Sun 220709 元総理の冥福を祈る/二上山と「ふたかみやま」/大津皇子と當麻寺 4243回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 220709 元総理の冥福を祈る/二上山と「ふたかみやま」/大津皇子と當麻寺 4243回

 7月9日、午後1時から3時にかけて、ワタクシの自宅の上空をたくさんの取材ヘリコプターが飛んだ。凶弾をうけて亡くなった元首相の私邸が近いのである。年配の人なら「環6」「環状6号線」と呼ぶ山手通りを対称軸に、ほぼ線対称の位置。徒歩でも30分もかからない。

 

 惨劇の現場・大和西大寺駅前は、ワタクシがこの17年、何度も何度も公開授業を繰り返した所である。テレビ画面に幾度となく示された「駅前の商業ビル」の中に我々の校舎があり、今井の公開授業はその向かい側の「近鉄デパート」6階、「秋篠音楽堂」で開催されるのが定番になっている。

 

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(奈良県葛城市の當麻寺から二上山を望む。「にじょうさん」だが、万葉集では「ふたかみやま」と発音する)

 

「だから何だ?」と尋ねられても困るが、7月8日の惨劇以来、「大和西大寺」「大和八木」「橿原神宮」などの地名がニュース報道で繰り返されるたびに、至近距離から銃撃されて命を落とした元首相の無念が思いやられ、思わず涙が溢れ出る。

 

 昭和の初期にも、理不尽な凶弾や凶刃に倒れた政治家は少なくなかった。しかしその凶弾も凶刃も、いかに見当はずれな許されないものとはいえ、血気にはやる青年将校たちの熱い政治信条ゆえのものであって、昭和の大政治家たちは「許しがたい言論封殺の犠牲」として命を落とした。

  (6月19日、奈良県葛城市の當麻寺に参拝する 1)

 

 しかし今回の事件は、その「言論封殺」のレッテルを貼ることさえ、躊躇せざるを得ない。というか、正確にはそのレッテルにすら値しない。要するに単なる蛮行、「超有名人に銃口を向けてみたい」という稚拙な思いつきの結果に過ぎない。

 

 インタビューのカメラの前で、与党野党を問わずみんな「言論封殺は決して許されない」と口を揃えたし、「言いたいことがあるなら暴力ではなく投票行動で」と一般の人々の意見も一致したが、容疑者の意識の中に「言いたいこと」はほぼ皆無、「銃弾によって言論を封殺した」と、間違った勝利に酔っている様子さえ見えない。

  (6月19日、奈良県葛城市の當麻寺に参拝する 2)

 

 もし何らかの意味をこの凶行に探るとすれば、完全に見当違いな宗教団体への私怨であり逆恨みであるが、その私怨についても、よく検討してみればむしろ「後付け」、取り調べを受けながらの思いつきにしか思えない。

 

 おそらく識者やら専門家やらがこれからナンボでも語り出すだろうが、例えばマーティン・スコセッシ監督が1976年に制作した「名作」と呼ばれる映画の影響があるだろう。

 

 容疑者の年齢から考えて、その「タクシー・ドライバー」自体に影響を受けていないにしても、影響を受け模倣を繰り返したドラマ作家や映像監督の類似作品に、いわば副次的な影響を蓄積させた可能性は高い。

 

 短期間だけ自衛隊に入隊して、被災地の救護活動や救援活動に熱く専心することをせず、むしろ銃弾の扱い方や銃の製作法を学ぶことに夢中になり、要するに不満だらけの兵器オタクになった。その彼に「言論封殺」などという行動を結びつけるのは無理がある。

 

 彼が狙撃の対象に選んだのは、10年近く宰相として日本の政治と外交を担い、右肩下がりの日本を立ち直らせようと邁進した元総理ではない。

 

 容疑者がターゲットとしたのは、マスコミで日々嘲笑され続け、失笑と揶揄に無言で耐えた「アベ」に過ぎなかったのだとワタクシは考える。元宰相は、あまりに稚拙で拙劣な精神の犠牲になった。

 (6月25日朝、伊勢志摩サミットの舞台「賢島」を目指した)

 

 6月中旬から下旬にかけての大阪滞在中、休日を利用していろいろな小旅行をした。京都府舞鶴への旅についてはすでに書いたが、他にも志摩半島の賢島や、奈良県西部の當麻寺を訪れた。

 

 賢島には、安倍元総理のヒノキ舞台「伊勢志摩サミット」の記憶が今も濃厚に漂っている。

 

 賢島を訪問したのは、ワタクシの誕生日の前日、6月25日のことだったが、近鉄・賢島の駅の最上階は、伊勢志摩サミット記念館になっていて、G7首脳が熱烈な討論を交わした意外なほど小さなテーブルが展示され、そのそばに「内閣総理大臣 安倍晋三」の色紙も飾られている。

