Thu 220505 青紫のクチビル/赤き唇/植物園の穏やかな午後 /クツ底の思ひ出 4206回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 220505 青紫のクチビル/赤き唇/植物園の穏やかな午後 /クツ底の思ひ出 4206回

 4月14日の京都は朝から日差しが強烈で、「最高気温は27℃、初夏の陽気になるでしょう」と、NHK大阪の気象予報士のオネーサマがニッコリ、ホテルの窓から差し込む日差しも、遠い遠いむかしの夏休みの朝のようだった。

 

 暑いのが大の苦手のワタクシは、その日差しをちらっと眺めただけで、夏の日なたのバターみたいにドロドロになりそうな気配。うんにゃ、バターみたいな高級食材とは言いがたい。「停電3時間経過後の冷蔵庫のマーガリン」というテイタラクをイメージしてくれたまえ。

 

 しかしそれでも、昼前の京都を縦断して宝ヶ池から四条烏丸へ、その直後に今度は京都を横断して嵐電で御室仁和寺へ。上空をブンブンなんぼでも飛び回る恐ろしいクマンバチを避けながら、境内の散策に励んだ。

 

 そこから祇園に移動。八坂神社脇のお店で唐揚げカレーうどんをすすってまたまた汗まみれになり、暑さにもマケズ、汗にもマケズ、きっと人からデクノボーと呼ばれているだろうと確信しつつ「南座」に闖入、マコトに静かな2階席で「都をどり」を満喫した。

      (京都府立植物園にて、4月14日 1)

 

 まあそこまでは、一昨日と昨日の記事に詳しく&詳しく、余りにも書いた通りである。しかし諸君、華やかだった「都をどり」に大満足で南座を出ると、何とお外は激しい夕立の直後だった。

 

 出雲ノ阿国の石碑もすっかり雨に濡れ、空にはまだ怪しい黒雲が残って、気温はガクンとおそらく一気に10℃は下がっていた。油断して半袖で街に出ていた人々のクチビルは真っ青、青紫色のクチビルでみんな寒そうに身を寄せ合っていた。

 

 おお、この青紫のクチビル、まだ寒い6月の秋田の小学校で、先生方が意地でもプール教室を「雨天決行」した時を思い起こさせる。あの時、たしか気温は23℃だったはず。それを記憶している今井君もまた恐ろしいが、みんなブルブル震えながらプールの水に飛び込むと、むしろ水中の方がお風呂みたいに温かかった。

      (京都府立植物園にて、4月14日 2)

 

 おそらく、あの翌日のワタクシが京都府立植物園を訪ねたくなったのは、雨上がりの冷気の中でヒトビトの真っ青なクチビルをたくさん目撃したせいである。いやはや、人間の青紫のクチビルは、余りにも不気味だ。やっぱりワタクシは、人のクチビルは赤い方がいいと思う。

 

  とりあえず、下の写真、「ホット・リップス」でも眺めていただきたい。京都府立植物園の温室で、ちょうど見頃になっていた。どうですか、この官能的な赤いクチビル。「命短し、恋せよオトメ」、1915年のヒット曲。吉井勇作詞、中山晋平作曲で一斉を風靡した「ゴンドラの唄」の冒頭である。

 

「いのち短し 恋せよ乙女」

「赤きクチビル 褪せぬ間に」

「熱き血潮の 冷めぬ間に」

      (京都府立植物園にて、4月14日 3)

 

 いやはや、こりゃいかん。そんなこと言われたら、日本中のオトメがみんな焦りまくり、世界中のオトメがこの狭い地球の上をドスドス駆け回って、うるさくてたいへんなことになっちゃうだろう。

 

「ゴンドラの唄」はさらに続く。

「燃ゆるホホを君がホホに。ここには誰も来ぬものを」

「君が柔手を我が肩に。ここには人目もないものを」

「黒髪の色、褪せぬ間に。心のホノオ消えぬ間に」

いやはや、こりゃなかなかセクシーだ。20世紀の前半って、こんなに濃厚&濃密だったんですな。

 

 それに比較して、21世紀のPCは何なんだ? せっかく「赤きクチビル」とセクシーに迫っているのに「アセヌマに」は「汗沼に」、「熱き血潮の」なのに「サメヌマに」は「サメ沼に」とくる。汗沼とはずいぶん汗臭く、サメ沼はマコトに危険な沼じゃないか。

 

 しかしこれほど積極的なボディタッチが、20世紀初頭の流行歌の中でブイブイおすすめされていたというのも、なかなか驚きじゃないか。歌の参考になったのがアンデルセンの「即興詩人」、しかもその森鴎外訳であって、その背景はヴェネツィアのゴンドラなのだという。

      (京都府立植物園にて、4月14日 4)

 

 もっとも、「赤きクチビル」とは言うものの、かく言ふ今井君は「濃厚メイクだけは許してくれ」と絶叫するタイプの中年。最近は中年男子の予備校講師の中にも、授業前に自分でバッチシ♡メイクをなさるダンナも少なくないようだが、いやはや今井君はメイクのメの字も「ムリ!!」の一言なのである。

