イルジメとマイケルとスターの孤独と
アンニ・ヨン・ハセヨン。
マイケル・ジャクソンが亡くなりまして。彼もある意味、庶民の英雄だったよなぁなんて思ったりしておりました。私もブレイクダンスはマネした口ですが、イルジメが庶民の英雄となり、子供達がイルジメを真似たり、大人達がイルジメ関連商品で商売を始めたりする光景は、ちょっと重なるものがあります。
そんなわけで、以前書いたブログの記事を思い出したので、今日はそれをエコる(再出しする)ことにしました。ちょっとネタ的には古いニュースも入っていますが、これがないと意味がないので、そのままアップします。
以下、エコ記事です。
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『一枝梅』は、再三語ってきたように、1人の英雄の物語である。が、同じ英雄でもチュモン(@『朱蒙』)やタムドク(広開土大王@『太王四神記』)のように、生まれから神がかっていて、圧倒的力を持つ歴史的英雄ではない。市場通りで育ったごく普通の青年(生まれは高貴だが)が、過酷な運命を背負い、義賊となり、自分では思いがけず庶民の英雄になっていくお話だ。その感覚を例えて言えば、ごく一般の市民だった人間がある日、突然スターになってしまったような感じ。自分では皆と同じごく普通の人間であると思っていても、特異な目で見られ、大きな期待を受けたり、逆に非難を受けたり、やることすべてが注目される。時には、噂話が膨らんで、自分が考えてもいなかった方向にとらえられてしまう。
チェ・ジンシルではないが、これは非常に重いことだ。自分の行動に大きな責務がついてまわる。スターの宿命ではあるが、本当に孤独で、責任ある商売なのである。チェ・ジンシルが「自分は我慢できるが、子供たちのことを思うとつらい」と語っていたように、また、様々な俳優たちが「自分以外の家族までがプライベートの自由を失い、申し訳ない」と語っているように、イルジメも同様。父親の復讐のため起こした行動がきっかけではあるが、その正義感が彼をして義賊たらしめ、結果として「庶民の英雄」として注目された彼は、それによって家族や友人など自分の周囲の人々に被害が及ぶことを知るのだ。ゆえに、誰にも正体を明かさない(明かせない)のである。自分がイルジメであることを、そしてイルジメであることがつらいことも、ただ1人、小さな胸に押しとどめるしかないのだ。なんと孤独なことだろう。一般市民であるヨンという顔と、英雄となってしまったイルジメという顔、両者はイコールでありながら、イコールにはなれない、苦悩がある。それは、もし彼が生まれもっての王、英雄であったなら、感じることはなかったであろう、いち庶民の苦しみだ。だから、見ていてひどく胸が痛むのである。
朱蒙やダムドクのような英雄の物語と明らかに異なるのは、そういう部分である。彼らは、極端な話、家族や周囲の人々を犠牲にしようが、国のために闘っていかなくてはならない。それはそれで苦しいことだが、我々一般人からは遠く離れた存在という感じがしてしまう。が、イルジメの場合は、英雄になろうとして、あるいはなりたくてなったわけではない。野心とかそういうものではない、純粋な気持ちから起こした行動で、予想外にもそうなってしまったのである。なので、自分でも驚き、戸惑うわけだ。
が、本人はそう思わなくても、スターとか英雄とかいうものは、そういう星のもとに生まれた人々がなるものである。努力もあろうが、そうなるべくして生まれた人がスターになる、と思う。実際、イルジメ(ヨン)に関しても、第1話で盲目の占い師により、その星を告げられている。ちなみに、この占い師はポンスンの実の父親だ。
これはイ・ジュンギ自身が置かれた立場にも重なっていよう。見事にハマリ役となっているのは、そういう要因もあるためだ。
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マイケル・ジャクソンの場合は、また少し違うだろうが、一夜にしてスターになってしまい、彼の周辺が大きく変わってしまったことによる精神的苦悩は少なくなかったに違いない。我々、凡人には分からないことだが。
人間はそんなに完璧なものではない。ときには過ちもおかすし、家ではだらしなく過ごしていたりする。人様にはお見せできないダメダメな部分もたくさん抱えて生きているものだと思う。だが、ひとたび「英雄」「スター」とあがめられると、完璧であることを望まれてしまう。そんなの無理ですよ。しんどいですよ。
世間が望む姿、幻想を抱く姿と、本当の自分自身との間で苦しむことを余儀なくされるスター達。イルジメ=ヨンは、そういう苦しみまで背負ってしまった青年なんですね。
ということをマイケルのニュースを見ながら、再び考えたのでした。
今日はこんなところで。
アンニ・ヨン。
「イルジメ」の人間関係性は世の縮図なり
アンニ・ヨン・ハセヨン。
今日は七夕です。空には国中のカササギが集まり、天の川に橋を架けているのでしょう。
関係ありませんが、イ・ジュンギが一番好きな数字は「17」。「誕生日が4月17日だから」だそうですが、今日は7月7日。何となく、近い?(笑)
さて。
7月は来日ラッシュで、「イルジメ」勢からもパク・シフ、イ・ジュンギの2人が来日!
