前回の続き。

 

今回はファンとしては本当は触れたくない、スキャンダルについてである。

主に国会図書館で収集した雑誌記事や、自力で集めた資料を元に、見解を述べるので、果たしてそれが真実なのか、そうでないのか。

又、亡くなった方があれこれ悪くいわれたのをほじくり返しかねない行為は適切とは言えず、そっとしておくのが人としての礼儀かもしれない。

だが、この方の後半生に付いて回ったことも事実。

それを無かったことにするのは却って不自然であろう。

一ファンの見解なので、その積りでお読みいただきたいと思う。

 

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島田陽子さんについて、最初にスクープらしき雑誌記事が登場したのは、私の知る限り、「週刊女性自身」によるものだった。1978年のことである。

今から丁度10年前、『爆報!THEフライデー』で島田陽子さんが登場し、その時のことを当blogでも記事にした。

(→『爆報!THEフライデー』

この番組自体、私はあまり好きではなく、毎週欠かさず見ていたこともあるのだが、末期は2年分以上録画が貯まってしまい、今、取り沙汰されている2倍速視聴はおろか、音声なしの10倍速位で、最後はひたすら飛ぶように流れる映像が切り替わるのをパパッと流し見して、大半をそのまま消した。

今、手元に残っているのは新型コロナ感染症で衝撃の死を遂げた岡江久美子さんの追悼回と、モデル・山口小夜子さんを取り上げた回、そして勿論島田陽子さんの回だけだ。

 

番組で、M氏とのことが取り上げられていた。

表立って知れている中では、島田陽子さんの最初の恋人と言える男性である。

M氏は当時まだ駆け出しの俳優で、島田陽子さんと同じ芸能事務所所属だった。

『鯛めしの唄』という瀬戸内の小さな弁当業者で奮闘する娘というのが島田陽子さんの役で、その恋人役だったのがM氏。役名をそのまま芸名にしたそうである。

M氏からすれば年齢は下でも、仰ぎ見る若手看板女優。

それなのに彼女は気さくな態度で、偉ぶったところなど何もなかったという。

 

1976年の『トラック野郎 望郷一番星』でも共演している。

島田陽子さんは勿論マドンナ役で、初登場シーンでは背景にお星さまが煌めいていた。

そのマドンナ・三上亜希子さんに桃次郎は一目ぼれする。

彼女は亡くなった父の跡を継いで、北海道で牧場を経営していたが、丁度生まれたばかりの仔馬が重病で、獣医も見放すほどだった。

亜希子と桃次郎の徹夜の看病で、仔馬は元気になり、殺処分を免れた。

色々あった後、桃次郎は、盛装して亜希子にプロポーズしようとするが、そこには結納の品が。実は亜希子は若き獣医と婚約し、その日が結納だったのだ。…

映画のクレジットでは別の名になっているが、その獣医役がM氏である。

撮影の合間、島田陽子さんがM氏にお茶を持って行ってあげるなど、気取らない素朴な人柄を見せ、恋仲に発展したとされる。

 

『爆報!』で取り上げられていたように、清純派女優にとって、恋愛報道はご法度であった。

当然所属事務所の平田社長はM氏と別れさせようとした。

一時は同棲が報じられたほどだったが、兎に角拘束が厳しく、自由な時間は全くといってよいほど無い。

最後は、別れなければ、俳優としては駆け出しだったM氏を、事務所から追放するとまで言われ、生木を引き裂かれる思いで別れを決意したという。

 

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後に島田陽子さんが結婚を控えた頃、『愛するあなたへ』(1996)という本が出版された。

”愛するあなた”とは、人生のパートナーに選んだ、照明技術者・米山仁氏を指している。

ところでこの本の出版準備が進む中、幾つかの週刊誌がゴシップ記事として、この本のゲラ刷りと称する内容を記事にした。

男性遍歴を綴った”告白本”としてセンセーショナルに取り上げた。

その中で”心中未遂事件”が報じられた。

曰く、M氏が庖丁を持ち出し、「どうしても別れるというなら、君を殺して俺も死ぬ」と迫ったというのだ。

だが、本にはそのような記述は全く無い。

週刊誌は”告白本から消された”としている。

先ほど、パラパラと読み返してみたが、島田陽子さんの父親が最初に結婚した相手が熊本の芸者で、商売をやっていた父親は割と女性関係が派手だったらしい。この最初の芸者あがりの妻がかなりのやきもち焼きで、宴会の席に刀を持って乗り込んでくるほどの激しい気性の持ち主。

その一方で、自殺未遂を何度も繰り返したという。

…上記の”心中未遂”と酷似していはしまいか。

 

又、大半のタレント本は、ご本人に余程物書きとしての素養がないと、なかなか本人が実際に原稿を仕上げることはなく、話を聞いて、後はライターが原稿にするという作り方をするらしい。

そうだとすれば、当時既に”スキャンダル女優”のレッテルを貼られていた島田陽子さんのことである。

ライターが面白おかしく、話を膨らませてでっち上げたと言えなくはない。

出版だって商売だ。

”スキャンダル女優”の本が「これから幸せに共に人生を歩んで行きましょうね」といった平凡な内容では、売れないのである。

もっと衝撃的に、刺激的に、激しく!

そんな注文が出版社側から出ない保証がどこにあろう。

 

M氏と引き裂かれた時、一度は女優をやめたいとまで思い詰めたそうだが、結局引退とはならなかった。というより、社長がそんなことを許さなかったのであろう。

 

島田陽子さんはその後暫くマネージメントから社長を外してほしいと希望したそうで、それだけは希望が通ったらしい。

 

田宮二郎版『白い巨塔』で、里見先生を恋い慕うが、報われず苦悩する―――佐枝子さん役の演技は、もしかしたら実体験を反映したものなのかもしれない。

 

『愛するあなたへ』では、恋人と引き裂かれたことについては何も触れられていない。

デビュー時から、事務所の言うがままに立居振舞、格好から全てその通りにしてきた中(『爆報!』中では”人形のように”という表現があった筈)、マスコミは「清純派」、「優等生」というキャッチフレーズを付け、実際その通りだと思い、それを受け入れて生きていた。

 

中村雅俊のデビュー作『われら青春!』は言わずと知れた学園もので、中村演ずる沖田先生が主人公。校長の姪(?)の杉田陽子先生というマドンナ先生がいる。

それが島田陽子さんなわけだが、物語中、2人は何かというと反目しあってばかりいる。

粗野で型破りな沖田を、聊か潔癖症の陽子先生が毛嫌いするからだが、それに対し、沖田は陽子先生を「タンチョウヅル」とあだ名する。

姿形だけは綺麗だが、煮ても食えない、焼いても食えない。

それがあだ名の由来である。

色々あって沖田が陽子先生に告白、最終回で交際を始めるという筋だった。

 

まさしくこの時期、島田陽子さん自身が「タンチョウヅル」という呼称がぴったりの印象で、まだ興味本位で書き立てられる前の週刊誌に「清浄野菜」に譬えられたこともあった。

 

実際、デビュー時からの雑誌記事を追ってみると、他の女優、タレントたちによくある、水着グラビアが皆無に等しい。

調べた限り、デビュー当初の、今の目線で見ると野暮ったい黒いビキニ姿のカラーグラビアが1点。少し後の『光る海』という出演作の紹介記事で、モノクロで小さく、他出演者たちとプールで戯れる姿が紹介されているに過ぎない。

長身でグラマーとは決して言えない体形だったためか、お尻を向けた写真も皆無。

又、少なくともテレビや写真で、この方が大口開けて、歯を剥き出しに笑っている顔を一度たりとも目にしたことがない。

 

女性芸能人の売り出し方は様々だから、お尻をぷりんと向けるカットを多発する商法全てに異論を挟む気は毛頭ないが、例えばAKB一派のタレントたちは、そういう売り出し方が目立ちすぎるように思える。

アイドルのあり方が変わって来たといわれればそれまでだが、嘗てのアイドルは、私生活は全く秘密のヴェールに包まれ、「この人は普段どういう生活をしているのだろう」と想像力を掻き立てられるのが常であった。

女優ともなるともっとで、今でいうセクシータレントとの線引が明確になされ、映画や出演ドラマの宣伝のためとはいえ、トーク番組とやらに出てきては、素の自分をベラベラ喋る。そんなことは、嘗ての女優は一切行わなかった。

例えそれがポルノ女優だったとしてもである。

だから、往年の女優やアイドルの中には、「トイレにも行かない」としばしば形容されたりした人もいたのである。

 

果たして今時のあっけらかんとした売り出し方が、特に女性芸能人にとって本当にプラスとなっているのだろうか。

今日、テレビで演技よりはトークに勤しんでいる女優(?)たちが、口の奥まで大口開けたり、歯茎を剥き出しにして笑ったりしている姿を目にするにつけ、女性としての有難味を全く感じることができない自分がいる。

 

『爆報!』で岡田茉莉子さんだったと思うが、今の日本に本当の女優なんているのかしら?と苦言を呈していたが、まさしくその通り!

テレビの前で膝を叩いている自分がいた。

 

芸能人に限らず、一般人の女性全般において、目元の装いについてはあれこれ気を遣うくせに、歯茎を見せることの下品さを慎む議論が全く生じないのは、不思議でならない。

マスクをして口元を隠してしまおうなどというのは言語道断。

今時の多くの女性たちの美意識の方が、余程「劣化」している。

 

…話が逸れてしまった。島田陽子さんの「清純派」、「優等生」に話を戻すことにする。

 

 

ところが演技をする上で色々考え、徐々に自我が芽生えてくる中、監督や他の役者たちと食事やお酒を飲みに行くと、「優等生だ」、「面白みがない」、「色気がない」、「お嬢さん女優だ」などと言われる。

自信を失くし、大人の女優として認めてもらうにはどうすればいいのか、そう問いかけると、

「君はねえ、男に騙されて、ボロボロになって、メチャメチャにされて、そこから立ち上がらなければだめなんだよ」(上記P.72)

と言われる一方、周囲の男性たちは、妹のように大切に守ってくれ、相変わらず楚々とした優等生の女性の役ばかりが回って来る。

 

「女優開眼」を求め、『黄金の犬』(1979)を選んだという。

初の汚れ役。

スリップ一枚になって四つん這いになって歩かされる、かなり屈辱的な役だ。

そういう役をやれば、優等生から脱却できる、這いつくばったり拷問されたりすれば「色気がない」と言われなくなる、「女優開眼だ」そう思ったが、やればやるほど惨めになって悲しくて情けなくなったという。(同P.80)

 

本ではそう書かれており、女優開眼を目指してもがいただけに見えるが、やはり恋に破れたことが、この役に走った最大の原因ではないか。

同年に公開された『白昼の死角』では、芸者・綾香役を演っている。

本作の中で島田陽子さんは、何と3回も胸を見せている。

無理に悪女役を志願して演じているようで、何だか痛々しい。

ヌードシーンのスチール写真が撮られたが、事務所によって回収されたという逸話が残っている。

捨て鉢になった所属女優の、これまでのイメージを必死に守ろうと躍起になる事務所の様子が透けて見える。

 

ところがその胸をはだけたシーンを、男性向け週刊誌が煽情的に取り上げるのだから、勝手なものだ。

 

思えば『犬神家の一族』(1976)においても、佐智の卑劣な罠に落ち、麻酔剤をかがされ廃屋に連れ込まれ、今まさに汚されんとする珠世さん。

興奮してスリップをずり下げようとした時、物音がし、佐智が辺りを見回すが、ワンカットだけ島田陽子さんの胸が露わになるコマがあり、それを見た関係者も男性客も、色めきだったという。

当然、週刊誌はそのカットを煽情的に取り上げた。

 

ちらっと胸が見える。

それだけで騒ぎになるほど、当時の女優・島田陽子の清純派のイメージは実に強固なものだった。

 

『黄金の犬』に話を戻せば、犬の帰巣本能がメインテーマだと言うが、物語は実に殺伐としている。

ゴロという犬が汚職の証拠たるマイクロフィルムを首輪に隠され、その犬を追うというのが大筋。

途中で事件で命を落とした夫の代わりに飼い主として名乗りを上げる若き未亡人・北守礼子、それが島田陽子さんなのだが、地井武男氏演ずるヤクザに廃屋に拉致され、犬をおびき寄せるために服を脱がされ、絶体絶命のピンチとなる。

それがスリップ一枚で四つん這いで歩かされるシーンとなる。
そこへ鶴田浩二氏演ずる安宅警部が現れ、礼子は救出される。

その後、フェリー乗り場で両名共再びヤクザに捉えられ、安宅の目の前で
礼子はひどい目に遭わされる。今度は首筋に噛みつかれ、胸をはだけさせられる。

その時、島田陽子さんの胸の肝心なところに、例の絆創膏が貼られたテストショットなのか、何なのかそのまま、それが映画本編で使われている。

おすぎが後でそのことを悪しざまに言っていたが、上記著作の気持ちを考えると、仕方ないのかもしれない。

 

ともあれ応援部隊が到着し何とか救出。

犬もヤクザも行方不明。ひとまず事件は落ち着き、礼子は安宅を自宅に招き、やがて両者の間に恋心が芽生えるが、ヤクザに首筋に噛みつかれた跡が気になり、自分は汚れてしまったと恥じ入る。
それを懸命に励ます安宅警部。

その後は、テレビのロケ映像に犬が出ているのを偶然礼子が気付き、再び犬を追う安宅と礼子。それをヤクザが付け狙い、最終決戦。
そんな筋である。

 

制作の徳間書店にとって創立25周年記念作品だったそうだが、こんな暴力的で酷い話を、よく記念などと言えたものだと思う。

男の身勝手な、女性への潜在的な願望と言えればそれまでだが、若かりし島田陽子さんに対する嗜虐志向と、うら若き美女と恋愛成就したいなぁ…という世の男性の夢を、鶴田浩二演ずる中年男に託した、醜い作品にしか見えない。

 

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…今回の主旨を見失いそうな長口舌になってしまったが、どうも島田陽子さんという女優は、その後も含めて、プライベートで恋に破れると、自分の身を擲って、半ば自棄気味に裸身を晒すような役にのめり込むことで、心の傷を忘れようとする傾向を感じずにはいられない。

 

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この後、『将軍 SHOGUN』のまり子役に抜擢され、大逆転、まさに「女優開眼」へと繋がっていくことになるのだが、そこそこ知れた話としては、当初まり子役はジュディ・オングだったという話だ。

ところがジュディ・オングの「魅せられて」が大ヒットしてしまった。

歌手を優先させると、確実に『将軍 SHOGUN』の撮影に引っかかる。

それでジュディ・オングは降板。

英語が話せることが絶対の条件だったが、それまでに、確か映画『砂の器』が海外も上映された時、英語が話せないことを痛感し、英語の個人レッスンを受けていたという。

それで推薦され、オーディションを経て、まり子役に選ばれたという。

 

こんなことは敢えて記さなくても良いのかもしれないが、後になり、この時のまり子役も、実は「枕」だなどとする書き込みを「2ちゃんねる」で見たことがある。

当時はそんなゴシップ記事さえ出なかったのに、後の悪いイメージが、過去のキャリアまで汚すことになる。

思い込みによる過去の創作改変。人間の認知能力の曖昧さ、恐ろしさを感じた次第である。

 

ところが英語の台詞の特訓は想像を絶する大変さで、時にはコーチに口をこじ開けられ、舌を直接触られ指導を受けた。

時には膨大な台詞を覚えるのに、ホテルに戻って、服を着たまま台本を抱えて眠ってしまうこともあった。そんな状態が1年間続いたという。

上記著書には、それを見守り、毎日、花束を添えた手紙が届き、匿名で「あなたの頑張りをしっかりと見ている人がいる。孤独に陥りやすいけど、頑張って」と励ましの言葉が記されるという、さながら紫のバラの人のようなエピソードが披露されている。

 

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『将軍 SHOGUN』フィーバーにより、一躍時に人となった島田陽子さんには、”有名税”ともいうべき、様々なロマンスが週刊誌によって書き立てられた。

海外との頻繁な移動の中で、国際線パイロットとロマンスが生まれたとか、旅行ツアー会社の若手社長と極秘交際をしているとか、1977年頃からリプトン紅茶のイメージキャラクターを務めていた関係からか、その社長だか幹部だかとのロマンスが報じられもした。「国際女優」、「国際派女優」という新たな肩書に沿った華々しいロマンスの数々だったが、どれも浮かんでは消えてゆく話ばかりで、書き手が勝手に付け加えた尾鰭にしか見えない。

「恋多き女優」などと言われたのも、こういう取り上げられ方の影響もあったのだろう。

 

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『将軍 SHOGUN』フィーバーが落ち着きを見せ始めた頃、1983年梶原一騎が傷害事件で逮捕された。

