糖尿病に関しては日本糖尿病学会と日本糖尿病協会の二つがあり、どちらかというと日本糖尿病学会は厳しい基準をとっているそうです。

 

下記、紹介する記事は厳しい基準を採用する方の日本糖尿病学会の考え方をベースにしたものです。

 

 

 

糖尿病チャンネルより転載開始▼

 

 2016.09.26

【認知症とも深い関わり】増える高齢者の糖尿病とケアポイントとは

 

 

      

 

世界保健機関(WHO)の2016年版「世界保健統計」よると、日本人男性の平均寿命が「80.5歳」、女性は「86.8歳」と発表しています。男女とも過去最高を更新しており、世界的にみても日本は誇るべき長寿国家です。

 

その一方、高齢者の糖尿病が近年増えています。さらには糖尿病に伴い認知症を患うケースも増えており、高齢者の糖尿病と認知症が関係していることも分かってきています。

 

今回は、高齢者の糖尿病・認知症について深く掘り下げていきましょう。

 

 

年齢が高くなるほど糖尿病になりやすい

 

生活習慣の乱れから糖尿病を発病する人が増えていますが、ここ数年の傾向を見るとシニア層の糖尿病患者が増えています。70歳以上では、男性女性ともに約4割が「糖尿病」または「予備軍」と言われています。男女ともに年齢が上がれば上がるほど糖尿病の割合が増えているのです。

 

平成22年(2010年)に実施された調査では、70歳以上の男性は「22.4%」女性は「16.5%」。つまり、70歳以上の5人に1人は、糖尿病が強く疑われるという結果が報告されています。また、60歳以上で糖尿病のある人は、血糖値(ヘモグロビンA1c※)が高いほど合併症のリスクがぐっと高くなります。

 

※ヘモグロビンA1c・・・血管の中でブドウ糖とヘモグロビンが結合したもので、糖尿病の診断基準のひとつ

 

高齢者ならではの糖尿病の特徴

 

 

 

高齢者の糖尿病患者が増える中、高齢者の糖尿病では病気の治療以外にも健康面での配慮が必要になります。そこで「日本糖尿病学会」と「日本老年医学会」は、2016年5月に高齢者が目指すべき血糖管理の目標を新たに定めより細かく設定しました。

 

健康管理のための指標となるHbA1c目標値を高齢者とそれ以外の糖尿病患者とで分けました。具体的には以下の通りです。

 

高齢者では、健康状態や使用している薬の種類に応じて、目標とするヘモグロビンA1cの値を、「7.0%未満」「7.5%未満」「8.0%未満」に分類。一般成人の目標は、ヘモグロビンA1c7.0%未満なので高齢者では一般成人と比べて目標が低めかつ細かく設定されていることが分かります。

 

高齢者の目標値が若干緩めな理由は、低血糖を避けながら治療する必要があるからです。最近はこの「高齢者の糖尿病治療では低血糖を避けて治療する」という考え方が主流となっています。

 

なぜ高齢者では低血糖を避ける必要があるのでしょう?まずはその理由からみていきましょう。

 

理由1:高齢者では低血糖が死亡リスクにつながる

 

60歳以上で糖尿病のある人を対象に「ヘモグロビンAlcの値」と「合併症を起こす危険度」の関係を調べると、ヘモグロビンA1cの値が高いほど合併症の危険度は高くなります。

 

しかしその一方で「ヘモグロビンA1cの値」と「死亡の危険性」の関係をみるとヘモグロビンA1cの低い方がむしろ死亡の危険度は高まっていたのです。つまり、高齢者では血糖値を低くして合併症を引き起こさないようにするだけでなく低血糖による死亡リスクについても考える必要があります。

 

理由2:高齢者の低血糖は見過ごされがち

 

死亡・合併症のリスクだけではありません。高齢者は低血糖を起こしやすく、かつ低血糖の特徴的な症状が現れにくくなるため、一般的に対処が遅くなりがちです。

 

さらに、自覚症状を「年のせい」として見過ごしたり家族へ遠慮したりと、治療への意欲が極めて低いことが特徴に挙げられます。

 

このように、高齢者の糖尿病では低血糖を起こすリスクに配慮しながら治療を行う必要があるのです。

 

出典元:「The Diabetes and Aging Study」

 

高齢者は低血糖を起こさないことが最優先

 

 

 

つまり、高齢者の体は低血糖を起こしすい状態と考えてください。薬を分解する肝臓の機能や、薬を排出する腎臓の働きが低下しているため、血糖値を下げる薬が想定以上に効いてしまいます。

 

さらに、高齢者は低血糖が重くなりやすいと言われています。加齢で自律神経の働きや認知機能が低下していると、低血糖の症状を自覚しにくかったり、低血糖が起きてもそれを人に訴えられない場合もあります。

 

重い低血糖が与えるリスクとは

 

