S.H@IGTのブログ

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大阪府泉佐野市にある、ゲートタワーIGTクリニックの院長のブログ

『音にきく高師浜のあだ波は、かけじや袖の濡れもこそすれ』は、浜寺で詠まれた歌だと小学校で習った。

歌の意味は分らなかったが、白砂青松という言葉を覚えたのはこの時であった。

そういえば隣に羽衣という地名があり、松林とぴったりの名前である。

少し南には松ノ浜というところもある。

 

この名所は浜寺公園となり、その入り口近くに、石碑がある。

『音に聞く高師の浜の浜松も世のあだ波は逃れ座りけり』とある。 

大久保利通の歌らしく、この歌のおかげで浜寺公園の松は伐採から免れたらしい。

 

私が小学生のころ、浜寺公園は進駐軍に接収されており、芝生の松林の広い敷地に点々と、白くペンキの壁に青くて太い窓枠のあるアメリカ風の家があり、芝生の庭では紅毛碧眼の女の子が遊んでいた。

金網フェンス越しに見ていたその景色が、私のアメリカであった。

 

浜寺公園の向こうには、遠浅の海岸があり、大阪ではちょっとした海水浴場であった。

釣りもできた。

どんな魚も釣れないときにでも、ガッチョだけは釣れた。

メゴチの一種で大きな三角頭の10㎝ほどの魚、色は鼠色、きれいではない。

両眼は飛び出し可愛げがない。

うろこはほとんどなく、ぬめぬめしていて触るのも嫌で、今日もガッチョだけしか釣れへんかったと悲しい気分になったものだ。

でも、英語の名前は、『リチャードソンさんのドラゴンちゃん』と可愛らしい。

にもかかわらず、時には『餌泥棒』と呼ばれ、誰も食べないから誰も持ち帰らない。

あまつさえ『猫マタギ』などとも呼ばれ、何匹も何匹も干からびた体を浜辺に晒していた。

 

小学校の同級生からガッチョと呼ばれた男がいる。

いつも落ち着きがなく、小うるさい。

なんでも話題に喰いついてイッチョ噛みをするので、その男をガッチョと呼んだのであろう。

担任の先生も、なかなか当を得たニックネームですと評していたぐらいだ。

この場合は、ニックネームを訳すとすれば愛称ではなく、あだ名とすべきであろう。

 

その男、授業中には先生の話をまともに聞かず、ボーと窓の外ばかり眺めていた。

どうも人と同じことをするのが嫌いらしく、少しばかり違ったことをするのが好きだが、さりとて大したことをするほどでもない。

長じてその性格が変わったわけではなく、少しばかり変わった仕事をしている。

 

でも、時代は大きく変わった。

高師浜の海は埋め立てられ、その沖は数キロにいわたり石油化学工場に変わった。

 

いまやガッチョは泉州(大阪の南、岸和田以南、紀淡海峡あたりまでの呼び名で、大阪の北に住む人にはダサくて品がなくて住みたくないという響きを持つ)にはなくてはならぬものに変わった。

頭を落とされ3枚に裂かれ、真ん中の骨はそのままつけて唐揚げにされたガッチョは、その面影がない。

酒のつまみには秀逸で、泉州の逸品である。

泉州の料理屋、居酒屋の定番メニューで、名物と言われるほどになっており、東京のお客さんにもおいしいと評判である。

 

息子はこれが好きで、『とりあえずビール!』、『とりあえずガッチョのから揚げ!』とセットで頼む。

孫に至ってもこれが大好きらしく、いの一番にガッチョに齧りつく。

カルシウムも一緒に取れるので、栄養価は高い。

しっかり食べて大きく育て!

 

でも、私はガッチョが好きではない。

 

私もお付き合いにと一匹手に取り、しっぽを掴む。

少しばかり眺めた後、真ん中の骨の部分から齧る。

骨はカリカリと心地よく砕け、松葉のようになった左右の身は、適度に歯ごたえがあって美味である。

 

しかし、噛むほどに、ざわざわと頭の中で聞こえ始める、、同級生のガッチョと呼ぶ声が、、、

やがて私の頭の中に鮮やかによみがえる、、、はるか昔の突堤のコンクリートの上で干からびたガッチョの哀れな姿が、、、

 

この話を読んでマコトニケシカランと叫ぶ人が居たとしても、トーゼンである。

でも、もうとっくに時効であり、どうも私一人の失敗でもなさそうなので、どうかご勘弁願いたい。

 

その昔、何事にもおおらかな時代があり、医療の世界でも同じであった。

医者の仕事をしていても、堅苦しいことは、今よりずいぶん少なかった気がする。

とはいっても決してその時代に戻って欲しいわけではない。

 

私が大学での2年の研修を終え、大阪の大病院に勤め始めたとき、誰が言ったか自分で言ったか忘れたが、血管造影検査が得意と伝わった。

その時、血管造影検査に詳しい医者がいなかったせいもあり、3年目の若造がいきなり血管造影検査の専門家にされてしまった。

院内のそうそうたる医者が集まる検討会で、さも分かったようなことを言い、不遜な発言をしたが、他に専門家がいないので、だれも「ほんまかー?」と突っ込んだりしない。

おかげさまで、自分の言ったことが正しかったのか間違っていたのか、後で考える癖がついた。

 

