●干菓子盆(四方盆)
落雁・松風など、生菓子でない乾いた菓子(干菓子・ひがし)用の小さな盆(皿)です。約14cm角。
●椿皿
横から見た形が椿の花に似ていることから「椿皿」と呼ばれる、低い高台をもつ漆塗りの皿です。
径は約15cmの標準品。高さ33m。菓子皿や料理の取り皿に使われます。
現代の越前漆芸・梶原伸夫によるものです。
●干菓子盆(四方盆)
落雁・松風など、生菓子でない乾いた菓子(干菓子・ひがし)用の小さな盆(皿)です。約14cm角。
●椿皿
横から見た形が椿の花に似ていることから「椿皿」と呼ばれる、低い高台をもつ漆塗りの皿です。
径は約15cmの標準品。高さ33m。菓子皿や料理の取り皿に使われます。
現代の越前漆芸・梶原伸夫によるものです。
●江戸期の「大和川付け替え工事」は、元禄17年2月27日(1704.4.1)、堺の北の海辺から始まりました。
●昭和の諸書は「2月15日起工・10月13日竣工、期間8ヵ月」とし、それが定説となっていましたが、その起工日の裏付けは乏しいものでした。
史料から、具体的な普請役所の開設・計画川筋の表示・川下からの水準測量開始などの一連の準備作業の日程を押さえていくと、この日が浮かび上がりました。
水準測量を終え正式ルートと工法の確定した海辺から、姫路藩主が派遣した人々を中心に遠里小野までの10町(約1.1km)区間の工事が始まったのです。
●大まかな計画川筋とその起工日を記した版画も、その年3月に発行されていました。
●このところは、異論が出たことから、起工を単に2月としか記さず、8ヵ月とする出版物が散見されますが、著者は曖昧にしないで、それぞれの根拠をしっかり確認してもらいたいものです。
●「2月27日起工・10月13日竣工、期間7ヵ月半」が史実と考えます。
「河内堺新川絵図」に記された起工日(御鍬初)
姫路藩主が派遣した370名を越す士を記録した文書
新川筋の標高を1町毎に測定した記録の冒頭部(右)と姫路藩が実際に工事を行った下流部
●有田焼・香蘭社 辻製
「辻製」は、江戸期元禄時代に創窯・明治22年(1879)に合本組織「香蘭社」を設立した
メンバーの一人・辻勝蔵に由来する銘です。
●彦兵衛窯 4客
●平安紫香窯 3客
現在の山口県萩市の萩焼は、萩藩・毛利氏の御用窯として発展し、当時は日常雑器はほとんど造られず、庶民のものではありませんでした。その後、キズものなら使ってもよいとお許しが出、わざと高台に刀で傷を入れ、切り高台として庶民にも普及したとも言われています。
萩焼・天鵬山窯の湯呑茶碗5客セットです。
●平成27年(2015)2月19日は、「旧元日」であると共に、「二十四節季(にじゅうしせっき)」の雨水がぬるみ、草木が芽吹き始めるという「雨水(うすい)」。
太陽暦では2月18日頃、太陰暦では正月の中(ちゅう)に当ります。
また、この日から23日は七十ニ侯(しちじゅうにこう)の、静かな雨に土が活気づく頃である「土脉潤起(どみゃくうるおいおこる)」です。共に、春の足音が聞こえ始め、桃の節句である「雛祭り(ひなまつり)」が近づいていることを知らせています。
●この「雨水」の日に、女の子のいる家庭において雛人形を飾り付けると良縁に恵まれると言われています。また、しまう(片付ける)に良いとされるのは、次の二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」の日、今年は3月6日です。
●わが家には既に雛段や雛人形はありませんが、この時期に飾るのが、「立雛(紙雛)」の掛け軸です。可愛い女の子を守っているのでしょうか、男の子がかなり大きく描かれています。
●この紙で作った立雛が、雛人形の原型で、平安時代に生まれ、室町時代になって座った形
の「坐雛(人形雛)」となり、江戸中期以降に今日の雛人形が作られるようになりました。
創業文化5年(1808)、京都四条の田中彌の雛人形色紙