高齢者の糖尿病患者は動脈硬化が進行していることも多く、重い低血糖は「心筋梗塞」「脳梗塞」の発症原因や死亡原因にもつながります。

 

重い低血糖は脳に障害を与え、認知機能の低下にもつながります。低血糖で意識障害や昏睡、転倒や骨折の危険性も高まり、これが寝たきりになる原因の1つとも考えられています。

 

これらの理由からも、高齢者では糖尿病治療における血糖値の基準が比較的緩く決められているのです。つまり、高齢者では低血糖を起こさないことが治療において最優先なのです。

 

普段飲んでいる薬にも注意すること

 

高齢者の方は自分が使用している薬について詳しく知ることも大切です。高齢者の糖尿病は低血糖を起こしやすく、さらに重症化しやすいので服用している薬によっては高齢者では目標指標が異なります。

 

気をつけるべき薬は「インスリン製剤」「スルホニル尿素薬」「速効型インスリン分泌薬」など。これらの薬をいつも通りに使用しても、食事量が少なかったり、いつもより激しく体を動かしたりすると、血糖値が下がりすぎることがあります。

 

近年、糖尿病学会では低血糖が心配される薬を使用している場合に限り、目標値の下限も定められています。高齢者の健康状態の目標値は、健康状態と使用している薬の種類で変わります。健康状態とは、「認知機能の状態」と「日常生活」がどの程度かにより目標値が決まっています。

 

糖尿病学会では現状3カテゴリーに分けられています。

 

「ある程度自立して生活できる人」・・・6.5%~7.0%

「認知機能に軽度な障害がある人」・・・7.0%

「認知症が進んでいて日常生活が著しく低下している人」・・・7.5%

※数値はヘモグロビンA1cの目標値

 

高齢者の糖尿病では、このように服用している薬によって低血糖を引き起こさないように健康状態・認知症の有無によって配慮することも重要なのです。

 

筋肉量を減らさないことも重要

 

 

 

高齢者の糖尿病対策では低血糖を起こさないことが最優先だとご理解頂けたかと思います。それ以外にも筋肉を減らさないことも大切です。高齢になると加齢や生活習慣病などによって、筋肉量が減ったり、筋力が著しく低下したりします。

 

その状態を「サルコペニア」と言います。筋力や身体機能の低下が起こる症候群です。糖尿病を発症している方はサルコペニアをなんとしても避けなければいけません。

 

なぜなら、筋肉はエネルギー源として多くのブドウ糖を消費します。筋肉が減ってしまうと、体内で消費するブドウ糖の量が減ってしまい、血糖値が上昇しやすくなるからです。

 

筋トレ・食事で予防しよう

 

筋肉を維持するには、スクワットや片足立ちのような運動が適しています。スクワットは椅子を使い、ゆっくり立ち上がったり、座ったりを繰り返します。太ももやお尻など、筋肉の多い部位が鍛えられます。片足立ちは、左右それぞれ約1分間行ってください。

 

筋肉には、瞬発力を発揮するための筋肉「速筋(白筋)」と、持久的な運動を行うための筋肉「遅筋(赤筋)」の2種類があります。

 

サルコペニアで減ってくるのは、主に瞬発力の筋肉です。これを鍛えるには、ウォーキングのような有酸素運動ではなくて「スクワット」「片足立ち」「ウエイトトレーニング」のような筋力トレーニングが適しています。

 

筋肉をつけるには筋トレも大切ですが、食事面も重要です。筋肉の材料となるタンパク質を多く摂取してください。「しらす干し(半乾燥)」「いわし」「いくら」「牛肉」などが豊富にタンパク質を含む食品です。

 

「糖尿病」と「認知症」の関連性とは?

 

 

 

近年、高齢者に増えているのが「糖尿病」と「認知症」の併発です。糖尿病の三大合併症といえば、「網膜症」「腎症」「神経障害」ですが、近年は「認知症」もその一つとして注目され始めています。

 

認知症は「アルツハイマー型」と「脳血管型」に 大きく分けられますが、糖尿病の高齢者は糖尿病ではない高齢者と比べて、どちらの認知症の発症リスクも2倍以上に増えるのです。

 

また、糖尿病歴の長い人の方が認知症発症リスクが高くなることも分かっています。

 

糖尿病は脳の「海馬」を萎縮させる

 

MRI検査では脳の中枢の記憶装置である「海馬」の体積を測定することができます。海馬とは、記憶に関与している脳の奥の方にある部分。

 

糖尿病の持病がある場合、認知症を発病していない場合でも海馬の体積が健康な人に比べてすでに萎縮していることが報告されています。この原因として、糖尿病の人の脳内ではインスリンの働きが弱まることが考えられています。

 

糖尿病の病歴が長いほど脳の容積が小さくなる・海馬の容積が小さくなることが分かっており、これが認知症の発症に関与しているのです。

 

糖尿病による認知症の予防・改善には、運動特に有酸素運動が効果的といった見解もあり、高齢者の糖尿病においては認知症の面からも運動療法が重要になります。

 

