Wed 190424 秋田内陸縦貫鉄道/阿仁合/白川君/笑内/米内沢/成田為三のこと 3830回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 190424 秋田内陸縦貫鉄道/阿仁合/白川君/笑内/米内沢/成田為三のこと 3830回

 こういうふうで4月20日、秋田県角館のお花見は完全に空振り(スミマセン、前回の続きです)。武家屋敷のシダレザクラは、結局3輪か4輪しか咲いていなかった。

 

 4月24日のテレビのニュースでは「今が満開」と言っていたが、あれからたった4日でホントに満開になっちゃったのか。テレビ画面に映っていた満開のシダレザクラって、もしかして去年とか一昨年の写真なんじゃないか。決して疑り深くはない今井君も、すっかり疑いのマナコになっちゃった。

 

 だって、今年の角館の開花宣言は4月21日だったのである。あのガッチリ固いままのツボミからわずか4日、開花宣言からでもたった3日、それでホントにホントに満開になったんですかね。

(秋田内陸縦貫鉄道、阿仁合駅。おそらく昭和のままの姿である)

 

 あまりにも悔しいから、4月20日の角館を散歩しながら、「来週もまた来ようかな?」と考えた。ヒコーキのマイルを上手に使い、しかも日帰りの旅を覚悟すれば、またまた0円の旅ができるはずだ。

 

 もし4月27日、河川敷も武家屋敷も豪奢な満開の桜を満喫できるなら、2週間連続も、日帰りの旅もモノともしない。今井君とは、そういうたいへん豪快なサトイモなのである。

 

 しかし諸君、まずは「ヒコーキも新幹線もすべて満員」という異常な事態に決意が萎えた。ヒコーキが満席なら絶対に乗せてもらえないし、秋田新幹線も「全車指定席」。売り切れというなら、角館にたどり着く手段はほぼ残っていない。

       (秋田の山あいをゆく 1)


 しかも諸君、天気予報を眺めてみるに、「4月27日の北日本は真冬の寒さです」「雪が予想され、交通機関の乱れが心配です」と言っている。要するに全て満員でたどり着くのは至難のワザだし、たどり着いてもそこは大雪、東京への帰り道さえ保証の限りではないということなのだった。

 

 ならば諸君、翌週のことはあきらめて、今 = 4月20日を目いっぱい満喫することに全力を注ぐしかない。桜の全く咲いていない頑固な角館をどう楽しむか。これはなかなかの難題だ。

       (秋田の山あいをゆく 2)

 

 とりあえずここに、3年前の満開の角館、2016年の豪奢な花盛りの記事を貼りつけておく。興味のあるオカタはリンクをポチポチ、花盛りの小京都の風景を各自で満喫してくれたまえ。

 

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Sat 160402 ソメイヨシノが2km続く 見事な秋田犬と出会う 稲庭うどんと熱燗2本

Sun 160403 夜の角館を徘徊する 最終の新幹線にギリギリ オジサマ達がウルサイ

 

 こうして、ノリ鉄君を自称するワタクシは、早速「秋田内陸縦貫鉄道」の旅に切り替えた。角館を出発した2両編成の各駅停車は、森吉山地と奥羽山脈に挟まれたおそらく日本で最も鄙びた山村の数々を縫うようにして北上していく。終点は秋田犬のふるさとに近い県北の町・鷹ノ巣である。

  (比立内に到着。かつての国鉄・阿仁合線の終点だ)

 

 この路線、今井君が小学3年生の頃に建設計画がまとまった。鷹ノ巣から阿仁合駅を越えて比立内までは、「典型的な盲腸線」として国鉄・阿仁合線がすでに走っていた。懐かしの気動車キハが、2両編成だったか3両編成だったか、1日に5往復か6往復、山間をガタゴトやっていたのである。

 

 しかしその終点の比立内(ひたちない)からは、山が深すぎ、また人が少なすぎて、昭和日本を徹底的に網羅した鉄道網からすらも見捨てられていた。比立内から角館までの数々の山村は、今や想像するのも困難な中世そのままの風景に包まれていたのである。

 

 しかし諸君、その状態を放置したんじゃ、文化国家とも福祉国家とも自称できない。旧・民主党政権みたいに「こんなところに鉄道を作るなんてもったいない」みたいな無慈悲な発言は誰もしなかった。

 

 そこで当時の秋田県は、「内陸縦貫鉄道」の計画で沸き返った。鷹ノ巣から角館までの鉄道がつながれば、取り残された山村の人々も、ついに現代日本の幸福を共有できると喧伝された。

       (秋田の山あいをゆく 3)

 

 その名も「鷹角線」。鷹ノ巣の「鷹」と角館の「角」をとって、これで「ようかくせん」と呼ぶ予定だった。今井君が小3の頃だから、すでにあまりにも昔のことであるが、まずは角館から北に向かって鉄路の建設が進んだ。

 

 1984年、「松葉」と書いて「まつば」と読む田沢湖畔至近の村まで「角館線」が開通。鷹ノ巣から南下する阿仁合線のスタートが1934年。角館から北上する角館線のスタートが1984年。第2次世界大戦を挟んで実に50年、北と南から盲腸線が苦しみながら延伸し、いつか結ばれる日を夢みて、苦しい赤字運行を続けた。

 

 ついに全線が開通したのは、1989年。おお、すでに国鉄は消滅していた。以来30年が経過。3セク方式での困難な運行に耐え、ついに平成を生き抜いて、今やめでたく令和の時代に突入しようとしている。

