前回の続き。

 

今回はファンとしては本当は触れたくない、スキャンダルについてである。

主に国会図書館で収集した雑誌記事や、自力で集めた資料を元に、見解を述べるので、果たしてそれが真実なのか、そうでないのか。

又、亡くなった方があれこれ悪くいわれたのをほじくり返しかねない行為は適切とは言えず、そっとしておくのが人としての礼儀かもしれない。

だが、この方の後半生に付いて回ったことも事実。

それを無かったことにするのは却って不自然であろう。

一ファンの見解なので、その積りでお読みいただきたいと思う。

 

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島田陽子さんについて、最初にスクープらしき雑誌記事が登場したのは、私の知る限り、「週刊女性自身」によるものだった。1978年のことである。

今から丁度10年前、『爆報!THEフライデー』で島田陽子さんが登場し、その時のことを当blogでも記事にした。

(→『爆報!THEフライデー』

この番組自体、私はあまり好きではなく、毎週欠かさず見ていたこともあるのだが、末期は2年分以上録画が貯まってしまい、今、取り沙汰されている2倍速視聴はおろか、音声なしの10倍速位で、最後はひたすら飛ぶように流れる映像が切り替わるのをパパッと流し見して、大半をそのまま消した。

今、手元に残っているのは新型コロナ感染症で衝撃の死を遂げた岡江久美子さんの追悼回と、モデル・山口小夜子さんを取り上げた回、そして勿論島田陽子さんの回だけだ。

 

番組で、M氏とのことが取り上げられていた。

表立って知れている中では、島田陽子さんの最初の恋人と言える男性である。

M氏は当時まだ駆け出しの俳優で、島田陽子さんと同じ芸能事務所所属だった。

『鯛めしの唄』という瀬戸内の小さな弁当業者で奮闘する娘というのが島田陽子さんの役で、その恋人役だったのがM氏。役名をそのまま芸名にしたそうである。

M氏からすれば年齢は下でも、仰ぎ見る若手看板女優。

それなのに彼女は気さくな態度で、偉ぶったところなど何もなかったという。

 

1976年の『トラック野郎 望郷一番星』でも共演している。

島田陽子さんは勿論マドンナ役で、初登場シーンでは背景にお星さまが煌めいていた。

そのマドンナ・三上亜希子さんに桃次郎は一目ぼれする。

彼女は亡くなった父の跡を継いで、北海道で牧場を経営していたが、丁度生まれたばかりの仔馬が重病で、獣医も見放すほどだった。

亜希子と桃次郎の徹夜の看病で、仔馬は元気になり、殺処分を免れた。

色々あった後、桃次郎は、盛装して亜希子にプロポーズしようとするが、そこには結納の品が。実は亜希子は若き獣医と婚約し、その日が結納だったのだ。…

映画のクレジットでは別の名になっているが、その獣医役がM氏である。

撮影の合間、島田陽子さんがM氏にお茶を持って行ってあげるなど、気取らない素朴な人柄を見せ、恋仲に発展したとされる。

 

『爆報!』で取り上げられていたように、清純派女優にとって、恋愛報道はご法度であった。

当然所属事務所の平田社長はM氏と別れさせようとした。

一時は同棲が報じられたほどだったが、兎に角拘束が厳しく、自由な時間は全くといってよいほど無い。

最後は、別れなければ、俳優としては駆け出しだったM氏を、事務所から追放するとまで言われ、生木を引き裂かれる思いで別れを決意したという。

 

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後に島田陽子さんが結婚を控えた頃、『愛するあなたへ』(1996)という本が出版された。

”愛するあなた”とは、人生のパートナーに選んだ、照明技術者・米山仁氏を指している。

ところでこの本の出版準備が進む中、幾つかの週刊誌がゴシップ記事として、この本のゲラ刷りと称する内容を記事にした。

男性遍歴を綴った”告白本”としてセンセーショナルに取り上げた。

その中で”心中未遂事件”が報じられた。

曰く、M氏が庖丁を持ち出し、「どうしても別れるというなら、君を殺して俺も死ぬ」と迫ったというのだ。

だが、本にはそのような記述は全く無い。

週刊誌は”告白本から消された”としている。

先ほど、パラパラと読み返してみたが、島田陽子さんの父親が最初に結婚した相手が熊本の芸者で、商売をやっていた父親は割と女性関係が派手だったらしい。この最初の芸者あがりの妻がかなりのやきもち焼きで、宴会の席に刀を持って乗り込んでくるほどの激しい気性の持ち主。

その一方で、自殺未遂を何度も繰り返したという。

…上記の”心中未遂”と酷似していはしまいか。

 

又、大半のタレント本は、ご本人に余程物書きとしての素養がないと、なかなか本人が実際に原稿を仕上げることはなく、話を聞いて、後はライターが原稿にするという作り方をするらしい。

そうだとすれば、当時既に”スキャンダル女優”のレッテルを貼られていた島田陽子さんのことである。

ライターが面白おかしく、話を膨らませてでっち上げたと言えなくはない。

出版だって商売だ。

”スキャンダル女優”の本が「これから幸せに共に人生を歩んで行きましょうね」といった平凡な内容では、売れないのである。

もっと衝撃的に、刺激的に、激しく!