梶原一騎が台湾から日本に連れてくるために、台湾人タレント・白冰冰(パイ・ピンピン)と偽装結婚するのだが、その白冰冰が、梶原一騎が日本人の有名女優、タレントたちを家に招き、猥褻写真を撮って所持しているとぶちまけたことから、それが大変な週刊誌ネタとなった。

 

梶原一騎といえば、スポ根ものの人気原作者のイメージがあまりに強いが、三協映画という映画会社を設立し、映画プロデューサー、芸能プロダクションとしても幅を利かせていた。

 

ゴシップ誌は、ヌード写真を撮られたのは誰か?という記事を書き立て、梶原のこれまでの仕事で関わった女優、タレントたちにその疑惑の目が向けられた。

前に記した『リトルチャンピオン』という映画を制作したのは、その三協映画であった。

更には白冰冰が、「国際女優のS.Y」と言ったという話まで出てきて、島田陽子さんの名が一気に浮上した。

他には直接引き抜いて自らのプロダクションに引き入れた池上季実子や、昔から梶原がファンだったと言っていた松坂慶子の名も挙がった。

後は推して知るべしである。

中でも意外性という点で島田陽子さんが一番ネタになると思われたのか、後に大火災事件で焼失したホテルニュージャパンへ食事に誘い、それに一服盛って昏睡状態にして、裸の写真を撮られたとか、家を何度も訪れる内、関係が出来、やがてヤ〇ザの若い衆を相手とする裏ビデオが作られ、政治家相手に秘かに売られたとか、酷い話が次々と週刊誌を賑わせた。

白冰冰への告訴も辞さないと、遂に島田陽子さん側が怒りを露わにする記事も見られたが、実際の訴訟にまでは至らなかったようだ。

 

後の『懺悔録』という梶原一騎の著作には、”松坂慶子ちゃんや、島田陽子ちゃんには随分迷惑をかけた"と書かれている一方で、「A子ちゃん」、「B子ちゃん」…との情事のさまが赤裸々に語られている。

その記述から、如何にも「A子ちゃん」=松坂慶子、「B子ちゃん」=島田陽子と思わせる内容だが、先の迷惑をかけたという言葉と整合性がとれない。

島田陽子さんに関する記述を拾ってみれば、『将軍 SHOGUN』の後、テレビ局からタクシーを拾って帰ろうとしているのを、梶原一騎が自分のキャデラックに乗せて送ったというエピソードがある。誇らしそうに目を輝かせて、キャデラックの車内を眺めていたと、さながら田舎娘を籠絡するかのような目線だが、本当だろうか。

 

『将軍 SHOGUN』の後、米国内でプロデュースを持ち掛けてきたのが実はマフィアの手先で、梶原一騎が空手の猛者たちを楯に、守り抜いたという話も、梶原一騎の本の中には出てくるが、随分と鼻息の荒い話だ。

 

更には、上記M氏と別れさせてから、所属事務所の平田社長が、意図的に島田陽子さんを梶原一騎に近づけたという記事も読んだことがある。

 

こういう話に事欠かないから、『梶原一騎伝』(斎藤貴男著)の冒頭で、刑務所内の梶原一騎は、同室の若いヤ〇ザから、「先生、島田陽子のお味はいかがでしたか」と尋ねられて満更でもないなどという記述が出てくるのである。

活字、それも書物になると、つい読者はそれが全て真実であるかのように思い込んでしまう。

最近ではインターネットで、又SNSで素人が気軽に発信できる時代だから、更にその信憑性を疑い、何でも鵜呑みにせぬよう気を付けないといけない。

 

私の手元には、『リトルチャンピオン』制作発表時の写真が数枚あるが、マイク片手に得意気に話す梶原一騎に対し、島田陽子さんは終始浮かない顔をしている。

到底、主演女優が、「ハイッ!頑張ります!」と言っているようには見えない。

あまり出しゃばった顔をすると反感を買うので、俯き加減で控えめにしていると言えなくもないが、明らかに浮かない顔といった感じがする。

浮かない表情だから、既に無理矢理関係させられて、脅されている…と解釈できなくもないのだが、表向きでは「先生、先生」と奉らねばならない一方、何とか隣で得意気にマイクを握る強面の男を避けたいと思っているようにも思える。

勝手にはしゃぎ、興奮気味のプロデューサーと、乗り気に見えない主演女優。

話の内容は爽やかスポーツものだが、本作が一般的には殆ど知れていないほど、全くヒットしなかったのもわかる気がする。

 

私の見立てでは、この梶原一騎という人物は、育ち方にコンプレックスがあったのか、手の届かない高嶺の花の美女をモノにしてやろうという願望があったのではないかと思えるのだ。

そのためには口八丁手八丁。いわゆるビッグマウスではなかったかと思えてならない。

如何にもヤ〇ザ然とした風貌といい、相手が男であろうと女であろうと気に入らないと鉄拳を加えるというエピソードといい、自分を強面という鎧でガードしなければ、自分を維持できなかったのだろうと思える。

それに手下共の手前、数多の”武勇伝”を演出しないと、示しがつかなかったとも思える。

 

「お味云々」の記述こそ、名誉棄損の訴訟ものだと思うのだが、如何だろうか。

「B子ちゃん」のエピソードは、梶原一騎の見栄からくる想像の産物。そう考える。

 

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翌1984年初頭から始まるNHK大河ドラマ『山河燃ゆ』の制作発表が1983年秋に行われた。

その時、島田陽子さんは欠席したらしく、それも新たな「スキャンダル」として報じられた。

梶原一騎~白冰冰による"ヌード写真疑惑事件"が、まだ尾を引いていたから、雲隠れしたのだろうというわけである。

飛行機の乗り継ぎが間に合わなかったと釈明がなされたが、恐らく本題とは無関係のスキャンダラスな話題に、節操のない週刊誌記者たちが群がり、発表会が滅茶苦茶になるのを避けてのことだったのだろう。

こういうエピソードも、後になれば、全て”島田陽子のスキャンダル”として、人々の中に朧げな記憶とされていく。

 

結局、飽きられたのか1984年には騒動もすっかりなりを潜め、専ら『山河燃ゆ』一色になっていくが、その中で新たな”ロマンス”として、某サッカー選手との結婚報道があった。

互いに世界を股にかけて活躍する者同士、魅かれ合うものがあったとされる。

そのお相手・S氏に対し、今でいう”逆プロポーズ”がなされ、結婚秒読みとまで一部で報道された。それが1985年頃迄続く。

 

この話は全くのでたらめとは言えないように思えたが、島田陽子さんのほうが年上ということもあってか、先方の親御さんから賛同が得られず、いつしか破局を迎えたと雑誌記事にはある。

 

その後、暫くは雑誌報道も落ち着きを見せるが、翌1986年には先に挙げた『懺悔録』の紹介により、再びスキャンダラスな話題が蒸し返されるかのように思えたが、それが拡がることはなかったようだ。

 

真如苑の広告塔云々として、野球場で教祖に膝まづく姿が写真週刊誌に報じられたのもこの時期。

やはり先の破局が精神的ダメージを与えたということであろうか。

 

更に翌1987年暮れ、いよいよ問題の映画『花園の迷宮』の話題が登場する。

最初は撮影のため、帰国した島田陽子さんの様子が紹介されたが、記事のタイトルは「帰ってきた"国際派"女優」。

島田陽子さんは主演で、戦前の横浜で娼館を営む女将・多恵の役。

凝ったセット内で次々に起こる謎の死亡事件。

どうせ大したミステリーではないので、思い切りネタばらしすると、実は全ての死亡事件は、多恵が釜焚き夫・壮介(これが内田裕也なわけである)に命じて、殺しをさせていたのだった。

クライマックスシーンは、娼館に火が回る中、多恵が全裸になって壮介を挑発する。

「来な、抱いてやるよ!」

そして濃厚な愛欲シーンがねっとりと描かれるが、多恵が壮介の一物を噛み切って、そのまま全て業火に焼き尽くされる。

 

そんな筋だった。

 

決してYahoo!ニュースで一部記されているように、内田裕也が島田陽子をレイプする話ではないのである。

 

本作を撮ったのは伊藤俊也という監督で、『女囚701号/さそり』(1972)が最も有名な監督作品であろう。

撮影担当共々、女優・島田陽子のことをそれまで殆ど知らず、『白昼の死角』(1979)などを観るにつけ、顔の表情に乏しく、徹底的にしごき、変えようと考えたそうだ。

撮影現場では度々主演女優に対する罵倒、怒号が飛び、島田陽子さんは化粧室に駆け込み、悔し涙にくれたこともあったという。

それを慰めたのが共演の内田裕也だったらしい。

又、最近出てきた逸話では、フルヌードでの絡みに躊躇していたところ、内田裕也が手紙を渡し、その内容が“この撮影をしても、あなたの品位はなんら貶められません”というものだったという。

 

現場は、ラストのフルヌードでの絡みを、出たとこ勝負でやっつける積りでいたとか、島田陽子さんも詳しい内容を知らなかったとか、そう書かれている記事も、この度の追悼の中で目にしたが、幾ら何でもそんなお粗末なことがあるものだろうか。

 

伊藤俊也という監督は、小柳ルミ子を脱がせた『白蛇抄』(1983)の監督でもある。

女の情念、本性を曝け出してやれ、という作風のように思える。

上品とか清楚とか、女性のそうした特質には全く価値を見出さない人ではないかと推測する。

 

その時、思い至るのは、S氏との破局である。

ここでも”プライベートで恋に破れると、自分の身を擲って、半ば自棄気味に裸身を晒すような役にのめり込むことで、心の傷を忘れようとする傾向”が、本作への出演に至った心理ではないかと思うのである。

 

本作において、島田陽子さんは実に酷い目に遭わされている。中尾彬に顔を踏みつけられ、腹を蹴り飛ばされる。伊武雅刀には爪の間にペンを突き刺され、倒れたところを頭からバケツの水を浴びせられる。

 

ここまで来ると、「女の情念」の域を超えている。

ただ”お上品ぶって取り澄ました顔の島田陽子を痛めつけてやれ”という悪意を感じる。

 

*****

 

1988年春、写真週刊誌が”お忍びハワイ旅行"をすっぱ抜いた。

 

以後のいきさつは冒頭で取り上げた『爆報!』でも語られていたが、アメリカでは芸能人同士のカップルが堂々と仲良くしている。

自分たちもこそこそすることなく、堂々とすればいい。

島田陽子さんはそう思ったと言っていた。

悪く言えば居直りだが、現代のほうが”自分というものをしっかりと持っていて、周囲の顔色を窺わないカッコいい女”として好意的に受け止められるかもしれない。

事実、『爆報!』放映時、最後にご意見番格のテリー伊藤が「今まで誤解していた部分もあります。見事な女です。」と言っていたのが印象深い。

 

内田裕也という人物は、有名な割には、一体どんな功績を残したのか、よくわからない人物であった。

ただ、ロック歌手で、アメリカかぶれだったことは間違いなさそうだ。

発言の度に、末尾に「ロックンロール」と言ったり、「シェイケナベイビー(= Shake it up, baby)」という口癖がある、よく知らない一般人からすれば、”何か物言いが妙で、ちょっとイカレた強面の面白いオッサン”という印象しかない。

今、これを綴っていて、確か他に似た印象の人物がいた筈だと、懸命に思い出したが、元ボクサーの輪島功一氏の顔が浮かんだ。

 

調べてみると、「Shake it up, baby」自体は、かのビートルズの唄のワンフレーズだということで、「踊り、叫ぼうぜ、ベイビー」位の意味らしい。

 

お調子者の口先野郎という感が否めないが、アメリカかぶれで大口叩くというのが、厳しい演技指導で痛めつけられ、傷ついた女性には、違う世界へ自分を連れ出してくれる頼もしい、これまで自分の周りにいたのとは違う男と映ったのかもしれない。

『将軍 SHOGUN』を機に、日本の芸能界の、狭隘な料簡、いつまでも自分を同じ鋳型に嵌めようとする感覚に嫌気が差し、アメリカ志向が強まったのは、当時の島田陽子さんに雑誌インタビューにおいても、又、先の著作においても明らかである。

嫌な言い方をすれば、”アメリカかぶれ同士、意気投合した”ということになる。

 

それまで、内田裕也は、大麻取締法違反で逮捕されたり、俳優としてもエロ作品で、女性を襲う役が大半だったり、又、1981年には妻・樹木希林の了承なしに離婚届を勝手に提出し、離婚を認めなかった樹木希林から訴訟を起こされ、離婚無効の判決が下ったりと、演じた役柄以外においては、無鉄砲で粗野な、今でいう”やんちゃ”な、悪印象の強い人物であった。

(因みに私はこの”やんちゃ”という言葉が大嫌いである。無法者の悪行を、この言葉によってごまかし、薄め、うやむやにしてしまおうというニュアンスを強く感じるからである。)

 

そんな無鉄砲で粗野な男が、慰めてくれたり、丁寧な言葉の手紙を寄こしたり、果ては撮影が終わると花束を持って待っていたりする。

今でいう”ギャップ萌え”というやつである。

 

”ギャップ萌え”に加え、”優等生コンプレックス”というものがあったのではないか。

「優等生」というレッテルから逃れたい。

そう苦悩してきたのは、先の著作からも明らかで、そういう面を押し付けてこない人物が内田裕也だったとも思える。

 

『花園の迷宮』紹介記事で、内田裕也が、

「向こうがショーグンなら、こっちはロックンロールだ!ショーグンv.s.ロックンロール!!イェーイ!」

そんなことを言っているのを読んだ記憶がある。

既成概念に囚われない。

それは間違いないとは思える。

 

これは私見だが、世間的には煙たがられている無鉄砲で粗野な男が、実は気配りのできる繊細で真面目な男で、だが世間はその美質を知らない。

私だけが本当のこの人の姿を知っている。

私が付いていなければ、この人は何をしでかすかわからない。

私がこの人を、真人間に立ち直らせるのだ。

…そんな心理が働いたのではないかと推測する。

 

又、美人には、自分を誉めそやし、腫物扱いする男は多数寄って来るが、美人だからといって遠慮することなく、自分のペースで物おじしない男は珍しく、新鮮に映るのが常だ。

或いはそういう男は強い男に見える。

女性の本能として、強く映る男を求める心理もあるかもしれない。

 

美女と野獣カップルの多くは、そんな理由から成立するのではないかと思っている。

女性側が優等生で、粗野な男をうまく制御できれば、ある種の美談と言えようが、これがAVなどだと、粗野な男の床上手ぶりに、優等生美女がすっかり快楽に落ち、立場が逆転してしまうというステレオタイプの筋になる。

梶原一騎の作品世界では、優等生美女に支配されることなく、破天荒を突き進む粗野な主人公。最後は優等生美女も男の応援に回り、男は成功をもぎとり、ついでに美女も手に入れる。

 

島田陽子&内田裕也の場合も、女性がこの男の傍にいて、道を踏み外さないよう見張っていて、立ち直らせるのだ。最初はそう思っていたのが、男の無鉄砲パワーが強力すぎて、結局、女性の側が引きずられ、感化される結果になったのだと思っている。

 

島田陽子さんは妹が2人いる長女だ。

人に何かをしてもらうよりも、何かをしてあげたい、世話を焼きたい、そんな気質だったのかもしれない。

 

ともあれ、内田裕也にお金を貢いでいる。

そんな報道が盛んになされるようになった。

 

一方で、仲睦まじそうに共に行動する姿が報道された。

当時のエピソードが今でもインターネット上には転がっている。

短期間のうちに車を何台も買ってくれたが、全てローンで、兎に角金遣いが荒く、カード枠目いっぱいまで使ってしまうため、なかなかローンが通らなかったが、何とか通してもらえた。

滅茶苦茶だが、やはりVIP客だったという、カーディーラーの話とか…。

”しぇいけなべいびー”に完全に引きずられ、後先考えず、「国際女優なんだからもっともっと使っちゃえ」と、堅実さを失ってしまったのかもしれない。

時はバブル期真っ只中。

一般人の間でも、妙なイケイケムードが日本中に満ち溢れていた。

 

内田の妻・樹木希林は、それでも頑として内田と別れようとはしなかった。島田陽子さんとは大昔、『いとこ同志』(1972)という連続サスペンスドラマで、共演している。

まだ悠木千帆という旧芸名の時代である。

その時の印象が残っていたのかもしれない。

「あの小娘がウチの亭主を寝取りやがって。許せん」というわけである。

妻の意地もあったのだろう。

 

1991年、内田裕也が東京都知事選に立候補した。

"愛人"の島田陽子さんは、この時、NHK報道局長の磯村尚徳氏を支持していたらしいが、内田には選挙カーを始め、選挙費用を全て出したと言われている。

この時のことも朧げな記憶に残っているが、泡沫候補と揶揄された割には得票数が5万票を超え、5位につけたとのことであった。

政見放送を当時見たのか見なかったのか、とにかく妙な横文字だらけの碌な公約を述べず、演説せずにただ演奏するという、目立ちたがり屋、自己顕示欲の塊の人物に思えた。

試みに、調べてみると、選挙公報や政策にはこんなことが書かれていたそうだ。

「NANKA変だなぁ! キケンするならROCKにヨロシク!

