●35×107×233mm



             



●63×167×227mm




●55×220×295mm



  



●80×135×305mm



















●95×270×370mm



      



●123×287×363mm



●60×240×327mm





●95×270×370mm














 昭和5年(1930)の、母の花嫁調度品の一つである、漆塗りの家紋入り手箱です。

 100×300×390mmと、90×270×360mmの2種類。

 桐箪笥の鍵穴部にも見られる「裏桜」の紋が入っています。




    



    


         










 ●「手箱(てばこ)」は、手回りの小道具などを入れておく箱。



 江戸時代より、特に美しい飾りや実家の紋を入れた手箱を嫁入り調度品として取り揃えるようにもなりました。

 

 ●装飾を施した手箱 120mm×230mm×327mm














       












 この内、書状などを入れておく手箱は「文箱(ふばこ)」とも呼ばれます。

 ●松竹梅、海老、鶴、阿多福面、神楽鈴などが寄書風に描かれた軸物。

「癸丑(みずのと・うし)新正」とあり、下記の「芝堂・左栗」の名が見えますので、

嘉永6癸丑年(1853)の作とみられます。


 ●「芝堂」は、中甚兵衛から数えて三代目の中九兵衛重正(宝暦3・1753~文化13・1816)の男で、茨田郡野口村の庄屋・宇野家を継いだ「宇野甚兵衛国信」(文化8・1811年~明治12・1879)。

「芝山」の号、「芝堂」の別号と「不二門」の俳号をもっています。


異母の兄として中九兵衛重孝(天明2・1782~弘化2・1845)、弟に中九兵衛重信(文化13・1816~慶応4・1868)がいます。その中九兵衛重信の俳号が「蘭里」のち「左栗」です。

歳が近く共に風雅を愛したことから、深い交遊がありました。











 ●今から60年前の昭和30年(1955)月15日、

玉串川下流域に当る中河内郡の玉川町・盾津(たてつ)町の2つの町と、同郡英田(あかた)村・

若江村・三野郷(みのごう)村の3つ村が合併、「河内市」が成立しました。

この時、旧三野郷村の福万寺と上之嶋は八尾市に統合されています。

 因みに、中甚兵衛生誕地の今米は旧盾津町に属していました。




 ●三日前の月12日には、市域東側の生駒山地西麓に位置する同郡の枚岡(ひらおか)・石切(いしきり)・縄手(なわて)の3町と孔舎衙(くさか)村が合併して、「枚岡市」が成立していました。

共に、昭和28年(1953)9月に国が「町村合併促進基本法」の制定に対応したものです。


●以後、昭和42(1967)年2月日に、西側の「布施(ふせ)市」(昭和12・1937年成立)と合併して「東大阪市」が誕生するまでの12年間、それぞれの歩みを続けます。


 この間、『枚岡市史』として「第一巻・本編」「第二巻・別編」「第三~四巻・史料編」が編纂されましたが、『河内市史』は実現しませんでした。現在の『東大阪市史』でも近世には及んでいません。




        

          昭和30年代の朝日新聞による「河内市」

●南の八尾市に飛び出しているのが古大和川の「玉櫛川跡。北上して近鉄奈良線花園駅付近で分岐、西側の布施市になっていて、以後境界を形成しているのが「菱江川跡」。一方は、ラグビー場に達した後北へ、大東市の飛び出しに達していたのが「吉田川跡」です。


 







    前回の水枕と併用しました


                             氷嚢は共に劣化していて今は使えません














 「水枕」は、熱のある時などに、中に水や氷を入れて頭を冷やすのに用いる枕。

 明治になって考案され、1900年代になって製造が開始されたと言われます。



  写真の2種は、ゴム製の水枕を日本で初めて作ったとされる「浪華(なにわ)ゴム工業」社製のもの。当社は、明治39年(1906)に大阪市浪速区で創業、戦災の工場焼失で奈良・大和高田に移転、現在に至っています。

 「オンリーワン」印で知られていますが、写真のように同一品として「メモリー」印もあります。


 これらは、昭和24年(1949)の工業標準化法に基づき制定されたJIS(日本工業規格)を取得していることが記されていますので、昭和20年代後半のものとみられます。


      




          





 表現法から比較すると、「オンリーワン」印のものの方が、随所に時代の古さを感じます。






















大工が使う鉋(かんな)を装着した木製の鰹節削り器です。子供の頃に削った記憶があります。