今日の午前中に、私が所属している教会で洗礼式が行われた。
この教会はバプテストの教会で、他の教派と異なり、通常はパプテスマ(洗礼)は全身を水に浸す「浸礼」である。私自身も2007年4月に受洗したときは海に沈んだ。そのことは以前このブログに書いたことがある。牧師夫人も浸礼で、5月5日に川で受洗したそうだが、GWだったためか観光客がたくさん来ていたそうである。
バプテスト以外の教会では「滴礼」が行われるが、この場合は牧師先生が受洗者の頭に水を垂らすか、水に浸した手を受洗者の頭の上に置く。今回は受洗された方が病身であるため、浸礼は体力的に厳しいだろうということで滴礼だった。実は父も亡くなる前日に思いがけず受洗することになったが、ベッドの上だったのでそのときも滴礼であった。
洗礼式が終わったあとに教会からということで受洗した方に贈られたのは、榎本保郎氏の『旧約聖書一日一章』という本だった。
旧約聖書一日一章/榎本 保郎
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私が受洗した時にいただいたのは、同氏の『新約聖書一日一章』だった。
新約聖書一日一章/榎本保郎
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牧師先生はこの本に以下の聖句を書いてくださった。イエス・キリストの「山上の垂訓」の一部である。
「あなたがたは、地の塩です。
あなたがたは、世界の光です。」 (マタイの福音書5:13、14)
これは「地の塩」、「世界の光」になるために努力しなければならないという意味ではなく、信仰者はそのままの姿で「地の塩」、「世界の光」だという意味なのだと教えていただいた。
今回受洗された方のためにも牧師先生は聖句を書かれたそうで、それは以下の言葉だそうである。これはイエスが十字架にかかられる前の最後の晩餐での言葉の一部である。今日の礼拝説教もこの聖句についてのお話だった。
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(ヨハネの福音書15:16)