 Love&Peace Tokyo」

「GOMISHUSHUSHA NO TAIGUU O KAIZEN SURU」

はっきり言って、正気の沙汰ではない。

クスリでもやっているのか?と言いたくなるほどである。

 

後に内田裕也が死去した時、島田陽子さんがインタビューに答える記事をインターネットで見たが、当時大々的に報じられていたように内田からDVを受けたことは一度もない。一貫して私の前では真面目で、大人しく、暴力も振るわなかった。別れたのは都知事選に立候補すると言い出し、自分は止めたが、振り切られ、結局考えが合わず、合意で別れるに至った。

という内容であった。

 

どうもこれは、いつまでも昔のことをほじくり返さないでほしい。

それと亡くなった嘗ての愛人へのリップサービスに思われてならない。

 

当時、横浜ベイブリッジの近くに豪邸を構えていたと言われるが、そこで連日のように男の怒号と女の叫び声が聞こえる。

ある時、近所の人が様子を見に外へ出ると、女性が寝巻姿のまま、屋根で「助けて~」と叫んでいる。男が包丁を持って「この野郎」と女性を追い回している。

そんな記事が載ったこともあった。

 

内田裕也が暴力を振るわなかったなどとは絶対に信じることはできない。

 

随分後になり、総白髪に黒い服、ステッキを持つ、何やら怪人めいた姿に変貌してしまった内田だが、交際していた50代女性に別れ話を切り出されると、相手を脅迫した挙句、勝手に相手宅の鍵を付け替えて侵入し、逮捕された。

 

幾ら否定しても、隠そうとしても、人間の本質が変わらぬ以上、似たようなことは繰り返される。

 

当時近くにいた関係者の方たちも、こぞって内田裕也との交際をやめるべきだと多分、島田陽子さんに言って説得しようとしたに違いない。

しかし、得てして恋の炎に身を焦がす当事者というものは、周囲にそういうことを言われると、ますます依怙地になって、恋の相手にしがみつく。

そういうものなのである。


この不倫騒動は、当時の格好の週刊誌ネタ、ワイドショーネタとなったが、如何に弱っているところに救いの手を差し伸べてくれた人物だったにせよ、これだけは言いたい。

「島田陽子、何故あんな男に入れあげた?」

それが今も変わらぬ正直な私の感想である。

 

余談になるが、内田裕也との関りができるきっかけとなった『花園の迷宮』。当初の壮介役は近藤正臣氏であったという。

これも歴史に「if」をつけることになるが、もし当初の予定通り、近藤正臣氏が降板していなかったとしたら、どうなっていただろうか。

その後の島田陽子さんの女優人生は、全く違うものになっていたかもしれない。

 

*****

 

この”スキャンダル”を機に、「女優・島田陽子」のイメージは大きくダウンした。

それでもこれまで記してきたように、2時間ドラマなど、以前よりも数こそ減ったが、出演作はあり、全て後で視たものだが、例えば正月5時間ドラマ『源義経』(1990.1.2)(主演:東山紀之)における、金売り千寿役。

義経役は東山紀之で、弁慶は松方弘樹。
義経を奥州藤原氏の下へ導いたとされる「金売吉次」という商人がいるが、本作ではこの人物を「金売り千寿」という女性に置き換え、これが島田陽子さん。
「別嬪」とか「﨟(ろう)長けた」と千寿を形容する台詞が出てくるが、
「﨟長けた」などという言葉、久しぶりに聞いた。

「金売り千寿」役は素晴らしい。
当時、登場シーンを幾度も巻き戻してしまった(!)。
髪形といい、和装といい、『将軍 SHOUGUN』のまり子さんを、そのまま少しあでやかにした感じがしたものである。

 

『名無しの探偵 愛の幻影』(1990.10)は、ニューヨークを舞台にした推理もの。

話自体は大したミステリーではないが、ニューヨークの水に合ったのか、本作においても同時期の『黒蜥蜴』(先述)同様、実に堂々たる黒衣の美女・島田陽子さんが見られる。

 

あまりにも”劇薬”だったと思うが、ともあれ「脱清純派」、「脱優等生」を果たし、代わりに「妖艶熟女」のイメージを獲得した「女優・島田陽子」の姿がそこにはあった。

 

*****

 

少し時が下って1992年。

樋口可南子を嚆矢とするヘアヌード・ブームが押し寄せる中、島田陽子さんのヘアヌード写真集『Kir Royal』(竹書房)が発売された。

世間の関心を集めたのか、売り上げは55万部を数えるベストセラーとなった。

ここからは雑誌記事も、ほぼこの写真集の紹介記事一色。

最近でも、往年の女優・ヘアヌード特集記事などで、未だに取り上げられるほどである。

ここに至り、島田陽子さんを「優等生」とか「清純派」という記事は皆無になった。

イメージチェンジという点では完全に成功している。

 

この時も、内田裕也へ貢いだカネの借金返済に充てるために、とうとうヘアヌードになったなどと囁かれた。

尚、写真家の加納典明がこの写真集を見て、「おばさんの裸なぞ見たくもない」と言ったところ、既に別れた後の内田裕也が激怒したという逸話もある。

 

翌1993年には『YOHKO』という豪華化粧箱入り写真集も発売されたが、こちらは『Kir Royal』の完全な焼き直し。内容はほぼ同一とみてよい。

 

こういう騒ぎの最中に、先に挙げた『丘の上の向日葵』の放映があった。

当時はこうした「スキャンダル」や、ヘアヌードから、目を背けていたこともあったが、妙な先入観なしに、作品中の島田陽子さんを見ることができたのは、後から思えば奇跡的だったのかもしれない。

 

時代は下り、1994年。

NHK大河ドラマ『花の乱』の突然降板事件を機に、世でいう「島田陽子バッシング騒動」が勃発する。

最初は「天下のNHKを袖にするとは太い奴だ」といった論調だったが、やがて元マネージャーを名乗る女性の告発記事が掲載されると、雨後の筍のように次々と金銭トラブルがぶちまけられた。

 

そんな中、3冊目のヘアヌード写真集『quattle』(スコラ)が発売された。

ちょっとストーリー性のある、モノクロ写真も交えた雰囲気ある内容だったが、残念ながら最初のものほどインパクトはなく、当時大した話題にならなかった。

 

今の朝ドラで、”にいにい"が絶対に寅さんになれないのも、金銭トラブルが後をたたず、全く反省の色がないことに起因する。

それに限らず、兎に角金銭トラブルの描写が今の朝ドラには多い。

「よしもと新喜劇」も金銭トラブルの描写の多さという点では同様だが、こちらは毎回連帯保証人になって雲隠れする父親という描かれ方で、安易に保証人の判をつかないように、と啓蒙する内容なので、受ける印象がまるで違う。

 

話を元に戻す。

記事曰く、1000万円の毛皮のコートをツケで買い、踏み倒したとか、

横浜の家のローン支払いが滞っているとか、更には税金の滞納、車の修理代や引っ越し代も払えないとか、果ては無免許運転報道もあった。

これは、国際運転免許証で日本国内を運転していたら、期限切れになっていたという話だったように思う。

後に、プロゴルファー・石川遼が、国際免許証で車を運転していたら、日本国内では無効で、捕まったというニュースをチラッと何かで読んだ。

その時、島田陽子さんのことが頭を過ぎったが、彼女のように石川遼が手ひどいバッシングに遭ったという話は一度も聞かない。

あの違いは何だったのだろう。

人気稼業において、”応援してあげよう”というムードにある人と、ダーティーなイメージがついてしまった人とでは、印象が雲泥の差ほど違う。

 

雑誌の記事で、当時そういうことがありましたよ、と記しているだけなので、本当のところは知らない。

しかし、金銭トラブルの噂は、人気稼業においては致命的だ。

 

あのバッシング騒ぎ当時、「いい加減放っておいてあげなさいよ」そう思いながら、遠巻きに見ていた。

 

遂には”ホテル廊下での奇行事件”などという記事もあり、完全にイメージは”お騒がせ女優”である。

 

『花の乱』出演をキャンセルして出たハリウッド映画の紹介などもなされたが、もはや主役でもない外国映画の出演などでは、バッシング騒ぎの鎮静化など望むべくもなかった。

 

そんな中、『丘の上の向日葵』の後も、後にご亭主となる米山氏との交際は続いていたと思われ、冒頭に触れた『愛するあなたへ』が出版されるが、その情報が知れると、「これまでの男遍歴を赤裸々に語る」とか、”心中未遂事件"とか、恰も告白本が出るように雑誌記事は煽ったが、実際の内容は大したことのない平凡なものであった。

 

「ありのまま、自分らしく生きたい」

というのがこの本の主旨で、「私のエネルギーを、一方的に奪う人」とお付き合いしたこともあるけれど…とサラリと書いてあるが、これは内田裕也のことであろう。

 

先に述べたように、米山氏との結婚も、妻子がいたことから、「略奪婚」と悪しざまに報じられた。

 

SM作家・団鬼六氏から100万円の借金をし、それが返済できず、告訴されたという報道もあった。

それを機に、今度は秘密裡に、主演SM映画の制作が進行していると報ずる記事もあった。

『鬼ゆり峠』の姉役がいいだのと書き立て、読み手の劣情を誘った。

 

この頃から、週刊誌で取り上げられる頻度が減っていく。

たまにセクシーグラビア記事が見られるが、3冊のヘアヌード写真集の焼き直しが大半だった。

Vシネマ『姐極道 菩薩の龍子』(2000)という作品がある。

ここでもヌードを披露しているが、前にも記した、「苦労が顔に出始めた」後のことで、実年齢もそろそろ50歳が近づくとあっては、セクシー路線もきつくなってきた印象があったが、それでもこういう作品が表に出ると、週刊誌はセクシーショットの紹介を興味本位に取り上げるのである。

 

それで、前にも記した「この人は、容姿の衰えを見せ始めてから、どうしてこうも大安売りみたいに何度も脱ぐ?」という印象になった。

 

2011年初頭には、遂にMUTEKIから『密会』『不貞愛』というアダルトイメージビデオが出た。

最初、「島田陽子がAV」「アラ還AV出演」などと紹介されたので、内心驚き、「もうやめてくれ」とも思ったが、既に毀誉褒貶全てそのものとして受け入れる境地にいたので、DMMから取り寄せてみた。

 

正直なところ、感心できる内容ではなかった。

自転車で走っている島田陽子さんが冒頭出てくるが、チェーンが外れて難儀。それをチャラ男が助けて、家に呼び入れ、そのまま情事へ…という内容だったと思うが、話の作りが雑過ぎて、全く感情移入できない。

「AV」というなら、濡れ場が肝心なはずだが、こちらも中途半端で、やはり現在形容されているように、これは「Adult Video」ではなく「Adult  image Video」である。

島田陽子さんと××している自分を想像して下さいよ、という内容にすぎない。

 

当時、「スカパー!」のピンク系チャンネルで、何度か放映もされていたが、その内、リストからも外れてしまった。

 

それでも懲りずに大衆向週刊誌では、袋とじで濡れ場のカットをグラビア掲載したりもしたが、流石にマニアックな需要の境地になってしまった印象であった。

 

「借金問題」は、2021年頃にもインターネット上で報じられている。

近年よくあるのが、会社経営をしている男性が、昔からの島田陽子さんのファンで、伝手を辿って実際に会う機会を得、そこで借金を持ち掛けられ、貸したらそれが帰って来ない。

そういう内容である。

これについては、当事者でないとわからない。

男性側にも下心があったとは思うし、女性側にしてみれば、ファンを名乗って近づいてくる以上、「スポンサーがお金を出してくれた」程度の認識かもしれない。

 

だた、一般社会でもそうだと思うが、一度悪い印象を持たれてしまうと、失地回復するのは余程の覚悟と忍耐が必要で、何をしても悪く言われる、思われる。

世間とはそういうものだ。他人とはそういうものなのである。

 

島田陽子さんが現に亡くなられたからといって、又、ファンだからと言って、今回ここに記したことを「そんなことはない」と全否定することは決してできない。

誇張する者もいただろうし、嘘八百並べ立てる者もいたことだろう。

 

過去にはこういう捉えられ方をしてきた。

それを淡々と振り返ったに過ぎない。

それにしては、随分私情を挟んでいるなぁ。

そう思わないわけではない。

 

以上、一部除き敬称略。

次回へ続く。

前回の続き。

書き始めた頃の構想では、これほど回を重ねる積りではなかった。

こうなったらとことん作るまでだ。

 

「島田陽子バッシング騒動」が起こり始めた。

それより僅かに先の、美智子皇后(現上皇后)へのバッシングを思わせた。

美智子妃の場合、不敬を承知で端的に記すと、”西洋かぶれは皇室のトップに相応しくない”という趣旨のものだったと思う。

「島田陽子バッシング」のほうは、先に記したように、NHK大河ドラマドタキャン降板事件が直接のきっかけであったが、根底にはやはり内田裕也との不倫騒動によるイメージダウンがあったと思う。

金銭問題のトラブルが次々に報じられ、更なるイメージダウンが感じられた。

敢えて言うなら、美智子妃の時も、島田陽子さんの時も、”美しく上品で控えめな女性だと思っていたのが、期待を裏切られた。生意気だ。”という感情によるもので、特に島田陽子さんの場合、”大人しく三歩下がって控えていりゃいいものを”という論調は絶対にあったと思う。

これは何もこの時期に限ったことではなく、『将軍 SHOGUN』の時も日本国内ではあったようだ。

"アメリカで成功するや、化粧が濃くなり、生意気になり、扱いづらく、ギャラが跳ね上がった島田陽子"などと言われたという文章をどこかで読んだ。

 

私は当時、好きな女優が悪しざまに言われるのを正視するのは嫌だったし、又その頃、宝塚観劇趣味が全盛期を迎え始め、丁度いやなものから目を逸らすことになったと当時を振り返ることができる。

 

暫く後、ご結婚されたというニュースを知った。

『丘の上の向日葵』で照明を担当していた男性がお相手だった。

妻子があり、マスコミはこの時も「略奪婚」と報じ立てた。

当時、詳しく調べなかったので、ご亭主のお子さんも引き取って一緒に暮らし始めたのだと何となく思っていた。

 

バッシング騒ぎはひと頃よりは収まり、というよりは報ずる側も、見る側も飽きてきたのであろう。

この頃になると、さしもの美貌も衰えを感じさせ始め、「苦労が顔に出始めた」と思っていた。

2000年を越えた頃には、「2ちゃんねる」の口さがない連中は”劣化”などと書き込んでいるのを目にした。

90年代後半頃から確かリウマチを患っていたと、後で記事で読んだ。

バッシングを受けての心労だけではなく、人知れぬ闘病の苦労ゆえだったのかもしれない。

 

正確にいつからいつまでかは思い出せないが、一時期芸名を本名の「島田陽子」から、名前だけ「楊子」に変えていたことがあった。

後で何かで読んだが、姓名判断で「陽子」のままだと大病すると言われたからということだった。

リウマチとの闘病が頭に浮かんだのかもしれない。

私自身は、その手の人の不幸につけ込む商法を一切信じないたちなので、理解しがたいことだが、人気稼業の芸能人には、宗教に入信する人も多いと聞く。

そういえば、島田陽子さんも嘗ては真如苑の広告塔のように報じられていた時期もあった。

 

後で主だったものは視たが、ヘアヌードやVシネマやら、やたらとヌードを乱発するようになったのもこの時期。

「この人は、何故、容姿が衰え始めた今になって、そんなに脱ぐ?」

何となくそう思っていた。

過去の『白い巨塔』の佐枝子さん役や、『犬神家の一族』の珠世さん役のイメージを、意図して自ら台無しにしようとしているとさえ思えた。

 

しかしながら、前にも記したように「スカパー!」やら唐沢版への相乗りやらで、田宮二郎版『白い巨塔』を視ると、やはり佐枝子さんは美しいのである。

 

数年経ち、『黒蜥蜴』を自分でDVDに焼いたものを久しぶりに見た。

自分にとっては、やはり「島田陽子ファン」を持続たらしめた大いに価値ある作品だと再認識し、『丘の上の向日葵』のビデオテープを発掘もした。

 

それ迄、偶然の機会による出演作品の視聴を繰り返してきたが、ここに至って過去の他の作品群を片っ端から見始めるようになった。

遅まきながら有名作『砂の器』を視たのもこの頃である。

 