       (角館駅ホームで出発を待つ)

 

 角館から乗り込んでみると、車内はほぼ満席。4人がけのボックス席に、ほとんど空席はないのである。中国からのお客様が圧倒的に多いとしても、少なくとも「ガラガラの赤字路線」という言い方は当てはまらない。

 

 列車は雪解け水で増水した清冽な谷川に沿ってひたすら北上する。角館を発車して10分強のあたりに「カタクリの花」の群落があって、ちょうどこの頃が見頃。スミレより少し大ぶりなスミレ色の花の群落が連続するあたりで、列車は速度を落とし、徐行しながらカタクリの可憐な姿を楽しませてくれる。

 

 しかしそこから先は残雪の風景にかわる。何しろ東は2000メートル級の八幡平、西は1450メートルを超える森吉山に挟まれた山あいである。まだ雪が分厚く残って、雪の間からは福寿草やスイセンの黄色い花が群れをなし、フキノトウが小さな頭を出している。

(カタクリのスミレ色の花が群れている。やっぱりスマホのカメラじゃ無理だ)

 

 これは諸君、関東や関西なら2月下旬の風景じゃないか。「春は名のみの風の寒さや」であり、谷のウグイスも「時にあらずと声もたてず」の世界である。思えばふるさと秋田は、東京から見て2ヶ月も春が遅いのだ。長く東京で生活して、うかつにもそれを忘れていた。

 

 今井君の高校生時代、この阿仁合から越境入学で秋田高校に入学してきた同級生がいた。「1年F組」というクラスだった。どんなに今のワタクシが頑張っても、特設単科は「E組」止まりであるが、実は高校1年のクラスはF組だった。

 

 最初の自己紹介で、「阿仁合からやってきました」と衝撃の事実を告白した彼の名は、白川君。180cmをおそらくカンタンに超える長身、秋田独特の色白の美男、スポーツは万能で、確か「叔父の家に下宿して」秋田高校に3年間通ったのだった。

 

 地元では、よほどの名家だったに違いない。どういうわけかほとんど会話を交わした記憶はないが、村の医師の息子だったか、ギュッと勉強して医学部に進むのが規定のコースだったように思う。

(笑内と書いて「おかしない」と読む。かつては炭鉱があり、獅子踊などの無形文化財が残っている)


「1年F組」は、勉強よりもスポーツで目立っていた。1年から3年まで学年関係なしのトーナメントを組んだクラス対抗の格技大会があった時は、1年クラスなのに決勝まで進出した。中学時代に柔道部だった黒崎・鎌田・伊藤の3名が大健闘で、強豪クラスを次々と撃破した。

 

 何しろクラス担任が、「教師になる前に自衛隊で5年過ごした」というスーパー猛者の数学教師。「格技大会で敗退した」などという軟弱な事態は絶対に許さない、そういう雰囲気に満ちていた。

 

 その白川君の出身地の近くには、「阿仁マタギ」などというマコトに硬派な名前の駅も実在する。ツキノワグマを相手に数百年、長く激しい戦いを戦い抜いてきた人々の村である。

 

「比立内」「米内沢」「笑内」。「笑内」と書いて「おかしない」と発音する。超難読地名であるが、この「内」という文字が連続するあたりも、江戸時代の蝦夷地との近縁関係を示している。もちろん比内地鶏の名産地だし、白川君の阿仁合はかつて銀山でも繁栄した。

     (米内沢に到着。人生初体験の駅が続く)

 

 米内沢(よないざわ)は、音楽家・成田為三の出身地でもある。「なーに? 成田為三って?」というオカタ、あなたは「浜辺の歌」をご存知ないのか。発表、1916年。ほぼ100年前の名曲だ。

 

「あした浜辺をさまよえば 昔のことぞ偲ばるる
風の音よ 雲のさまよ 寄する波も貝の色も」
 

「ゆうべ浜辺をもとおれば 昔の人ぞばるる
寄する波よ 返す波よ 月の色も星の影も」

 

 ま、知らなかったらググってくれたまえ。ワタクシの姉が中2の時、合唱部でもないくせに、合唱部全員のバックコーラスを背に、文化祭のステージで激しい独唱を繰り広げた。もっとも、家族は一人もその華々しい歌唱を聞きに行かなかった。「恥ずかしいから」という恐るべき理由であった。

(米内沢は、作曲家・成田為三の出身地である)

 

 この成田為三、名門・秋田商業高校の校歌も作っている。もちろん彼は作曲。作詞は岩谷嘉市というオカタであるが、甲子園で勝利を讃えて演奏されることも少なくない。

 

「秀麗の山 鳥海は 久遠の雪の影浄し」。ワタクシの伯父の加藤一夫は、秋田商 → 福島高商 → 東京商大(現・一橋大学)を経て、静岡大学の総長を長く務めた。成田為三作曲のこの校歌を、おそらく幾度も熱唱したことと思う。

 

1E(Cd) Mehta&LondonBERLIOZSYMPHONIE FANTASTIQUE

2E(Cd) SCHUBERTERLKONIG SUNG BY 18 FAMOUS SINGERS

3E(Cd) TOSHIYUKI KAMIOKA&WUPPERTALSCHUMANNSINFONIE Nr.4

4E(Cd) Walton, MarrinerRICHARD 

5E(Cd) Tomomi NishimotoTCHAIKOVSKYTHE NUTCRACKER(1)

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