2月9日は「ふくの日」。河豚(ふぐ)の本場、下関の業者が昭和55年(1980)に制定しました。

 下関では「ふぐ」と呼ばずに「ふく」と発音し、縁起の良い魚とされます。


 「ふくの日」制定の15年ほど前、学校を出て北九州に本社のある会社に就職。

一年目と三年目は、下関に勤務しました。その時に入手した「ふく」の鈴・笛・提灯などです。



●長州土鈴「幸ふく」



●ふく笛



●ふく鈴・ふく笛など


        

        「づぼらや」のキーホルダーは、帰阪してから購入したものです

●ふく提灯



●駅弁「ふくめし」



    

●当時の国鉄下関駅前


  


     





















●「我楽多」シリーズでは、過去にも茶道具を採り上げていますが、その補充を何回かに分けて

行います。


●「茶入・茶碗・茶托・急須・茶合・茶巾筒」などお茶に最低必要な道具を納める「茶櫃(ちゃびつ)

「千歳盆(ちとせぼん)」とも呼ばれます。蓋部が普通の丸盆としても使えます。




     容器部 95×270mm            蓋部 29×295mm





    容器部 92×265mm           蓋部 27×280mm














 「長手盆(ながてぼん)」は、給仕に用いられる長方形の盆(長角盆)で、

持ち運びやすいように持ち手が付けられています。



       




    



 ●小学校4年生の社会見学で行った「ナショナル工場」を描いた水彩画です。


           




 ●5年生の時の理科室での授業風景が、「ナショナル全製品カタログ」の乾電池の頁に載りました。授業風景といっても、当時は男女別々のクラスだったので、あくまで撮影用のもの。

 理科の松田先生のすぐ横の美少年?が私です。折角の記念になったのに、シャツの襟が上着の上に出てしまっています。


 ●昭和28年(1953)の当カタログによれば、松下電器㈱の本社の所在地は「中河内郡門真町」(市制移行は昭和38・1963年)。

 また、この乾電池の他、ラジオ・懐中電灯・手提(てさげ)ランプ・電熱器具が全国一のシェアがあるとし、テレビに関しては10数年来の研究で量産体制が整ったとあります。







 ●歩いていても電車の中でも、画面に当てた指を動かし目を離さない「スマホ人」(私製語)。

 時代についていけない私はまだガラ携。ブログもフェイスブックも、パソコン利用です。


今では古臭い携帯。大阪万博で夢の商品として紹介されましたが、実質の歴史は僅か20年程度に過ぎません。


 ●携帯を持つ前の平成5年(1993)。TVドラマの主題歌としてヒットしたのが「ポケベルが鳴らなくて」という曲でした。


       ドコモのポケットベル

        


 ●平成6年(1994)4月、日産自動車が主体となって設立した「ツーカーホン関西」がサービスを開始しました。

 私が最初に手にしたのは、その「TU-KA」の携帯でした。



       

        道頓堀の「ツーカーホン関西」のネオン(1998年撮影)



  12年間で名の消えた「TU-KA」の機種が上掲を含めて3台残っています。





 ●「ツーカーホン関西」は、平成17年(2005)10月1日、「KDDI」に吸収合併されました。



 ●取り合わせの良いことの例えにも使われる「梅に鶯」。

 その開花と初鳴きが待ち遠しい「立春」ですが、その図案が外側全面に描かれている灰皿です。






 ●「陶峰」は、昭和2年(1927)に岡山県で生まれた備前焼の「木村陶峰」とみられます。

大正2年(1913)に備前焼窯元六姓の木村総本家から分れ、「木村家陶正園(とうしょうえん)」を

創設した木村正二の長男・強で、昭和37年(1962)に二代目に就任しています。









 ●現在は「ノーマルヒル」と呼ばれる「スキージャンプ70m級」で、「日の丸飛行隊」がメダル・表彰台が独占した「札幌オリンピック」(第11回オリンピック冬季競技大会)は、

昭和47年(1972)2月3日から開催されました。


 ●大会のロゴマークは三つの正方形の中に、「日の丸」「雪の結晶」と「五輪マーク&SAPPORO72」を配したものでした。縦や横に自由に使われたようです。




         「サントリーオールド記念ボトル」のラベル


        



    記念貨幣(百円白銅貨)        記念切手(20円・50円)

 ●大会のテーマ曲はトア・エ・モアが唄う「虹と雪のバラード」でした。

 ●「札幌市」は、オリンピックを控える昭和45年(1970)に人口100万人を突破。

翌年、都心の北24条とオリンピック予定会場の真駒内を結ぶ「市営地下鉄南北線」が

開業しました。国内では、東京・大阪・名古屋に次ぐ4番目の地下鉄でした。


●大会直後の昭和47年(1972)4月1日には、政令指定都市に以降しています。

まさに、「町ができる 美しい町が」~このオリンピックで札幌は近代都市に

生まれ変わったのです。










 節分の豆まきに関して、小学校低学年に書いた作文と画です。

 『文集・城かげ』。追手門学院小学部二年生の三学期に発行された創刊号です。


 画を描いた年次は定かではありませんが、

水彩画に変わる以前の低学年の作品とみられます。





      

 最近は「福は~内」だけで「鬼は~外」を言わないこともあるようですが、

人間界からは姿を消して欲しいので「鬼は~外」を声高に叫びたいと思います。




 ●「 炉場(ろば)さけて狸とかへる(帰る) 茶釜かな  小波 」

 ●「分福茶釜・文福茶釜(ぶんぷくちゃがま)」は、群馬県館林(たてばやし)市の古寺「茂林寺(もりんじ)」に伝わる伝説の茶釜。応永年間(1394~1428)、老僧・守鶴(しゅかく)の愛用したもので、狸の化身と言われています。

 ●「巌谷小波(いわや さざなみ)」の生没年次は、明治3年(1870)~昭和8年(1933)。

 作家・児童文学者・俳人。『日本昔噺』『日本お伽噺』などを刊行、「桃太郎」や「花咲爺さん」など多くの話が彼の手によって幼い読者にも広まり、日本近代児童文学の開拓者とも生みの親とも呼ばれています。

 また、「一寸法師」「富士の山」などの唱歌や童謡の作詞にも携わっています。



     






 ●「 草の家の柱半ばに 春日かな  龍之介 」

     「草の家・草の屋(くさのや)」=わら・かやなどの草葺きの家、粗末な家、侘び住まい

     「春日(はるひ)」=春の陽の光、春の太陽


 ●「芥川龍之介」は、大正期の小説家。

明治25年(1892)3月1日の東京生れで、昭和2年(1927)7月24日、36歳で自殺しています。

『羅生門』『鼻』『芋粥』『河童』『或阿呆の一生など。

 表題の句は、大正11年(1922)頃、龍之介30歳前後に、大阪毎日新聞社々員として文筆活動に専念していた頃の作品とみられています。