あまりにも有名な人なので、掲載されている雑誌や写真等を強いて集めようとはしてこなかったが、オークションの出品物を見ていると、特に1970年代前半は着物雑誌の和装モデルを務められていたことを知った。いずれも美麗なカラー写真である。

 

雑誌そのものを買い集めようとすると結構資金が要りそうだったので、国立国会図書館へ行き、先ずは内容を確認してみることを思いついた。

 

*****

 

国会図書館はそれ迄にも利用経験があった。

最初は鉄道書籍、次は『ブラック・ジャック』の封印作。

館内閲覧はできても貸出は不可。代わりにちょっと高いが、頼めばコピーを取ってくれる。

オークションには随分色々な雑誌が出品ていたが、カラーグラフ特集といってよいものから、モノクロの小記事まで、掲載され加減は様々であった。
まずは現物を見てみたい。そう思い、最初は往年の和装モデルのカラー写真を閲覧しに行った。
大半はコピーをとってもらい、その中で「これは」と思う雑誌のみ原本を購入することにする。

しかし、流石かつて日本を代表する女優だっただけに、私の知る範囲でも、顔写真が載っている雑誌だけでも1千冊を優に超える。

 

やがて永田町に全てが揃っているとは限らないことを知るようになる。

奈良の学研都市(正式には関西文化学術研究都市)に、関西館という分館のような施設があり、新しいためか、所蔵雑誌の種類は少ないものの、東京にないものが一部あった。

 

現在では所蔵資料のデジタル化が進み、状況が一変しているかもしれないが、当時はその過渡期で、所蔵はしていても閲覧不能のものや、たとえ閲覧できたとしても、婦人雑誌などでは表紙が欠けていることもあった。
週刊誌にも東京では閲覧不能状態だが、関西館では閲覧可能というものが多数あった。

奈良方面は多少疎いが、それでも勝手知ったる近畿圏。

これだけが目的ではなかったが、関西旅行の日程に、関西館訪問も加えることにした。

 

交通至便な永田町とは違い、辺鄙な場所にあるので鉄道駅から更にバスに乗らねばならなかったが、東京館とは異なり、殆ど人がいない。

ゆっくりと閲覧したりコピーを頼んだりすることができた。

 

それでもお目当ての雑誌が、数日前は閲覧できていたのが、デジタル化の作業進行に伴い、急に閲覧不能になったりして途方に暮れたこともある。

手持無沙汰になった時、ふと思い付いたのが先に触れたカネボウ化粧品の「素肌のイレーヌ」である。

東京館では、週刊誌は月毎に合冊される。
コピーすると、月初の号でない限り、中央にかなり陰が出来る。
特に、顔が中央に掛かると、折角の美人が一つ目になってしまうほどだった。

関西館では、こうした合冊はなされない。
陰の無い、ほぼ完璧なコピーがとってもらえる筈である。
当時「週刊女性自身」と「微笑」で同じ広告の掲載を分け合っていた。

問題は「微笑」しか正確な掲載号を把握していない広告である。
「微笑」は関西館にはなかった。
掲載パターンから考えるに、同じ広告が「女性自身」にも必ずある筈だと、片端から閲覧申込をしては見返しのみ確認し…という作業を繰り返したが、これはまさしく苦行であった。
来館者が少ない中、40年前の女性週刊誌ばかり繰り返し閲覧する男はさぞ目立ったことだろう。
コピー申込の刻限ぎりぎり5分前にして漸く目当ての号を全て特定でき、どうにかカラーコピーを揃えることができたが、問題はどうやってこれを東京まで持ち帰るかだった。

流石に製図保管の筒などは無いため、A3のクリアファイルを買い、大切に持ち帰ってきた。

 

後に関西館でも逃した週刊誌が、デジタルデータ化が完了しているのを知り、全て閲覧、印刷してきた。
係員の兄さんが「すげぇ、島田陽子だらけ」とボソッと呟いたのが聞こえてしまったが、構やしない。
寧ろそれが望みであった。

学術的な利用が大半を占める中、こうした芸能方面での利用者は目立つのであろうか。

まぁこちらは、テーマこそ芸能だが、学術研究の手法をそのまま用いて、資料収集しているという自負があった。

 

当時はデジタル化資料と、紙資料が混在しており、それらの閲覧方法は結構難しかった。

何度か国会図書館へ通う中で、何故か2回ほど、係員でもないのに他の利用者の若い女性から、利用法を尋ねられたことがあった。

わかる範囲で説明して差し上げたが、何故私だったのだろう?

場慣れした感じに見えたのか、ナンパされたりしなさそうだと思われたのか?

一人は女子大生か院生のような感じだったが、勿論、その女性がどんな資料を閲覧しようとしていたのか、決して立ち入らないよう気を付けたし、当方が何を目的にそこに居るのかも知られないようにした。

嘗て人気を博した某女優の掲載記事を調べていると知れたら、仰天されたことだろう。

 

国会図書館通いを続ける内、”毀誉褒貶"の"誉"、"褒"のみならず、"毀"も"貶"も含めて、私情交えず、あるがままに全て調べてみよう。

そんな気持ちになって来た。

それまで意識的に避けてきた、「不倫報道」、「スキャンダル騒動」についてである。

こうして、言うなれば”島田陽子専科”ではあるが、少なくとも雑誌でのこの方の取り上げられ方の変遷が、概ね40年分俯瞰できるようになった。

 

そんな境地に達した頃、最初に記した、心無い人物からの「ありゃダメだ」事件である。

「島田陽子については言いたい事は色々あるが…」

私が続けたかったのは、

「…そんなこと、全てわかった上で、それでも好きだと言っている」

という言葉であった。

 

*****

 

浅草の「マルベル堂」に何度か通ったことがある。


結局、島田陽子さんだけはプロマイドを全部集めた。

(「マルベル堂」では一般に言われる”ブロマイド”ではなく”プロマイド”、"bu"ではなく"pu"と表記する。)


一度に全72種類をくれ、というのは品がないと思い、4回位に分けたが、この店ではプロマイドにそれぞれ番号が振られ、写真裏面に良く見ると番号が記載されている。
後に手帳に控えたが、最初はお気に入りを番号など気にせず選んだので、
重複して買った写真も幾つかあった。

 

ミーハーぽいが、ヅカファン時代、某娘役の大ファンになって、その時スチール写真やら四つ切写真やら、気に入った写真は特注で四つ切に引き伸ばしてもらったりした経験があったので、全く躊躇なく入ることができる。

同じ方の写真ばかりを大量に買うためか、店のお姉さんから、
「四つ切写真に引き延ばせますよ」と勧められ、特に気に入った写真だけ
十枚少々特注した。

黒髪ロングストレートだったデビュー当時の初々しさの残る時代のものや、『華麗なる一族』の1974年前後のもの、1975~7年頃と思われる、私が一番馴染みある時代のもの、『将軍 SHOGUN』以降の、事実化粧が濃くなり自信が表情に現れ出した1980年代初頭のものなどがある。

1980年代初頭以外は全てモノクロ写真である。

四つ切写真は、結局全てモノクロのものから選び出した。


或る時、出来上がりの電話をもらい、引き取りに出向くと、先客に相当年配の男性(お爺さんと言って良い方だった)が、孫ほども年の離れた女性店員相手に何やら熱弁を振るっている。

最初は仕上がり具合に不満があって、クレームをつけているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 

四つ切写真と、確かもっと大きなパネルを引き取りに来ており、焼き付けがどうの、この表情がどうの…と他所では到底理解され得ないこだわりを、専門店のスタッフなら理解してくれるだろうと、大熱弁を振るわれていた。


傍で話を傾聴しつつ、このご老体にとってのマドンナは誰なのだろう?

私は大いなる興味が湧いた。

 

やがて氏は、たった今、自らの所有となった宝物を、さも愛おしそうに大切に袋から取り出した。

そこには若かりし芦川いづみさんの笑顔があった。

やがて老紳士は、思いの丈を語り尽くし、満足したものか、新仲見世通りの雑踏へと消えていった。

 

無論私はこのご老体に話し掛けたりはしなかった。

だが心の中で、「いよっ!御同輩!!」そんな言葉を秘かにその背中に送った。

思う相手は違えども、全く同じ気持ちを感じ取ったのであった。

この辺のエピソードは、嘗て、芦川いづみさんの特集上映に通った時、当blogで記事にしている。(→「恋する女優・芦川いづみ」

当時、宝塚観劇の後、千代田線で北千住。東武伊勢崎線に乗り浅草を目指す。上り電車は皆、北千住で乗客の多くが降りてしまうので、特に6050系快速の朱色のボックスシートに乗れると小旅行気分が味わえた。

スカイツリーが徐々に高くなるのを見やりつつ浅草に降り立つ。
帰りは「アンヂェラス」に寄ってフルーツポンチを頂き、買った写真の整理をする。土産は「舟和」の芋ようかん。

 

そんなことを繰り返していた時期があった。

 

*****

 

2010年10月には、何と『島田陽子に逢いたい』という映画が公開された。

島田陽子さんがご本人役で出ているのだ。

以下、ややこしいので物語中の島田陽子さんは"陽子"と表記する。

冒頭、生島ヒロシが"陽子"対談するシーンから始まる。

主演映画の撮影が進んでいる。病室に病人を"陽子"が見舞いに来るシーン。相手役の俳優に腰部や臀部を触られ、思わず"陽子"は撮影現場から逃げ出し、タクシーに乗ろうとすると、一人の男とかち合い、そのまま同乗することとなった。

男は五郎と名乗った。(演:甲本雅裕)

実は"陽子"の大ファンだったという五郎は、"陽子"と温泉へ逃避行を遂げ、一夜を共にする。

しかし五郎は実は末期がん患者で、やがて衰弱していく。

"陽子"は五郎に寄り添いながら、元妻と娘に、末期がんであることを正直に打ち明けさせる手助けをする。

実は五郎が"陽子"と初めて出会ったのも、病院から逃げ出すところだったのだ。

元の入院先へ戻り、今や五郎は車椅子が欠かせなくなった。

"陽子"が屋上へ五郎の車椅子を押す。そんな中、五郎は"陽子"の胸に抱かれ、静かに息を引き取る。

 

そんな話だったと思う。

末期がん患者の最期を見送るという、本来途轍もなく重いテーマなのに、どこかユーモラスな味わいがある。

話は決して凝ったものとはいえず、温泉場での"陽子"と五郎の濡れ場シーンがあり、その需要も当て込んでのものかもしれないが、それにしてもここでも島田陽子さんが無駄にヌードを披露していて、何だか”脱ぎ、大安売り”に思えてしまった。

監督がピンク映画のいまおかしんじ氏だったので、濡れ場シーンは必然と言えるのだろうが。

とはいえ観終わった後は、何とも言えない爽快感を覚えたのも事実。

淡々とした話の運びに、エロティシズムと、かわいい島田陽子さんも見ることができ、なかなかのものだった。

 

確か本作は「LOVE&EROS」という全6本からなるシリーズ企画ものの1つとして、テアトル新宿で1週間限定でレイトショー上映がなされた。

初公開時、7回しか劇場にかからなかった作品なのだが、タイトルからして「これは一生に一度の経験」と思い立ち、4回観に行っている。

 

確か初日の日曜夜、舞台挨拶があり、島田陽子さんも登壇されていたが、途中もう一度あった舞台挨拶では欠席。

劇場ロビーでは生島ヒロシご本人が、懸命に自著を売ろうとしていたが、全く売れていないのは気の毒であった。

まぁ仕方ないだろう。

本編には全然関わりのない役だし、誰も生島ヒロシを見に来たわけではないのだから。

この時、劇場に足を運んだ客全員が、島田陽子さん目当てで来ていた筈で、もし陽子さんご本人が売店に立っていたら、行列が出来ていたと思う。

 

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この辺で、漸く当blog開設時期に差し掛かる。

島田陽子さんがblogを始められ、読者登録をしてみよう、ならば序にこれまで折に触れ、思うこと、考えることを文章にまとめてみよう、そう思ったのがきっかけである。

 

『わたしは誰⁉』という喜劇を、2011年2月に東京日本橋・三越劇場で、同年10月には大阪へ出向き、上本町の新歌舞伎座にも観に行った。

わたしは誰!?

島田陽子さんは、秋子さんという未亡人役で出ており、重要な役どころ。

主演で座長は中条きよし氏であった。

中条氏の浮気相手が秋子未亡人だったと思うが、出演者全員テンションが高く、島田陽子さんも、「まむしドリンク」を2本“角”みたいに両側頭部に掲げてみたり、ソファに寝そべって両足バタバタしてみたり…と決してTVドラマや映画では見られない姿に、コメディアンヌとしての才能も見出した気がして、大満足であった。

 

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同年暮れには『明日泣く』という映画を観に行っている。

当時の記事の焼き直しになるが、島田陽子さんは梅宮辰夫氏と共に特別出演。

明日泣く2

主人公は武(演:斉藤工)。高校生の頃から流浪(はぐれ)狼のように盛り場を彷徨い、賭けマージャンで金を稼ぐ、無頼の日々を過ごす一方、一人孤独に坂口安吾の『堕落論』を読みふける文学青年でもある。

ふとしたきっかけで同級生・キッコ(演:汐見ゆかり)と知り合い、彼女がピアニストになるのを夢見ていると知る。

音楽教師はキッコの才能を認め、クラシックの指導をするが、キッコはジャズに魅かれており、音楽教師とは衝突ばかりしている。

そのキッコが音楽教師と心中未遂事件を起こし、武の前から姿を消す。

 

22歳になり武は文芸誌の新人賞を獲るが、その後書くことができず、相変わらず賭博に明け暮れ、その日暮らしをしている。

武は、ある日、ジャズクラブでキッコと再会する。

キッコはクラブで前座のピアニストになっていたが、因縁の音楽教師と結婚し、武をジャズクラブへ誘った友達のミュージシャン・島田の情婦となっていると知り、幻滅する。

 

キッコは自らの境遇に飽き足りず、店を辞めて奔放に生きる。

武はルーレット賭博の現場を警察に踏み込まれて捕まるが、幸いすぐに釈放。だが出版社の仕事は差し止められてしまう。

 

キッコは漸く夫と別れ、憧れの黒人ドラマーと意気投合し、トリオを結成するが、メジャーでないため、客足は伸びず、仲間にギャラも払えずにいる。

賭けマージャンに相変わらず勤しむ武にキッコは借金を申し出るが、武にそんなカネがある筈もない。

キッコは武をプロの博打打ちと見込んで、自らの身体を賭けての大勝負を頼む。

 

真剣勝負が始まる。

 

負けが込み、そろそろキッコが吉原に沈む姿がチラついてきたとき、役萬で武は一発大逆転勝利を収める。

 

キッコは大金を手に去っていく。

トリオの人気は鰻上りとなるが、やがて黒人ドラマーが麻薬所持でアメリカへ強制送還。

 

再び時が流れ、髪に白いものが混じり始めるが、武は相変わらず賭けマージャンに勤しむ日々。

そんな折、武は思いがけない形で、キッコの消息を知る―――。

 

特別出演の島田陽子さんは、武に謎の笑みを浮かべ、近づき、心に残る謎の女の役。

以後、暫く当時の記事のコピー&ペースト。

 

謎の女―――役名がないので、そう呼ぶしかない―――は、思っていたより早くに登場する。

 

高校生の武が、喫茶店で熱心に書き物をしている。

はずみでポケットから、イカサマ用の麻雀牌を落としてしまう。

麻雀牌を拾い、意味ありげな微笑みを湛えて近付く、おかっぱ頭の謎の女。

古城2

「あんた、高校生でしょ。」

 

武の書き物のノートを取り上げ、

 

「どれどれ~、やけに気に障る女だった…」

 

滑舌良く読み上げる。

ノートを取り返そうと必死の武をよそに

 

「素敵じゃない。また今度読ませてね。」

 

作家のタマゴの走り書きを笑い飛ばしたりせず、真面目に認めている。その視線は優しく、コケティッシュだ。最初の読者ではないか?