(近鉄を鵜方の駅で降りれば、横山展望台までクルマで15分。英虞湾の絶景はサミット記念撮影の舞台にもなった)

 

 賢島訪問記は、また近いうちにもっと詳細に書くことにして、その前週6月19日のワタクシは、猛暑の奈良・當麻寺を訪れていた。近鉄の駅は「当麻寺」となっているが、正式には「當麻寺」、こう書いて「たいまでら」と発音する。

 

 大阪梅田から当麻寺までの行程は、電車の乗り換えが多くて、猛暑の日にはなかなかの難行苦行である。まず西梅田から近鉄の阿部野橋駅まで辿り着かなければならない。「四つ橋線を大国町(だいこくちょう)で御堂筋線に乗り換える」などという荒技は、東京からきたヨソモノにはなかなか難しい。

 

 阿部野橋から近鉄の準急電車に乗って「古市」まで。古市で橿原神宮前ゆきの各駅停車に乗り換えれば、当麻寺までは15分ぐらいの道のりだが、この各駅停車がなかなか来ない。古市駅ホームで、35℃の夏の熱風を何とかやり過ごしながら20分近く電車を待って、それだけでもうヘトヘトになった。

  (6月19日、奈良県葛城市の當麻寺に参拝する 3)

 

 途中、電車の進行方向右側に二上山が間近に眺められる。二上山と書いて「にじょうさん」と読む。ワタクシはこの二上山、「ふたかみやま」だと信じていたし、万葉集では間違いなく「ふたかみやま」と発音されているのだが、地元の人々に「にじょうさん」と言われてしまえば、もうどうしようもない。

 

 初めて「ふたかみやま」と発音して見せた時、大阪の人も奈良の人もみんな「あれはニジョウサンですよ」と言って笑った。ボクはそういうふうに笑われるのが好きではないので、「でも万葉集では…」と言ってみたが、「近鉄の駅もニジョウサンです」とダメを押されては、もう何ともならなかった。

 

 二上山は、雄岳と雌岳の2つのピークが寄り添って立つ名峰で、雄岳は517メートル、雌岳は474メートル。いま流行中の「低山登山」「日帰り登山」には格好の山であって、近鉄南大阪線にも「二上神社口」「二上山」の2駅があり、低山登山に出かける中高年の人々がたくさん集まっていた。

 (當麻寺の境内からも「ふたかみやま」の勇姿が望める)

 

 ふたかみやまは、悲劇の人・大津皇子ゆかりの山である。大津皇子については、諸君自身でググッてくれたまえ。663年生まれ、父は天武天皇、母は天智天皇の皇女である大田皇女(おおたのひめみこ)。持統天皇にうとまれ、24歳でこの世を去っている。

 

 その若すぎる死については、親友による密告説とか、伊勢まいりを咎められたとか、まさに諸説紛々。肉体はガッシリ大きく、ウツワの大きな頼り甲斐のある人物、幼い頃から学問を愛し、読書に励み、知識は深く、書く文章も巧み。成長につれて武道の才能も開花、まさに文武両道の理想的若者として花開いた。

 

 性格は自由奔放、細かいルールにしばられることなく、しかもマコトに礼儀正しい。アニメの主人公に勝るとも劣らないヒーロー的な存在。誰もが彼を信頼し、彼を愛し、彼に憧れた。石川郎女(いらつめ)と、ライバルだった草壁皇子との間に、熱い愛の三角関係も発生。その辺も24歳での早すぎる死に繋がっていく。

  (6月19日、奈良県葛城市の當麻寺に参拝する 4)

 

 かつて大津皇子の墓があるとされた「ふたかみやま」は、當麻寺からもその勇姿を眺めることができる。當麻寺は、612年創建、奈良県葛城市。日本史の教科書にデカデカと登場するようなタイプのお寺ではないが、葛城という地名を見ればわかる通り、日本最古の寺院の1つである。

 

 周囲はひっそりと静まり返り、今は春の牡丹の花で有名。昨年の春にも、その牡丹の花をどうしても眺めたくなって當麻寺訪問を企てたが、当日の大阪のあまりの暑さに断念、松屋町(まっちゃまち)からパインアメ本社前を通って、愛染かつらのお寺までを散策するにとどめたのだった。

Tue 210427 近松と西鶴と解法のテクニック/愛染かつら/医師とナースの悲恋 4039回

 

1E(Cd) Rogé:DEBUSSY/PIANO WORKS 1/2

2E(Cd) Rogé:DEBUSSY/PIANO WORKS 2/2

3E(Cd) Kazune Shimizu:LISZT/PIANO SONATA IN B MINOR & BRAHMS/HÄNDEL VARIATIONS

4E(Cd) Barenboim & Berliner:LISZT/DANTE SYMPHONY・DANTE SONATA

5E(Cd) Perlea & Bamberg:RIMSKY-KORSAKOV/SCHEHERAZADE

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