一般意味論的例題 その1 | ヤマ猫のブログ

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瞑想、精神世界、NLP、催眠療法などなどについての雑感。

 
これから、一般意味論(以後GSと略記します)の考え方のいくつかを紹介したいと思います。

 

「この文はウソである」という、文章を考えてみましょう。
(バリエーションとして「私はウソをついている」でもいいです。)

さて、「この文はウソである」をAと置きましょう。

 

1) 仮に、Aがウソであるとしましょう。(Aは真実ではありません。)

すると、「この文はウソである」がウソなのだから、ウソのウソは真実であることになります。

つまり、Aはウソではないことになります。

しかし、この議論は、「Aがウソであるとすると」で始まりました。

Aがウソだとすると、Aは真実であることになります。

 

2) では逆に、Aは真実であるとしましょう。

つまり、「この文はウソである」が真実なのですから、Aはウソをついていなくてはなりません。

Aが真実であるとすると、Aはウソであることになります。上の1)に戻ってしまいました。

1)だとすると、2)になり、2)だとすると、1)に戻る。議論は永遠に堂々巡りをつづけます。

 

このような堂々巡りをパラドックスなどと呼びます。

 

「ハハッ、面白いな」と言って、忘れるなり、無視するなりするのが健康的です。

 

しかし、数学のように論理的で厳密な学問の中でも、このようなパラドックスが発生する場合があります。これは事件ということになります。

ここでは、もう少し、大雑把に考えていきましょう。

GS的な観点にたつならば、ここでの問題は『同一化』もしくは、『カテゴリー違反(タイプ・エラー)』として、解決できるでしょう。

 

ここでの『同一化』は、NLPでの『観念の複合等価』の一種と見なしてもいいでしょう。

 

なにが「同一化」されたのでしょうか?
(つづきはこちらで)