シフは先の日曜(5日)にファンミーティングを行い、大盛況を収めたそうです。「そうです」って…「イルジメ」布教委員会会長としては、このイベントはレポートすべきところなのですが……すみません。ホン・ギルドンとバッティングし、向こうに行っておりました。シフとギルドンが同じ日にイベントなんて、皮肉だよなぁと思いつつ。でも、イ・ジュンギのイベントには死んでも行く気です(笑)。今日も別の取材で多くの関係者が集まったのですが、来日ラッシュの話題になりまして。「ファンでなくても、イ・ジュンギのイベントは見たいよね。何かやってくれそうだよね」と仲間のライターが言っておりました。業界内の期待&関心は高く、私は内心「ふふふ」と思いました。なにせ私の今の目標は、業界内でイ・ジュンギの力を認めさせる!なので(笑)。だって、完成度が高いですよ、彼の演技、作品は!ま、私がどうこうしようというのも、おこがましいんですが…。
シフの話が出たので、ちょっとその話を。
「イルジメ」というドラマには、縦軸と横軸があります。縦軸が父と子、母と子、師匠と弟子の関係、横軸が兄弟、友人、男女の恋愛関係になります。そして、この縦軸と横軸が見事な織物のように重なり、1枚の物語を紡ぎ出している。
しかも、例えば父と子の関係ひとつをとっても、セドル&ヨン、ウォノ&ギョム、セドル×シフ、コンガル×ポンスン、ピョンシク×シフ、ピョンシク×シワン、仁祖×世子、猟師のチャン×ウンボクと、様々な父子が登場します。どれひとつ同じ形の父子はなく、それぞれの関係が並行して描かれることで、ひとつひとつがより際立って伝わってくる。
特に、セドル×ヨン、セドル×シフの関係はシーンを前後して入れ込むことが多く、並べてみることで、ヨン、シフの父に対する思いが浮き彫りにされるように演出されています。ヨンのように我が儘を言ったり甘えたりすることで、父を気遣うやり方もあれば、シフのように素直に甘えられない感情もあるわけです。同じ「血の繋がりがない」父に対する接し方も、子供によってこうも違うのです。見ている人も、ヨン型の人もいれば、シフ型の人もいるでしょう。そういう意味で、「イルジメ」を通して、私たちは世の縮図を見せらているわけです。
そして、また見事なのが、父子の関係が師弟の関係でもあることを描いている点です。セドルとヨンは「盗人の技術」において師弟関係になります。塀の超え方や錠前の外し方、そして人の愛し方(気遣い方・いたわり方)において、ヨンはセドルから多くを伝授されている。同様に、ギョムはウォノからも、剣の使い方、ひいては生き方を教わっている。それは、ヨン×コンガルという師弟関係にも繋がっていくのですが、父子は同時に師弟でもあるということを、様々な父子、師弟関係を通して映し出している。だから、師弟の関係にはどこか父子の関係に似たものが生まれ、そこで再びグッと来るのです。例えば、ヨンに対する師コンガルや、シフに対する師サチョンの、単なる弟子以上に大切に思う感情には、父子の愛同様に深さを感じ、揺さぶられてしまうのです。
ネタばれになるのであまり詳しくは書けませんが、コンガル×ヨン、サチョン×シフの関係も気にしながら見てみてください。特に、シフは「父なる存在」を欠いて育ったため、サチョンにそういうものを求めたのかもしれません。あまり語られない関係ですが、この関係もかなり深いものがあります。もちろん、コンガル×ヨンもそうですね。この場合、師弟関係に加えて、娘が好きな男、つまり義父と娘婿的な微妙な感情も読み取れて、また別の意味の面白さがある。まさに、世の縮図です。
様々な人間関係については、地上波が進み、8月くらいになったら1話ずつ解説したいなぁと思っておりますので、そのときまた具体的に語るつもりで考えています。
ピョンシクとシワンの似た者父子の関係も絶妙です。正真正銘の実の父子の典型的姿がここにあると言っても過言ではありません。遠慮無く互いに文句を言えるというのか、この2人の間には真の意味で壁がないのです。血の繋がりからくる甘えや近さとでもいうのか。世間一般の父子にもっとも近い関係な気がします。だから、ピョンシクとシワンの関係と、シフやヨンの父子関係が並ぶことによって、血の繋がらない関係性のより微妙な感情が伝わってくる演出になっていますね。
また、仁祖と世子の関係も、セドルとヨンの関係と対照的に描かれています。後半、この2つの父子関係が並べて登場するエピソードがあります。それによって、父子って何だろう? 血の繋がりって何だろう? と考えさせられる展開になっているところが見事なのです!