認知症で気をつけるべきこと

 

認知症を合併した糖尿病患者の中には、「認知症の悪化」が「糖尿病の悪化」を招くという負のスパイラルに陥ってしまう人が多くいます。認知症の糖尿病患者が最も気をつけるべき行動は「過食」です。

 

食べ過ぎによって、血糖管理ができなくなる・血糖コントロールが十分に行われない事態を招き糖尿病の悪化につながります。また、昼寝の時間が長い人ほど、過食する人が多いという報告があります。日中に睡眠を摂りすぎないこと・食事を摂ったことを忘れることでの過食を防ぐことが大切です。

 

肝心の治療ですが、認知症と糖尿病を併発している重度の患者さんには食事・運動療法の遵守は難しいです。また、患者が積極的に薬を服薬することも困難です。

 

個別医療や専門施設への入所による治療も

 

そのため、認知症の糖尿病患者の方には「個別医療」という考えが普及しています。個別医療では、均一的な治療を行うのではなく「患者本人がどのような治療を望んでいるか」を一番に考えます。

 

たとえ、認知症であっても自分がどうしたいかを丁寧にヒアリングし、その人の社会的な状況や置かれている状態などを総合的にみて治療を行っていきます。場合によっては目標値を少しゆるめに設定するなどの配慮を行い、肩の力を抜きリラックスして治療を行っていきます。

 

改善の余地がなく症状が悪化する場合は専門の施設への入所も選択肢の一つです。

 

その際の注意点ですが、中にはインスリン注射が必要な方を受け入れることができない施設もあります。ケアマネージャーの方、自治体の窓口などに相談し患者さんに合った施設を探すことが大切です。

 

まとめ

 

超高齢化社会を迎え始めている日本において、「糖尿病」からの「認知症」を患うケースが問題視されるようになってきています。

 

長年の糖尿病が認知症のリスクを高めることも分かっており、超高齢化が進む日本では高齢者の糖尿病・認知症へのサポート体制が今後必要となっていくでしょう。

 

さらに、高齢者では特に合併症を引き起こさない・低血糖を起こさないようにするといった治療への注意点が多いのも実情です。患者だけでなくサポートする側の病気への理解とケアが重要になります。

 

快適に長生きするためにも、個人個人がこれらのリスクを知り治療に日々専念することも忘れてはいけません。

 

※必ず主治医の先生にご相談ください。▼転載終了

 

 

 

糖尿病に関しては日本糖尿病学会と日本糖尿病協会の二つがあり、どちらかというと日本糖尿病学会は厳しい基準をとっているそうです。

 

日本糖尿病協会の方の話では、血糖値測定の際の穿刺も、高齢者には負担になるから、義務ではない。合併症もそんなにすぐに出るわけでもない。HbA1c7.5~8%の緩い基準で管理して生活の質を落とさないで余生を過ごすのが良い。却って低血糖のほうが高齢者にはリスクが大きいとの考えであるとして、日本糖尿病協会の会員の医師リストが協会のHPに掲載されていることまで案内していただきました。

 

 

ありがたくリストを拝見して、途方にくれてしまいました。

ナースがいるのに足繁く病院へ?と聞くと

「ナースはいてもナースも人間だから
他人に尽くしてはくれないよ。
人間は手を抜くものさ。
だから、
家族が密着するのさ」

ということでした。


その言葉を聞いた時は
「日本の病院じゃあ
考えられないな。
完全看護だし。・・
日本の看護婦さんは優しいし」などと
チラリと思ったものですが
数十年経過して振り返ってみると
現実が見えていなかっただけで、
幻覚のような安心に捉えられていただけ。

 

 

人は間違えるもの。

 

 

 

 

子供の入院や
高齢者の入院で綻びが
見えてきています。

 

 

 

 

完全看護ですからと胸を張るが
実は目は届かない。手が足りない。
縛る。すぐに薬で抑制する。

 

 




問題があることすら
隠して見えなくすることが
常態化し、とうとう神奈川の
大口の病院の
奇怪な事件が世間をにぎわせ
いつの間にか
報道されなくなりました。

 

 

これからは
病院と縁ができてしまう人が
多くなるのでしょうが、

 

 

違法な身体拘束一つとっても
果たして
誰が責任を取るのか
分からない。

 

 

医師の指示なしで行われたのなら
リンチではないのか。

 

 

 

 

医師の指示のもとならば
やはり要件を満たさない身体拘束は
医師の責任となる。

 

 

 

 

石川県金沢市で発覚した
狡猾かつ巧妙かつ凄惨な
療養型病床での拘束事件について
立ち入り調査を求められ
行政が果たして調査を行ったか
どのような結果だったのか
確認するために行った情報公開請求で
示されたのは
のり弁状態の
真っ黒に塗り潰したたった2枚の
紙切れ。

 

 

 

 


