昨夜のことになってしまったが、島田陽子さんが出演されていた。
この番組の内容から、いずれ出られることもあるのではないかと思い、かねてよりチェックしてきたのだが、意外に早く機会が訪れた気がする。
とり上げられた話題は大体知っていることだったが、最初の“熱愛”報道について堂々とテレビで語られたのは意外に思えた。
スポーツ誌の記事はともかく、週刊誌の記事には見憶えのあるものが多い。
『黄金の日々』制作発表時の写真が出てきたのは嬉しかった。
話の構成上か、よく見ていると、ところどころ年代が入れ替わって出来事が紹介されている。
マスコミが喧しくこの方を追い回すようになったのは、やはり“不倫”報道がきっかけであろうが、今も記憶に新しい一連のバッシング騒ぎのきっかけは、番組でもとりあげられていたアメリカ映画・『ハンテッド』への出演が、NHK大河ドラマ・『花の乱』の出演と重なり、後者を降板せざるを得なかったことだったようである。
写真集『Kir Royal』が出た時も、借金返済のために出したなどと口さがなく言われた。
それは近年出た2本のDVDの時に至るまで変わっていない。
兎角マスコミというものは、わかりやすくはあるが、あまりに一方的なレッテルを貼りがちなものである。
島田陽子さんの場合、「清純派女優」といわれていた頃は、見事なまでに好意的な記事が並び、そこには悪意的なものがまるで無い。
あまりにもイメージが良すぎたとさえ私には思える。
『将軍』で一躍時の人となられた頃のことはよく覚えている。
何の雑誌だったかは忘れたが、当時のインタビュー記事か何かで、
「私は清純でも不純でもない」
という言葉を随分後になって見つけた時、最初は意外に思えたが、栄光にも何にも左右されない“自分は自分”という確かな生き方の片鱗を垣間見たような気がした。
番組で取り上げられたのは、その暫く後からのことである。
嘗ての好意的な取り上げられ方とは一転、「スキャンダル女優」、「借金女優」といった、大変悪意に満ちたレッテルが貼られてゆく。
さり気なくだが、「多くの有名人と浮名を流し」と番組中で言われていた。
これも昔の口さがない雑誌記事で「恋多き女」と書かれていたことに符合するものだが、別の場所で、そうではなく実は「恋深き女」であるという主張も読んだ。
その根拠はあるが、一ファンにすぎぬ者がくだくだしく書くのはご迷惑となる。敢えて何も書かない。
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我々大衆は、テレビやスポーツ誌、週刊誌などで、繰り返しこの手の報道を目にし耳にすると、恰もそれが客観的事実であるかのように、意識に擦り込まれてしまいがちである。
ましてや今はインターネットがこれだけ普及したことにより、一般の個人でさえ情報の発信元にたやすくなれてしまう。
実は発信者の主観にすぎぬことであっても、一たびそれが画面上で活字となって目に触れると、何だがそれが疑いようもない真実であるかのように思い込んでしまいがちだ。
私事で恐縮だが、今から10数年ほど前、某所で趣味のホームページを作ったことがあった。
その中に、「レディーボーデン」という高級アイスクリーム、『加山雄三のブラック・ジャック』というTVドラマについてとりあげた箇所がある。
私の作った文章にあちこちでリンクが張られ、有難いことだが、恰もそれらのテーマに関する信用に足る見解であるように扱われている。
とりわけ驚かされたのが、『加山雄三のブラック・ジャック』についての文章である。
或る難病をとり上げた回が、患者団体からの物言いゆえ初回放映後欠番扱いとなってしまったと記したら、ある弁護士の方がご自身のサイトで、そういう事例の一つとしてリンク先に私のサイトを貼られているのを発見した。
幾ら詳細に記してあるとはいっても、一介の素人の文章である。
それが公式見解であるかのように参照されているのをみて、随分面映ゆい気持ちにさせられたが、一応、制作にあたってはそれ相応の資料を参照しており、嘘は書いていない積りだ。悪く言われているわけでもないので、そのまま放っておくことにした。
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好意的な捉えられ方ならまだしも、悪意的なイメージは、実際のところはよく知らない者をも巻き込んで、加速度的にそれまでのイメージを上書きしてゆく。そしていつしか悪い印象のみが定説であり、真実であるかのようになってゆく。
清楚で上品で、控えめな印象の美女。
島田陽子さんの場合、とりわけそのイメージだけが強かったがために、「自分らしく生きたい」そう決意したがゆえの行動に、恐らくは反動と妬みとやっかみと、「生意気になったからやっつけてやれ」とでもいった悪意が入り乱れた末の、マスコミの激しいバッシング騒ぎであったと想像する。
その結果、いつしか好意的とはいえないイメージばかりが根付いてしまった。
例えば先に挙げた、NHK大河ドラマ降板事件。独立プロダクションを立ち上げ、自ら社長にでもならぬ限り、俳優が自らのスケジュール管理を行うことは皆無であろう。
例えば、国際免許証騒ぎ。数年前、同じことが某有名若手プロゴルファー氏にもあったようだが、彼に対するマスコミのお咎めは無しに等しい。方や袋叩きの扱いを受けているのにである。
そういうことを一つ一つ冷静に考えてみると、公平性を欠いたある種の作為を感ぜずにはいられない。
ご結婚された後も、激しいバッシング報道は続いた。
もう放っておいてあげなさいよ。
当時私はそう思っていた。
バッシング騒ぎといえば、こんなことを言ってよいかはわからないが、現皇后陛下にだって一時期あったではないか。
私はこのblogの場においては、ご覧のように島田陽子さんの大ファンだと公言してやまないのだが、私生活においては、余程信頼の置ける人間にしかそのことは教えないことにしている。
自分の周辺で、プロパガンダに毒された連中によって、この方が悪く言われるのは聞きたくない。
色々と書き立てる雑誌記事が多いが、ご本人の言い分を読まないのはフェアではない。
僭越な気もするが、滅多にない機会なので、幾つか文献を紹介する。何と『創』のこの号は、今でも版元から手に入る。
・『創』(1994年9月号);創出版
・『噂の真相』(1997年10月号)
・『毎日新聞』(2002年3月;女優伝説 新・若草物語(全7回))
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「自分らしく生きたい」
インタビューにそう答える島田陽子さんの姿に、嘗ての激しいバッシング騒ぎと丁度同じ頃、宝塚へ何度も観に行った『エリザベート』という芝居の主人公の生き様が、ふと重なるような気がした。
番組中で幾度か紹介された、田宮二郎版『白い巨塔』の佐枝子さん役の時にとりわけ強く感じた、下賤な物言いを寄せ付けない凛とした雰囲気は、今も全く変わっていないように思える。
長きに亘り、頑ななまでに一貫してファンを続けている理由の一端がここにある。
番組の最後で、テリー伊藤氏が、「今まで誤解していた部分もあります。見事な女です。」と言っていたのが印象的だった。
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つい最近、『美スト』という雑誌で、美容について語られている記事を読んだ。(2012年11月号)
「バッシング」とか「スキャンダル」とかといった過去の“騒動”から解放された、こうした純粋な美のイメージによって心穏やかにしてくれる。
嘗ての清純派ともどこか違った新しい島田陽子像の一端をここに見出したような気がした。
(以上、一部敬称略)