そんな注文が出版社側から出ない保証がどこにあろう。

 

M氏と引き裂かれた時、一度は女優をやめたいとまで思い詰めたそうだが、結局引退とはならなかった。というより、社長がそんなことを許さなかったのであろう。

 

島田陽子さんはその後暫くマネージメントから社長を外してほしいと希望したそうで、それだけは希望が通ったらしい。

 

田宮二郎版『白い巨塔』で、里見先生を恋い慕うが、報われず苦悩する―――佐枝子さん役の演技は、もしかしたら実体験を反映したものなのかもしれない。

 

『愛するあなたへ』では、恋人と引き裂かれたことについては何も触れられていない。

デビュー時から、事務所の言うがままに立居振舞、格好から全てその通りにしてきた中(『爆報!』中では”人形のように”という表現があった筈)、マスコミは「清純派」、「優等生」というキャッチフレーズを付け、実際その通りだと思い、それを受け入れて生きていた。

 

中村雅俊のデビュー作『われら青春!』は言わずと知れた学園もので、中村演ずる沖田先生が主人公。校長の姪(?)の杉田陽子先生というマドンナ先生がいる。

それが島田陽子さんなわけだが、物語中、2人は何かというと反目しあってばかりいる。

粗野で型破りな沖田を、聊か潔癖症の陽子先生が毛嫌いするからだが、それに対し、沖田は陽子先生を「タンチョウヅル」とあだ名する。

姿形だけは綺麗だが、煮ても食えない、焼いても食えない。

それがあだ名の由来である。

色々あって沖田が陽子先生に告白、最終回で交際を始めるという筋だった。

 

まさしくこの時期、島田陽子さん自身が「タンチョウヅル」という呼称がぴったりの印象で、まだ興味本位で書き立てられる前の週刊誌に「清浄野菜」に譬えられたこともあった。

 

実際、デビュー時からの雑誌記事を追ってみると、他の女優、タレントたちによくある、水着グラビアが皆無に等しい。

調べた限り、デビュー当初の、今の目線で見ると野暮ったい黒いビキニ姿のカラーグラビアが1点。少し後の『光る海』という出演作の紹介記事で、モノクロで小さく、他出演者たちとプールで戯れる姿が紹介されているに過ぎない。

長身でグラマーとは決して言えない体形だったためか、お尻を向けた写真も皆無。

又、少なくともテレビや写真で、この方が大口開けて、歯を剥き出しに笑っている顔を一度たりとも目にしたことがない。

 

女性芸能人の売り出し方は様々だから、お尻をぷりんと向けるカットを多発する商法全てに異論を挟む気は毛頭ないが、例えばAKB一派のタレントたちは、そういう売り出し方が目立ちすぎるように思える。

アイドルのあり方が変わって来たといわれればそれまでだが、嘗てのアイドルは、私生活は全く秘密のヴェールに包まれ、「この人は普段どういう生活をしているのだろう」と想像力を掻き立てられるのが常であった。

女優ともなるともっとで、今でいうセクシータレントとの線引が明確になされ、映画や出演ドラマの宣伝のためとはいえ、トーク番組とやらに出てきては、素の自分をベラベラ喋る。そんなことは、嘗ての女優は一切行わなかった。

例えそれがポルノ女優だったとしてもである。

だから、往年の女優やアイドルの中には、「トイレにも行かない」としばしば形容されたりした人もいたのである。

 

果たして今時のあっけらかんとした売り出し方が、特に女性芸能人にとって本当にプラスとなっているのだろうか。

今日、テレビで演技よりはトークに勤しんでいる女優(?)たちが、口の奥まで大口開けたり、歯茎を剥き出しにして笑ったりしている姿を目にするにつけ、女性としての有難味を全く感じることができない自分がいる。

 

『爆報!』で岡田茉莉子さんだったと思うが、今の日本に本当の女優なんているのかしら?と苦言を呈していたが、まさしくその通り!

テレビの前で膝を叩いている自分がいた。

 

芸能人に限らず、一般人の女性全般において、目元の装いについてはあれこれ気を遣うくせに、歯茎を見せることの下品さを慎む議論が全く生じないのは、不思議でならない。

マスクをして口元を隠してしまおうなどというのは言語道断。

今時の多くの女性たちの美意識の方が、余程「劣化」している。

 

…話が逸れてしまった。島田陽子さんの「清純派」、「優等生」に話を戻すことにする。

 

 

ところが演技をする上で色々考え、徐々に自我が芽生えてくる中、監督や他の役者たちと食事やお酒を飲みに行くと、「優等生だ」、「面白みがない」、「色気がない」、「お嬢さん女優だ」などと言われる。

自信を失くし、大人の女優として認めてもらうにはどうすればいいのか、そう問いかけると、

「君はねえ、男に騙されて、ボロボロになって、メチャメチャにされて、そこから立ち上がらなければだめなんだよ」(上記P.72)

と言われる一方、周囲の男性たちは、妹のように大切に守ってくれ、相変わらず楚々とした優等生の女性の役ばかりが回って来る。

 

「女優開眼」を求め、『黄金の犬』(1979)を選んだという。

初の汚れ役。

スリップ一枚になって四つん這いになって歩かされる、かなり屈辱的な役だ。

そういう役をやれば、優等生から脱却できる、這いつくばったり拷問されたりすれば「色気がない」と言われなくなる、「女優開眼だ」そう思ったが、やればやるほど惨めになって悲しくて情けなくなったという。(同P.80)

 

本ではそう書かれており、女優開眼を目指してもがいただけに見えるが、やはり恋に破れたことが、この役に走った最大の原因ではないか。

同年に公開された『白昼の死角』では、芸者・綾香役を演っている。

本作の中で島田陽子さんは、何と3回も胸を見せている。

無理に悪女役を志願して演じているようで、何だか痛々しい。

ヌードシーンのスチール写真が撮られたが、事務所によって回収されたという逸話が残っている。

捨て鉢になった所属女優の、これまでのイメージを必死に守ろうと躍起になる事務所の様子が透けて見える。

 

ところがその胸をはだけたシーンを、男性向け週刊誌が煽情的に取り上げるのだから、勝手なものだ。

 

思えば『犬神家の一族』(1976)においても、佐智の卑劣な罠に落ち、麻酔剤をかがされ廃屋に連れ込まれ、今まさに汚されんとする珠世さん。

興奮してスリップをずり下げようとした時、物音がし、佐智が辺りを見回すが、ワンカットだけ島田陽子さんの胸が露わになるコマがあり、それを見た関係者も男性客も、色めきだったという。

