ここに2人の投資家がいます。

 投資家Aはこの1年間に、1000万円の投資資金で100万円の利益を上げました。

 投資家Bはこの1年間に、1億円の投資資金で500万円の利益を上げました。この2人の投資家で、投資資金を効率よく運用したのはどちらでしょうか。

 

 投資家Aは投資家Bの5分の1の利益額ですが、利益額を投資資金の額で除して求めた利益率では、投資家Bに勝ります。効率の良い運用をしているという事ができます。

 

 同じようなことが企業経営でも言えます。以前は、「大きいことはいいことだ」的な経営がもてはやされた時代もありましたが、今では「持たざる経営」が一般的な潮流となって来ています。

 

では、次のケースを考えて見たいと思います。

 上の図表をご覧ください。A商店とB商事の簡単なB/SとP/Lです。一見すると、B商事はA商店に比べて総資産額、売上高、純資産額ともに上回っています。B商事の方が良い会社のように映って見えるような気がしますが、いかがでしょうか。

 

 では、A商店とB商事を細かく比べて見ましょう。

 

 まず、先ほどの投資家を比べた時のような算式で比べて見ます。A商店は3,000千円の資本と7,000千円の負債の合計10,000千円をビジネス資金として調達しています。そして、調達した資金を商品や売掛金など様々な資産として運用しています。

 ですから、A商店の投資資金は10,000千円という事になります。この10,000千円を総資産額と言います。

 

 投下資産の総額である総資産がどの程度の利潤を生み出したかという投資効率を評価する指標を「総資産利益率(ROA)」と言います。算式は、当期利益÷総資産×100となります。A商店とB商事でそれぞれ算出して見ると、A商店は10%、B商事は5%となり、A商店の方が効率が良いと言えます。

 

 前出の両社のB/SとP/Lで経営の効率性をチェックする指標分析をやって見ると以下の表のようになります。

 

①    総資産利益率(ROA)は、会社資産をいかに効率よく運用して利潤を上げているかの指標

②    総資産回転率は、同じく効率性を表す指標で、「投資⇒販売⇒回収」のサイクルが1年間に何回転しているのかというものです。

③    棚卸資産回転率は、商品がどの程度効率的に捌けているかの指標です。

④    自己資本利益率は、自己資本をどの程度効率的に運用して利益を生み出しているのかを表す指標です。

 

全ての指標で規模は小さいですが、A商店がB商事を上回っています。効率的な経営をしているわけです。同じ売上高なら、総資産額が少ない企業の方が上に上げたような効率性の指標が良くなります。前述の「持たざる経営」への流れの原点がここにあります。

 

 ここでイメージしていただきたいことは、A商店とB商事の関係です。A商店は、創業間もないスタートアップ企業によくみられるケースです。そして時が経ち、利益を資産に再投資していく間に、徐々に経営効率が落ちて行ってしまい、B商事化してしまうというケースが多いという事実です。一見規模の大きさに意識が行きがちですが、細かく見て見ると様々な点で老化が浮き彫りになります。

 

 企業の老化は、まず、無駄な在庫が増えて棚卸資産回転率が低下に始まります。さらに無計画な投資も増えて総資産回転率が落ちてくるのです。「成長」ではなく、単なる「膨張」が続きます。

 企業が老化を防ぎ経営効率維持を目指すためには、「回転率」を落とさないことが重要だと言えると思います。

 

 ・棚卸資産の増加を抑えて、棚卸資産回転率を維持する

 ・不必要な資産の増加を抑えて、総資産回転率を維持する

 経営者の心がけ次第だと思います。

 

 自社の経営資源(棚卸資産や資産の数々)の回転率を上げることで、効率性指標が好転し、経営が生き生きとしてものになり、経済的成長を実感できると思います。

 『回せば、伸びる』なのです。

 米国ではインフレ圧力が脅威となっているみたいです。物価の上昇なんて当面わが国では考えられない現象ですね。わが国で現在のコロナ禍で脅威となっているのは、サプライチェーン(供給連鎖)の寸断から来る「原材料不足」の方です。

 

 『織物を織りたくても、糸が入荷しないんですよ』という声が織物業者さんから聞こえてきたと思っていたら、次は『生地が入ってこないんですよ』と染屋さんからこのような声が聞こえてきました。さらに、半導体不足から自動車が生産できないなど、生産したいのに原材料の供給が滞っているのが現在の状況なのです。
 

 米国ではこれがもっと酷い状態でして、個人消費が相当過熱しているとのこと。わが国では、コロナ禍での様々な個人給付がありましたが、その7割程度が貯蓄に回されましたが、米国では失業給付を始め個人給付が消費に回されているらしいのです。
 

 コロナ禍で外食や旅行への消費活動が制限を受ける中、米国人はモノを買いまくったのです。消費者の多くはスマホを使って瞬時に注文を行えます。ある意味バーチャルな世界観です。しかし、注文を受けた方はリアルな現実世界に居て、発注者へモノを供給するという義務を負います。

 米国の港には中国からのコンテナ船が群れを成し、さらにトラックの運転手不足がこれに追い打ちを掛ける状態となっています。モノの供給がすんなりと行かない状態が続いて、モノ不足→モノの価格が上昇という現象が起きているわけです。

 日本では、モノ不足で生産が滞り、米国ではモノ不足&人手不足で供給が滞り物価が上昇するという現象が起きています。

 

