Fri 090109 英語学習指導要領のネグられた過去 今度こそ、ネグられてはならない | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 090109 英語学習指導要領のネグられた過去 今度こそ、ネグられてはならない

 「高等学校学習指導要領」の改訂案が昨年暮れに出て、「英語の授業は原則として英語で行う」方向性で今後議論が進みそうであることについて、昨日のブログで触れた。

 今日もその続きを書こうと思うのだが、何より心配なのは、その指導要領が現場の先生方に無視されてしまうことである。既に「案」が出たときから、新聞の投書欄などに「現場の意見」として、「不可能」「絵に描いたモチに過ぎない」「現場を知らない者の思いつき」といった批判の意見が相次いでいるのだ。

 確かに文部科学省のヤンゴトナキ官僚の皆様が懸命にお考えになったことでも、現場の先生方が「こんなの最初から無理、出来るわけないでしょ?」といってネグってしまえば、ネグられて終わりになってしまう可能性も十分にある。

 ここに(というか私の書斎に)平成11年版の「学習指導要領解説 外国語篇」がある。まだ「文部省」の時代であるが、その「リーディング」の章(62ページ)にこんな一節がある。退屈ではあるが、ここに引用する。英語リーディングの指導法についての指導要領である。

「目的や状況に応じて、速読や精読など、適切な読み方をすること。 … どのような状況で、何のために、どのような内容の文章を読むのかなどを念頭において、その場面や目的に応じて適切な読み方ができるように指導することを意味している」

「例えば、概要や要点を把握することが目的ならばスキミングと呼ばれる読み方を行い、必要な情報を探すために読むのであればスキャニングと呼ばれる読み方を行い、 … 生徒自らが読む目的を考え、主体的に読み方を選択できるようになる指導が必要である」

 ちょうど今から10年前の学習指導要領だ。1999年、丸刈りにした直後の私は、この指導要領を読み、「おお、高校でスキミングとスキャニングを教えることになったんだ」と早合点し、さっそくスキミング・スキャニング・パラグラフリーディングの参考書を企画した。

 寝癖のつかなくなったスッキリ丸刈り頭は誠に見事に回転して、東京-名古屋往復の新幹線の中だけ(当時は1週間に1回名古屋校に出張していた)で、1年で3冊600ページにも及ぶ参考書を書き上げ、代々木ライブラリー「パラグラフリーディング」シリーズは、幸いなことに3冊合計で10万部のヒットになった。

 代ゼミの単科ゼミでもスキミング・スキャニング・パラグラフリーディングを中心にした「A組」が大人気。どこの校舎でも満員締め切りを連発して、「今井と言えば、パラグラフリーディング」という代名詞的な存在にもなったのだった。何しろ文部省(当時)のお墨付きなのだ。「これを教えないで、教師の名に値するか」ぐらいの気概があった。

 

0999
(くつろぐ with 白い魔物)


 ところが、その辺が「ニワカ丸刈り頭」の愚かなところなのでしょうな。「丸刈りでも寝癖がつく」という画期的発見と同じぐらいのインパクトとともに、「文部省の学習指導要領でも、現場に無視されれば、それで終わり」ということを発見。思わず天を仰いだ。

 つまり、高校でも予備校でも、多くの先生方が、この「学習指導要領」をほとんど無視。特に自由な指導をモットーとする予備校では
「そんな変なことやってると、合格できないぞ」
「それより、1文1文キチンと訳せ。無生物主語の構文では、主語を副詞的に訳すんだ」
「スキミング? スキャニング? 何だ、その怪しいテクニックは? どうせヒゲや丸刈りに寝癖のついた怪しいヤツが発明したインチキ・テクニックだろう」
で、終わりになってしまった。ブームは3年程度で消えてしまった(ような気がする)のである。

 10年前、その学習指導要領を受けて、大学入試にもちょっとした変化が見られた。東京大学でも早慶でも、日本を代表するような有名大学(京都大学を除く)のほとんどは、スキミングやスキャニングを利用することを念頭においたと思われる出題も、いろいろ試みたのである。

