Thu 160331 35年前の加藤正清 文楽の苦境 台湾ラーメン「味仙」 秋田・角館に向かう | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 160331 35年前の加藤正清 文楽の苦境 台湾ラーメン「味仙」 秋田・角館に向かう

 我が広大な書斎の本棚をゴソゴソやっていたら、「国立劇場・昭和54年9月文楽公演」という古色蒼然たるパンフレットが出てきた。

 むかしむかしの今井君は、演劇を観に出かけるたびに必ずパンフレットを購入、チケットも必ずパンフレットにはさんで保管した。だから今もクマ助の書庫は、古書店のダンナならヨダレを垂らして欲しがりそうな、レア物天国のままである。

 神田神保町の古書店街で「演劇関係専門」の看板を掲げているのは「矢口書店」。ワタクシもしょっちゅう入り浸っている。というか、ライバル意識もムラムラ盛り上がっている状況だ。

 しかし諸君、国立劇場文楽公演のパンフレットが昭和53年からズラッと全冊 ☞ 約150冊も揃っているのは、矢口書店よりもむしろ今井君のプライベート書庫なのであって、もちろんチケットもチラシも全て保存してある。

 昭和54年とは、1979年である。9月の文楽東京公演では、熊本の英雄・加藤正清が主人公の「八陣安堵城」が上演された。「加藤清正は徳川家康に毒殺された」という伝説があって、その伝説をモトに書かれた浄瑠璃が「八陣安堵城」。中村魚眼・佐川藤太の作となっている。
ラーメン
(大阪・道頓堀「味仙」の台湾ラーメン。名古屋の有名店「味仙」とは全く無関係とのことである)

 かつては織田の臣下だったが今は豊臣秀頼を奉じ、徳川との戦いに立ち上がろうとする加藤正清。浄瑠璃の世界では、明智光秀は「武智光秀」、羽柴秀吉は「真柴久吉」、織田信長は「尾田春長」や「小田春永」、小早川氏は小梅川氏、まあいろいろ問題があったんだろうが、そういうツマラン偽名が使われる。

「八陣安堵城」では、徳川家康はどういうわけか「北条時政」という名前で登場。加藤正清は、「森三左衞門」という人物とともに毒酒を飲まされ、森三左衛門はほとんど即死してしまう。

 しかし加藤清正は豪胆な英雄であって、「今は殺される時にあらず」と、百日の願をかける。「もう100日でいいから生きさせて下さい」、それを神に祈るのが「百日の願」。むかしの世の中はマコトに都合良く出来ていた。

 そこで正清は、長男の許嫁・雛絹(ひなぎぬ)を伴い、船に乗り込んで熊本を目指す。雛絹は、落命したばかりの森三左衞門の娘。まあこういう物語だから「絶世の美女」というヤツでござるよ。

 熊本への長い船旅の途上、「鞠川玄蕃」など北条時政の悪臣たちが船を追ってくる。加藤正清の死を確かめるのが目的。しかし正清は毒の苦しみに耐えて豪胆に生き続けている。生きた正清を目の当たりにして、さすがの鞠川玄蕃も「あれれ?」とスゴスゴ引き上げて行くしかない。
看板
(大阪「味仙」の看板。戦後のドサクサから続く味わいはさすが)

 熊本城には島津義弘や後藤又兵衛など、戦国末期を代表する勇者たちが馳せ参じる。嫡男 ☞ 忠廣も、あえて許嫁の雛絹を離縁してまで北条時政と戦う決意を固めている。その覚悟を知った雛絹は、哀れにも自害。加藤正清にあの世での父娘の縁を約束され、静かに息を引き取ってしまう。

 最後の戦いに臨む加藤正清は、三日月をかざった烏帽子の形の兜、南無妙法蓮華経の旗を携えた堂々たる武将の姿。伝家の宝刀「七星剣」をスラリと抜けば、北斗七星をちりばめた雲が下りてくる。

 島津義弘&後藤又兵衛からは「幼君♡秀頼をお守りする。安堵されよ」の言葉。ついに毒酒の毒が全身に回った正清は、天守閣で勇ましい死を迎える。南無妙法蓮華経/愛別離苦/会者定離、「おさらば」「さらば」の声の中、英雄♡正清はあの世に旅立っていく。

 一同の見上げる空には星象光。星象光 ☞「せいしょうこう」とはつまり「清正公」であって、こうしてヒーロー加藤清正は、熊本では近代まで「せいしょこさん」と親しまれてきたのである。

 まあ諸君、近世文学へのワタクシの造詣はかくのごとし。かっかっか。まさに「おそるべし」であって、いろんな人形浄瑠璃の筋書きについて、この程度の解説なら朝飯前でござるよ♡

