●本アメブロでも過去3回採り上げて来たあの痛ましい事故から、30ヵ月(2年半)が経ちました。

  ① 2012年8月20日 長居公園を襲った落雷事故

  ② 2013年1月18日   あの落雷事故から5ヵ月

  ③ 2014年8月19日   長居公園落雷事故から丸2年

●去る2月7日、突然に「亡くなった娘の母親です」と題するコメントが、上記①のブログに入りました。

 はじめまして、

 落雷を受け、心肺停止一時間以上たってから病院到着しました娘の、母親で御座います。

 只今、提訴をしておりますが、信じられない対応でした。

娘はアリーナ席。14:23の長居陸上競技場の写真は誰一人写っておらず、当日行かれた方から聞きましたが、アリーナ席の方は、排水作業の為、全員会場外へと出されたと言われておりました。

 長居駅では、警察が明石の花火事故のような将棋倒しに成らない為、地下鉄長居駅に避難された方々を雷暴雨の中、長居公園へと出されたそうです。


 娘は、南トイレ付近に溢れ、ライオンズの森のトイレに移動中足から被災、医師から直ぐにAEDをあてて居れば助かった可能性が高いと言われました。それでも、病院到着して息を吹き返し15時間40分生きてくれました!

 雷が鳴り出すと、娘の近くに居たスタッフは一番始めにいなくなり、救急車が出て行くまで(スタッフは)誰も来なかったそうです!救急車は直ぐそばにあったのに出動せず、外から(別の救急車が)随分経って到着しております!

 娘がAEDをあてられ、アリーナ席から出された(とし)、長居駅から出されたと言われると大変な事に成るので来なかったのと私は思っております。

 昨日、裁判官達と長居公園へと行きましたが、アリーナ席には、並ばせずにすんなり入れたと言われて、過去にEXILEさんのライブに娘と6回行きましたが、一度も数時間並ばずに入った事はありません。

 娘が亡くなって居るので、刑事告訴も出来ないと言われ、死人にくちなし状態です。

 どんな情報でも構いません。当日行かれた方、情報をお願い致します。

●ご遺族の目に触れてもらっているかどうかは分りませんが、先方のブログに2つのメッセージをいれておきました。

 ご心中を察し、御慰めの言葉もございません。近くに住む者にとりましても、大変心の痛む事故として深く刻まれております。ブログなどでそのことを語り継ぎ、呼びかけることしか出来ておりませんが、今回いただいたお言葉をフェイスブックにも掲載させていただきました。

 事の真相を聞かせていただいたようで、地元住民としても、腹立たしい気持ちが湧いております。どうか、強いお気持ちと、十分にお身体をいたわれて活動を続けられますことを願っています。

 長居交差点の地下鉄出入口からの至近距離、しかも会場へとは違う位置に雨宿りしていることから、地上に出た時に既に雷雨が激しかったと想像できましたので、正直なところ、何故無理をせず構内で待たれなかったのかが疑問でした。

 今回いただいたコメントによりますと、外に出ることを強いられていたようですね。混雑があったとはいえ、事故後の公園に沢山設置されている「雷のときは建物内に」という注意事項とは全く逆の対応がとられていたことが分かりました。

 強いお気持ちと、十分にお身体をいたわれて活動を続けられますことを願っています。


●以下は、30カ月を2日後に控えた2月16日の事故現場です。懸命に情報を求められています。








      










 「急須」は、茶葉を入れ、湯をさして煎じ出すのに用いる陶磁製の土瓶の一種。金属製も。

 注ぎ口と持ち手のついた小型の器具で、それらがほぼ直角についているものは「横手」と呼ばれ一般的です。他には、注ぎ口と手が一直線上にある「後手(ごて)」や、上部に「つる」を懸けた土瓶タイプもあります。中に、「茶こし」を付けることも。



●横手急須




         


  


       

        ↑ 茶こし付き横手急須 ↓

    


      ↑ つる付き急須 ↓
















●炉扇(ろせん)

   涼炉(りょうろ)の炭火をおこすための小さな団扇(うちわ)です。

   ほとんどは竹や籐で編んだものですが、薄い板や紙製もあるようです。


                                               涼炉


             




●瓶敷(びんしき)・瓶床(びんしょう)

    急須(きゅうす)・宝瓶(ほうひん)などを置く台です。竹・籐を編んだものや木が使われます。





                  









              



●仙媒(せんばい)  お茶の量を計って急須に入れる道具です。

              材料では「竹」が最も多く、金属・象牙・木などが使われます。






●茶托 五枚組二種



         
         