当然、週刊誌はそのカットを煽情的に取り上げた。

 

ちらっと胸が見える。

それだけで騒ぎになるほど、当時の女優・島田陽子の清純派のイメージは実に強固なものだった。

 

『黄金の犬』に話を戻せば、犬の帰巣本能がメインテーマだと言うが、物語は実に殺伐としている。

ゴロという犬が汚職の証拠たるマイクロフィルムを首輪に隠され、その犬を追うというのが大筋。

途中で事件で命を落とした夫の代わりに飼い主として名乗りを上げる若き未亡人・北守礼子、それが島田陽子さんなのだが、地井武男氏演ずるヤクザに廃屋に拉致され、犬をおびき寄せるために服を脱がされ、絶体絶命のピンチとなる。

それがスリップ一枚で四つん這いで歩かされるシーンとなる。
そこへ鶴田浩二氏演ずる安宅警部が現れ、礼子は救出される。

その後、フェリー乗り場で両名共再びヤクザに捉えられ、安宅の目の前で
礼子はひどい目に遭わされる。今度は首筋に噛みつかれ、胸をはだけさせられる。

その時、島田陽子さんの胸の肝心なところに、例の絆創膏が貼られたテストショットなのか、何なのかそのまま、それが映画本編で使われている。

おすぎが後でそのことを悪しざまに言っていたが、上記著作の気持ちを考えると、仕方ないのかもしれない。

 

ともあれ応援部隊が到着し何とか救出。

犬もヤクザも行方不明。ひとまず事件は落ち着き、礼子は安宅を自宅に招き、やがて両者の間に恋心が芽生えるが、ヤクザに首筋に噛みつかれた跡が気になり、自分は汚れてしまったと恥じ入る。
それを懸命に励ます安宅警部。

その後は、テレビのロケ映像に犬が出ているのを偶然礼子が気付き、再び犬を追う安宅と礼子。それをヤクザが付け狙い、最終決戦。
そんな筋である。

 

制作の徳間書店にとって創立25周年記念作品だったそうだが、こんな暴力的で酷い話を、よく記念などと言えたものだと思う。

男の身勝手な、女性への潜在的な願望と言えればそれまでだが、若かりし島田陽子さんに対する嗜虐志向と、うら若き美女と恋愛成就したいなぁ…という世の男性の夢を、鶴田浩二演ずる中年男に託した、醜い作品にしか見えない。

 

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…今回の主旨を見失いそうな長口舌になってしまったが、どうも島田陽子さんという女優は、その後も含めて、プライベートで恋に破れると、自分の身を擲って、半ば自棄気味に裸身を晒すような役にのめり込むことで、心の傷を忘れようとする傾向を感じずにはいられない。

 

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この後、『将軍 SHOGUN』のまり子役に抜擢され、大逆転、まさに「女優開眼」へと繋がっていくことになるのだが、そこそこ知れた話としては、当初まり子役はジュディ・オングだったという話だ。

ところがジュディ・オングの「魅せられて」が大ヒットしてしまった。

歌手を優先させると、確実に『将軍 SHOGUN』の撮影に引っかかる。

それでジュディ・オングは降板。

英語が話せることが絶対の条件だったが、それまでに、確か映画『砂の器』が海外も上映された時、英語が話せないことを痛感し、英語の個人レッスンを受けていたという。

それで推薦され、オーディションを経て、まり子役に選ばれたという。

 

こんなことは敢えて記さなくても良いのかもしれないが、後になり、この時のまり子役も、実は「枕」だなどとする書き込みを「2ちゃんねる」で見たことがある。

当時はそんなゴシップ記事さえ出なかったのに、後の悪いイメージが、過去のキャリアまで汚すことになる。

思い込みによる過去の創作改変。人間の認知能力の曖昧さ、恐ろしさを感じた次第である。

 

ところが英語の台詞の特訓は想像を絶する大変さで、時にはコーチに口をこじ開けられ、舌を直接触られ指導を受けた。

時には膨大な台詞を覚えるのに、ホテルに戻って、服を着たまま台本を抱えて眠ってしまうこともあった。そんな状態が1年間続いたという。

上記著書には、それを見守り、毎日、花束を添えた手紙が届き、匿名で「あなたの頑張りをしっかりと見ている人がいる。孤独に陥りやすいけど、頑張って」と励ましの言葉が記されるという、さながら紫のバラの人のようなエピソードが披露されている。

 

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『将軍 SHOGUN』フィーバーにより、一躍時に人となった島田陽子さんには、”有名税”ともいうべき、様々なロマンスが週刊誌によって書き立てられた。

海外との頻繁な移動の中で、国際線パイロットとロマンスが生まれたとか、旅行ツアー会社の若手社長と極秘交際をしているとか、1977年頃からリプトン紅茶のイメージキャラクターを務めていた関係からか、その社長だか幹部だかとのロマンスが報じられもした。「国際女優」、「国際派女優」という新たな肩書に沿った華々しいロマンスの数々だったが、どれも浮かんでは消えてゆく話ばかりで、書き手が勝手に付け加えた尾鰭にしか見えない。

「恋多き女優」などと言われたのも、こういう取り上げられ方の影響もあったのだろう。

 

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『将軍 SHOGUN』フィーバーが落ち着きを見せ始めた頃、1983年梶原一騎が傷害事件で逮捕された。

梶原一騎が台湾から日本に連れてくるために、台湾人タレント・白冰冰(パイ・ピンピン)と偽装結婚するのだが、その白冰冰が、梶原一騎が日本人の有名女優、タレントたちを家に招き、猥褻写真を撮って所持しているとぶちまけたことから、それが大変な週刊誌ネタとなった。

 

梶原一騎といえば、スポ根ものの人気原作者のイメージがあまりに強いが、三協映画という映画会社を設立し、映画プロデューサー、芸能プロダクションとしても幅を利かせていた。

 

