがあって、「え、何で?」とその時はその理由がわからなかったのですが、

 

今朝この情報を知ったので確認してみたところ、やはり原因は、文末に「。」を付けていたからだということがわかりました。

 

文末に「。」が付いていると、言い切る印象が強くなったり、重くなるということで、いやはや言葉づかいにも、本格的に水瓶座の時代が到来したなぁ~と、つくづく感じたわけなのでありました。

 

これからは、軽い言葉の言い回しが、好まれるようになって行くのでしょう。

いや、もうすでにそうなっている、ということなわけです。

 

先日、2024年01月21日日)に、およそ7か月ぶりに再び冥王星は水瓶座にイングレスしましたが、なんと!今朝は、ワンコも宿泊可能なホテルに、シャンプーしたワンコを乾かす四角い箱型の自動乾燥機が付いていることも知って、こちらもビックリ致しました。

 

世の中進んでいますね。

 

LINEの文末の「。」は癖になっていて、ついつい付けちゃうんだけど、言葉って生き物だからどんどん変化して行くものだと思っているので、私も、すすんで新しい風を取り込んで行きたいと思います。

 

 

 

 

 

これからどのような未来が来ることが予測されるのか? そのことを、かなり的確に表現していると感じられたYouTubeがこちらです。


未来予想が当たる、当たらないではなくて、もうすでに始まっている水瓶座の時代の、これからの展開の可能性が、とても掴みやすい内容となっていると思います。


また、この人なりの「無意識」の捉え方が、とても興味深く思いました。

 

 

 

 

このYouTubeに登場している佐藤航陽さんという人は、この本の著者です。