【キネシオロジーセッションレポ】理解するから、理解される | ゆるくてごめん、でも効くから!ムリせず整う からだ・こころ・脳のエクササイズ

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ご訪問いただきありがとうございます!

 

理解されたいと願うのは、

人として普通のことだと思います。

 

人としての本能的な部分は、

誰もが持っていて当然だと思っているので、

その願いを否定はしません。

 

ですが、過ぎたるは百害あって一利なしとも

思っているので、

願いも強すぎると本人も周りも

辛くなってしまいます。

 

 

理解されたいと強く願っているのは、

理解されていないことが多い

思っているからです。

 

大体の場合で自分は人から

理解されているとか、

理解されないこともあるけど、

それはそれであるよね。

 

そんな風に思っていたら、

強く願いすぎることはありません。

 

 

自分が理解されたいと必死になる前に、

相手にも理解できないなりの

事情があるのだと相手を理解していますか?

 

先に相手を理解するんです。

理解しようと努める。

 

そうしたら、自分も人を理解していないし、

理解しようとも思っていないことがあると

気づくはず。

 

そう、お互い様なのです。

 

なのに、自分が理解されることばかりに

重きを置いたら

自分も周りも辛くなるのは想像できます。

 

 

今日のセッションの気づきは

そんなことでした。

 

理解する、しないだけでなく、

どんなことでも、

自分がしていないことは

相手からもされることはまずない。

 

そんな風にも応用できます。

 

自分ばっかり求めちゃだめ。

 

自分ばっかりって気づけないんですよね。

 

 

自戒を込めて。