 

ノートを奪い返し、慌ただしく立ち去ろうとする武に上着を渡してやるところに、年上女性の余裕を感じさせる。

 

武の立ち去った後、まだ残っていた麻雀牌を拾い上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべ、胸元にしまう。

小悪魔的な微笑を湛えるボブヘアーの女性。

古城4

最初にこの島田陽子さんを観た時、偶々予告編で見た、鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』に出てくる、大楠道代さんを思い出したのであった。


 

続いて、ルーレットの場面。

喫茶店で、武はノートを読まれたのが気恥ずかしかったのか、荒々しく立ち去っているので、ルーレット場で「謎の女」と再会したのが偶然なのか、彼女から誘われてここへ来たのかはわからない。

 

ルーレットが回る中、思い切って手持ちの万札の束を台に賭ける武。ビギナーズラックで勝ちを収める。

彼女は、自分のことのように喜び、札を武に渡してやる。

 

くわえ煙草をふかしながら、「どんどん行くわよ」と言わんばかりの、彼女の豪快な賭けっぷりに、武は興味を覚える。

 

***

 

武が、新人賞作家になった後、再びルーレット賭博場で、この「謎の女」と再会する。

(この時、武を店にいざない、賭け金を貸す役で出てくるのが同じく特別出演の梅宮辰夫氏。)

おかっぱ頭ではなく、ウェーブのかかったセミロング・ヘアに変わり、黒い色っぽいドレスに身を纏っている。

 

「ねぇ、ちょっとこっちに回してくれない?」

「トイチなら」

「あこぎねぇ。いいわ。10倍にして返してやる」

 

そこへ、サツ(警察)の手入れが入る。

蜘蛛の子を散らしたように皆が散り散りに逃げる中、彼女だけがルーレットの行方に目を凝らし、逃げようとしない。

 

本稿を書く前に、参考に色々調べたら、「人間のクズ」とさえ書かれているが、まぁここでは「勝負に取り憑かれた女」、或いは「求道者」としておこう。

 

***
 

更に時は流れ、再び武はルーレット場を訪れる。

そこには彼女はいない。

 

「あの人は?」

 

周囲の賭博仲間に消息を尋ねる武。すると、

 

「女だろ。…死んだってよ。

何でも、遊びとホテルのツケが1億あったってよ。」

 

直後、再びサツの手入れが入り、今度は武は捕まってしまう。

取り調べで、賭け金のことを聞かれ、本当は10万円なのに、3000万円ということにしてくれ、と武が大見得を切るのは、無頼派作家を名乗る手前もあったのだろうが、ルーレット賭博の大先達であった「謎の女」の桁外れのギャンブル人生への敬意、あるいは少しでも彼女に近付きたいという気持ちがあったのではないか、とつい深読みしたくなる。

 

真相はわからないが、バッシング騒動以降、島田陽子さんご本人にずっと付きまとっていた金銭トラブルの報じられようを、そのまま想起させる人物像ではある。

 

本作の監督は内藤誠氏。『番格ロック』などで有名な映画監督が
24年ぶりにメガホンをとった作品だが、島田陽子さんの特別出演は、監督自らが声を掛けて実現したと、確か監督の著作で読んだ。

島田陽子さんとどういう関連があるのだろうと思ったら、昔のTVドラマ・『腐蝕の構造』で、6・7話の演出をされていたようである。

 

『腐蝕の構造』の時は、島田陽子さんといえば清純派女優の第一人者。

34年の時を経て、すっかり世間的なイメージも変わってしまった。

 

プログラム中で監督がこう語っている。

 

「武はキッコも受け入れるし、編集のみずゑも受け入れるし、島田陽子も受け入れる。…ある意味キッコの旦那のことも憎んでいないと思う。そういう曖昧なまま受け入れる関係を、この映画では描ければなと思ったわけですよ。」

 

島田陽子=落ちぶれた…そのように目くじら立てることなく、淡々とありのままを受け容れる。

そんな境地に立ちえた者だけが、変わらずファンを続けていられる。

…そんなことを思ったのであった。

 

Wikipediaに載っている『彼女は海へ』(2012公開予定)という主演映画は、果たして劇場公開されたのだろうか。そもそも完成したのだろうか。

今となっては全く忘れ去られてしまっている。

島田陽子さんがblog更新をやめる直前、たけし軍団のダンカンのことが出てくるが、どうやらこの作品で共演し、ダンカン一家と親交が生まれたようである。

 

『サンタクロースズ』(2015)と『カノン』(2016)は、共に劇場へ観に行ったが、前者は一応主演で、黒須三太という名のサンタクロース役。仲間のサンタと共に、登場人物に奇跡の幸福を齎すというもの。

後者は三人姉妹の音信不通だったアル中の母親の勤務先・蒲鉾屋の社長役。ゴムのつなぎを着て、魚を扱う、物言いは少々乱暴だが、気風のいい豪快なおばちゃん役であった。

 

『塀の中の神様』(2016)という作品もあり、以前、チラシがオークションに出品されているのを見たことがあるから、完成はしているということだろうか。

法の華の福永法源の半生を描くという、何だか近寄りたくない内容ではある。

 

7~8年くらい前にはBSの番組で、夫君と共に軽井沢の緑の中を歩くゆったりとした番組があったのだが、母上を引き取り、介護をしているとも報じられもした。

軽井沢に移住とも報じられ、失脚した西武グループの元総帥・堤義明氏に近づき、映画記念館だか何かを作ろうとしていると報じられたこともあった。

金銭トラブルの悪いイメージが付けられていたので、その時も、資産家からカネを引き出そうとしているかのような悪意的な内容であった。

 

2月だったか数年前の寒い時期、離婚していたという記事がYahoo!ニュースの冒頭を飾ったこともあったが、コメントを見ると、「そもそも誰か知らない」とか、(女性学者の)田嶋陽子氏と混同する内容とか、余程ニュースがないのだろうとか、そんなことしか書かれていなかった。

当時は、母上の介護で決裂したのだろう位に思っていたが、もしかしたら、ガン告知が理由なのかもしれない。

 

宇宙葬を予約したという記事も読んだ。

常人離れした、随分とスケールの大きな話だな…とも思ったが、スピリチェアル的なものが好きという本人のコメントもその前に読んだことがあったので、妙な方向に走ってくれなければいいが…と内心思っていた。

 

遺作となったのが『エヴァーガーデン』

本年中に公開予定だという。

病を押して鹿児島で撮影が敢行されたそうだが、Yahoo!ニュースの記事によると、映画撮影中にガン宣告をされ、撮影に支障をきたすため、3ヶ月間抗ガン剤治療も延期したとのこと。

映画完成後、粒子線治療にすがったが、因縁深い樹木希林と奇しくも同じ治療法だったとして、内田裕也との不倫騒ぎに結び付ける内容だったが、どうあってもスキャンダルに結び付けようとするこじつけを感じ、あまりいい気はしない。

ともあれ『エヴァーガーデン』が公開されたら、観に行こうと思う。

 

以上、一部除き敬称略。

次回へ続く。

前回の続き。

 

この辺りから、良いことばかり書けなくなってくる。

 

1993~1994年にかけて、NHK大河ドラマの迷走が見られた。

放映期間短縮を図ってか、朝の連続テレビ小説(朝ドラ)のように半年サイクルへの転換を試行錯誤し、その結果、『琉球の風』(1993.1~6)(主演:東山紀之)、『炎立つ』(1993.7~1994.3)(主演:渡辺謙)が、変則期間での放映となったが、不評を博したようで、再び元の1年サイクルに戻すべく、次の『花の乱』は1994.4~12の放映となった。

 

私も当時『琉球の風』は見ようとしたが、テーマに馴染みがなかったことと、昔から一貫して所謂"ジャニタレ"嫌いであることと、何よりも時間の余裕がなかったこと、そうした理由から「つまらない」と思ったら、見限るのは早かった。

結局翌1995年以降は再び1~12月の1年サイクルに戻り、歴史ものが中心となっていくが、この時を機に私は”大河離れ”を起こし、以後は余程気になったテーマの作しか見ていない。

 

『花の乱』はそうした変則放映の最後の作品で、期間調整のため通常よりは短い。

主演は三田佳子。室町時代の日野富子を描いた物語である。

日野富子といえば応仁の乱の元凶とされ、「稀代の悪女」とも言われるが、結局本作を見ていないこともあり、詳しいことは知らない。

ところで本作には大きな特徴があり、日野富子は実は本物ではないというのである。

本物の富子は盲目となったため、異父姉の椿と入れ替えられて富子となり、本物の富子は森侍者として一休に寺に預けられ、長じて盲目の女遊芸者となった。

劇中では”森女”と呼ばれ、富子とは対照的に聖人として描かれ、物語の影の主役ともいえる存在だったという。

 

この森侍者役にキャスティングされていたのが島田陽子さんであった。

ところがハリウッド映画の撮影とスケジュールがバッティングし、『花の乱』を急遽降板。

そのため本作の『NHK大河ドラマストーリー』には、「森侍者役:島田陽子」としてしっかりと掲載され、扮装姿まで載っている。

尚、代役には急遽壇ふみが立てられた。

 

未だ記憶に残る「島田陽子バッシング騒動」のきっかけは、この突然の降板劇がきっかけであり、当時私自身も思い込んでいたような、内田裕也との不倫報道の末ではなかった。

 

NHK大河を捨て、ハリウッド映画を取った格好となったが、その映画は『クライングフリーマン』(1995)だったろうと推測される。

或いは同年の『ハンテッド』だったかもしれない。

後に両方ともDVDで見たが、有体に申し上げて大した作品ではない。

島田陽子さんに関して言えば、前者は和装をはだけての交歓シーン位が見どころで、アメリカ人にしてみれば、「あのマリコが成熟して××シーンを演じてる!」といった下世話な興味本位であったろう。

後者は、主人公を襲う忍者と戦うべく護衛につく武闘家タケダ(原田芳雄)と、その妻ミエコ。それが島田陽子さんの役である。

奮戦むなしくタケダは殺られ、ミエコは弓矢で応戦するが、大怪我を負い、亡くなるのだったか最後は生き長らえるのだったか。

 

この選択が、後から見れば、この人の女優としての活躍機会を著しく狭めてしまったのだから皮肉なものだ。

当時のバッシング記事を読むと、「天下のNHKをドタキャンするとは身の程知らず」的はコメントも見られた。

NHKにそのような居丈高なところがあったのか、現に今もあるのかは不明だが、歳を重ねるにつれNHKドラマをよく見るようになった私の見立てでは、少なくともNHKに気に入られている俳優は男女問わず確実にいると思う。

1970年代の島田陽子さんこそ、まさにその最右翼だったわけだが、この後起こるバッシング騒ぎが、出演者のイメージ重視のNHKに影響を及ぼさぬわけがなく、これ以降、NHKドラマへの出演は1本もない。

『黒髪』という、NHKハイビジョンドラマの主演が『花の乱』放映開始直後の単発ドラマにあるが、恐らくは『花の乱』降板前に撮影されたものであろう。


近頃ではNHKドラマも、”当代の人気俳優を多数キャスティングしておけば、評判は良いだろう”とでもいった、学芸会みたいな、内容の薄い作品が蔓延し、辟易しているが、それでも独自視点の作品や、中年、老年者を主人公としたドラマが時折見られる。

 

島田陽子さんと同年齢の竹下景子さんが、何と70歳で初産を遂げるドラマは未だ記憶に新しいし、同世代の松坂慶子さんが”太ったおばさん”にキャラクターの転換を遂げた後も、時折NHKドラマに出ており、『おもひでぽろぽろ』の創作後日談的話では、あのタエ子が年取っておばあちゃんになった役でも出ていた。

 

NHKのあり方そのものには決して賛同できないが、ベテラン女優のドラマでの活躍機会という点で、同局ドラマの存在意義は今なお大きい。

特に民放地上波が長時間バラエティばかりになり、TVドラマはあったとしても、恋愛もの、刑事もの、医療もの、職業もの、グルメもの、独自生活スタイルものなどに限られ、時代劇も消滅してしまった今、極論すればベテラン俳優の生命線は嫌でもNHKドラマに求めるしかないように、一視聴者としては思える。

 

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大河ドラマに限って言えば、島田陽子さんの初出演作は『黄金の日々』(1978)で、当時は民放の他の連続ドラマとも多数掛け持ち出演していたからか、出番は限定的で、細川ガラシャ夫人役。確か9回位しか登場しておらず、寧ろ若手女優で目立ったのはモニカ役の夏目雅子のほうだった。

 

尚、このモニカという敬虔なカトリック信者を辱めたのが石川五右衛門(演:根津甚八)。

当初は盗賊ではなく、モニカは五右衛門に対し、強い憎しみを抱き、殺そうとするも果たせず、憎しみの中に愛情をも抱くというアンビヴァレンスな感情となっていくも、途中でモニカは病死。

暫くぶりに現れた五右衛門は盗賊の首領となっており、やがて捕まり、ご存じ釜茹での刑に処せられるが、演じた根津甚八は大人気を博し、放映当時、延命を求める声が殺到したという逸話もある。

 

本作では石田三成が随分好人物に描かれており、演じたのは近藤正臣氏。

いわば『続氷点』コンビの再共演だが、『ほおずきの唄』(1975年)など他にもあるので、取り立てて言うほどのことではない。

実質的に幽閉されていたガラシャ夫人のもとを石田三成が時折訪ね、書物を届けるという出番であったが、二人の間には仄かな恋心と信頼関係が築かれていったさまが見て取れる。

ところがガラシャ夫人はほどなくして進退窮まる選択を迫られ、虎の屏風の背後に身を置き、渋るお付きの者に虎ごと自分を槍で突くよう命じ、自害。そんないわばチョイ役に近かったが、強く印象に残るものだった。

思えばこれが後の『将軍 SHOGUN』まり子役の露払い的存在になったともいえる。まり子さんのモデルが、やはりガラシャ夫人だったからである。

 

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次の『山河燃ゆ』は前に記したように、実質的なヒロイン・梛子(なぎこ)さん役。

あまり詳しく記すと本筋から逸脱するので、極力端折るが、主人公・天羽健司(演:松本幸四郎(当時))とは物語後半、不倫とはいえ、心が通い合った恋人であった。

元々賢治とは幼馴染だったが、賢治は鹿児島へ渡り、大学を出るまで日本で過ごす。二・二六事件を機に知り合った政府高官の娘・三島典子(演:大原麗子)と恋仲になるも、日系二世として差別された賢治がアメリカへ強制送還され、一度は離れ離れになる。

アメリカで新聞記者として働き始めた賢治に、ハイスクールの先生だった梛子が恋心を告白するも、賢治から思い人がいると断られ失恋。

梛子は賢治の友人・チャーリー田宮(演:沢田研二)と結婚するが、出世欲が強く、全てにおいて米国寄りで、日本人としてのルーツを顧みようとしないチャーリーと、心の溝を感じ始め、やがてチャーリーの嘘が決定的不信感へと繋がり離婚。

三島典子は、賢治の弟・忠(演:西田敏行)の協力を得、偽装結婚までして米国へ賢治を追おうとするも、太平洋戦争勃発で叶えられず。

そのまま賢治とは音信不通となる。

賢治は親の勧めで、やはり幼友達のエミーと結婚するも、派手好きでアメリカナイズされた生き方を望むエミーとはどこか合わない。

やがて賢治が出征した後、治安が悪化していたリトル東京付近を、周囲の制止も聞かず単身歩いていた時、白人浮浪者たちに暴行され、以来酒浸りとなる。

 

物語中盤の山場は、米軍通訳として志願した賢治と、日本で徴兵された弟・忠が、フィリピン戦線で、敵味方として対峙する場面である。

賢治が咄嗟に発砲した弾が忠の脚に命中し、忠は負傷。

以降、兄・賢治を激しく憎むようになる。

 

一方、離婚した梛子は、父の故郷・広島へ移るも、広島駅で原爆に遭う。

梛子だけが地下連絡通路にいたため、奇跡的に無事であった。

 

賢治は終戦後、日本へ渡り、東京裁判の通訳モニターの任務に就く。

日本語の微妙なニュアンスがわかることを買われ、裁判で通訳が語る日本語を、その場で訂正するのが役目だ。

 

梛子も上京しており、大使館付で来日してきた米国人要人たちに、日本の美術を案内する仕事をしている。

 

やがて賢治と梛子は再会し、梛子に諭された忠は兄・賢治と和解するに至る。

賢治と梛子は心を通わせ始め、賢治は度々梛子の家を訪ね、愛し合うようになる。

賢治の妻・エミーは夫について、息子を連れて来日。3人で暮らし始めていたが、過去の暴行事件のトラウマ消えず、又夫と梛子の仲を疑い、益々酒量が増えていく。

 

賢治は戦勝国が敗戦国の旧軍人らを一方的に裁く東京裁判のあり方に疑問を感じ始める。

モニター任務の場で、赤ランプを幾度も灯す賢治を、早く裁判を進めたい上層部がなじり始め、そのことも賢治の苦悩を助長する。

そうした悩みを打ち明けられ、唯一理解してくれるのが、他ならぬ梛子だった。

 

梛子と別れたチャーリーはGHQの将校として地位を築き、日本人たちから白眼視されるも、意気揚々としている。

 

戦争により賢治と引き裂かれた三島典子は、戦後、米兵のオンリーになっている時、賢治と再会する。

 

物語終盤、梛子の体調に異変が訪れ始める。

被爆後何年も経ってから白血病を発症したのだ。

梛子たちが日本へ移った時、一人米国に残った妹・広子(演:かとうかずこ)は看護婦になり、戦後、広島の病院へ赴任。原爆症患者の看護にあたる。

その妹を頼り、症状が悪化した梛子は広島の病院で検査を受け、入院する。

 