ちなみに、猟師父子の関係は、ピョンシク×シワンと同じようでいて、微妙に違います。母親がいない父子家庭バージョンで、片親の場合、それはそれでまた違った関係性になるのだということが彼らを見ていると分かります。
父子、師弟など縦軸だけでこんなに様々な形があるのです。母子もまた然り(母子についてはまた後日)。
そして横軸を構成する「兄弟」の関係です。これには、ヨン×シフ、ウォノ×仁祖というものがあります。兄弟の関係は、父子以上に複雑です。親の愛を巡る嫉妬や敵意という感情を持つことがあるから。そして、この兄弟の複雑な関係は、旧約聖書のエピソード「カインとアベル」から始まり、韓国ドラマでも度々描かれている。
兄弟は、血が繋がっていながら、最大のライバルになりうる存在です。が、血が繋がっているからこそ、味方にもなりうる。世の中で最も微妙な関係なんですねぇ。下手に近いから憎くもあり、自分と似ているからかばいたくもなる。ヨンとシフはそんな関係なわけです。ある意味、鏡のような存在でもあります。これについては、私自身もう少しじっくり研究する必要があるようです。うまく整理できたら、あらためて書きたいと思います。
で、「イルジメ」では、私たち視聴者は初めから彼らの関係性を知らされて見進めるような構成になっています。知らないのは、劇中のキャラクターたちだけ。シフがヨンと兄弟であることは最後の最後に明かされるとか、ウォノを殺した人物が明らかになるのも最終話まで取っておくかというのが、通常のドラマのパターンです。が、もったいぶらずに、初めからすべてを明かして物語が進んでいくのが、「イルジメ」の斬新さで、見事なところです。
ではなぜ、脚本家は視聴者に初めからすべて手の内を見せてくれたのか?
おそらく、下手に隠して謎解きに気が散らされるより、キャラクター達の感情の動きを、変化をリアルに感じてほしかったからではないでしょうか。謎なんかなくても、人間の心そのものがドラマでは重要なのです。人間の心がちゃんと描かれていれば、それがちゃんと伝えられていれば、変な小細工なんてしなくても、十分に見る者の心を掴むことができる。その潔さ、変にいじくっていない、まっすぐな描き方が「イルジメ」の素晴らしさだと思うのです。
あれ? 今日のテーマは何だったっけ?(苦笑)
勢いで思ったことをがつがつ書いてしまいました。勢いで書くのは久々かも。実は今日、緊張ものの取材があり、ここのところそれに集中していて気持ちが落ち着かなかったので、「イルジメ」モードになれずにおりまして(すみません!)。が、無事に終了したので、再び勢いがついたようです。
そういうわけで、記事に波があってすみません…。しかも、今日のネタもとっちらかっている気が…。
少し気持ちを落ちつけて、布教活動を再開しなくては、ですね。
ではとりあえず、今日のところは。
アンニ・ヨン。
「イルジメ」を見ていると…
アンニ・ヨン・ハセヨン!
今日はとても短いのですが、ひとつだけ、ふっと思ったことを。
「イルジメ」に触れていると、優しい気持ちになるのだと思いました。
人に対する思いやりのようなものをふと思い出す。
自分がいくら幸せでも、周囲の人が、自分の大切な人が幸せでなければ
心からその幸せを感じることができません。
だから、自分の大切な人に幸せでいてほしい。
「イルジメ」の中には、自分よりも人の幸せを願う人ばかりが出てきます。
そういう人の優しさに触れて、何度も何度も涙を流す。
「イルジメ」の温かさが好きです。切ないけれど、その軸には人の優しさがある。
ヨンがセドルのために賭博格闘に出たり、テシクのために義禁府に掛け合ったり、
ヨニやウンチェを下品な男たちから助けたりするように、
セドルがヨンやシフのためには自分をいくらでも犠牲にできるように、
ポンスンがヨンのために体を張れるように、
タンがヨンやシフのため祈るように、
とにかく、皆が皆、自分のことより、周囲の大切な人のために生きている。
そうやって人は人と繋がり、支え合い、生きている。
人は決して一人ではない。
だから、「イルジメ」に触れていると、知らぬ間に涙を流し、知らぬ間に浄化されている。
人それぞれ表現方法は違うけれど、みんな優しい。
優しい、っていいなと思う。
そういうドラマなんだな。
そんな気持ちになりました。
アンニ・ヨン。