●碗筒(わんとう)  竹や籐で編んだ茶碗の入れ物です。







●茶碗  上掲の碗筒に納められていた茶碗です。かなり使い古されています。




         

                       飛び跳ねる白馬の絵















 ●茶袱紗(ちゃふくさ)


  「茶袱紗」は茶の湯で、茶心壷(ちゃしんこ)・仙媒(せんばい)などの茶具・茶器の塵を払い清める(拭う)絹布です。

  茶碗を受ける際にも用いられます。また、単に「袱紗」や、「和巾」とも呼ばれます。


    

   
        


        

●家紋入り掛け袱紗  

  一般使用の「袱紗(ふくさ)」は、絹・ちりめんなどの小型の風呂敷で、進物の上に掛けたり包むのに用います。

縁のある大きな方形盆である「広蓋(ひろぶた)」や「切手盆」といった、黒漆塗りの盆と共に使用されますが、単独でも使われます。

  四隅に房のついたものは「掛袱紗」と呼ばれ、最も正式で丁寧なものです。


      

            290mm角  紋140mm


    

           670×810mm  紋450mm








●茶筅(ちゃせん)

  抹茶に湯を注ぎ、かき回して泡をたてる竹製の茶道具。


  



●抹茶篩(まっちゃふるい)

  抹茶の粉の塊りなどを細かな網目を通して取り除く道具。


       


  



●茶杓(ちゃしゃく)

    竹・金属・木地・塗物などの、抹茶をすくいとる匙。茶さじ。


  


  



●茶柄杓(ちゃびしゃく)

   茶釜から湯を汲み取るのに用いる小さな柄杓。筒状の容器に長い柄をつけたもの。


  






















 傾く日の光を浴びて梅林でただ一本、梅の花が開花していました。

 夕方4時15分頃からぶらり訪ねた「長居公園」(大阪市東住吉区)です。

 夕陽をテーマにスケッチします。



      




               

  電話BOXの表示。 大阪市はなくなるのでしょうか?





●幅245mm 高さ268mm 奥行き175mm

 持ち運びしやすいように、上に取っ手がついており、前蓋は上にずらしてはずします。

 特別の呼び名があるのでしょうが、分かりません。




     




       







明治37年(1904)、朝鮮・満州をめぐる日露間の交渉が決裂、日本は朝鮮半島への勢力を

伸ばすロシアを排除すべく、2月6日には、駐露公使を通じてロシアに国交断絶を通告すると

共に、連合艦隊は佐世保を出港しました。

そして2月9日、先制攻撃として仁川(じんせん)沖でロシア軍艦2隻を撃沈。こうして戦端が  開かれ、翌2月10日になって正式に宣戦を布告、「日露戦争」が始まりました。

●この明治37年(1904)は、宝永元年(1704)の大和川付け替え工事から、ちょうど200周年の節目の年。当時はまだ存在していた甚兵衛生家である今米屋敷内に、「中甚兵衛顕彰碑」を建てる準備が進んでいました。


●開戦後の3月になっても、藤戸(ふじと)作次郎・藤井治郎平・団野慶治を発起人とする、

「河内国大和川附違(つけたがえ)治水功績記念碑建立主意書」が配布されていました。

その後半部には、「摂津・河内両国の民(たみ)、今尚伝えて甚兵衛の徳を称えると雖(いえど)も、或いはその功が遂に後世に埋没することを憂い、地方人士の賛同を得て、茲(ここ)に中甚兵衛の住居であった中河内郡東六郷村大字今米に、功績碑を建立し、永くその功績を書き記しておきたいと思う。各位応分の寄付金をお願いしたい。」旨が記されています。

●実際に寄金も集まり始めましたが、次第に戦時体制が強化されて民衆生活も圧迫され、

結局は、建碑計画を中止せざるを得なくなる事態となりました。主意書の末尾から欄外にかけて、祖父・敬男が寄付金の一部と計画中止の旨を書き足しています。

 この建碑が実現されていれば、拙家が今米を離れた後も、恐らく現地に保存されていたと考えると、付け替え250年以降の混乱もなかったものと惜しまれます。

●与謝野晶子が「君死に給うことなかれ」を発表した戦争は、当初は日本優勢のうちに進みましたが、翌、明治38年(1905)6月、アメリカ大統領・ルーズベルトの斡旋で講和、ポーツマス条約を結んで終結しました。

日本にとっては戦果が少なく、日比谷焼打ちなど民衆の暴動も起きました。一方で、帝国主義国家として発言力を強め、軍国主義思想が勢力を得ると共に、重工業を基幹とする第2次産業革命が進行することになります。