Mon 090713 「酒」は得意でも「宴」は苦手 早稲田祭、丸山君と松尾君の記憶 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 090713 「酒」は得意でも「宴」は苦手 早稲田祭、丸山君と松尾君の記憶

 「長い酒宴が得意」と言っても(おなじみ、「昨日の続き」です)、得意なのは「酒」の部分であって、「宴」の部分はできれば「敬して遠ざけたい」というのが本音である。60歳前後と思われるゼミの先輩方は、福原教授を囲んで昔話に早速花を咲かせはじめたけれども、こちらは宴会場の一番スミにどっかと腰を下ろして、店の人に焼酎のボトルを注文。お湯の入ったポットを脇に引き寄せて、焼酎ボトル、お湯のポット、この2つがまさに命綱であるかのように、もう決して離しはしない。グラスに自らなみなみと焼酎を注いで、ほんの申し訳程度にお湯を注ぎ足し、「どうか、誰にも話しかけられませんように」と、ひたすら念じながら、自分でも驚くほどのペースで焼酎をあおり続けた。
 

 こういう場所で昔話に花が咲けば、鮮やかに咲いた花は「できれば思い出したくない恥ずかしい過去」を、実にまざまざと目の前に描き出すものである。20歳のころの私と言えば、「この1~2年のうちに、自分は本職の作家になるだろう」と広言し、向こうで先輩方に囲まれている教授にも同じように宣言してしまうような、恥ずかしいことこの上ない大学生だったのである。私のいないところでどうウワサしていたかは知らないが、「今井ならすぐにでもプロの作家として通用するだろう」と真顔で言ってくる、ヒトの悪い友人たちも少なくなくて、福原ゼミにもその手のヤツらは存在した。

 

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(1996年駿台予備校パンフレットの今井君。相変わらず音読についてはうるさかったようだ。「稲福会」幹事が授業を受けた1993年よりも、貫禄だけは格段に増している)

 そのうちの一人に、雑誌「NUMBER」で完全にレギュラー執筆陣に入っているサッカーアナリストT氏がいる。5~6年前、文芸春秋社から「山本昌邦、勝って泣く」という著書を出し、もしも山本昌邦率いる日本代表チームが勝っていたら、彼の本も大いに売れただろうし、彼も山本昌邦氏も時代の寵児になったはずだったのだが、残念ながら日本チームが惜敗し、「勝って泣く」のではなくて「負けて泣く」ことになったせいで、「時代の寵児」にはなりそこねる結果になった。


 このT氏など、まさに学部時代に「今井さんは、間違いなく…になるでしょうねえ」と断言していたうちの1人。ちょうど今はカタールだかどこだかでサッカーの取材中で、今回は姿を見せられなかったが、もう10年近く昔のこと、早稲田祭で共演して、500人近く入る15号館の大教室を2人で満員にした仲である。あの早稲田祭は楽しかった。


 私が駿台をヤメて代ゼミに移籍したのが1997年。その翌々年の1999年には早稲田祭に単独で出演し、7号館に500人以上を集めて大騒ぎをしたことがあるのだが、全く別な問題でいろいろ激しく苦しんでいる最中で、早稲田祭を心から楽しむことが出来なかった。私の出演を企画してくれたのは、前年に代ゼミで私の授業を受けていた丸山君を中心とする「早稲田を熱くする会」。会の主宰・丸山君には悪いことをしたかもしれないが、とても「絶好調」とは言えない状況。大隈講堂の前での夜の飲み会も、その後の2次会も、今思えば、つらい思い出ばかりである。

 

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(恥ずかしい記憶)


 早稲田祭でのT氏との共演は2002年。このときも代ゼミで私の授業を受けていた松尾君の主催。15号館に500名が集まり、1升瓶の日本酒に酔った私は目一杯盛り上がって、ちょっと緊張気味のT氏を懸命に応援したのだった。ちょうどその日、野球の早稲田vs慶応戦が重なり、しかもその日早稲田がリーグ戦優勝を決めた。エースは和田毅(現ホークス)、4番は鳥谷(現タイガース)、その他メンバーには青木(現スワローズ)、越智(現ジャイアンツ)などのオールスターキャスト。それでもわざわざ私とT氏の講演を見に来てくれた諸君を引き連れて、文学部前で開催された優勝祝賀会に出かけた。早稲田商店会からの振舞酒を浴びるように飲み、早稲田大学校歌を高唱し、コブシを振り上げて「紺碧の空」を歌い、野球部メンバーに喝采を送った。


 その後、我々はそのまま「これ以上安いことは考えられない」という早稲田独特の飲み会になだれ込み、私は店の人に教授と間違われ、「教授」と呼ばれているうちに宴会は終わってしまったのだが、T氏とはその後1度しか会っていない。早稲田祭は、その後2005年に「島耕作」シリーズの作者、漫画家・弘兼憲治氏と共演したのが最後である。

 

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(眠っている記憶)


 今回、「稲福会」というものの存在を知らせてくれたのは、このT氏と同学年で、私より1学年下だった男である。今は共同通信社の部長。学部時代から「いかにも早稲田の男」という感じの傑物で、日本酒でも何でも、私に負けないぐらいの勢いでいくらでも飲むし、人生の生き方についても、きわめて豪快な男である。驚いたことに、彼の息子さんが5~6年前に代ゼミで私の授業を受け、「もしかして、今井講師というのはお父さんの同窓生なんじゃないの?」という話になり、それをキッカケに何度かメールのやりとりもあって、それが今日のOB&OG会出席のキッカケになった。


 そういうわけで、焼酎のボトルとお湯割用のお湯のポットは、私と共同通信社の部長の共有になり、やがて、おじいちゃんたちの話題についていけなくなった比較的若いOB&OG諸君は我々2名の周囲に集まりはじめた。おお、しめしめ。こうなれば、逃げ切り態勢。自分の恥ずかしい記憶をかきまわされることなしに、今夜は逃げ切れそうである。朝日新聞の編集長とか、静岡のお医者さんの奥様とか、まあ私より2歳3歳下の諸君が集まって、私が少しだけ先輩ヅラしてもおかしくない状況がやってきた。今井君の戦術、まさに恐るべしである。