どこぞの学園問題では
官僚出身者が口を揃えて
そんなイレギュラーなことができるわけがないと
言っていらっしゃるとか。

 

 

 

 

いくらでも起きています。


お金よりも大切な命の問題において。

 

 

 

 

問題があることを認めることから
始めなければいけない社会に。

 

 


アガサクリスティの描いた
「オリエント急行殺人事件」のように
乗客全員が殺人に加担していて
犯罪が成立する社会が
現実に展開している。

 

 

現実の社会では
犯罪として扱われることもない。

 

 

 

 

そのような仕組みが 
あちらにもこちらにも
市にも
県にも国レベルでも
散在しています。

 

 

 

 

決して責任を取ることのない人たちが
問題を見えなくする作業をしています。

 

 

ある ちほうき゛かいの ふうけい

糖尿病の程度も

認知機能の低下も

さほど切迫して悪いわけでないのに

認知症専門公立病院に半年入院させることが

できてしまった。

 

 

権威が働いた。

 

この場合の権威とは何か。

 

 

医療。

 

 

2014年 「かかりつけ医」の紹介状

を携えての年末のレッドクロスへの

食事療法教育入院。

そこから認知症専門病院への

入院が任意なのか強制か、知らされていない。

 

書類もない。

 

2015年2月付で医療保護入院の

告知書類が残っている。

 

 

入院してから書類上切り替わったか、

入院当初も医療保護で

数カ月で更新したのか。

病棟はずっと閉鎖病棟。

 

 

やっとの思いで退院後、

元のかかりつけ医のところへ

通うのに付き添って

診察室でのドクターと本人の

会話に驚く。

 

丁々発止で激しい。

 

やはり本人が悪いと考えそうになるが

二人の話の内容を書き留める。

 

論点をみる。

 

毎回診察時に質問をメモして行く。

ドクターの回答を書き込む。

 

 

 

その結果見えてくるものがある。

 

 

 

 

ドクターの目指すコントロール基準値が

不明。

 

HbA1c 6%台を主張していたのが

付き添いの家族が

「高齢者には7%-8%や9%の高めの基準が

あると聞いたが」と水を向けると

言葉の上では「そうです」と答えるが、

数ヶ月経過するとHbA1c7%になってくると

インスリン注射量を増やす。

 

 

これは

口では7-8%でコントロールすると「言いながら」

行動は6%台で管理している

ということ。

 

だから本人との診察室でのやりとりも

噛み合わない。

巧妙に論点をずらしているのは

患者ではない。

 

 

実際には

ドクターがHbA1c 6%台で管理して

インスリン注射量を決め、

血糖値測定タイミングを指定しているのに

 

口では

「HbA1c7-8%で管理する」と

実状に合わない説明を

本人や家族にするのは

何故でしょう?

 

 

また、どうして日本糖尿病学会、日本糖尿病協会では

HbA1cの管理目標値を何段階かに分け、

高齢者のHbA1cの目標値を

7.5-8%など少し高めに設定しているのでしょう。

 

頑固な便秘の末の
岩のように硬くなった便が
粘膜を刺激するからか

先にポリープができていて
それを岩のような硬い便が
潰して大出血になるか。

 

 

どちらが先にしろ
重なるとろくなことがない。

 

 

 

 

高齢者の頑固な便秘は
病院への入り口 ですね。

 

 

 

 

そして不思議なことに
入院しても
下痢しているのに
いつまでも便を軟らかくする薬を
機械的に服用させられ
下痢便はとまらない。

 

 

 

 

何故、下痢をしているのに
便を軟かくする薬を
服用させ続けることが起きるのか。

 

 

 

 

どうやら
医師に患者の状態が伝わらないらしい。


あるいは


医師は調整しながら服用させてと
指示しても現場で調整がないらしい。

 

 

 

 

薬の作用による下痢便ひとつ
入院では 解決出来なかった。

 

 

 

 

それが高齢者の世界で見た医療の実態です。

 

 

 

 

(きれいな座敷牢で看護士の訪室が
ほとんどない入院では
下痢しているのに軟便にする
薬(マグミット)を服用させるのはどうなのかと
ナースから医師に伝わることが「無い」。

 

 

 

 

効果がないどころか
服用のタイミングによっては
弊害をもたらす薬を
機械的に服用させられ続け
費用を支払い
報酬は看護分も診療分も薬の分も病院へ
自動的に支払われる。)

 

 

 

 

ナースの担当制があてがわれたりしますね 、
特養の担当者制同様、
アリバイに過ぎないところがあります。

 

 

 

 

入院してナースの担当者がいると聞けは゛
如何にも個別ケアが出来そうな印象を持ちますが
実際は担当者は7人とか11人とかの患者さんを
担当していて、一人の患者の排泄状態を把握して
いなかったり。

 

 




