高校の化学の勉強はなんだか面白かった気がする。
専門にしようかな、と思わなくはなかったが、底が深そうで自分の頭では大したことが出来そうにない気がして止めた。
そんなわけでトリヨードベンゼンと聞けば、どんな構造式の物質かは分かる。
ベンゼン環、誰でも見たことのあるはず、「カメの甲」と呼ばれている六角形で、三辺だけが二重線になっているあの図形である。
カメの頭と両後足の位置にヨード分子をくっつけるとこれがトリヨードベンゼンである。これだけだとかなりの毒性がありそうで水も溶けないので、カメの両方の前足としっぽの位置に、ジジグザグの水に溶ける分子をくっつけると、トリヨードベンゼンの毒が消え、水に溶けやすくなる。
かくしてヨード系の非イオン性造影剤が出来上がる。
この造影剤は私の仕事を支えてくれており、これがないといくら高級のCT装置を購入しても十分に役に立たず、いくら世界一の血管造影装置を設置しても、リース代を払うお金も生まれない。
つい最近、職員検診があった。
年に2度、血液検査やら尿検査やら心電図やら胸の単純写真やらがある。
「センセ、血液検査しといてくださーい」看護師の声がする。
患者さんに聞かれると「病気かなこの先生?」と思われ仕事に差し障るといけないので、
患者さんの途切れたときにさっと看護師さんに腕を出す。
ウチの看護師さんはみんな注射がうまいので、一番太い針でお願いする。
私も痛いのは嫌いで、かつマゾ的な感覚は持ち合わせていないので、もちろん細い針が好ましい。
でも今回、胸の単純写真がないので、自分の体の中を覗いてみたくなり、造影剤を使ってCTスキャンで首から足の付け根まで一挙に調べてもらうことにした。
私が所望した検査は、ダイナミックCTといって、体中の動脈がはっきり見える検査で、少しばかり動脈硬化症を気にし始めている私にはぴったりの検査だ。
そのためには、少しばかりドロドロのトリヨードベンゼンを、静脈に1秒間4ml程度の速度で総量100mlと少々、急速に入れなければならない。
このために、太い針が必要なのだ。
「センセーの採血、キンチョーするワ」、看護師さんは不安な一言を言いながら私の腕に駆血帯を巻く。
私は落ち着いた雰囲気を醸しながら、ゆっくりと目をつぶる。
痛くない・・・ 私はゆっくり目を開け、「ありがと」という。
この一言は私の心からの感謝の言葉である。
彼女の採血が痛いと、クリニックの評判が落ちるのだ。
10mlの採血をしてもらったが、さすがに針が太いだけあって、すぐに抜ける。
私は腕に太い留置針を残したまま、CT検査室に移動する。
飲水胃充満CT検査法といって、胃を膨らませて胃腸に病気がないか調べる方法がある。
私が考えたCT検査法であり、これを世に知らしむべしと考え、これをユーラシア大陸の東の果て、リスボンで開かれた国際学会で発表した。
その学会は、私の初めての国際学会発表で、前の晩、原稿を抱え、何度も何度も練習した。
それから幾星霜、国際学会も場数を踏むと随分と図太くなり、前の晩はぐっすり寝れるようになった。
そんなわけで、検査のテーブルに載る前に、水をたらふく飲む。
げっぷをすることがきれいな画像を得るためのコツなのだが、胃は随意筋ではないので、これは結構難しい。
さて、検査台に横たわる。
技師さんが、体がまっすぐかチェックする。
これが大事で、これを怠ると私のCT画像を見て看護師さんが、「センセの背中、曲がってる」とか言いかねない。
「ちょっと水、流しますね、」と看護師さんが言う。
腕の内側あたり、腕の中に少し冷たそうなものが、ぶるぶると流れるのを感じる。
痛くもなんともないので、あの太い針は静脈の中に入っているみたいだ。
「センセ、なんかあったらこのボタン押してね」
丸い小さな装置を握らしてもらう。
試しに押すと、操作室で玄関のピンポーンの音がする。
「じゃあセンセ、始めるね、、」
CT検査室のドア-が閉まる。
眼を開けると、検査室の天井に、青い空にいくつもの雲が浮かんでいる。
なかなかやるね! この部屋設計した人、
続く、、、、