Thu 090730 音読、音読、音読。最終日の深夜を彩る音読 眠りにいく者、徹夜する者 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 090730 音読、音読、音読。最終日の深夜を彩る音読 眠りにいく者、徹夜する者

 こんなふうにして(すみませんねえ、またまた昨日の続きです)、授業と個別学習と確認テストの連続で、スタッフの監督のもと生徒たちは1日14~15時間の学習を続けるのであるが、ここで最も重要であり、最も特徴的なのが「音読の徹底」である。

 すでに掲載した昔のパンフレット写真のコメント(Sun 090712Mon 090713Tue 090714参照)からもわかるように、私はとにかく音読にうるさい。昔から「ひたすら音読」「音読なくして語学力向上なし」が合言葉である。

 どういうわけか、東進には音読にうるさい先生方ばかりたくさん集まった観があるが、その結果として、夏期合宿に参加した生徒たちは「個別学習」の時間ばかりではなく、朝昼晩の食事の時間帯も、入浴の順番待ちの時間も、ヒマな時間さえあれば常に音読をさせられ、させられなくても自ら進んでどんどん音読に励む。

 当初は音読が恥ずかしくて、あまり上手でない発音のまま声を出さなければならないことに違和感のある生徒が多いが、合宿に参加する頃には、ほとんどの生徒にとって音読はすでに日常の一部分である。

 むしろ、音読のない語学学習は、醤油のない和食、香辛料のないフランス料理、スパイスのないインド料理に等しい、そういうふうに感じるようになっている。私の担当するハイレベルクラスは、4月から6月にかけて大幅に成績を上げた生徒が多いが、「それは音読に夢中になったおかげだ」と、ほとんどが実感している。

 ほんの2~3ヶ月の間にセンター模試でクラス平均30点近くも向上するとすれば、そこには何か魔法のような学習法があったに違いなくて、「それが音読だ」とみんな信じている。

 

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(音読 1)


 だから、講師から何も言わなくとも、熱心に音読に励む姿が常にあり、廊下にも食堂にも、修行に励む真夏の僧侶たちの読経のように、低く長く英語の音読の声が溢れる。残念なのは、もっと大きな声で音読させてあげられないことである。

 日常生活と同じぐらいのボリュームで高らかに音読したほうが、ずっと効果が高まることは間違いないのだ。まあ、欲を言い贅沢を言えばキリがないから、たくさんの生徒が別々に音読する場では、互いにジャマにならない程度に声を抑え、そのぶん心を込めて音読を繰り返す。

 そのちょっとした欲求不満を解消するのが、クラス全員そろっての音読である。確認テストやまとめテストのあと、時間が少しでも余っていれば、クラス全員立ち上がって、ネイティブの吹き込んだCDの音声に続いて、声をそろえて音読する。

 テキストの文法問題はそのまま暗記例文集にもつかえるものなので、まずこれを音読する。読解問題を材料にすることもある。CDばかりだと味気ないから、スタッフが先頭に立ったり、生徒代表が先頭に立って音読をリードしたり、バリエーションはさまざまであるが、誰のジャマにもならないのだから、目一杯の声で音読を楽しむことが出来る。

 

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(音読 2)


 真夜中まで勉強していれば眠くなるのが当然で、特に最終日は「ほぼ徹夜」だから、午前2時を過ぎれば眠気との戦いである。

 こういう体育会的・イベント的な徹夜学習については、首を傾げる部分もないではない。そんな無理をして何になるのか、一晩徹夜して自己満足に浸るより、しっかり睡眠をとって継続的に学習するのが本質的なのではないか。そういう冷めすぎた意見は当然だし、おそらく正論そのものである。

 しかし、相手は高校生であって、彼ら彼女らにとって、冷めすぎた正論が単に「正しいから」といって効果が最大であるとは限らない。たった一晩のことで「限界に挑戦した」というほど大袈裟なことでもないのだが、それでも眠気にうちかって努力した経験が、大きなプラスに働くことだけは間違いない。夜が明けはじめたときの、彼ら彼女らの嬉しげな表情を見ればそれは明らかだし、だからオジサンも一緒につきあって、毎年合宿の最終日は徹夜することにしている。

 この最終日の夜を彩るのも、声をそろえての音読である。ずっと個別学習に励んでいるだけではさすがに苦しいから、1時間に一回、全員でイスの上に立ち上がって音読する。

 体育会系のノリであるが、夜が更けるにつれ、朝が近づくにつれ、空が明るくなるにつれ、生徒たちの高揚感はますます強烈になり、一斉に音読する声は宿舎の圧するほどである。こういう高揚感はスタッフの側にも影響を与え、若いスタッフだと、音読しながら思わず涙ぐんだりすることもある。

 

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(夜が明けはじめた頃の音読)


 朝4時前に、「これから先は2者択一である。完全徹夜で学習を続けてもいいし、3時間足らずだが眠りにいってもいい」と短く演説する。常識的には「go get some sleep」というところであって、明朝8時半からの「修了判定テスト」で高得点を目指すには、冷静に考えればget some sleepのほうが得策である。

 しかし、ここまで高揚感がつのってしまった高校生たちに、「その高揚を抑制して睡眠をとる努力をせよ、それが正道だ」と迫るのも、かえって酷な話であって、そういう冷静な行動を教えるのは、彼らがもう少し成長してからでいい。

 眠りにいくのもよし、この場に残って朝7時まであと3時間頑張るもよし、It’s up to youであって、その単純な2者択一を、誰にも相談せず、黙って1分だけ考え、即座に決め、即座に行動せよ、というような演説である。

 実際、友人どうし相談する者も全くない。目配せもない。生徒たちは1人でじっと考え、選択し、眠りにいく者を止める者もなければ、誘ったり、他者の選択を責めたり、派閥を作って自らの選択を正当化しようとしたり、そういう醜い行動は一切せずに二手に分かれる。

 例年、睡眠を選択する者3割、学習を継続する者7割。私はそのまま教室に残って、朝までつきあうことにしている。いい年をして、と首を傾げるかもしれないが、眠気を追い払うために、生徒たちの先頭に立って短く奇声をあげたりする。

 開講式の時にステージでやった「タアーッ」の他に、「ポンッ」というのもある。肩が凝ってしまったり、脳が痺れてしまったり、そういう生徒たちにとっては、この一瞬のナゴミの輪は大いに嬉しいようである。