ゴシップ誌は、ヌード写真を撮られたのは誰か?という記事を書き立て、梶原のこれまでの仕事で関わった女優、タレントたちにその疑惑の目が向けられた。

前に記した『リトルチャンピオン』という映画を制作したのは、その三協映画であった。

更には白冰冰が、「国際女優のS.Y」と言ったという話まで出てきて、島田陽子さんの名が一気に浮上した。

他には直接引き抜いて自らのプロダクションに引き入れた池上季実子や、昔から梶原がファンだったと言っていた松坂慶子の名も挙がった。

後は推して知るべしである。

中でも意外性という点で島田陽子さんが一番ネタになると思われたのか、後に大火災事件で焼失したホテルニュージャパンへ食事に誘い、それに一服盛って昏睡状態にして、裸の写真を撮られたとか、家を何度も訪れる内、関係が出来、やがてヤ〇ザの若い衆を相手とする裏ビデオが作られ、政治家相手に秘かに売られたとか、酷い話が次々と週刊誌を賑わせた。

白冰冰への告訴も辞さないと、遂に島田陽子さん側が怒りを露わにする記事も見られたが、実際の訴訟にまでは至らなかったようだ。

 

後の『懺悔録』という梶原一騎の著作には、”松坂慶子ちゃんや、島田陽子ちゃんには随分迷惑をかけた"と書かれている一方で、「A子ちゃん」、「B子ちゃん」…との情事のさまが赤裸々に語られている。

その記述から、如何にも「A子ちゃん」=松坂慶子、「B子ちゃん」=島田陽子と思わせる内容だが、先の迷惑をかけたという言葉と整合性がとれない。

島田陽子さんに関する記述を拾ってみれば、『将軍 SHOGUN』の後、テレビ局からタクシーを拾って帰ろうとしているのを、梶原一騎が自分のキャデラックに乗せて送ったというエピソードがある。誇らしそうに目を輝かせて、キャデラックの車内を眺めていたと、さながら田舎娘を籠絡するかのような目線だが、本当だろうか。

 

『将軍 SHOGUN』の後、米国内でプロデュースを持ち掛けてきたのが実はマフィアの手先で、梶原一騎が空手の猛者たちを楯に、守り抜いたという話も、梶原一騎の本の中には出てくるが、随分と鼻息の荒い話だ。

 

更には、上記M氏と別れさせてから、所属事務所の平田社長が、意図的に島田陽子さんを梶原一騎に近づけたという記事も読んだことがある。

 

こういう話に事欠かないから、『梶原一騎伝』(斎藤貴男著)の冒頭で、刑務所内の梶原一騎は、同室の若いヤ〇ザから、「先生、島田陽子のお味はいかがでしたか」と尋ねられて満更でもないなどという記述が出てくるのである。

活字、それも書物になると、つい読者はそれが全て真実であるかのように思い込んでしまう。

最近ではインターネットで、又SNSで素人が気軽に発信できる時代だから、更にその信憑性を疑い、何でも鵜呑みにせぬよう気を付けないといけない。

 

私の手元には、『リトルチャンピオン』制作発表時の写真が数枚あるが、マイク片手に得意気に話す梶原一騎に対し、島田陽子さんは終始浮かない顔をしている。

到底、主演女優が、「ハイッ!頑張ります!」と言っているようには見えない。

あまり出しゃばった顔をすると反感を買うので、俯き加減で控えめにしていると言えなくもないが、明らかに浮かない顔といった感じがする。

浮かない表情だから、既に無理矢理関係させられて、脅されている…と解釈できなくもないのだが、表向きでは「先生、先生」と奉らねばならない一方、何とか隣で得意気にマイクを握る強面の男を避けたいと思っているようにも思える。

勝手にはしゃぎ、興奮気味のプロデューサーと、乗り気に見えない主演女優。

話の内容は爽やかスポーツものだが、本作が一般的には殆ど知れていないほど、全くヒットしなかったのもわかる気がする。

 

私の見立てでは、この梶原一騎という人物は、育ち方にコンプレックスがあったのか、手の届かない高嶺の花の美女をモノにしてやろうという願望があったのではないかと思えるのだ。

そのためには口八丁手八丁。いわゆるビッグマウスではなかったかと思えてならない。

如何にもヤ〇ザ然とした風貌といい、相手が男であろうと女であろうと気に入らないと鉄拳を加えるというエピソードといい、自分を強面という鎧でガードしなければ、自分を維持できなかったのだろうと思える。

それに手下共の手前、数多の”武勇伝”を演出しないと、示しがつかなかったとも思える。

 

「お味云々」の記述こそ、名誉棄損の訴訟ものだと思うのだが、如何だろうか。

「B子ちゃん」のエピソードは、梶原一騎の見栄からくる想像の産物。そう考える。

 

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翌1984年初頭から始まるNHK大河ドラマ『山河燃ゆ』の制作発表が1983年秋に行われた。

その時、島田陽子さんは欠席したらしく、それも新たな「スキャンダル」として報じられた。

梶原一騎~白冰冰による"ヌード写真疑惑事件"が、まだ尾を引いていたから、雲隠れしたのだろうというわけである。

飛行機の乗り継ぎが間に合わなかったと釈明がなされたが、恐らく本題とは無関係のスキャンダラスな話題に、節操のない週刊誌記者たちが群がり、発表会が滅茶苦茶になるのを避けてのことだったのだろう。

こういうエピソードも、後になれば、全て”島田陽子のスキャンダル”として、人々の中に朧げな記憶とされていく。

 

結局、飽きられたのか1984年には騒動もすっかりなりを潜め、専ら『山河燃ゆ』一色になっていくが、その中で新たな”ロマンス”として、某サッカー選手との結婚報道があった。

互いに世界を股にかけて活躍する者同士、魅かれ合うものがあったとされる。

そのお相手・S氏に対し、今でいう”逆プロポーズ”がなされ、結婚秒読みとまで一部で報道された。それが1985年頃迄続く。

 