東京に残る賢治は東京裁判で、A級戦犯たちが次々と一方的に「Death by hunging(絞首刑)」と判決を言い渡されるさまに、やりきれない思いを募らせていく。

 

梛子は大量下血の末、危篤状態に陥る。

チャーリーの計らいで賢治は米軍軍用機で広島へ急ぐが、病室へ着いた時には、一足違いで梛子はこの世を去った後だった。

 

賢治はますます苦悩を深める。

一方で家庭では、エミーのアル中を治そうと懸命に尽力し、その甲斐あってエミーは立ち直る。

東京裁判終結後、エミーは子供を連れて一足先にアメリカへ帰国する。

 

チャーリーは天皇陛下と拝謁を果たすと、途端に英雄視され、旧華族令嬢との再婚話も持ち上がり得意の絶頂にいたところを、暴漢の手で刺殺される。

 

全てが終わった東京裁判の極東国際軍事法廷の場で、一人佇む賢治。

やがて彼はこめかみに銃を押し当て、静かに引金を引いた。<完>

 

…結局長い筋書きになってしまった。

 

梛子さんが原爆症を発症し、弱っていく中にあって尚、賢治を気遣い、溢れる涙を堪えつつ、無理に笑顔で送り出す表情が切なくて哀しくて、極端な贔屓を割り引いても、やはり本作のヒロインは島田陽子さんであったと確信する。
先の戦争をこれだけ正面切って描いた作は少ない。
本作は、後になってから、中国製海賊盤によって視聴したもので、東京裁判の場面では、英語の台詞に対する日本語字幕に全て中国語字幕が被せられているなど、決して褒められた視聴環境ではなかった。

一島田陽子ファンとして視聴経験を増すことが主旨だったが、それに留まらぬ、厳かな気分にさせられる作であった。

昨今の、添え物的に戦争について触れる安っぽいドラマとは格が違う。

酷いものになると、戦争悲話が、主人公たちの恋愛成就のダシに使われるのだから、呆れて物も言えない。

 

『山河燃ゆ』は長らく正規版DVDの発売がなかったが、随分後になって日の目を見ることとなった。

高価なBOXだったが、即購入したことは言うまでもない。

 

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島田陽子さんの大河3作目の出演作になる筈だった『花の乱』含め、三作いずれもが奇しくも市川森一氏の手による脚本であった。

 

1985年に『東芝日曜劇場・夢の指輪』という単発ドラマがあった。

市川森一氏が10歳の時、39歳の母を結核で亡くした実話を元に書いた話である。

当時のテレビ誌の紹介記事に、島田陽子さんをイメージして脚本を書いたという市川森一氏のコメントがあった。

それとは別の箇所からの孫引きだが、氏の心情が実によく表れているので、引用させていただく。

 

「最後の見舞いに訪れた日――その日は面会を許されなかったのだが――四階の病室の窓から会えずに帰っていくわが子に、母はリンゴを投げてくれた。私は不意にも受け損じ、リンゴは足下で砕け散った。母は、ダメネェという顔でバイバイと手を振り、私と妹はリンゴの破片を拾って帰った。それが母との最後だった。あの時、リンゴをキャッチできなかった口惜しさがいつまでも残っていて、せめて、ドラマでなり受けとめてやりたいと思い続けていたのが、やっと実現した」(テレビドラマデータベース

 

市川森一氏はそれ以外のコメントにおいても、島田陽子さんのことを随分と評価していたと思う。

 

『花の乱』降板事件を機に、市川森一氏から訣別されるに至ったのかは不明だが、派手なアクションものなどではなく、情感籠った文芸ものをもっと見てみたかったと思う一ファンとしては、NHKドラマへの出演の道が途絶えるきっかけとなったこの出来事が、今でも惜しまれてならない。

 

それにしても、この度の島田陽子さんの最期。

『山河燃ゆ』の椰子さんとの符合を感じてしまうのは私だけであろうか。

 

 

以上、一部除き敬称略。

次回へ続く。

前回の続き。

 

1984年に入ると、NHK大河ドラマ『山河燃ゆ』が始まった。

『春の波濤』『いのち』へと続く、後に「近現代三部作」と言われた最初の作品である。

主演は松本幸四郎(現白鸚)。

「移民の話よ」とだけ母から聞き、それ以上の興味は当時抱かなかった。

何となく、広大なアメリカの土地で平穏に農業を営む一家の淡々とした様子を想像したのである。

後で視た時思ったが、これは移民というよりは、日系二世の目を通して見た昭和史そのものであり、東京裁判の物語でもあった。

島田陽子さんが重要な役で出演していた。

そのことも随分後で知った。

『山河燃ゆ』については後でまた取り上げるが、ここでは、現在言われているように、主人公が日本で憧れたご令嬢役の大原麗子さんがヒロインではなく、内容からして島田陽子さんこそがヒロインであったと述べるに留める。

 

その後、私自身の周辺の環境も著しく変化し、島田陽子さんの視聴機会なきまま数年が経った。

 

次にその名を耳にしたのは例のロック歌手との不倫報道であった。

「何で?」という気持ちが強く、敢えてそこから目を背けたふしがある。

 

そんな中、巡り会ったのが1990年秋の『黒蜥蜴』である。

先に取り上げた天知茂氏主演作品群の力で、江戸川乱歩原作作品はこの頃つぶさにチェックしていたので、本作も視聴機会を得た。

そこには往年の『将軍 SHOGUN』の頃よりも、年齢を重ね、とはいえまだまだ衰えない美貌の、妖艶熟女のイメージを新たに纏った島田陽子さんがいた。

物語自体はあまり褒められたものではない。

小野寺昭演ずる明智小五郎は、天知茂を見慣れた目には、随分と優男に見えたし、冒頭、殺人事件を起こして「マダム」に拾われる雨宮潤一青年演じるベンガルは、お世辞にも原作で描かれる美青年には見えなかった。

誘拐される宝石商の令嬢・早苗さん役は鳥越マリという女優が演じていたが、緑川夫人の方が遥かに美しい。

有体に申して、島田陽子さんの引き立て役に見えたものだ。

 

その緑川夫人ことマダムの登場シーン。

プロボクサーの雨宮潤一は地方巡業に出ると妻に嘘をつき、家を空ける。

案の定、妻は男を引きずり込み、浮気三昧。

そこへ巡業中の筈の雨宮が突然帰ってきて、浮気妻と愛人を包丁で滅多刺し。放心状態で雨の町を彷徨い、橋の上で川に身投げしようかと佇む雨宮の元へ、黒塗りの車がスーッと近づき、窓が音もなく開くと、そこには黒いドレスで身を纏い、黒いつば広帽を目深に被った白い肌の美女の姿。

白い顔に真っ赤な唇。そのルージュがそっと微笑む。

思わずゾクリとしたものだ。

 

更に印象的なのは、原作の通天閣から横浜マリンタワーへと舞台が移された、誘拐された早苗さんの身代金に巨大なダイヤ「エジプトの星」を受け渡すシーン。

宝石商・岩瀬庄兵衛がダイヤ持参で待っていると、黒衣の美女がやはり黒いつば広帽を目深に被って現れた。

いまいましそうにダイヤの箱を渡す宝石商。

蓋を開けると眩いばかりの光を放つ巨大ダイヤ・エジプトの星。

「まぁ…何て立派な輝きなのでしょう…」

目を輝かせる黒蜥蜴。

その時だけ、島田陽子さんの表情が可愛い。

女賊なのに言葉遣いも立居振舞も、あくまで丁寧で上品だ。

それが島田陽子版黒蜥蜴。

老人は、”今、わしがあんたを襲ったらどうするんだね”と尋ねると、双眼鏡の向こうに黒蜥蜴の部下がこちらをやはり双眼鏡でみつめている姿が。

黒蜥蜴に危険が及べば、たちどころに別の場所に監禁してある早苗さんの命がなくなると言われると、岩瀬老人は、その周到さに呆れ、いまいましそうにすごすごと宝石を渡したまま先に返される。

 

黒蜥蜴は一計を案じ、売店の老夫婦に「悪い男に脅されている」と言って、奥さんと衣装を交換し、みずぼらしい着物姿になって塔を降りる。

タクシー(旧型の三菱デボネア!)を拾うと、車内で老婆のメイクを落としにかかる。変装を解いていくと島田陽子さんの顔が徐々に現れる。

しかし、裏の裏をかくのが明智小五郎。

実は売店の老夫婦の夫に一足先に変装しており、こちらも車を拾ってカーチェイス状態に。

そして船上での名探偵と女賊の対決。

明智は黒蜥蜴に銃を向けられ、絶体絶命。

「どうせなら君に一発で仕留められたい。正確に左胸を狙ってくれ」

と請い、弾は望み通り命中。明智は海の藻屑と消える。

 

その時、黒蜥蜴の頬には一筋の涙。

いつしか敵同士魅かれ合うようになっていた。

 

クライマックスの黒蜥蜴のアジトの場面。

美しいものに目がない黒蜥蜴は、誘拐した早苗に宝石や美術品を自慢げに見せびらかす。だが本当の彼女の大切なコレクション…それは人間の剥製。これまで誘拐してきた若く美しい男女たちを殺害し、美しい姿のまま剥製にして永遠の美を与えてきたのだと話し、早苗もコレクションに加わるのだと言い放つ。

そこへ登場するのが明智小五郎。

実は明智は胸ポケットにライターを入れており、黒蜥蜴の正確な射撃は、ライターのお蔭で明智は命を落とさずに済んだ。

警官隊の突入を目にした黒蜥蜴は、最早勝ち目なしと見て、奥の私室へ逃げ込む。

壺に手を突っ込む黒蜥蜴。中にはコブラがとぐろを巻いていた。

明智が単身訪れ、「貴方一人だけなら…」と部屋に招じ入れた時、既に黒蜥蜴の手首にはコブラの噛み傷があり、そのまま彼女は明智に抱かれて息を引き取る。

 

以上が島田陽子版『黒蜥蜴』の大筋だが、本作には他のバージョンにない大きな特徴がある。

それは黒蜥蜴の腕に這う、その名の由来となった蜥蜴の刺青のいきさつ。

それと彼女の秘密。

物語冒頭、パリの病院で何やら治療を受ける女性の姿。

やがて物語が進む中、黒蜥蜴が時折、発作の痛みに苦しむ場面が登場する。

本作では白血病に侵され、余命いくばくもない設定になっている。

そして元々は愛する男性との子を産み、男の側が金持ち一族ゆえ世間体から引き離され、単身愛の結晶を育てていこうとするも、住処を突き止められ、愛する我が子さえ奪い取られてしまった過去があった。

その子の肩口に黒い蜥蜴様の痣があったのだ。

その絶望、悔しさから、若く優しい母親は、愛する我が子を忘れじと自らの腕に黒蜥蜴の刺青を、痛みに耐えながら彫っていく。

 

原作の『黒蜥蜴』といえば、冒頭で「宝石踊り」という裸踊りをナイトクラブで披露する奔放で男勝りの女賊。

今から40年前、新橋演舞場が改装なった時の杮落し公演の演目であった『黒蜥蜴』の舞台を、家族全員で観に行ったことがあった。当時既に熱心な乱歩ファンだった私のへのプレゼントだったと思う。

その時の黒蜥蜴役は小川真由美。明智役は中山仁。

小川真由美は、かの天知茂の『江戸川乱歩・美女シリーズ』でも『悪魔のような美女』で黒蜥蜴役を演じ、原作に沿った男装も披露し、小悪魔的魅力を発揮している。

 

その意味では原作のイメージにぴったり合うのは小川真由美のほうで、島田陽子さんに男装させるほどの冒険は本作ではなされなかった。

黒衣の令婦人という点では申し分ないが、やはり大胆不敵でふてぶてしい女賊とするには多少無理が感じられたのか、元は幸せな一人の女性だったのが、愛する我が子を奪われ、絶望して女賊に身を転じた上、白血病で余命いくばくもない運命をも背負う設定が加わっている。

 

ネタばらしになるが、クライマックスシーンでもみ合う時、誘拐してきた早苗さんの肩口が露わになると、生き別れになった我が子を示す黒蜥蜴の痣を見つけ、愕然とする女賊・黒蜥蜴。

あろうことか我が子を殺し、剥製にしようとしていたのだ。

 

こう書くと少々いやらしいが、白血病による痛みの発作(本当にそのような疼痛があるのか疑問だが)が出た時、苦悶の表情を浮かべ、苦しみの吐息を漏らす島田陽子さんのお姿が何とも悩ましいのである。

 

それにしても名探偵と美しき女賊の恋というロマンティックなテーマがありながら、本作のラストシーンはあまりにも淡白だ。

三島由紀夫脚本の、「本物の宝石は死んでしまった。」の再現は、脚本家が違うから無理だとしても、黒蜥蜴は毒を煽って死んだわけでもないのだから、せめてキスくらいはしてあげなさいよ。

そう思う。

我らが天知茂なら、絶対にもっと情のこもった別れを演じたはずだ。

そう思うのは勿論、氏の遺作となった『黒真珠の美女』で見せた、あの何とも余韻の残る退場シーンを見ているからである。

 

その後、何度も『黒蜥蜴』は映像化され、1993年には岩下志麻版も登場した。そこでは雨宮青年が津川雅彦演ずるマッドサイエンティストになっており、誘拐してきた若い男女を次々と水の中でしか生きられない人魚に改造し、水族館を建造しようとしている。

そこへ明智が現れ、黒蜥蜴と互いに魅かれ合うのを感じとると、雨宮は元々黒蜥蜴を「マダム」と慕い、絶対服従を誓った男だけに、裏切られた思いを募らせた。最後は黒蜥蜴のことを人魚に改造し、明智の手の及ばぬ、水の世界の住人にしてしまった所で幕。

エンディングはさながら水中バレエの様相。

岩下志麻版黒蜥蜴も妖艶マダムで女賊感が良く出ていたが、貫禄がありすぎて、何だか『極道の妻たち』を思わせたし、如何せんエピローグが奇想天外すぎて、これでは原作の冒瀆である。

幕引きの改悪がひどすぎて、お話にならない。

 

もっと後で松坂慶子版黒蜥蜴も実現したが、『乱歩R』という連続ドラマの1エピソードで、話は端折られていた。

明智役が藤井隆で、しかも三代目を名乗る若造。これでは唐沢版『白い巨塔』の黒木瞳の話を蒸し返すまでもなく、さながら老練マダムと若い燕の火遊びである。

話の筋はともかく、お子ちゃま探偵を手玉に取る、経験豊富なおばさま女賊。そんな不釣合を感じたものだった。

何よりも昔、島田陽子さんとトップ女優の地位を競い合った頃ならいざ知らず、松坂慶子さんが”太ったおばさん"にイメージチェンジした後の姿であり、最早妖艶熟女とさえも言い難いから、比較にならない。

欲目をいえば『水中花』の頃だったらねぇ…。

 

近年相次いで制作されたNHKドラマ2種類も、妙な現代的アレンジが加えられ、女優云々以前に全く感情移入出来なかった。

 

それらに比べれば、島田陽子さんの黒蜥蜴は、まだまだ残る若さと、年齢を重ねた妖艶熟女の雰囲気が丁度絶妙のバランスで溶け合い、優美な雰囲気さえ存分に纏っている。

 

これもファンの贔屓目だが、島田陽子版黒蜥蜴は、(女性が演じた中で)史上最も美しい黒蜥蜴だったと絶対の自信をもって言うことができる。

 

鋭い方なら、わざわざ"女性が演じた中で"とことわりを入れた理由をお察しいただけることであろう。

無論、1968年の丸山(美輪)明宏版黒蜥蜴に敬意を表してのことである。

 

この島田陽子版『黒蜥蜴』は、近年、BS-TBSや、チャンネル銀河、ミステリーチャンネルなどで、相次いで放映されたが、本作も長らく再放送はおろかビデオソフト化もなされなかった。本作における島田陽子さんの美しさをリアルタイムで知っていただけに、大学生当時、VHSの3倍速で録画したビデオテープは長らく家宝であった。

DVDレコーダーを導入した時、真っ先に本作をDVD化したのは言うまでもない。

 

**********

 

その後、再び間が空いて、私は社会人になっていた。

1993年春、東芝日曜劇場がそれまでの一話完結方式から連続ドラマに代わり、確か東芝の一社提供ではなくなった。その第1作目が『丘の上の向日葵』であった。

 

平凡なサラリーマンが、美女と出会い、
「あなたとの間に生まれた18になる子供がいる」と言われるという、
日常から非日常へいきなり引きずり込まれる筋立てに惹かれたのが視聴のきっかけであった。