 

 もちろんコロナ以降の世の中では、予備校の授業も大学の講義も、みんなYouTube流のオンライン。オンラインと講師のメイクは切り離せない一体型らしくて、オジサンもオジーサンもみんなメイクが欠かせないようだ。

      (京都府立植物園にて、4月14日 5)

 

 しかし諸君、今井君は一貫して反メイクな超ナチュラルおじさまだ。いつだったか、もう6年も7年も前のこと、東進講師がこぞってクイズ番組やバラエティ番組に出演させられていた頃、ワタクシもホンの数回テレビカメラの前に座らされたが、それでも意地でもメイクを拒絶し続けた。

 

 だって諸君、メイクはあくまで俳優や女優やタレントの専門分野。演劇ファンを長年続けてきたワタクシとしては、演じる専門家がはるかかなたで丹念なメイクをするのは素晴らしいと思うが、舞台のこちら側のシロートがメイクなんかして、どっちがどっちだか見分けがつかなくなるのはメンドーな混乱を招くじゃないか。

      (京都府立植物園にて、4月14日 6)

 

 ま、いいか。4月14日、京都の人々がいきなりの寒さでクチビルを青紫にしているのを尻目に、寒さに慣れた北国の今井君は祇園の名店「きんなべ」のスキヤキで、心も身体もすっかりポッポと温まった。そもそも「きんなべ」、女将と今井君の丁々発止(ちょうちょうはっし)のやりとりがたまらない。

 

 どういう丁々発止なのかは、いろいろ差し障りがあるからここで文字にするのは憚られるが、おそらく年齢もギュッと近い者どうし、ホンネとホンネが見事なぐらいピッタリかみあって、いやはやこりゃ楽しいや、別にスキヤキなんか必要ないほど、熱く会話が盛り上がるのだ。

 

 あんまり心がポッポと熱くなっちゃったので、宝ヶ池のホテルまでタクシーの窓を大きく開け放って、ポッポ熱を京都の冷たい夜風でじっくり冷やして帰ることにした。「明日は府立植物園で熱い真っ赤なクチビルを眺めよう」と決めたのは、そのタクシーの中だった。

      (京都府立植物園にて、4月14日 7)

 

 そもそもワタクシ、植物が大好きなのである。小学5年まで暮らした旧・国鉄の職員宿舎には、なかなか広いお庭があったのだが、そのお庭には幼い今井君が育てたアヤメ・イチハツ・グラジオラス・チューリップ・ダリア・アジサイが季節ごとにキレイな花を咲かせていた。

 

 キバナコスモス・普通のコスモス、ちょっと変わったところではヤグルマギクにヘチマにヒョウタンに、ムシトリナデシコなんてのもあった。どうですか諸君、小学2年か3年で、なかなかスゲー園芸家じゃないですか。

      (京都府立植物園にて、4月14日 8)

 

 だから2014年にアムステルダムに2週間滞在した時も、最終日近くにはあえて地元の人たちとバスに乗り込んで「フローラホランド」を訪問したりした。ワタクシの靴の底がビラーンと剥がれて落ちた事件も、まさにその時に起こっている。

 

 ついこの間、公開授業ラッシュで大阪から沖縄に移動した時にも「ズンボに大きな穴が開く」という大ピンチに襲われたばかりだが、アムステルダムの今井君もまた、靴の底が全てビラーンと剥がれ、しかもそれを放置して平気で歩き回るという暴挙をおかしていたのである。

 

Tue 140916 断捨離からの復活 フローラホランドへ路線バスで(おらんだ先生訪問記47)

 

Mon 140915 今井君ライデン危機 靴底の思い出 クツ君とお別れ(おらんだ先生訪問記46)

 

Wed 140917 シンガポールから帰還 メンラメラ 生花市場で(おらんだ先生訪問記48)

 

 ま、いいじゃないか。4月の京都の植物園では、幸いズンボに穴も開かず、靴の底がビラーン!!と剥がれることもなく、今井君はマコトに平和で穏やかな午後を過ごすことができた。

 

 散策の後は、植物園のお隣の「In the Garden」でランチ。ごく平凡なピザと、ごくごく平凡なチキンの唐揚げと、ごくごくごく平凡なグラスワインを3杯。その種のもので心から大満足できるぐらい、植物と一緒の時のワタクシは、心がポッポと穏やかに落ち着いているのである。

 

1E(Cd) SchreierBACHMASS IN B MINOR 2/2

2E(Cd) Hilary HahnBACHPARTITAS Nos.2&3  SONATA No.3

3E(Cd) Richter & MünchenerBACHBRANDENBURGISCHE KONZERTE 1/2

4E(Cd) Richter & MünchenerBACHBRANDENBURGISCHE KONZERTE 2/2

7D(DMv) ABSOLUTE DECEPTION

total m26 y381  dd27409