この話は全くのでたらめとは言えないように思えたが、島田陽子さんのほうが年上ということもあってか、先方の親御さんから賛同が得られず、いつしか破局を迎えたと雑誌記事にはある。

 

その後、暫くは雑誌報道も落ち着きを見せるが、翌1986年には先に挙げた『懺悔録』の紹介により、再びスキャンダラスな話題が蒸し返されるかのように思えたが、それが拡がることはなかったようだ。

 

真如苑の広告塔云々として、野球場で教祖に膝まづく姿が写真週刊誌に報じられたのもこの時期。

やはり先の破局が精神的ダメージを与えたということであろうか。

 

更に翌1987年暮れ、いよいよ問題の映画『花園の迷宮』の話題が登場する。

最初は撮影のため、帰国した島田陽子さんの様子が紹介されたが、記事のタイトルは「帰ってきた"国際派"女優」。

島田陽子さんは主演で、戦前の横浜で娼館を営む女将・多恵の役。

凝ったセット内で次々に起こる謎の死亡事件。

どうせ大したミステリーではないので、思い切りネタばらしすると、実は全ての死亡事件は、多恵が釜焚き夫・壮介(これが内田裕也なわけである)に命じて、殺しをさせていたのだった。

クライマックスシーンは、娼館に火が回る中、多恵が全裸になって壮介を挑発する。

「来な、抱いてやるよ!」

そして濃厚な愛欲シーンがねっとりと描かれるが、多恵が壮介の一物を噛み切って、そのまま全て業火に焼き尽くされる。

 

そんな筋だった。

 

決してYahoo!ニュースで一部記されているように、内田裕也が島田陽子をレイプする話ではないのである。

 

本作を撮ったのは伊藤俊也という監督で、『女囚701号/さそり』(1972)が最も有名な監督作品であろう。

撮影担当共々、女優・島田陽子のことをそれまで殆ど知らず、『白昼の死角』(1979)などを観るにつけ、顔の表情に乏しく、徹底的にしごき、変えようと考えたそうだ。

撮影現場では度々主演女優に対する罵倒、怒号が飛び、島田陽子さんは化粧室に駆け込み、悔し涙にくれたこともあったという。

それを慰めたのが共演の内田裕也だったらしい。

又、最近出てきた逸話では、フルヌードでの絡みに躊躇していたところ、内田裕也が手紙を渡し、その内容が“この撮影をしても、あなたの品位はなんら貶められません”というものだったという。

 

現場は、ラストのフルヌードでの絡みを、出たとこ勝負でやっつける積りでいたとか、島田陽子さんも詳しい内容を知らなかったとか、そう書かれている記事も、この度の追悼の中で目にしたが、幾ら何でもそんなお粗末なことがあるものだろうか。

 

伊藤俊也という監督は、小柳ルミ子を脱がせた『白蛇抄』(1983)の監督でもある。

女の情念、本性を曝け出してやれ、という作風のように思える。

上品とか清楚とか、女性のそうした特質には全く価値を見出さない人ではないかと推測する。

 

その時、思い至るのは、S氏との破局である。

ここでも”プライベートで恋に破れると、自分の身を擲って、半ば自棄気味に裸身を晒すような役にのめり込むことで、心の傷を忘れようとする傾向”が、本作への出演に至った心理ではないかと思うのである。

 

本作において、島田陽子さんは実に酷い目に遭わされている。中尾彬に顔を踏みつけられ、腹を蹴り飛ばされる。伊武雅刀には爪の間にペンを突き刺され、倒れたところを頭からバケツの水を浴びせられる。

 

ここまで来ると、「女の情念」の域を超えている。

ただ”お上品ぶって取り澄ました顔の島田陽子を痛めつけてやれ”という悪意を感じる。

 

*****

 

1988年春、写真週刊誌が”お忍びハワイ旅行"をすっぱ抜いた。

 

以後のいきさつは冒頭で取り上げた『爆報!』でも語られていたが、アメリカでは芸能人同士のカップルが堂々と仲良くしている。

自分たちもこそこそすることなく、堂々とすればいい。

島田陽子さんはそう思ったと言っていた。

悪く言えば居直りだが、現代のほうが”自分というものをしっかりと持っていて、周囲の顔色を窺わないカッコいい女”として好意的に受け止められるかもしれない。

事実、『爆報!』放映時、最後にご意見番格のテリー伊藤が「今まで誤解していた部分もあります。見事な女です。」と言っていたのが印象深い。

 

内田裕也という人物は、有名な割には、一体どんな功績を残したのか、よくわからない人物であった。

ただ、ロック歌手で、アメリカかぶれだったことは間違いなさそうだ。

発言の度に、末尾に「ロックンロール」と言ったり、「シェイケナベイビー(= Shake it up, baby)」という口癖がある、よく知らない一般人からすれば、”何か物言いが妙で、ちょっとイカレた強面の面白いオッサン”という印象しかない。

今、これを綴っていて、確か他に似た印象の人物がいた筈だと、懸命に思い出したが、元ボクサーの輪島功一氏の顔が浮かんだ。

 

調べてみると、「Shake it up, baby」自体は、かのビートルズの唄のワンフレーズだということで、「踊り、叫ぼうぜ、ベイビー」位の意味らしい。

 

お調子者の口先野郎という感が否めないが、アメリカかぶれで大口叩くというのが、厳しい演技指導で痛めつけられ、傷ついた女性には、違う世界へ自分を連れ出してくれる頼もしい、これまで自分の周りにいたのとは違う男と映ったのかもしれない。

『将軍 SHOGUN』を機に、日本の芸能界の、狭隘な料簡、いつまでも自分を同じ鋳型に嵌めようとする感覚に嫌気が差し、アメリカ志向が強まったのは、当時の島田陽子さんに雑誌インタビューにおいても、又、先の著作においても明らかである。

嫌な言い方をすれば、”アメリカかぶれ同士、意気投合した”ということになる。

 

