自分の想いを認識する。 | ゆるくてごめん、でも効くから!ムリせず整う からだ・こころ・脳のエクササイズ

ゆるくてごめん、でも効くから!ムリせず整う からだ・こころ・脳のエクササイズ

体と心の「めんどくさい」に寄添う整えマニア
一番のめんどくさがりだからこそ届けられる、整えの裏ワザ集
キャンプや自然を愛するインドア派?
さとう式リンパケア、キネシオロジーや数秘術など、表の顔はちゃんと活動中
大阪・高槻・京都・オンラインを行ったり来たり

 

こんにちは なみ です。

 

 

自分がどう思っているかって

ちゃんと分かっていてることは大切なんだなと

思う出来事が最近よくありました。

 

 

感情を認める。

 

それが汚く、ネガティブで、

イヤなものであったとしても。。。

単なるグチや不満であっても。

 

そこに在ることを知る。

 

 

 

そしてある時には、私はこう思っている

と、人に話すこともアリだと思います。

 

 

話すだけでも、

見方や感じ方が変わることだってありますから。

 

 

 

 

 

 

だけど、ずーーーーっと自分の感情だけを

話したり、感じたり、認識したりするのは

違うと思います。

 

 

さあ、そこからどうするか?

 

どんな風に気分を変えるか。

 

 

 

ネガティブな感情が在るのは仕方ないし、

あって当然だと思うのですが、

 

そこに囚われる必要はない。

 

 

 

一番して欲しくないなと思うのは、

感情を閉じ込めること。

 

 

亡き者にすると、心の中で暴れますので。

心身の不調にまでなることだってあります。

 

 

 

私もイヤだと思うことや

悲しいと感じる状況や

キライだなと思う人だっています。

 

だけど、イヤだな悲しいなキライだなを

全部認めることにしました。

 

 

相手が悪いにフォーカスするのではなくて、

自分の中にそう思うことがあるのだと知って、

その感情の存在を許可する。

 

 

そうしたら、

普通に?(笑)キライだな~って、

言えるし、

 

キライだからといって、

その人の全人格まで否定しようとは思わないし、

 

むしろ良い所は、それはそれで認められる。

 

また、その良い所が逆効果となって

私の目の前に現れただけなんだなって

思うこともあります。

 

すると、キライはキライのままだとしても、

許すことができる。

 

また、冷静にどうしてその人のその行動を

イヤだと思ったのかな?

 

と、一歩引いて見ることもできます。

(内観やね)

 

 

 

ネガティブはあって当然。

 

存在を許可するところから始まるんじゃないかなと

思います。