 過去様々な災害でサプライチェーンが寸断途絶され、製造現場に多大な影響が出ました。

このような状況をニュースなどで見聞きするたびに、ジャストインタイム方式などの「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」供給するための生産計画

も効率性の確保の観点からは必要な施策だと思うのですが、昭和40年に経営の神様である松下幸之助翁の提唱した「ダム式経営」の方式が、これからのリスク性社会により対応しているのではないかと思えるようになってきました。

 

「ダム式経営」とは、最初から一定の余裕をもった経営のあり方で、あたかもダムに入れた水を必要に応じて徐々に流していくように対応する方式のことです。たとえば、需要に変動があった場合、品物が足りなくなったり、余り過ぎたりしないように、余裕設備を動かしたり、休ませたりして、安定的な経営を進めるというものです。それは設備だけではなく、資金、人材、在庫についても同様に考える方式を差します。

 松下翁の言葉を引用すると、

『私の言うダム経営というものは、最初から一割は余分に設備を常にしておかないといかん、それは社会的事変に対するところの企業者の責任であるという自覚であります。その自覚において、普通の需要を正確に設定いたしまして、変事に備えるために一割の設備増強をやっておく。 これは意識の上にある。 これが私はダム経営やと思うんですでありますから、少々の変動があったり、需要の喚起がありましても、そのために品物が足りなくなったり、値段が上がったりすることはありません。

 

 そのときは余分の設備を動かせばいいんでありまして、あたかもダムに入れた水を必要に応じて流すようなものでございます。 そういう意味の、設備のダム設置、いいかえますと設備の増強です。 したがって採算はどこにおくかといいますと、採算は、常に90パーセントの生産をして引き合うところにおいてやっていく。 はたして日本の経営はそういうようにやっているかどうかですが、日本の今日までの経営を見てみますと、需要を過大に評価して、そうしてそれに対して設備を拡張していこう。 だから、したものは全部動かさないといかん、全部動かさなければソロパンに合わないと、こういう状態になっておるんではないかと思います。これはダム経営でも何でもありません。』

 

 このコロナ禍で、これまで経営の合理化と称してやって来たことを、一度立ち止まって見直してみることも必要ではないかと思ったわけです。

 『文芸春秋』11月号に財務事務次官の矢野康治氏が「このままでは国家財政は破綻する」という寄稿論文が掲載され論議を醸し出しました。

 

 日本国家の破綻論は決して珍しいものではないのですが、天下の現役事務次官が執筆しているとあって、内容の信ぴょう性については問題ないように思われます。

 矢野氏の記述の中に『日本は氷山に向かって突進しているタイタニック号』的な論述があります。この船には船長はいないのか?どうして衝突回避の行動を取ろうとはしないのか?などの素朴な疑問が生まれてくるわけなのです。

 選挙が近づくと政治家先生諸氏はこぞって「甘い蜜」の話を持ち出します。今回の総選挙の争点は「バラマキ」とのことで、各政党とも『〇〇万円を支給します』のオンパレードです。

 累積する財政赤字をもろともせず、借金に借金を重ねている状況です。

 とにもかくにも、政治家の中で真剣に国の借金を返済しようと思っている人は存在しているのかどうかと考えると、心配になってきます。

 まだこの世に存在しない将来世代の返済を当てにして現世代が借金をしている構図です。将来世代にとってみれば、これは明らかに「負の遺産」と言えるものなのですが、どうして現世代である私たち自身の切実な問題として捉えることができないのでしょうか。

 

 その理由の一つとして挙げられるのが『財政錯覚』というものです。簡単な例でお話すれば、よく以下のようなケースはないでしょうか。

 気の合う者同士が旅行会を組織しています。各人が会費を出し合って、その旅行会の貯蓄を利用して楽しい旅行に行くのです。

 旅先では、美味しいものを食べ、酒を酌み交わしたりします。勢い気が大きくなることでしょう。日頃できない贅沢なんかをしたりもします。

 そんな時、旅行会の会計担当から『会のお金で支払っておきますから.....』なんて言われると、“魔法の財布”よろしく、どんどん使っても良いような気になったりもします。

 

 これが「財政錯覚」です。会費は自分たちで出し合っているのに、将来の負担のことは全く頭から抜け落ちた状態になってしまうのです。

 

 では話を戻して、各政党の「バラマキ合戦」や、それについて何の意識も持たない私たち国民は、この「財政錯覚」に陥ってしまっているのではないでしょうか。

 私たちの意識では、“国家”とは自らの領域の「外」にある、何か遠い存在という距離感があるのではないかと思います。まだ見ぬ将来世代の人たちのためにも、今を生きる私たち一人一人が、自分自身が“国家”の構成員であり、“国家”の担い手であり“国家”そのものであるという認識を持つべきなのです。

 

 世の中には「返さなくても良い借金」なんてありません。民間の常識で考えれば、借金の返済を考えない資金繰りをして、お金を使いまくる会社経営者なんていないでしょう。また、返済のことを全く考えないで住宅ローンを組む会社員もいないでしょう。双方とも自分自身に跳ね返ってくる「自分ごと」だからです。

 

 会社の借金は、『将来実現できる利益額を前借して今使わせてもらう行為』であり、会社員の住宅ローンは『将来獲得できる給料を前借して今使わせてもらう行為』です。将来あげることのできる利益、将来獲得できる給料がそれぞれ見込むことができるから、借金をすることができるのです。民間では、「ペイゴーの原則」が当たり前となっているのです。

 ※ペイゴー原則とは、新たな財政支出を求める場合に、その財源が同時に必要だというもの。