それまで、内田裕也は、大麻取締法違反で逮捕されたり、俳優としてもエロ作品で、女性を襲う役が大半だったり、又、1981年には妻・樹木希林の了承なしに離婚届を勝手に提出し、離婚を認めなかった樹木希林から訴訟を起こされ、離婚無効の判決が下ったりと、演じた役柄以外においては、無鉄砲で粗野な、今でいう”やんちゃ”な、悪印象の強い人物であった。

(因みに私はこの”やんちゃ”という言葉が大嫌いである。無法者の悪行を、この言葉によってごまかし、薄め、うやむやにしてしまおうというニュアンスを強く感じるからである。)

 

そんな無鉄砲で粗野な男が、慰めてくれたり、丁寧な言葉の手紙を寄こしたり、果ては撮影が終わると花束を持って待っていたりする。

今でいう”ギャップ萌え”というやつである。

 

”ギャップ萌え”に加え、”優等生コンプレックス”というものがあったのではないか。

「優等生」というレッテルから逃れたい。

そう苦悩してきたのは、先の著作からも明らかで、そういう面を押し付けてこない人物が内田裕也だったとも思える。

 

『花園の迷宮』紹介記事で、内田裕也が、

「向こうがショーグンなら、こっちはロックンロールだ!ショーグンv.s.ロックンロール!!イェーイ!」

そんなことを言っているのを読んだ記憶がある。

既成概念に囚われない。

それは間違いないとは思える。

 

これは私見だが、世間的には煙たがられている無鉄砲で粗野な男が、実は気配りのできる繊細で真面目な男で、だが世間はその美質を知らない。

私だけが本当のこの人の姿を知っている。

私が付いていなければ、この人は何をしでかすかわからない。

私がこの人を、真人間に立ち直らせるのだ。

…そんな心理が働いたのではないかと推測する。

 

又、美人には、自分を誉めそやし、腫物扱いする男は多数寄って来るが、美人だからといって遠慮することなく、自分のペースで物おじしない男は珍しく、新鮮に映るのが常だ。

或いはそういう男は強い男に見える。

女性の本能として、強く映る男を求める心理もあるかもしれない。

 

美女と野獣カップルの多くは、そんな理由から成立するのではないかと思っている。

女性側が優等生で、粗野な男をうまく制御できれば、ある種の美談と言えようが、これがAVなどだと、粗野な男の床上手ぶりに、優等生美女がすっかり快楽に落ち、立場が逆転してしまうというステレオタイプの筋になる。

梶原一騎の作品世界では、優等生美女に支配されることなく、破天荒を突き進む粗野な主人公。最後は優等生美女も男の応援に回り、男は成功をもぎとり、ついでに美女も手に入れる。

 

島田陽子&内田裕也の場合も、女性がこの男の傍にいて、道を踏み外さないよう見張っていて、立ち直らせるのだ。最初はそう思っていたのが、男の無鉄砲パワーが強力すぎて、結局、女性の側が引きずられ、感化される結果になったのだと思っている。

 

島田陽子さんは妹が2人いる長女だ。

人に何かをしてもらうよりも、何かをしてあげたい、世話を焼きたい、そんな気質だったのかもしれない。

 

ともあれ、内田裕也にお金を貢いでいる。

そんな報道が盛んになされるようになった。

 

一方で、仲睦まじそうに共に行動する姿が報道された。

当時のエピソードが今でもインターネット上には転がっている。

短期間のうちに車を何台も買ってくれたが、全てローンで、兎に角金遣いが荒く、カード枠目いっぱいまで使ってしまうため、なかなかローンが通らなかったが、何とか通してもらえた。

滅茶苦茶だが、やはりVIP客だったという、カーディーラーの話とか…。

”しぇいけなべいびー”に完全に引きずられ、後先考えず、「国際女優なんだからもっともっと使っちゃえ」と、堅実さを失ってしまったのかもしれない。

時はバブル期真っ只中。

一般人の間でも、妙なイケイケムードが日本中に満ち溢れていた。

 

内田の妻・樹木希林は、それでも頑として内田と別れようとはしなかった。島田陽子さんとは大昔、『いとこ同志』(1972)という連続サスペンスドラマで、共演している。

まだ悠木千帆という旧芸名の時代である。

その時の印象が残っていたのかもしれない。

「あの小娘がウチの亭主を寝取りやがって。許せん」というわけである。

妻の意地もあったのだろう。

 

1991年、内田裕也が東京都知事選に立候補した。

"愛人"の島田陽子さんは、この時、NHK報道局長の磯村尚徳氏を支持していたらしいが、内田には選挙カーを始め、選挙費用を全て出したと言われている。

この時のことも朧げな記憶に残っているが、泡沫候補と揶揄された割には得票数が5万票を超え、5位につけたとのことであった。

政見放送を当時見たのか見なかったのか、とにかく妙な横文字だらけの碌な公約を述べず、演説せずにただ演奏するという、目立ちたがり屋、自己顕示欲の塊の人物に思えた。

試みに、調べてみると、選挙公報や政策にはこんなことが書かれていたそうだ。

「NANKA変だなぁ! キケンするならROCKにヨロシク!