 高校の先生方の中にも、スキミング&スキャニングに果敢に挑戦され、これを積極的に授業にも取り入れて奮闘していらっしゃる方も少なくなかった。大学の語学の授業でさえ、一時は大きなブームになりかけていたのである。

 しかし、何事も「多勢に無勢」であって、ネグる(neglectする=無視して、なかったことにする)人が多勢を占めれば、正直に努力する人たちは次第に「バカをみる」ようになる。

 私なんかは、殺されても死なないタイプだから、バカを見ようが何しようが全然こたえることはないのだが、「怪しいテクニック」「インチキ」扱いをされた高校の先生方はさぞかしつらかっただろうと思う。

 努力して学び、自家薬籠中のものとし、生徒にこれを伝えようと奮闘し、それなのにネグって努力せず今まで通りの訳読だけを教える教師たちの方が「正統派」を名乗り「正攻法」と呼ばれ、「変なことをするヤツらについていってはならない」などと平然と言い放っていたのである。というより、学習指導要領を読むことすらしていなかったフシがある。

 私自身は、どんな世界でもカメレオンみたいにしぶとく生き残って、今も平然と英語を教え続けているし、幸いなことに受講生の数も驚くほど多い。それでも、さすがに心の傷は深く残っていて、スキミングやスキャニングの話を教室には持ち出す気になれない。

 しかし、「床運動がダメだったら、鉄棒と吊り輪とあん馬と跳馬で稼いじゃおう」「直球が伸びないなら、スライダーとシュートで勝負、ナックルもあるよん」とうそぶいて平気でいられる私のような教師はいいが、真っ向勝負だけでスキミング&スキャニングに挑んだ先生方は、いまどうしていらっしゃるだろうか、少なからず心配である。

 

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(恐怖)


 だから、もし今回改訂される学習指導要領に「英語の授業は英語で」を明記するというなら、ネグることは厳禁してほしいのだ。画期的な方針転換を説いて、「どうだ、画期的だろう」、そう大見得を切って、後は知らんぷり、「あとは現場にオマカセします」「現場の先生方が努力されることを祈っております」で終わったのでは、現場の混乱は大きい。

 いや、ネグる者たちが跋扈し、ネグる者たちが大勢を占めれば、せっかく画期的だった指導要領が、「何だ、結局あれは絵に描いたモチに過ぎなかったんだ」ということになってしまう。

 そうなった時、努力して英語で授業を進める真剣な教師の授業をせせら笑い、「あんな授業を受けていても大学入試には通用しないぜ」という陰口で学校はあふれ、今後ますます指導要領に従う者は少数派になっていくことになる。英語教育の現代化の観点からも、それでは絶対にマズいのである。

 では、高校の教材はどんなふうに変わっていくのか、その教材に合わせて高校の授業はどう行われるのか。辞書や参考書はどんなものが主流になるのか。英語で授業を受けてきたという受験生に対して、大学入試はどんなふうに変化して対応するのか。

 和訳問題を中心にして来た国公立大の英語入試はどう変化するのか。2015年を見据えて、センター試験はどう変化していくのか。予備校の授業はどう変わらなければならないのか。いや、すべて英語で教えられることになる高校英語に向けて、中学校英語はどう変わらねばならず、その準備段階として小学校での英語教育はどうするのか。

 おお、考える問題が多すぎて、どんなに涼しい丸刈りにしても、容易には追いつけそうにない。これからしばらくの間、このブログの中でも何度もこの問題について考えることになりそうである。

1E(Cd) Richter & Münchener:BACH/BRANDENBURGISCHE KONZERTE 1/2
2E(Cd) Richter & Münchener:BACH/BRANDENBURGISCHE KONZERTE 2/2
3E(Cd) Lucy van Dael:BACH/SONATAS FOR VIOLIN AND HARPSICHORD 1/2
4E(Cd) Lucy van Dael:BACH/SONATAS FOR VIOLIN AND HARPSICHORD 2/2
5E(Cd) Holliger:BACH/3 OBOENKONZERTE
6E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 1/4
7E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 2/4
10D(DvMv) A BEAUTIFUL MIND
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