又、当時は寧ろ、『イキのいい奴』『キツイ奴ら』などから小林薫氏が気に入っていて、見ようと思ったのであった。

原作・脚本はかの山田太一氏。

テーマは「男女間に友情は成立しうるか?」だったという。

『黒蜥蜴』の時もそうだったが、決して、「島田陽子が出るから即見よう」そう思ったわけではなかった。
偶々別の理由から興味を持って観たドラマに、島田陽子さんが居たというのが、当時の偽らざる状況であったが、実際の視聴後は、島田陽子さんの印象が極めて強いものとなった。

考えてみれば、前回取り上げた三作も皆同様である。

 

当時、βのVTRで録画したテープを持っていた。

大分後で、見返してみたいと思い、テープを発掘したが、全12話中の第10話までしか見つけられなかった。

それでもDVD化して、ある時期毎年見ていたことがあった。

 

物語は上で述べた冒頭から、やがてその子供が下半身が動かぬ車椅子の青年であると知り、主人公の平凡なサラリーマン・柚原(演:小林薫)の、芙美(演:島田陽子)への印象が変わってゆく。

柚原は妻(演:竹下景子)、娘(演:葉月里緒奈)の目を盗み、芙美の家を訪れ、青年・肇(演:筒井道隆)とも親交を深めていく。

やがて娘にばれ、娘も矢部宅を訪れるようになる。

娘・信江は、肇が柚原と血が繋がっているかもしれないことを知らぬまま、肇に魅かれていき、このまま取り返しのつかないことになるのを恐れて、柚原と芙美がそれを告白する。

一度は芙美に激しく反発した信江だったが、そう意識しないことにしたと告げ、再び奇妙な父娘と母息子のつきあいは再開する。

夫の様子がおかしい。浮気していると妻・智子が直感し、問い詰めると、柚原は芙美母子のことを白状し、家族ぐるみでの付き合いに発展する。

 

芙美は家庭を顧みぬ父親と、それに苦しむ母の姿を見て育った。それもあって"夫は要らない。子供だけ産みたい"と、さながら今時の一部の女性の先駆けのようなことを思い、ある日酒場へ繰り出して、直感的に「この人と寝よう」と思い、男に近づいたという。

それが若かりし柚原で、女に振られてヤケ酒を煽っていたところだった。芙美曰く、へべれけでも清潔感があった。

「私を買わない?」と芙美は柚原に声を掛け、若い2人は一夜限りの関係を持つ。

芙美はその時柚原の財布からそっと名刺を抜き取り、芙美は一夜の関係で身ごもり、生まれたのが肇。

ところが肇が高校生になった時、バイクをせがまれ、買い与えたら事故で下半身不随となり、祖母に当たったりして一時家庭不和になったが、程なくしてその祖母(芙美の母)が亡くなった。

それを機に肇は物分かりの良い、大人びた子供になった。

芙美は、それ迄住んでいた目黒の家を引き払い、南大沢に移り住む。

肇の父親にふと連絡を取りたい気持ちになり、調べたら、何と同じ駅の反対側同士に住んでいるではないか。

 

そんないきさつから、冒頭の、いきなり見知らぬ美女から声を掛けられ…という話になる。柚原は「ちょっとそこらに居ないような、すらっとしたかなりの美人で…」と会社の同期の友人・東郷(演:大地康雄)に話しているように、元々芙美の美貌に魅かれている。

その美女が嘗て一度とはいえ、又記憶にないとはいえ、自分と関係を持ったと言っている。

いつしか堅物技術屋だった柚原は、芙美と二人で会うたびに、際どいことを言って、芙美に「私と寝たがっているわ」と見抜かれてしまう。

 

柚原の妻・智子が付き合いに加わると、浮気の心配のない関係を提唱され、芙美と柚原は、何だか釘を刺された気持ちになる。

 

その内、芙美の方が柚原にどうしようもなく魅かれ始め、電話越しだが「貴方が欲しいの。貴方が好きなの。」と涙ながらに告白。

柚原は男を見せ、出張帰りと偽って芙美と落ちあい、さぁ待ち合わせ場所へ向かおう…。

それが第10話の終わりで、「続きはどうなんねん!?」…まさに蛇の生殺し状態。

 

10年ほど前に「TBSチャンネル」で本作の放映が何度かあり、ここぞとばかりに録画した。

そうして続きを何十年ぶりかで遂に見るに至った。

柚原と芙美はシティホテルを取り、それまで抑えに抑えていた感情を解き放つかのように、ひたすら身体を重ね合う。

翌朝出社しようとしていた柚原を、芙美がモーニングコールを止めたと言って引き止め、更にその翌日は、今度こそ出社しようと一度は支度をして部屋を出た柚原が、再び部屋に舞い戻って…結局丸2日2晩彼らは行方不明という格好になった。

聡明な肇は母が家を空けた理由を察知し、柚原側からの問い合わせに嘘をついて無関係をでっち上げる。

柚原は一時的な記憶障害を押し通し、会社を何とか誤魔化すに至る。

 

肇と信江、2人の子供たちは薄々事情を察するが、芙美は肇に急に引っ越すことにしたと話し、肇でけは信江に別れを告げに来る。

 

あの事件の後、ぷっつり連絡が途絶えた芙美の家を柚原たちが訪ねてみると、そこには大きな向日葵の花が咲いていた。

 

それきりである。

最終話の最後、街を歩く柚原の姿。

向こうから白いサマーワンピースに身を包んだ芙美が、白い日傘を差して向こうから近づいてくる。

一瞬芙美は柚原に向かって軽く目礼したように見えたが、すれ違いざま振り返ると、そこには芙美の姿はなかった。

 

あゝ…島田陽子といえば、やはり白のイメージなのだ。

車屋の見立ても満更ではない。

 

…そんな話であった。

結構辛口の状況設定で、ピシッとした緊張感がありながら、同時に、何故か全体を包む独特のほんわかとした空気感と、不思議な幸福感が忘れられない作品である。

 

尚、本筋のエピソードではなかったが、柚原の同期:営業の東郷(大地康雄)の妻というよりはパートナー役で、高畑淳子が出演している。

大学教授で子供は作らない。そんな割り切った関係で行こうとしていたのが("ディンクス”なんて言葉が昔あった)、老いのせいか東郷は営業成績トップの座から陥落し、そんな折、柚原の部下で堅物研究員の女性と関係を持ち、女性が妊娠してしまう。

東郷は自分の営業スタイルが時代遅れなのか…と思い悩み、成績トップから陥落したのを機に、出社拒否症になる。

妻に膝を貸してくれと言うや、ガバッと縋りつき、「ボクちゃん淋しいよう。甘えたいんだよう…」と急に幼児退行すると、高畑淳子は大笑いするが、「よしよし」と頭を撫でてくれればいいんだと夫に力説され、何だか妙な気持になってくる。

柚原の部下の女性を妊娠させたことが判明すると、東郷夫婦は女性を家に呼び、「堕ろす、堕ろさない」で押し問答になるが、最後は妻が、それまでの誓いを破り、夫の子を身ごもろうと、大股開きでガバッとのしかかり、激しくキスの雨を降らせまくる。

 

芙美の家に柚原と信江が訪れ、肇も交えた4人で、話に花を咲かせる。

新興住宅街なのに、耳を澄ましていると、どこかから犬の遠吠えが聞こえて来る。

 

柚原の部下(演:野村宏伸)は、技術者のくせに詩人・まどみちをに凝っていて、報告書に「ぐぐぐぐががががげえげえげえ」と謎の誤字を打ち込んだまま柚原に出してしまう。

 

…こんな風に妙なサブエピソード満載の本作。

冒頭の芙美と柚原の、見知らぬ他人の男女が交わすぎこちない会話は、山田太一氏の後の作品『ありふれた世界』冒頭で、仲間由紀恵&加瀬亮が交わすたどたどしい会話を見た時、全く似た雰囲気に思えた。

 

最初のほうの回で、芙美が柚原を家に招き、肇と引き合わせる場面がある。

元々外で会う約束だったのが、芙美が柚原を強引に家へ連れてきて、柚原はすっかり困惑している。

夕食を手早く作るから居間で寛いでいてくれと芙美に言われ、手持ち無沙汰の柚原。

酒を出そうとする芙美に「酒なんてとんでもない」と断るが、家では飲まないわけではないと答える柚原に、間髪入れずに「だったらビール!」とキッチンから缶ビール片手に柚原の方をくるっと向いたり、

別のシーンで、芙美が落ち込んでいると柚原が心配していたと話す肇に、「元気、元気!」とシンク磨きに勤しんだり、

本作の芙美さんはとにかく明るい。

 

中盤。肇に、父親のことを芙美が打ち明け、物わかりのいい様子を見せていたが、下半身が効かないこと、死んだ父親はベトナム戦争の戦場カメラマンで、アメリカの俳優ばりにいい男だったと聞かされてきたのに、それはみんな嘘で、現に平凡なサラリーマンの父親が目の前にいること、しかも娘まで一緒に、家に入り込んでいる。

「ボールを投げるふりをして、気持ちをぶつけてみろよ」と持ち掛ける柚原の言葉で、肇は柚原一家の一人一人にボールを投げる仕草をする。

当時「エアー何ちゃら」という言葉はなかったが、今風に言えば「エアー投球」だ。

柚原へのボールは結構強い。

そして最後は母親・芙美に対して。

剛速球をビシビシ投げ込む肇に、「やだ…そんなの捕れない~」と顔を庇う仕草をするが、やがて肇と向き合い、捕球の動作。

「捕った!…捕ったよね!…」

真顔で言うから却って面白い。

 

本作では40歳を迎えても、まだまだ美しさは健在。それでいてちょっと天然で、明るく可愛い島田陽子さんを見ることができた。

 

本作は新聞に連載された。

島田陽子さんはそれを読み、「もしドラマ化されるなら、芙美は私に演らせてほしい」と山田太一氏に電話したのだそうだ。

それが功を奏したのかはわからないが、ぴったりの配役となった。

島田陽子、竹下景子の両女優は、全く同じ1953年生まれ。

その2人がタイプの違う中年女性として対照的に描かれるさまが興味深かった。

 

『丘の上の向日葵』の視聴もまた、私にとり大きな意義をもつこととなった。

この先どうなるんだろう?と思わせながら、最後はプツッと糸が切れるような唐突な別れ。

何だかキツネにつままれたような不思議な余韻と幸福感を残す、「流石、山田太一作品!」と思わせる内容であった。

 

1990年代。

世間的には島田陽子さんが”お騒がせ女優”、”スキャンダル女優”のレッテルを貼られ始める時期である。

その中にあって、リアルタイムで実際の出演作品を目にし、レッテルを跳ね返す魅力を感じられたことの意義は極めて大きい。

今回取り上げた2作を見ていなかったら、「昔は綺麗な女優だったんだけどね…」で済ましてしまったかもしれない。

偶然の巡り合わせの妙を、今更ながらに感じる次第である。

 

以上、一部を除き敬称略。

次回へ続く。

前回の続き。

 

日本人は、昔も今も、実に不思議な民族だ。

自国の人やモノを、国内に留まっていた時はさほど注目もしないくせに、海外特に欧米で人気を博すと見るや、手のひらを返したようにこぞって礼賛し、両手放しで受け入れる。

我が国の歴史を繙けば、欧米コンプレックスが醸成されても、まぁ致し方ないだろう。

明治期の「欧化政策」等、日本史の教科書で読んだ知識が今も記憶に甦る。

太平洋戦争期の「鬼畜米英」のほうが、例外に思える。

終戦後、日本を木っ端微塵に壊滅させた当の米国が受け容れられたのは、マッカーサーが昭和天皇の戦争責任を追及せず、寧ろ天皇制を活かした占領政策を採ったからだとも言われる。

ともあれ戦後、アメリカは一転、豊かさの象徴、憧れの国となった。

 

近年では、国家レベルの宣伝政策が功を奏したものか、韓国もその一員になりつつある。

個人的には全く理解できない。

どうやら日本の若い世代にとり、韓国は今や、カッコいい、カラフルでSNS映えする何だか楽しそうな国と映るようだ。

他人の趣味、好みにケチをつける気はないが、政治レベルでは日本という国を徹底して悪しざまに言い、政権支持率が下がると、国内の不満のはけ口を日本批判で逸らす。

反日教育をエスカレートさせる。

何度も何度もしつこく過去のことを蒸し返し、その度に謝罪と多額の金銭を要求する。それに応じても、暫くするとまた別の要求をする。ゴールポストの移動…まさに至言である。たかり屋ここに極まれりである。

そんな敵愾心をむき出しにしてくる国が売り込んでくる”スター”を、憧れの対象として崇め、追いかける。

そんな随分とおめでたい、平和ボケした国に、我々は住んでいる。

 

冒頭から、随分と不穏当なことを記した。

 

ともあれアメリカにおける『将軍 SHOGUN』の大成功が、ヒロイン・まり子人気が、”ヨーコ・フィーバー”を巻き起こし、それが逆輸入される形で、日本でも女優・島田陽子が一躍、時の人となった。

 

後に、掲載されている雑誌を求め、国立国会図書館に何度となく通って調べてみたが、『将軍 SHOGUN』関連記事の最初は、制作発表がなされた1979年秋。翌1980年秋には完成作品の概要を紹介する記事がポツリポツリ現れるが、ギャラが世界のミフネ(=三船敏郎氏(虎長役))を抜いて、当時で1億円を超えたとか、私の母が漏らした「あんな役」である入浴シーンのフルヌードが主に男性向け大衆週刊誌でセンセーショナルに取り上げられるのが主だった。

それが1981年に入ると、一足先に米国内で大人気を博し、”凱旋帰国”などと記したり、一家で米国移住としたりする女性週刊誌記事が目立ち始める。ゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞したこともあり、”国際女優”と呼ばれるようになった。

そうして下地が整えられた上での1981年春の8夜連続TV放映なのであった。

ここからの島田陽子人気は凄まじい。

当時、既に受験を経て、何でもかんでもテレビを見る習慣を無くし、限られた番組しか見ていなかった私でさえも、この人の"時の人”ぶりは体感できたものだが、試みにかつて自作した掲載雑誌リストを見返してみると、私の調べだけでも1981年だけで軽く130冊を数える。

 

当時の島田陽子さんの捉えられ方は、それまでの清純派のイメージに加えて、英語が堪能で世界で活躍する知的美女というものだった。

元々バレリーナ志望だったのが、当時としては高身長(171㎝)が災いし、プリマの夢は諦め、女優になったというが、アメリカ人俳優と渡り合うには寧ろその高身長さえ武器となり、実に堂々たるものであった。

 

現代ではバレエの世界でもバレリーナの高身長化は進んでおり、それ位は普通と見做されるようである。

又、モデルの世界では、世界的に活躍するには、170㎝代でも低いと見做されるようだ。

だが昔は感覚が違った。

1970年代のテレビ雑誌を繙くと、例えば『愛の哀しみ』だったと思ったが、ウェディングドレス姿の島田陽子さんが、相手役とのバランスをとるため、ヒールではなく雪駄を履いていたとか、作品名は失念したが、恋人と抱きしめあうシーンで、地面に穴を掘って埋められたとか、有名どころでは私も小学生時代、確実に見ている筈だが、『白い巨塔』最終話で、佐枝子さんが思い詰めて里見先生に告白するシーンでは、里見先生役の山本學氏の下に台が置かれ、上げ底がなされたとか、そんなエピソードが多数出てくる。

余談だが、宝塚歌劇においても、嘗て雪組トップ娘役だった鮎ゆうきが、相手役の男役トップ・杜けあきと組む際、絵的に綺麗に映るよう、背をかがめて演技したという話も昔読んだ。

 

話を元に戻すと、知的美女のイメージからか、この年5月から「週刊女性自身」ではエッセーが連載され、12回に及んだ。

同じく「週刊女性自身」と、「微笑」では「素肌のイレーヌ」というカネボウ化粧品の美麗なカラー見開き広告が掲載され始めた。

これは1983年迄続き、こちらも私の知る限り12種類あった。

島田陽子さんのファンの方は、是非一度ご覧になられることをお勧めしたい。全盛期の美女の、美を前面に押し出した写真が存分に堪能できる。

はっきり申し上げて、後に3冊出版されたヘアヌード写真集のどれよりも、この「素肌のイレーヌ」のほうが美しいと思う。

 

又、別の雑誌だったと思うが、運転免許を取り、いざ車を買いに行き、赤い車が欲しいといったら、ディーラーから「貴女は白じゃなきゃ駄目です」と力説されたというエピソードもあった。

 

『将軍 SHOGUN』に続けとばかり、この年には『リトルチャンピオン』という主演映画も制作された。

米国在住の日系人女性マラソンランナーの自伝の映画化で、厳しいトレーニングを経てフルマラソンに挑戦するが、恋人との間に新しい生命が宿り、身重の体でゴールインするという話だった。