 Love&Peace Tokyo」

「GOMISHUSHUSHA NO TAIGUU O KAIZEN SURU」

はっきり言って、正気の沙汰ではない。

クスリでもやっているのか?と言いたくなるほどである。

 

後に内田裕也が死去した時、島田陽子さんがインタビューに答える記事をインターネットで見たが、当時大々的に報じられていたように内田からDVを受けたことは一度もない。一貫して私の前では真面目で、大人しく、暴力も振るわなかった。別れたのは都知事選に立候補すると言い出し、自分は止めたが、振り切られ、結局考えが合わず、合意で別れるに至った。

という内容であった。

 

どうもこれは、いつまでも昔のことをほじくり返さないでほしい。

それと亡くなった嘗ての愛人へのリップサービスに思われてならない。

 

当時、横浜ベイブリッジの近くに豪邸を構えていたと言われるが、そこで連日のように男の怒号と女の叫び声が聞こえる。

ある時、近所の人が様子を見に外へ出ると、女性が寝巻姿のまま、屋根で「助けて~」と叫んでいる。男が包丁を持って「この野郎」と女性を追い回している。

そんな記事が載ったこともあった。

 

内田裕也が暴力を振るわなかったなどとは絶対に信じることはできない。

 

随分後になり、総白髪に黒い服、ステッキを持つ、何やら怪人めいた姿に変貌してしまった内田だが、交際していた50代女性に別れ話を切り出されると、相手を脅迫した挙句、勝手に相手宅の鍵を付け替えて侵入し、逮捕された。

 

幾ら否定しても、隠そうとしても、人間の本質が変わらぬ以上、似たようなことは繰り返される。

 

当時近くにいた関係者の方たちも、こぞって内田裕也との交際をやめるべきだと多分、島田陽子さんに言って説得しようとしたに違いない。

しかし、得てして恋の炎に身を焦がす当事者というものは、周囲にそういうことを言われると、ますます依怙地になって、恋の相手にしがみつく。

そういうものなのである。


この不倫騒動は、当時の格好の週刊誌ネタ、ワイドショーネタとなったが、如何に弱っているところに救いの手を差し伸べてくれた人物だったにせよ、これだけは言いたい。

「島田陽子、何故あんな男に入れあげた?」

それが今も変わらぬ正直な私の感想である。

 

余談になるが、内田裕也との関りができるきっかけとなった『花園の迷宮』。当初の壮介役は近藤正臣氏であったという。

これも歴史に「if」をつけることになるが、もし当初の予定通り、近藤正臣氏が降板していなかったとしたら、どうなっていただろうか。

その後の島田陽子さんの女優人生は、全く違うものになっていたかもしれない。

 

*****

 

この”スキャンダル”を機に、「女優・島田陽子」のイメージは大きくダウンした。

それでもこれまで記してきたように、2時間ドラマなど、以前よりも数こそ減ったが、出演作はあり、全て後で視たものだが、例えば正月5時間ドラマ『源義経』(1990.1.2)(主演:東山紀之)における、金売り千寿役。

義経役は東山紀之で、弁慶は松方弘樹。
義経を奥州藤原氏の下へ導いたとされる「金売吉次」という商人がいるが、本作ではこの人物を「金売り千寿」という女性に置き換え、これが島田陽子さん。
「別嬪」とか「﨟(ろう)長けた」と千寿を形容する台詞が出てくるが、
「﨟長けた」などという言葉、久しぶりに聞いた。

「金売り千寿」役は素晴らしい。
当時、登場シーンを幾度も巻き戻してしまった(!)。
髪形といい、和装といい、『将軍 SHOUGUN』のまり子さんを、そのまま少しあでやかにした感じがしたものである。

 

『名無しの探偵 愛の幻影』(1990.10)は、ニューヨークを舞台にした推理もの。

話自体は大したミステリーではないが、ニューヨークの水に合ったのか、本作においても同時期の『黒蜥蜴』(先述)同様、実に堂々たる黒衣の美女・島田陽子さんが見られる。

 

あまりにも”劇薬”だったと思うが、ともあれ「脱清純派」、「脱優等生」を果たし、代わりに「妖艶熟女」のイメージを獲得した「女優・島田陽子」の姿がそこにはあった。

 

*****

 

少し時が下って1992年。

樋口可南子を嚆矢とするヘアヌード・ブームが押し寄せる中、島田陽子さんのヘアヌード写真集『Kir Royal』(竹書房)が発売された。

世間の関心を集めたのか、売り上げは55万部を数えるベストセラーとなった。

ここからは雑誌記事も、ほぼこの写真集の紹介記事一色。

最近でも、往年の女優・ヘアヌード特集記事などで、未だに取り上げられるほどである。

ここに至り、島田陽子さんを「優等生」とか「清純派」という記事は皆無になった。

イメージチェンジという点では完全に成功している。

 

この時も、内田裕也へ貢いだカネの借金返済に充てるために、とうとうヘアヌードになったなどと囁かれた。

尚、写真家の加納典明がこの写真集を見て、「おばさんの裸なぞ見たくもない」と言ったところ、既に別れた後の内田裕也が激怒したという逸話もある。

 

翌1993年には『YOHKO』という豪華化粧箱入り写真集も発売されたが、こちらは『Kir Royal』の完全な焼き直し。内容はほぼ同一とみてよい。

 

こういう騒ぎの最中に、先に挙げた『丘の上の向日葵』の放映があった。

当時はこうした「スキャンダル」や、ヘアヌードから、目を背けていたこともあったが、妙な先入観なしに、作品中の島田陽子さんを見ることができたのは、後から思えば奇跡的だったのかもしれない。

 

時代は下り、1994年。

NHK大河ドラマ『花の乱』の突然降板事件を機に、世でいう「島田陽子バッシング騒動」が勃発する。

最初は「天下のNHKを袖にするとは太い奴だ」といった論調だったが、やがて元マネージャーを名乗る女性の告発記事が掲載されると、雨後の筍のように次々と金銭トラブルがぶちまけられた。

 

そんな中、3冊目のヘアヌード写真集『quattle』(スコラ)が発売された。

ちょっとストーリー性のある、モノクロ写真も交えた雰囲気ある内容だったが、残念ながら最初のものほどインパクトはなく、当時大した話題にならなかった。

 

今の朝ドラで、”にいにい"が絶対に寅さんになれないのも、金銭トラブルが後をたたず、全く反省の色がないことに起因する。

それに限らず、兎に角金銭トラブルの描写が今の朝ドラには多い。

「よしもと新喜劇」も金銭トラブルの描写の多さという点では同様だが、こちらは毎回連帯保証人になって雲隠れする父親という描かれ方で、安易に保証人の判をつかないように、と啓蒙する内容なので、受ける印象がまるで違う。