お隣の広い国の南の方では、
(今はどうか知りませんが
数十年前は)
家族が入院すると
病院食が提供されていても
毎日、保温弁当ケースに入れた
温かい食事を作って
家の人が病院を訪れ
洗濯物を持って帰っていました。

 

 

ナースがいるのに?完全看護じゃないの?
と訊ねると
「ナースがいても面倒なことは
したがらないもの。食事も最低限のものしか出ない」
という応え。

 

 

 

 

家族がそばにいなくても
病人が働いていた職場によっては
福利厚生として
病気療養の世話をする人への
報酬が職場から支給されるので
親しい人に頼んで
身の回りの世話をしてもらっていたようです。

 

 

 

 

苦情制度の機能しないブレーキの壊れた
介護保険制度や
意見を言えば言うほど
嫌な思いをすることが多い医療保険制度よりも
合理的かも。

 

 

 

 

ないものを「ある」ように思い込むよりは
現実を直視した対応だったのだなあと
今、思います。

 

 

 

 

ケアを受ける人がケアしてくれる人に
直に感謝と共にお礼ができる。

 

 

迂回路Bを設けることにより
AからCに向かう途中で
報酬が間引きされたり

 

 

少ない報酬や職場待遇に不満を募らせるCと
それなりに医療費が使われていることを
役所から毎月通知を受けるAの間の
わだかまりが起きることもない。

 

 

 

 

他に選択肢がないという理由で
不実で不快な介護に
縛り付けられることもない。

 

 

 

 

日本では介護保険と名付けて
保険料を徴収して、
いざ使う段になるとすぐにはサービスが
提供されず空白期間が生じたり
サービスが利用者の需要とかけ離れた
粗悪なものであったり
保険制度で利用者と約束している苦情制度が
全く機能しないイカサマであったり
機能しないのに何重にも重複して設置された部署で
給料をもらって生活する役人が雇われていたり。

 

 

 

 

健康保険と名付けて
保険料を有無を言わさず徴収し
滞納があれば少額でも事情があっても
相談に応じないで即、差し押さえる。

 

 




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

間違いを認めないから起きる惨状だと
考えればまだ救いはありますが、
(間違いを修正する気になればいいのですから)
個々人の悪意が根本にあって起きるのであれば
これは、取り除きようがない。




病院、施設でのトラブル対処法という
Yahoo知恵袋の記事を読んで
暗澹とした気持ちになりました。
(施設や病院内での虐めについての
記述が沢山あります。)

 

 

大きな構図では国民全体が欺かれ
さらに国民同士が傷つけ合う。

 

 




いつまで保つのかなと思います。

 

本来、他人の身体には
作用してはならないのですが
必要な医療行為として
特定の人だけ、人体に
薬物を投与することを
法的に認められています。



では
医療行為とは
医師が行えば何でも
医療行為と認定されるかというと
そうではない。

 

 

医師免許をもつ人が
別れ話のでていた愛人に
薬を投与して堕胎させた事件など
犯罪です。

 

 


了解なしに他人の身体に
薬物を投与したり
身体を傷つけたり
縛ったりすることは
許されない。




ところが
この原則が曖昧になってきている。




高齢者の介護を通して
医療現場をみていると
そういう印象を もちました。




神奈川県の大口の病院での多死事件は
その後、報道を見かけませんが
どうなったのでしょう。

 

 

権威が大好きな人は
権威に盲従しがちで、
盲従していることにも気がつかないことが多い。

 

 




医療を権威とみなしてしまうと
支離滅裂なことをしていても
盲目的に受け入れてしまう。



疑念をさしはさむと
「医師のすることに口を出すな。
医者でもないのに」と
問題点を深く思考することなく
ほとんど反射的に
疑念を振り払う。

 

 

甚だしくなると
疑念をさしはさむ人に
悪意ある対応すら始める。

 

 




このブログでも過去紹介しましたが
海外では高齢者への
精神薬の投与を「化学棍棒」とよびなして
警鐘を鳴らす報道がされています。




精神薬のみならず
薬とはもともと異物であり、
身体に対して作用をもたらし
良い方向に働く作用も
悪い方向に働く作用もあること。



このことを忘れて便利さに溺れると
落とし穴に落ちる。



先程言及した海外の記事では
精神薬のもたらす作用の
凄まじさから「化学棍棒」という
言葉を使っていますが
精神薬に限らず本来、薬とは
「化学棍棒」なのだと考えて、
付き合うのが当たり前なのでは
ないかと思います。




それぞれの薬について
製薬会社がネットでも公開している
添付書の説明を読むと
見込まれる良い作用と
もたらされる悪い作用が記載されています。




まるで散らかった部屋を
一瞬にして片付けてくれる
魔法の杖のように
安易に薬を飲む人が多いのかもしれませんが
薬を作っている製薬会社の書いている
添付書を読むととてもではないが
簡単に服薬する気にはなれません。




最近、報道される事故の多くなった
インスリン(糖尿病対処療法に使われます)は
どうなのでしょう。

 