この作品への出演が、後に大きな波紋を呼び起こすこととなる。

 

”国際女優”としての華々しい活躍の反面、日本国内のテレビドラマ作品への出演は、数を減らすこととなる。

2時間サスペンスドラマ等単発作品が主な日本での活躍の場となっていった。

その中で特筆すべきは『球形の荒野』(1981.9.29)であろう。

本作が火曜サスペンス劇場の第1作目なのである。

1975年の映画版のリメイク作品だが、病死した筈の父親が実は名前を変えて生きていることを知ったヒロインが、最後は再会を果たすという筋で、父親役には何と”世界のミフネ”がキャスティングされた。

『将軍 SHOGUN』コンビの再共演。

火サスオープニング作品として申し分ないものであった。

松本清張原作の、戦争の悲劇がじわりと効いてくる作品だが、当時、江戸川乱歩作品や海外ミステリーの翻案作品に夢中になっていた私は、リアルタイムでは視ていない。

清張作品の魅力を知るには、ある程度年齢を重ねなければならない。

そう思っている。

「スカパー!」の松本清張特集に度々ラインナップされるので、今では映画版よりも寧ろ放映機会は多いと思う。

事情があって名乗りを上げることができない父娘が、クライマックスシーンで「七つの子」を唄う。その海岸の映像にやがてエンディングテーマが重なるのだが、勿論・『聖母たちのララバイ』(唄・岩崎宏美)。

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その間、米国でのテレビドラマ『Chicago Story』(1982)へのゲスト出演などもあり、赤ちゃんを抱いている写真を米国の業者から取り寄せたりもしたが、物語の詳細はわからない。

 

1983年放映『赤い足音』は、結婚を控えたOLが住宅ローン返済のため会社の金を横領し、上司に発覚しそうになると、その上司を誘惑して地獄へ引きずり込むという女の魔性を描いたサスペンス・ドラマである。

本作も視聴は叶っていない。

放映当時、高校受験真っ只中で、全くのノーチェックであった。

今なら絶対に録画する作品だが、当時は我が家にVTRもなかったし、見逃したのも致し方ないところである。

エンディングテーマは、こちらもガンにより一足先に亡くなられた葛城ユキさんの『ボヘミアン』

主演女優と主題歌熱唱歌手両名の追悼を込めて、「日テレ+」あたりで再放送してもらえないものだろうか。

 

こうして1981年以降、島田陽子さんは、TVドラマではあまり目にすることがなくなってしまった。

 

しかし、その間に、映画『犬神家の一族』(1976)や、田宮二郎版『白い巨塔』(1978TVドラマ版)の再放送が時折あり、嘗ては顔と名前が一致しない状態で視ていたものが、"島田陽子出演作品”としてしっかりと認識した上で視聴できたのは、この方へのイメージが確定していく上で大いなる意義があった。

 

特に田宮二郎版『白い巨塔』の佐枝子さんは、物語展開上、決して重要な人物ではないのだが、1978年TVドラマ版においては、原作よりもその存在感が増し、オープニング・クレジットにおいて、主役「田宮二郎」の次に「島田陽子」の名が出てくるほどである。

女優デビュー以来の所属事務所の社長が、ワンマンで押しが強い人だったらしく、嘗ての「田宮二郎大映退社&映画界追放事件」ほどではないにせよ、序列に関する強力な”推し”があったことは想像に難くない。

 

再放送によって話の初めからきちんと視ることが叶ったが、物語後半・誤診で訴えられた財前教授と、亡くなった患者の妻役・中村玉緒との法廷闘争が主な場面となる。

中村玉緒のあのベタッとした大阪弁は、同じ関西人でも神戸弁の使い手だった私の耳にさえ、如何にもしつこく絡みつくいやらしさを感じ、以来法廷ものが不得手となった。果ては後の大学受験において法学部への進学を全く考えなかった遠因となったかもしれない。

 

財前五郎が教授就任を果たすまでの権謀術数の数々を描いたのが前半だが、前任で上司だった東教授(演:中村伸郎)と反目しあい、物別れになる。その東教授の一人娘が佐枝子さんである。

佐枝子さんは、医学部教授令嬢でありながら、教授の椅子を巡る醜い駆け引きのさまを目の当たりにし、野心家・財前や、それを阻止しようと画策する父をも内心では嫌悪している。

一方で財前の古くからの友人で、やはり浪速大の内科助教授・里見(演:山本學)は、そのような駆け引きや裏工作とは無縁の清廉潔白な学究の徒である。大学時代の先輩である三知代(演:上村香子)が里見の妻ということもあって、風邪をこじらせた時、大学病院で里見の診察を受け、その後度々里見の団地を訪ねる内、里見先生への思慕を胸に抱き始め、やがて叶わぬ恋に苦しみ始める。

 

里美は、財前が渡独前に手術した胃ガン患者・佐々木庸平の術前検査を財前に進言したが、多忙を理由にそれを聞き入れられず、結局財前は里見に嘘をつき、手術を強行した。

渡独中、容態が急変し、患者は癌性胸膜炎で死亡。

医局員の柳原(演:高橋長英)が、総回診時、検査を進言したのを財前が却下したこと、財前が一度も診に来なかったことなどから、遺族側からの訴訟に至るが、里見は自らの立場保全を顧みず、遺族側につく。

佐枝子さんは、そんな里見の正義感溢れる実直な態度に心打たれ、既に結婚退職していた当時の婦長に証言台に立ってもらうよう奔走する。

それは秘かに心寄せる里見のためでもあるのだが、もっと根底にあるのは組織ぐるみで医療過誤をもみ消そうとする大学病院のあり方そのものを忌避する正義感なのである。

 

唯一リアルタイムで視聴した最終回、あくまで柳原に責任を押し付けようとする財前の汚いやり口に、良心の呵責が限界を超えた柳原が遂に真実を法廷で証言する。

一度は財前側が勝訴したが、この二審では、数々の証言がものを言ったのか、一転財前に有罪判決が下る。

ここからは駆け足だ。

尚、控訴を訴えようとする財前が突然倒れ、検査の結果、胃癌の診断が下る。あれほど反目しあい、物別れに終わっていた東名誉教授に財前は執刀を依頼。opeとなるも、開腹早々肝転移が見つかり、短時間で縫合。

時計の針を進めておくようにという東の指示が子供心に何故か強く印象に残った。

その後、不調は収まらず、鏡を見て黄疸が進行していることに愕然とし、ナースステーションでカルテを見せろと暴れるが、緘口令が敷かれ、真実が告げられないまま財前は肝性昏睡の末、この世を去る。

 

法廷闘争を経て、佐枝子さんは里見に抑えきれない強い恋心を抱くようになる。三千代からは釘を刺され、父親からも諭される。

思い悩んだ末、里見と同期の医師で、最近妻を亡くしたばかりで後妻を探していたネパール在住の田代の元へ嫁ぐ決心をする。両親に相談もなく。

娘のネパール行きを思いとどまらせたい東は、里見に佐枝子さんの説得を頼むが、恋慕を押し殺して異国へ嫁ぐ決意を固めた彼女にとり、当の恋慕の相手からそのようなことを言われるのはあまりにも残酷な仕打ち。

最終話では思い余って里見の研究室を訪れ、自らの想いを打ち明け、里見も思わず佐枝子さんを抱きしめるが、そこへ財前が訪れ、里見に極秘で診断を頼みに来る。

佐枝子さんは別の出口からそっと身を引き、退場。

最終話の終盤、財前を見送った後、東と里見は何ともやるせない気持ちで、特別室廊下の赤絨毯を歩いていく。

そこで東が里見にポツリと言う。

「そういえば、里見君、佐枝子は今朝ネパールへ発ったよ。」

そしてモーツァルトの「レクイエム」と共に、財前の遺体を載せたストレッチャーは静かに病理解剖室へと運ばれてゆく。<完>

 

 

今では「スカパー!」においても、2003年の唐沢寿明主演のリメイク版ばかりが再放送されるが、2000年頃迄はフジテレビ系チャンネルで頻繁に田宮二郎版の放映があった。

唐沢版放映後だったと思うが「2ちゃんねる」の口さがない連中によって、既に島田陽子といえば”スキャンダル女優”というネガティヴなイメージが付いてしまっていたこともあってか、「ニート」、「仕事もしないで不倫願望のくせに正義面している」、「お節介」などと随分悪しざまに、田宮二郎版佐枝子さんのことが書き込まれていたが、私はそうは思わない。

 

田宮版当時は、女性が、特に教授令嬢ともなれば、大学を出た後、勤めに出るのは寧ろ家の不名誉とされ、専ら花嫁修業に勤しむのが習いであった。本来の意味での「家事手伝い」だったのである。

女性が働くのが当たり前という、現代の感覚で捉えるから「ニート」などと言うのだ。

島田陽子版佐枝子さん初登場シーンは、確か歌舞伎鑑賞の場である。

教授夫人たちの集まり・くれない会の面々も同じ演目を観ていたが、佐枝子の姿を目敏く見つけた鵜飼教授夫人は、佐枝子のことを綺麗と褒めるが、"あれこれ選り好みして、歳ももう30近い。今からでは嫁ぎ先は後妻の口しかない。"と陰口をたたく。

 

この時の佐枝子さん役は全く非の打ち所がない。

大げさかもしれないが、絶世の美女と形容して差し支えあるまい。

先に役柄のイメージが、演者のイメージにつながると記した。

まさにその意味では、佐枝子さんの「高潔で清廉、正義感が強い。更に美女。近寄りがたい雰囲気さえある。」というイメージは、少年~青年期の私にとり、そのまま女優・島田陽子さんのイメージになった。

この人を特別だと思った大きなきっかけだったと思う。

 

初登場シーンの和装も似合う。その後の登場シーンで主に纏っていた、ウェストをキュッと細いベルトで絞るワンピース姿も実によく似合う。

実際、あの頃の女性のファッションの流行りだったと思うが、同時代の他作品でも多くの女優が似た格好で登場するし、当時はまだ若かった私の母も、よそ行きには似た格好をしていた記憶がある。

 

これはどう考えても贔屓目にしか思えないのだが、当時のウェストを細いベルトで絞るワンピース姿の女性といえば、どうしても島田陽子さんが、そしてこの人の演ずる佐枝子さんが、代表として目に浮かぶ。

 

随分後になってDVDで視た、前年放映の『森村誠一シリーズ 腐蝕の構造』の久美子さん役も、佐枝子さんと同じイメージだ。

物語冒頭、生真面目で堅物の上司・雨村(演:篠田三郎)のプロポーズを受け、家庭に入った時、この人には珍しく、「Happy birthday to you」を何度もご機嫌に歌っている、白いワンピース姿の新妻役を鮮明に覚えている。物語はこの後悲劇に向かって行くが、考えてみれば『白い巨塔』も悲劇的結末で、佐枝子さんのネパール行きも決してポジティヴな捉えられ方ではない。

 

 

2003年、『白い巨塔』がリメイクされると知った時、財前、里見を誰が演るのか?唐沢寿明、江口洋介が逆の方がいいのではないのか?

そんなことを思ったが、次に私の脳裡に浮かんだのは、あのお嬢さん役を誰が演るのか?ということであった。

容姿だけなら矢田亜希子かなぁ…と思っていたら、本当にそうなったので驚いた記憶がある。

 

唐沢財前は、最初、田宮二郎の堂々たる野心家ぶりを見慣れた身には、「チビが股を広げて背伸びしている」としか思えなかったが、如何にも神経質で権力志向の財前は、ピリピリと緊張感に溢れ、これはこれでありだなと、回を重ねるにつれてそう思えた。

対する江口里見も、最初は『救命病棟24時』のイメージから、江口財前が見たかったと思っていたが、清廉潔白な山本學とは違い、適度にくだけていながらも素朴な人柄で仕事に実直な里見像が表現されており、当初は「財前君」ではなく「財前」と呼び捨てにするのにも違和感があったものの、これも悪くないと思い始めた。

 

秘かに矢田亜希子版佐枝子さんに注目しながら見ていたが、やはり島田陽子さんが作り出した高潔で清純無双。しかし叶わぬ恋に悩む佐枝子像には程遠く、可愛いけど、何か頼りないお嬢さんという印象が拭えなかった。

1978年とは時代が違うとはいえ、リクルートスーツ姿で関口弁護士事務所を訪ね、児玉清とは随分違いやさぐれ気味の上川隆也版関口弁護士に、思わず身を縮めるさまは、しつこいようだが、可愛いけど「これは佐枝子さんじゃない」と思ったものだ。

余談だが、矢田亜希子さんも又、当時の清純派無双状態から、後に付き合った男のせいで大きくイメージダウンしてしまったのは記憶に新しいところ。島田陽子さんとの奇妙な符合を感じる。

 

2003年版では佐枝子さんが今どきの女子大生ぽく、もっと言えば子供ぽくなったのに対し、目立ったのは東教授夫人役の高畑淳子である。

悪目立ちとしか思えない、あの早口マシンガントークで、東教授=石坂浩二を圧倒するさまは、却ってユーモラスにさえ思えたが、本作を機に高畑淳子さんはブレイクを果たすのだから、何が幸いするのかよくわからない。

 

唐沢版『白い巨塔』についてはまだまだ書き足りないが、見比べてみるとやはり田宮二郎版の、全く隙のない超豪華キャストの充実ぶりは目を瞠るものがある。

唐沢版で良かったと思えたキャストは、主役2名を除くと、大河内教授役:品川徹、鵜飼教授役:伊武雅刀、鵜飼夫人:野川由美子、関口弁護士役:上川隆也、船尾教授役:中原丈雄、菊川昇役:沢村一樹あたりで、逆にダメだと思ったのは、佐々木庸平の息子、佃医局長である。

及川光博の国平弁護士による、修正テープの丸わかりなカルテ改竄などというお粗末エピソードもあった。

 

財前の愛人・花森ケイ子については、黒木瞳さんには申し訳ないが、唐沢財前とでは母と息子に見えてしまう。

やはり大地喜和子の、最終回、もう財前が助からないと悟った時の、港で一人涙にくれるあの退場シーンの前では、黒木瞳でさえ霞んで見えた。

 

財前の妻・杏子役で若村麻由美さんが出ていたが、制作が後10年ほど早かったら、佐枝子さん役はこの人に回ってきたかもしれない。

近い時期の1990年、村上弘明版『白い巨塔』が2夜連続のスペシャルドラマとして放映された。

残念ながら未見だが、この時は佐枝子さん役は紺野美沙子さんであった。

 

ある時期、シリアス文芸ドラマにおける重要な若い娘役は、

島田陽子→紺野美沙子→若村麻由美

という系譜が確かにあったと思う。

 

『白い巨塔』の佐枝子さんに限って言えば、島田陽子さんの前に、映画版の藤村志保さん、1967年版の村松英子さんの両名が挙げられる。

島田陽子さんがデビューした当初の雑誌紹介記事を読むと、度々”村松英子さんに似ている”という表現が目に留まる。

着物が似合うのと、笑窪以外、どこが似ているのかわからなかったが、後に『Yの悲劇』(1978)を視た時、漸く納得がいった。

 

財前=佐藤慶、里見=根上淳というこの1967年版。

日の目を見ることはないのであろうか。

叶うものなら、村松英子版佐枝子さんを視てみたいものである。

 

『白い巨塔』は2019年の5夜連続版というのもあったが、2003年版を元にしたイメージに思えた。

最も驚いたのはあの野坂教授を女性にしてしまったことだ。

残念ながら市川実日子演ずる新しい野坂教授は全く教授に見えなかった。

沢尻エリカのケイ子に至っては、ただの悪女。それ以外の印象は得られなかった。結局この人が捕まったことで、2019年版はお蔵入り作品になりそうだ。

佐枝子さんは飯豊まりえ。これも確か図書館司書という妙な改変がなされ、最早その辺にいる普通の子という感じにしか見えない。如何にも地味でありきたりな娘に思えた。

飯豊まりえという女優に対するイメージが良くなったのは、つい最近のご存じ『ちむどんどん』の”愛ちゃん”においてである。

 

 

以上、あちこち寄り道しながら思いつくまま記したので、焦点がぼやけがちだが、私にとって島田陽子さんのイメージが形成されたのは、

『将軍 SHOGUN』

『白い巨塔』

『犬神家の一族』

の三作であった。

少年~青年期への途上において、この三作の視聴機会が得られた意義は私にとり極めて大きい。

中でも個人的には、大ブームを起こした『将軍 SHOGUN』のまり子さん以上に、田宮二郎版『白い巨塔』の佐枝子さんを視たことが、”若き島田陽子ファン”の形成に大きく寄与したのだと思っている。

 

以上、一部を除き敬称略。

次回へ続く。