Fri 090123 「英語で授業」なら、文法はどうする? 副教材は? 中学英語は? | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 090123 「英語で授業」なら、文法はどうする? 副教材は? 中学英語は?

 指導要領改訂案で「英語の授業は原則として英語で」行う方向性が示されたのは、先月中旬のロンドン滞在中だったから、発表直後に日本でどう受け止められたかについては、ロンドンで見られる1日1時間のNHKニュースで知るだけだった。

 直後の世論としては「非常にいいことだ」「当たり前のことだ」「これを待っていた」という意見、つまりこの方向性を歓迎する意見が多かったように思うが、そういうイメージは、メディア側が何を報道したがって何をボツにしたかで簡単に捩じ曲げられてしまうから、あまり当てにはならない。

 むしろ、その後1ヶ月の世論の動向をみると、不安視する見方が大勢を占めているようである。反対意見や不安視する意見をよく聞いてみると、その理由はほぼ以下の3つに分けられるようだ。

(1)中学校卒業の段階で、生徒の多くが英語嫌いになっている
(2)高校教師の能力がそれほど高くない
(3)大学受験が変わらないかぎり、高校英語の授業は結局変化しない。
以上の3点である。

 

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(いいお湯である)


 このうち(1)が認識の誤りであることは既に書いたし、(Thu 090108参照)(2)については昨日のブログに書いた通り、教材会社と高校教師の努力次第で簡単に解消できるはずである(Thu 090122)。

 昨日は英語学力の高くない生徒たちに対する対応や授業経営について考えたのであるが、高学力層の授業となれば、ほとんど心配するにあたらないだろう。あえて心配するとすれば「文法事項を説明しすぎる教師」「今まで教えてきたのと同じだけのことを英語で説明しようとして欲求不満に陥る教師」についてかもしれない。

「これはオレしか知らないんだ」「アメリカ人でさえアヤフヤなことなんだ」といった「英語トリビア」にあたる情報を生徒に伝えて悦に入るような教師は、予備校講師には特にありがちである。

 しかし、質問にくる生徒たちから聞かされるところから判断すると、そういう性向は高校の先生方にも少なからず存在するようである。今までトリビアの説明で生徒の喝采を浴びていたような先生方が、同じことを英語でやろうとすると、生徒からみて明らかに迷惑である。

 ただ、そういう心配はあまりしなくてもよさそうだ。何故なら、その種のトリビアの種は、「和訳について」の部分がほとんどで、「大学の先生や翻訳家にもできない名訳だ」とか「そんな直訳じゃしっかりした解釈になっていない。こんなふうに意訳をすれば、筆者の言いたいニュアンスが伝わる」とか、とにかく和訳がらみの内容が多い。

 

「原則英語で授業をする」ということになれば、名訳だの、美しい日本語だの、こなれた日本語だの、英語教育から見れば余計な蘊蓄にしかならない部分は省略しなければならないから、先生方が「ネグっちゃう(Fri 090109参照)」という強硬手段にでないかぎり、心配するにはあたらないだろう。

 

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(のぼせそうである)


「文法用語をどうするんだ」という声も出てくる。高校英語で出てくる文法用語は多い。仮定法過去完了、疑似関係代名詞、関係副詞、間接話法、直接話法、絶対最上級、三人称単数現在、現在完了進行形、仮定法現在、不完全他動詞、能動受動態、単複同形その他、高校でも予備校でも、今の授業を成立させているたくさんの文法用語を全部英語で説明し、テキスト本文の文法的説明もすべての英語の用語だけで進めるのかどうか。

 正直言って、それは無理である。「先生にとって無理」である以上に「生徒にとって負担になりすぎ」である。だから、そこは先生方が少し我慢するしかないだろう。

 ある程度の説明は教材中に日本語で印刷されていて、その部分は自習用。当然自習できる程度の平易な内容に限定し、説明したりない部分は教材後方にAPPENDIXとして扱われているか、教師がプリントを作成して補填する。

 もちろんその場合でも、あくまで自習が前提の平易な内容でなければいけない。要するに、「蘊蓄やトリビアで生きていく」という生き方できた教師が、生き方を変えなければいけないことは間違いない。

 細かい文法事項については、副教材に任せるしかないだろう。今までだって、桐原書店や増進会の副教材を生徒全員に買わせて、定期テストの範囲に含めることで無理やり文法を学ばせてきた教師が多かったのだ。

 これからはますますそういう傾向が強くなるだろうから、ここがまた教材会社のビジネスチャンスになってくる。学校で余り詳しく立ち入った説明を受けていないのだから、近い将来の副教材は懇切丁寧な説明がなされていることが不可欠になるはずだ。

 今の桐原書店のもののような、1問につき3~4行程度の「木で鼻を括った」ような説明しか付されていないものでは、生徒の需要に応えられなくなる可能性が高い。

 定期テストの直前に答えを丸暗記すれば「何とかごまかせる」類いの間に合わせの副教材ではなく、1問1問に懇切丁寧な解説が記され、例えば夏休み40日をかけてしっかり読み切れるようなもの、説明を熟読して自習だけでじっくり向上をはかれるような副教材の需要が高まるものと思われる。

 先生方も「普段の授業ではできないしっかりした文法学習を、夏休みにやってこい」と言いながら副教材を指定できるはずである。

 同じことが塾や予備校の高校生コースにも要求されるだろうが、そのことについては、「大学入試がどう変わるか」「私自身が4年後からどういう授業を考えているか」も含めて、後日書いてみることにする。

 

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「キミ、背中流してくれたまえ」


 なお、ここで中学校での文法教育の充実の必要性が少し出てくるかもしれない。小学校での初歩的な英語教育を受けて行うのだから、中学英語での文法知識のレベルが上がるのも当然だ。

 ここで余りにもゆっくりしすぎたり平易すぎたりすると、生徒がソッポを向きかねない。現在の英語教育において高校1年で扱われているぐらいの内容まで、中学校で教えてしまえれば理想だろう。

 高校の先生方が高校1年生に向けて口を揃えておっしゃっている「5文型の理解が英語のエッセンス」「5文型がわからないと、英語は理解できない」ということが、もしも真実だとするならば、それほど大切なエッセンスを義務教育の場に持ち込まないのはおかしいはずだ。

「5文型がわからないと英語はわからない」なら、今の中学教育は「いくら懸命に努力しても英語がわからない欠陥教育」ということになる。その程度の必須文法事項を義務教育に戻すのはどうしても必要なことである。

 この50年「中学校までは英語が得意だったのに、高校に入って突然できなくなった」という悲劇が多かったことを考えれば、中3までで現高1の内容まで「日本語で」教えられるようになれば、その方がいいのである。「少し難しい内容なんだから、日本語で説明してもらえるうちに説明してもらいなさい」ということなら、受け入れられやすいのではないだろうか。

 しかも、高校英語のエッセンスはほとんどが高1の教科書に含まれている。それなのに「高校に入って突然できなくなった」というのは、大学受験予備校の作る模擬試験が難しすぎたのである。予備校は、中高一貫校の高1生を目標に問題を作成する。

 優秀な都会の子にソッポを向かれないためである。そのせいで「高校に入ったら歯が立たない」と自信を失う子供がどれほど多かったかを考える時、「中3で現高1の範囲まで文法事項を終了」それ以降、「高校ではもうトリビアをやらず、中学校までで習った必須文法事項を使いこなしながら、英語だけで英語の運用能力を鍛える」という英語教育の流れは非常に好ましいと思えるのだ。

1E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 8/10
2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 9/10
3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 10/10
4E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 1/5
5E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 2/5
6E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 3/5
7E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 4/5
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