巷では国有地不当価格払い下げ事件が
マスコミを賑わせています。

 

 

行政が舞台なのに、
民間人のみ国会証人喚問されたり
相変わらずピント外れの投影の仕方が
まかり通っているようです。

 

 

誰かの号令でひき起こされた出来事というより
組織の衝動の結果といえるグロテスクさです。

 

 

 

 

 

名裁きで名を馳せた大岡様
ご不在の地の神隠し事件にしても
本人がもともと社会福祉協議会や
Nalcと繋がりがあったからこそ
なし得た出来事です。

 

 

 

 

Nalcや社会福祉協議会の
後押しがなければ
地域包括支援センターをはじめとする
役人組織の連携は
起こり得なかったでしょう。

 

 

 

 

役所との親密な接点に辿り着けば
人間一人を精神病院に
送り込むのもこんなに簡単だという証です。

 

 

 

 

役人組織は
「市町村長の同意」まで
振りかざして
当時、認知症スケールが25点以上ある
「認知症」とはいえない人を
要件を満たさないで
医療保護入院
という強制収容の方式で幽閉するだけでなく
精神薬まで与えて
ダメージを与えています。

 

 

 

 

糖尿が心配と言っても
記録では切羽詰まった状態でもない。

 

 

 

 

つまり認知症の度合いも
糖尿の度合いも

 

 

切羽詰まっていないのに
「市町村長の同意」という荒技を役人が使い
認知症専門の公立病院に放り込んでいます。


(強制入院は人権擁護の観点から慎重に
事を運ぶべきなので、家族の同意あるいは
市町村長の同意が手続き上必要。)




仮に、独居老人が
降雪が見込まれ、動きが取りにくくなる冬場、
一時的に一人暮らしが不安な状態があった、
一時的に誰かの世話のもとに暮らす必要があったとしても
要件を満たさない強制入院に飛躍する理由は
一つもありません。

 

 

何のために何千万円の補助金を
介護「団体」に注いでいるのですか?

 

 

 

 

現に大岡様ご不在の地は
とりわけて近隣の市に比較して
介護施設が沢山ある土地柄です。

 

 

 

 

それなのに地域包括の職員は
「この辺には受け入れられる介護業者が
いないので(強制入院させた)」と口頭で
遠方から駆けつけた親戚に答えています。

 

 




大岡様ご不在の地では
介護保険料を徴収し
介護施設に補助金を流すけれど
いざ、被保険者が保険を使う段階が来ても
何故かわざわざ
「かかりつけ医」に電話連絡して
迂回路(糖尿病の食事療法のための教育入院)を設置し
結果的には「精神病院」へ大変な滑らかさをもって
「誘導」しています。(政治家である「市長」の同意を
使い、政治家を盾にしています。このおかしな出来事の
責任を何も詳細を知ろうはずのない市長さんに尋ねることは
意味がないと思います。)




行政が一個人の医療に口を出し
口を出して本人にいい方向に向けばいいが
どうせ他人事ですから
糖尿ならインスリン注射との紋切り型 の考えしか持たない。




本人がインスリン注射を最後まで拒絶していた
ことを尊重する考えはサラサラない。


ワクチンを強制的に接種させる行為と同等の行いです。

 

 

それを受ける「かかりつけ医」も「かかりつけ医」
ですが、糖尿病専門医の開業医は
行政とは切っても切れない関係にあります。

 

 

 

 

血糖値を測る回数を患者に指定して
月何回以上、血糖値測定してもらうと
指導料とかの名目でお金が医師に支払われます。

 

 

 

 

診療明細に記載してあります。

 

 

 

 

一日三回血糖値を測る(自分で針を指にプスリと刺し
血を絞り出し)ことを一年間も
続けると手指が痛くて「もう刺したくない」
「刺しても血が出ない」と
思い詰めますが、かかりつけ医は
「もっと針を長く設定して深く刺せば良い」と答えるのみ。

 

 

 

 


やっとの思いで退院してきても
血糖値測定の荒業が待っていたというわけです。


一年間針刺しを一日三回続けてすっかり
弱ってしまいました・・・・

一年半経過した頃ようやく一日一回の測定となりましたが、本人はもう死にたいといい、無気力になりつつあります。入院前とは全く生活も性格もADLもガタ落ちとなり、天国と地獄のような変わりようです。
ストレスも溜まり、たまに爆発します。

 

 

 

 

年寄りには苛酷すぎるかかりつけ医の方針でした。

 

 

 

 

(インスリン注射生活に突入した入院先では、
強化インスリン法を6ヶ月続けたのですが
最初のひと月だけ血糖値測定して
後の5ヶ月は全く測定なしで、インスリンのみ
一日4回自己注射していました。)

 

 

 

 

退院後、かかりつけ医のもとに行き
「インスリン量を減らして下さい」と相談して
血糖値測定を申し付けられたのですが、
大変な苦しみを伴う生活になってしまいました。

 

