医学部の最終学年になるとポリクリと呼ばれる実地の臨床実習のプログラムがある。
なぜポリクリと呼ばれたのか謎であったが、チャットGTPで調べると「ポリクリニークとはドイツ語で「総合診療所」「外来診療所」を意味する言葉で、つまり、「ポリクリ」は「総合診療所」から転じて「医学部の臨床実習」を意味するようになった言葉なのです。
タチドコロに答えてくれた。
あの頃にこんな便利なものがあれば、もっと簡単に賢くなれたにと思うばかりである。
ポリクリで医学の事をどれだけ勉強したのか、もう全く記憶にない。
でも、さらに大事なことはいろいろと勉強し、今もこれを日々の仕事に生かしている。
皮膚科の教授は学生に人気の明るいスポーツマンであった。
初老の男性、足の裏に黒子が出来たと教授の外来を受診した。
『これがんやろか、先生?』と不安げに聞く患者に、
『これはがんなんかやない、、これはな、もっともっとたちが悪いやっちゃ』と教授は正確に正直に伝えた。
みるみる顔色が悪くなり、絶望のどん底に落ち込んでゆく患者の表情が忘れられない。
私のクリニックでも似たような状況はいつも起こる。
このことを思い出しながら、患者さんにどう伝えようかと、今でも悩むことが多い。
産婦人科の教授外来であった。
明らかに夫婦の二人、なんだか二人とも元気がない、誰が見ても何か問題をかかえているようだ。
検査の後、教授が診察と検査の結果を知らせようとしている。
教授は入ってきた夫婦の二人に、「おめでとう、ご懐妊でーす!」と明るく透き通る声で伝えた。
明らかに肩を落としてうなだれる夫、その横で首をたれながら涙を流し始める妻・・
何か変だと気が付いた教授は、明らかに慌て、うろたえている。
私たち六人は、下を向きながら必死に笑い顔を見せないようにしなければならない。
焦った教授は、「検査は絶対確かではないこともありますよ、うん、間違うこともある・・・」
さらに私たち学生は、肩を震わせて笑わないように耐えなければならない。
人生にはいろいろとある。
これを教訓に、私の外来ではいつも、それとなく家族の関係など最優先事項として調べるようにしている。
、
泌尿器科、膀胱鏡は痛いらしい。
尿道を無理やり広げて鉛筆ぐらいの太さの膀胱鏡を通すのである。
痛いのは当たり前で、男は特に痛い、、らしい。
膀胱鏡検査を受けているおじいさん、ベテランの看護師さんが、横について、おじいさんのお腹と腕をさすりながら、「うん、うん、頑張ってね、あそこ痛いんやろ、分かっているよ、うん、うん・・」
顔をしかめながら悶絶するおじいさん、「チャウチャウ、そことチヤウ、〇〇〇や、〇〇〇が痛いんや!」
学生は6人とも、下を向いて笑うしかない。
なるべく言葉は正確に伝えた方がいい。
私は、足の付け根の血管から、細い管を動脈に入れるのが仕事であり、そこを局所麻酔するときは、『麻酔するからね、ちょっと痛いよ、ココ』、と『ココ』を押さえながら言うことにしている。
内科の螺良先生のポリクリであった。
母親に連れられた高校生らしき見るからにおとなしそうな細身の男の子が座っている。
診察室の壁には彼の胸のレントゲン写真が掛けられている。
両側の肺には、まん丸い影がいくつも映っている。
学生が見ても肺の異常は明らかだ。
螺良先生は患者さんと一言二言話したあと、患者さんにズボンを下すように指示した。
学生たちは教授がいきなり何を言い出すのか大層驚いたものだ。
男の子は恥ずかしそうにズボンを下し、学生たちが目にしたのは、腫れあがった陰嚢であった。
先生は静かに一言、「精巣腫瘍です、直ちに入院して化学治療をしましょう。」とはっきり二人に伝えられた。
胸の写真と患者を一目見ただけで、最終診断が下された。
私は今も私の技量がこの領域まで達しているのか自信がない。
医者の先生は患者さんだと、よく言われる。
私も日々経験を積みながら実にそう思う。
それに加えて、大先輩たちの実地の教えも、私には大切な教材である。
私も後輩たちに、伝えたいものが数限りなくある。