 熊本への義援金を募る吉田玉男さんと加藤正清の人形を眺めつつ、「そういえばオウチの書棚に昭和54年のパンフレットがあったな」と思い出し、マコトに少額ながらご協力させていただいた。
加藤正清
(昭和54年の「加藤正清」。昨日の写真5枚目と比較してみたまえ、ちっとも変わらないじゃないか)

 文楽が終われば、もちろん大阪ミナミの街に出て、恐竜時代から長く付き合っている友人との旧交を温める。難波に「山三」という馴染みの飲み屋が出来て、ホントはそこに我がミコシを据えたかったのだが、さすがに「山三」は大阪ミナミ第一の人気店。ギューギューの満員で、諦めるしかなかった。

 仕方なく、近くのお蕎麦屋で一次会。文楽の関係者が多く立ち寄るお蕎麦屋で、人形浄瑠璃の将来を語り合った。何しろ21世紀の文楽は、人間国宝級の大物が次々と引退。今や何となく「スカスカ」な感じであって、実力不足の若手ばかりで舞台を盛り上げなきゃいけない大ピンチである。

 今から35年前、昭和50年代のパンフレットを見ると、大夫だけでも横綱&大関クラスがズラッと並んでいる。竹本越路大夫・竹本津大夫の両横綱が健在。その後20年の文楽を支えた竹本住大夫も、まだ「文字大夫」の時代で、「強い大関」クラスの扱いでしかない。

 当時の大関クラスには「竹本織大夫」の名もある。その後「綱大夫」☞「源大夫」を襲名。破格の出世を続けたが、35年前はやっぱり大関扱い。同格の大関に、豊竹嶋大夫・小松大夫・呂大夫・咲大夫・十九大夫。竹本南部大夫や伊達路大夫もいた。後の伊達大夫である。ホントに多士済々であった。
ミックスモダン
(翌4月22日、今井君は伊丹空港のお好み焼き屋「たこぼん」に開店と同時に闖入。「ミックスモダン」を満喫した)

 以上、遠慮せずにブンブン名前をあげたが、その中で今もブンブン意気盛んなのは豊竹咲大夫のみである。みんな引退しちゃったり、惜しまれながら世を去った。うーん、豪栄道しか残っていない大相撲、諸君、何となくそんな寂しい感じである。

「今井君一人が残った予備校界」。もしそうなったら、想像するだけで余りに寂しいじゃないか。「昭和の時代、掛布とバースが引退して、岡田だけになったタイガース」と例えてみたら、さすがに関西の友人は「寂しすぎるからヤメて」と困った顔をした。

 あんまり寂しいので、雨の上がった大阪ミナミを歩き回り、2次会 ☞ 3次会と旧交を沸騰するまで温め続けた。2次会は、法善寺横丁のウィスキーバー。スコッチをダブル&ロックで3杯も4杯もグビグビやって、これ以上ないほど心地よくなった。
プロペラ機
(大阪から秋田へは、74人乗りのプロペラ機で移動する)

 3次会は、道頓堀と心斎橋の中間点にある台湾ラーメン「味仙」。名古屋にも有名店「味仙」があるが、名古屋は「みせん」、大阪は「あじせん」。関係は一切ないらしい。

 戦後のドサクサから続いているらしいミナミの有名店で、文楽の将来を案じながら辛いラーメンをすする。朝から降り続いた大雨は上がり、夜の大阪は蒸し暑くなってきた。

 時計はすでに午前2時に近い。恐竜時代からの友人と、こういうふうに旧交を温めるのも、マコトに楽しいものである。深夜の難波でタクシーを拾い、堺の友人は南に向かい、ワタクシは梅田のインターコンチネンタルホテルに戻った。

 いやはや、またまた旧交を温めすぎてボヤ騒ぎ。今井君はこんな熱い日々を送りつつ、5月末から始まる夏シリーズに向け、心身を鍛え続けている。

 しかも翌朝は、朝の大阪伊丹空港で「ミックスモダン」をペロリ。さらに74人乗りの小さなプロペラ機に乗りこんで、遥か東北・秋田空港を目指したのであるが、その詳細はまた明日の記事に譲ることにする。

1E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 3/3
2E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR 1/2
3E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR 2/2
4E(Cd) Gergiev & Kirov:TCHAIKOVSKY/SYMPHONY No.6
5E(Cd) Sinopoli & New York:RESPIGHI/FONTANE・PINI・FESTE DI ROMA
155 Stay15 BORDEAUX CARCASSONNE PARIS
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