 

 




誰か一人の利益のためというより
関わる人全てに
思い込みと思惑があり
騒動の口実となったはずの
老人や
子供たちとは
かけ離れた場所で
行政は権限でお金をやりとりしている。




この構図は常に同じなのです。




糖尿病がブラックボックスになったかのような
千と千尋の神隠し事件の話をしていたのに
話があちこち飛ぶようですが
医療の良心について話すのに
いろいろ例を挙げようと思います。



吟遊詩人ガラスの夢で描いてきた
母の千木病院での悲惨は
「尿閉」と診断を受けて
管を尿道に取り付けられ
固定され
病院でトイレに行かせてもらえなかったことが
一つあります。
(他にも抗生物質の多剤投与、
差し込みテーブルによる無記録無秩序無制限の
身体拘束など)


尿閉となったとは嘘で、それなのに尿道に
管を突っ込まれていたのですが、
石川県の医師はその不実を止められない。
(別の医師に診てもらっても、庇いあって真実を
隠す)

前の医師の面子を潰さない為に
患者に犠牲になってもらうことに
するわけです。


石川県にいてはいつまでも
適切な医師の判断は得られない。

退院間際に「自宅で間歇導尿する手技の
指導」を受け、
横浜に移動してすぐに別の医師に診てもらう。

あっけなく
たった一度小さな測定器を
膀胱近くに当てて、ピッと
音をさせ、ちらりと数値を見ただけで
導尿など必要なしと診断がおりる。




(導尿管を固定し
ビニール袋に尿を溜める方法では
感染症が一週間で発生。感染症を
抑えるのに今度は抗生剤を多量投与。
挙げ句の果てに抗生剤の効かない
耐性菌が身体に住み着いていた。)


間歇導尿の必要もなし。
(間歇導尿とは、膀胱に溜まっている残尿を
いちいち管を差し込んで身体の外に出す方法。
尿管を傷つけるリスクもあります)


千木病院での辻褄の合わない処置から
果たして本当に導尿が必要なのか
私は疑いを持ちましたが
石川県にいては、いつまでたっても
導尿は必要ないという判断が
得られない。

感染症を防ぎながら
導尿するために
わざわざ間歇導尿に切り替えることになり


介護者となる私が間歇導尿を母に
行う為にナースに指導を受け、
その費用を支払い、
導尿管を薬局で6000円くらい支払って
入手していました。

盗人に追い銭。


愚かしいことです。




福祉に強いという触れ込みの
何故か主義に反して毎回選挙に出る
政党関連の病院に
わざわざ地元国立大学医学部から
外来に来ている専門医に
診断していただいたのに。


残念でなりません。



ナースが
「あの先生は普段ならこれ位の残尿なら
導尿などしなくていいとおっしゃるのですよ」
と、しきりに風を送ってきたけれど、
医師がはっきりとそう患者や家族に告げないことには。

真っ暗闇の泥沼から這い出ることができるかと
望みをかけていただけに残念です。



入院病棟から外来に予約を入れ、
ようやく少しは理にかなった
説明を聞けると期待して
予約時間に母を車椅子に乗せ診察に向かう。 
(注:横浜に行ってからはすっかり歩けるようになりました。
千木病院では1認知症で2廃用症候群3一生車椅子と
宣言されましたがその言葉を鵜呑みにしなかった。)


ずいぶん長く待たされました。
男の人の話している声が聞こえます。


患者さんと話しているのだろうか。

長い。

相手の声は聞こえない。


約束の時間から半時ほども過ぎてようやく
診察室に呼ばれますが、
入れ替わりに誰か診察室から出てくるかと思ったら
誰もでてこない。

中で患者さんと医師が話していると思ったが
患者と話していたのではなくて、
電話で医師が誰かと話していたようです。


多分、話していた相手は入院病棟の母の主治医
(まだ20代位の女医さん)


その時は気がつきませんでした。

あんなに人を待たせて、診察していたのではなくて
主治医と話していた。



さあ、ようやくこの年齢も重ねられた
専門医に公正な診断をしていただける、

果たして導尿が必要な状態なのか医師に聞きました。



様子が変です。

何故か私の質問にお答えになるのに
顔を真っ赤に紅潮させている。温泉に
入っているお猿さんのように真っ赤。


何故、この人は怒るのだろうと不思議に
思いました。

本当に分からなかったのです。


福島の事故後に展開された
騒動を一通り見た今なら、分かります。

深く追求されたくなかったのですね。


それでも顔色一つかえずに
欺き続けた若いもん(医者屋)や
何もせずにしらを切り通した議員に比べれば
人間らしさは残っているといえます。


・・少しは恥を知っていらした。

だから顔色が変わったというわけです。



俺のしたことじゃない。

元は他の医師がしたこと。
(金沢医科大から千木病院に転院する間際に
管が入った)

