●「 落葉日々 もう母の手に 掃き終えず  白雲郷 」


 ●「西村白雲郷(にしむら はくうんきょう)」は、明治18年(1885)大阪府に生まれた俳人。
 同人誌『未完』を創刊主宰。昭和33年(1958)、73歳で逝去。

 ●野崎観音で知られる禅宗「慈眼寺」の住職に請われ務めたこともあって、同寺境内にその姿と「水涸れの水にて流れねばならず」の句が刻まれています。




     














箱一体型硯  硯の大きさ 105×163mm



    



小さな硯  46×115mm 46×116mm




精昇堂製墨「呉竹」


     

           呉竹 書画用                     裏面の「精昇堂印」


 「呉竹」は、埼玉の旧熊谷高等女学校選定の墨汁をその書道教師と共同で開発した際、学校の同窓会である「くれ竹会」の名に因んで名付けたもので、元々はその墨汁の名とされています。
 現在は、「KURETAKE」が会社のロゴとしても使われています。

墨「千代之栄」

              登録 千代之栄


        

                             裏面に見える雁の群れの画
















「水滴(すいてき)」は、硯にさす水をいれておく容器で、「水差・水指(みずさし)」とも呼ばれます。

昨年の3種の他に、新たな2種と硯箱2に欠けていた水滴が出てきました。









   




   

















暦の上では立春まであと一週間。

この時期を表現して「春隣り」という季語があるように、春も間近のようですが、
厳しい寒波が襲来してきています。ご自愛下さい。


写真は昨年2月14日の長居植物園、積雪の芝生公園です。

去年、大阪市内で雪が積もったこと、覚えておられるでしょうか?



          









 昨年9月29日から10月2日まで4回にわたって硯箱や水滴などを採り上げましたが、

その後に見つかった硯などを数回に分けてアップしたいと思います。




      硯部分 39×82mm



             朱墨



    朱が僅かに残る硯 62×122mm
















 ●玄関先で掲げることがなくなった「日章旗」。

 ●明治3年(1870)1月17日、明治政府の太政官布告第57号の「商船規則」で国旗のデザインや規格が定められ、日本国旗としての「日の丸」が定着するきっかけとなりました。

「国旗制定記念日」とされています。

 現在は、平成11年(1999)8月13日に公布された「国旗国歌法」に依っています。


 ●次の写真は、八尾市に在住していた昭和32年正月のものです。



        






大和川築留堤防上に建つ「中甚兵衛翁像」。

平成元年(1989)1月25日除幕、平成の年次と共に歳を重ねてきました。




 除幕記念のテレホンカードは喜んでもらえる時代でしたが、世の中は大きく変化しています。


             












 書画の落款などの朱印の肉として用いられる「印泥(いんでい)」。


「西冷印社」は、中国の呉昌碩等が1904年(明治37年)に結成。

 金石碑帖、文房古玩、碑帖書籍の出版、印泥の製造などを業としましたが、中でも

上海西冷印社製の潜泉印泥が代表製品となり、日本においても広く愛好されています。




 










杉山家の小箱に、母が大事にしまっていたのは、タイトルの表書きの箱に入った

鈴虫の姿が彫られた真竹製の「帯留」でした。

箱裏に作者らしき人物が記していますが、よく分かりません。

ご教示いただけたら幸いです。






     









 ●母がまだ河澄冬子だった昭和2~3年(1927~28)頃に、従姉妹に当る富田林の杉山孝子(石上露子)から貰った木箱。杉山家で伐採した杉の木から作ったもののようです。

     杉山孝子(すぎやま たかこ) 明治15年(1882)~昭和34年(1959) 享年78歳

     中 冬子(なか ふゆこ)   明治42年(1909)~平成19年(2007) 享年99歳

 ●「石上露子(いそのかみ つゆこ)」は、『明星』で「白菊の君」と呼ばれた明治の女流歌人で、

与謝野晶子と並び称せられています。

 石川郡富田林村の杉山団郎の長女で、養子を迎え生家で生涯を過ごしました。母は中河内郡日下村の河澄家から嫁いだ奈美(なみ)。祖父・長一郎も河澄家から入った歌人です。



   母の書置「 杉山家の庭の木(杉の木)で作られた小箱 (昭和2~3年頃) 」


 明治38年、数え年24歳の杉山孝子    昭和33年、亡くなる前年の葉書