 

話を元に戻す。

記事曰く、1000万円の毛皮のコートをツケで買い、踏み倒したとか、

横浜の家のローン支払いが滞っているとか、更には税金の滞納、車の修理代や引っ越し代も払えないとか、果ては無免許運転報道もあった。

これは、国際運転免許証で日本国内を運転していたら、期限切れになっていたという話だったように思う。

後に、プロゴルファー・石川遼が、国際免許証で車を運転していたら、日本国内では無効で、捕まったというニュースをチラッと何かで読んだ。

その時、島田陽子さんのことが頭を過ぎったが、彼女のように石川遼が手ひどいバッシングに遭ったという話は一度も聞かない。

あの違いは何だったのだろう。

人気稼業において、”応援してあげよう”というムードにある人と、ダーティーなイメージがついてしまった人とでは、印象が雲泥の差ほど違う。

 

雑誌の記事で、当時そういうことがありましたよ、と記しているだけなので、本当のところは知らない。

しかし、金銭トラブルの噂は、人気稼業においては致命的だ。

 

あのバッシング騒ぎ当時、「いい加減放っておいてあげなさいよ」そう思いながら、遠巻きに見ていた。

 

遂には”ホテル廊下での奇行事件”などという記事もあり、完全にイメージは”お騒がせ女優”である。

 

『花の乱』出演をキャンセルして出たハリウッド映画の紹介などもなされたが、もはや主役でもない外国映画の出演などでは、バッシング騒ぎの鎮静化など望むべくもなかった。

 

そんな中、『丘の上の向日葵』の後も、後にご亭主となる米山氏との交際は続いていたと思われ、冒頭に触れた『愛するあなたへ』が出版されるが、その情報が知れると、「これまでの男遍歴を赤裸々に語る」とか、”心中未遂事件"とか、恰も告白本が出るように雑誌記事は煽ったが、実際の内容は大したことのない平凡なものであった。

 

「ありのまま、自分らしく生きたい」

というのがこの本の主旨で、「私のエネルギーを、一方的に奪う人」とお付き合いしたこともあるけれど…とサラリと書いてあるが、これは内田裕也のことであろう。

 

先に述べたように、米山氏との結婚も、妻子がいたことから、「略奪婚」と悪しざまに報じられた。

 

SM作家・団鬼六氏から100万円の借金をし、それが返済できず、告訴されたという報道もあった。

それを機に、今度は秘密裡に、主演SM映画の制作が進行していると報ずる記事もあった。

『鬼ゆり峠』の姉役がいいだのと書き立て、読み手の劣情を誘った。

 

この頃から、週刊誌で取り上げられる頻度が減っていく。

たまにセクシーグラビア記事が見られるが、3冊のヘアヌード写真集の焼き直しが大半だった。

Vシネマ『姐極道 菩薩の龍子』(2000)という作品がある。

ここでもヌードを披露しているが、前にも記した、「苦労が顔に出始めた」後のことで、実年齢もそろそろ50歳が近づくとあっては、セクシー路線もきつくなってきた印象があったが、それでもこういう作品が表に出ると、週刊誌はセクシーショットの紹介を興味本位に取り上げるのである。

 

それで、前にも記した「この人は、容姿の衰えを見せ始めてから、どうしてこうも大安売りみたいに何度も脱ぐ?」という印象になった。

 

2011年初頭には、遂にMUTEKIから『密会』『不貞愛』というアダルトイメージビデオが出た。

最初、「島田陽子がAV」「アラ還AV出演」などと紹介されたので、内心驚き、「もうやめてくれ」とも思ったが、既に毀誉褒貶全てそのものとして受け入れる境地にいたので、DMMから取り寄せてみた。

 

正直なところ、感心できる内容ではなかった。

自転車で走っている島田陽子さんが冒頭出てくるが、チェーンが外れて難儀。それをチャラ男が助けて、家に呼び入れ、そのまま情事へ…という内容だったと思うが、話の作りが雑過ぎて、全く感情移入できない。

「AV」というなら、濡れ場が肝心なはずだが、こちらも中途半端で、やはり現在形容されているように、これは「Adult Video」ではなく「Adult  image Video」である。

島田陽子さんと××している自分を想像して下さいよ、という内容にすぎない。

 

当時、「スカパー!」のピンク系チャンネルで、何度か放映もされていたが、その内、リストからも外れてしまった。

 

それでも懲りずに大衆向週刊誌では、袋とじで濡れ場のカットをグラビア掲載したりもしたが、流石にマニアックな需要の境地になってしまった印象であった。

 

「借金問題」は、2021年頃にもインターネット上で報じられている。

近年よくあるのが、会社経営をしている男性が、昔からの島田陽子さんのファンで、伝手を辿って実際に会う機会を得、そこで借金を持ち掛けられ、貸したらそれが帰って来ない。

そういう内容である。

これについては、当事者でないとわからない。

男性側にも下心があったとは思うし、女性側にしてみれば、ファンを名乗って近づいてくる以上、「スポンサーがお金を出してくれた」程度の認識かもしれない。

 

だた、一般社会でもそうだと思うが、一度悪い印象を持たれてしまうと、失地回復するのは余程の覚悟と忍耐が必要で、何をしても悪く言われる、思われる。

世間とはそういうものだ。他人とはそういうものなのである。

 

島田陽子さんが現に亡くなられたからといって、又、ファンだからと言って、今回ここに記したことを「そんなことはない」と全否定することは決してできない。

誇張する者もいただろうし、嘘八百並べ立てる者もいたことだろう。

 

過去にはこういう捉えられ方をしてきた。

それを淡々と振り返ったに過ぎない。

それにしては、随分私情を挟んでいるなぁ。

そう思わないわけではない。

 

以上、一部除き敬称略。

次回へ続く。