なんで俺にお鉢が回ってきた。

学閥も違うのに。

とお怒りになるかもしれませんが

教える立場にもいらっしゃるわけですし、

もし痛みを持たれたなら

学生さんの教育に活かしてくだされば

と願います。


高齢の母に間歇導尿は

必要でないならば

大変なリスクと負担です。
先に挙げた図では、医療の概念が
拘束の実現に強く作用した事を
表し損ねているので
書き直しました。


カジノやら(比喩)で、すってしまったショックで呆然


「整備された地域社会」の親切な隣人達が

大変に心配してくれ


地域包括センターに情報を上げてくれる。
(変になったよと)


無力な人認定(地元の人の憶測で)


2型糖尿病で服薬中(インスリン注射は本人が固辞)
であることを役所職員が知り


かかりつけ医に役所が相談
(本人は役所が関わったことを知らない)


糖尿病の食事療法の教育入院を老女に勧め


レッドクロス病院に糖尿病の食事療法を
学ぶ教育入院


「こんなに食事制限するなんて聞いていない」
と空気を読まずにナースに強く当たる。
食事療法からインスリン強化法へ


認知症専門病院へ連れていかれる。
(施設を見学に行きましょうと)
医療保護入院(市町村長の同意など無理筋で)


軟禁(準禁治産者扱い/NPOがぴったり寄り添い外出支援 一回1000円)


後見人をつけなければと役所や社会福祉協議会、
NPOが言い出し機敏に連携を取る


社会福祉協議会がのこのこ金融機関についてゆき、
これこれシカジカと吹聴する。


まだ後見人申請を裁判所に提出もしないのに
役所が社会福祉協議会に紹介した司法書士が
金融機関に現れ、後見人をつける予定だから
金融資産を調査したいと宣う。



後見人に報酬を払うために
家を売却(親切に全てお膳立てして下さる)


時には後見人から離婚を提案される配偶者まで


家族から引き離され
「安全な」施設へ(最初は高専賃。

其の後は段階に応じて同一法人内で「回す」。)



ご想像にお任せします。
(後見の杜 代表にきいた事例と私が見聞した事例に基ずく)


もし、あの時

医療を拒否して

在宅医療医に引き払ってもらい、

一人で看護して

すぐか、何ヶ月後かに

母が自宅で亡くなったら、

警官が家の中に入ってきたのだろうか?



私はそういう事態になることを怖れて

信用できないと思いながらも

あの人達に母への医療行為をさせたのだろうか。


どのみち、人は死ぬのですと言われても

まだ残っている命の火を吹き消されるのと、

燃え尽きて行くことは


まるで違う。




それとも私の思いの及ばない地獄が

あの先にあり得たと知る人は言うのだろうか。



どうしても

法によって罰せられることを恐れることが

人の道を外して行く大きな要因になっているような

気がしてならない。



ましてや、この国の「法」ときたら・・・・



笑うしかない。




 
神奈川で接触した開業医の一人は

高齢者に対してそっけないくらい

最小限の処方しかされなかった。


今、思い返すと、大変誠実な医師だった。




血液の値(ヘモグロビン値)の激変を

その方はわざわざ電話をかけてきて知らせてくれた。


でも、何もしない。


原因を探るために大学病院に行きますという私に
悲しそうな顔をして
「私より、あちらを信用するのでしょうから、
仕方がない」と仰った。


その頃はまだ暗闇の中にいて
日本の医療は命を救ってくれるものだと盲信していた。


実際は
他人の身体のことなど
他人にはそう分からないものなのに。

できるのは蓄積された体験から
行く先の例を少しは多く思いつくこと。

分かったふりをして
切り取ったり
薬を飲ませたり
お墨付きをもらって
診療報酬を得ているだけ。




本当に誠実な医師にできることは
衰弱していく過程に
寄り添うことくらいなのだ。




それなのに
中には内臓の変化を検査なしに
胆管炎と断言し
敗血症になる危険性が高いとして
いきなり大量のチエナムを
連日注射する
空海の如き、超能力医師もいる。



世間と隔絶した場所で( 在宅看護、在宅介護家庭は
五人組やエートスに囲まれた
囲われもんみたいなものです。
壁の向こうには決して声が届かないし
壁の向こう側の声も取りに行く暇がない)


介護者が入浴もままならない状況で
生命を守るために感覚を研ぎ澄まし続けるのは
容易ではない。


守る。何から守るのかと思われましたか?


生命に直接作用できるものは

医療行為だと、私はいいました。




弱った時に

つけ込まれる。

無知と怖れをがっしり握られ

捻り倒される。




とりわけ在宅看護に

突入した場合は、

よくよく注意深く

行動力と良心を兼ね備えた人を

輪の外側に確保して

利用することが肝要かと思います。




輪の中ではなく

輪の外側に、公正な感覚を持つ

熱い唇と熱い手を持つ人を

確保しておくこと。





死まで、欺かれて得るなど、

こんな残酷なことはない。