その昔、リンパ管造影という検査があり行われなくなって久しいが、なぜかこれも専門家に祭り上げられた。

通常、普通の検査室で足の甲を少し切開し、1㎜程度のリンパ管を探し出し、これに針をいれ、ゆっくりと造影剤を流し込むだけの仕事で、患者さんも大してしんどくない検査法であった。

そんな小さな切開を加えるだけなのに、なぜか手術室をあてがわれたことがある。

予定の時間になり手術着に着替え、予定の手術室に入ったら、麻酔の医者がいる。

アレッと思ったら患者さんは全身麻酔をうけ、人工呼吸器が働いている。

『しまった、部屋間違えました』、と踝を返すと、麻酔の医者が背後から

『ごめん、全身麻酔かけてしもた、今更覚まされへんのでこのままお願い・・』

ピクリとも動かぬ患者の足に1㎝の小切開を加え、快適至極なリンパ管造影であった。

くだんの麻酔医は、私がリンパ管に細い注射針を入れるのを見て、

『ようそんな、細い管に薬入れるよなー』とのんきなことを言っている。

結果説明は私の仕事で、

『麻酔を上手にかけてもらったので、1㎜のリンパ管に上手に薬を入れることができ、検査はうまくゆきました』と説明した。

今ならこの話、新聞に載り、院長と主治医と麻酔科医と私で、フラッシュを浴びながら、一斉に頭を下げているに違いない。

 

当時、全身用のCT検査装置が大阪で一番早く、日本でも数台目の装置がその病院に導入された。

当然、CTの画像なんて誰も見たことがない。

若かった私が担当に任じられ、言いたい放題の仕事が始まった。

院内の術前検討会では、CT所見を述べる役目も与えられ、今から思えば不遜極まりない役割であった。

ある日、手術室から呼び出しを受け、

『お前がないといったリンパ節転移あるやないか、おかげで手術法が変わってしもたやないか!』と手術場で怒られたこともある。

 

失敗だったのか、間違いだったのか、はたまた正しかったのか、境界の判らないことばかりだった。

だからなんでも勉強材料だった。

そんな中で少しばかり責任の取り方も勉強したように思う。

 

医療は人の命を預かるのだから間違いは許されないと人は言う。

私もそう思う、でも、今もって医療に完璧はない。

 

AIを駆使して情報分析し、コンピューターが最善完璧の医療を導きだす日がいつかは来るのだろう。

そんな完璧の時代、医者には気楽な時代が来てほしいような気もする。

 

そんな時代が来れば、どんな医者にかかっても同じ結果が得られることになるのだろう。

そんな時代が来れば、だれも責任を取る必要のないような医療になるのだろうか?

そんな時代が来れば、“医者の本懐”なんて言葉は死語になるのだろうか?

 

よく判らないが、私自身は頭を掻きながら、

『どうしたらええんや??』と悩み続ける日々が当分続きそうだ。

クリニックを開院したとき、見事な胡蝶蘭をいくつも戴いた。

お行儀よく一列になり、何列も咲き、見るからに高そうでプロの仕事っぽい。

 

やがて花が終わり、なんだか寂しくなり、来年も咲かすことはできないかと思った。

知り合いのお父さんが蘭の仕事をしていたので、育て方を聞いてもらったら『素人には無理』、とにべもない。

 

むくむくと闘争心が湧き上がり、ならば私が咲かして見せましょう。

 

立派な鉢から株を引っ張り出すと、なんと小さなプラスチックの容器に、押し込められた根が、びっしりと詰まっている。

この花のご先祖様は熱帯のどこかで木にしがみつくように生きていたに違いない。

そう思ったので根っこを開放し、ミズゴケを巻きつけ、適当に鉢に戻して、元気になれよと育ててみた。

10株も作っただろうか、

 

それから霧吹きで水をかけたり、いろいろと手をかけて育てたが、花芽も出ず2年ほどで、ことごとく元気がなくなった。

 

結局、やっぱりプロはすごいね、と闘うことはあきらめたので立派な鉢ばかりが残った。

 

それから何年もして、朝日の夕刊の黒木瞳のエッセイに、胡蝶蘭を育てた話が載っていた。

彼女は優しく扱ってといろいろ書かれていたが、要は、時々、ドカッと水をやり、後は大事に窓際あたりにおいておけばよさそうだ。

 

それからしばらくしてクリニックが引越ししたので、お祝いにまたまた胡蝶蘭をいっぱいいただいた。

少し知恵を授かったので、再び闘争心が燃えあがった。

 

花が終わった後、根っこを自由にしてやり、ミズゴケやらを巻き、少し大きめの鉢にいれ、窓際におき、時々ドカッと水をやり、かなり乾いたねと思える頃にまた水をやる。

 

これはまことに簡単で、時々の水遣りだけを忘れることなく続けると、それに答えてか、みんな元気になってきた。

 

2年目にはいくつかの鉢の胡蝶蘭からは花芽が伸びだした。

 

なんだか嬉しくなり、素人には無理と言われた言葉を思い出しながら、やったぜ胡蝶蘭、と声を掛けたりしている。

 

根っこなんか鉢から何本はみ出すほどに元気で、花の雰囲気とはずいぶん違う。

葉っぱなんかも厚くて大きくて立派で申し分ない。

今年は全部で14株中11本に花芽が伸びだした。

 

太くてながい花の茎、光に向かって伸びるその茎は、水やりのたびに鉢の向きを変えられたりするので、まがりくねったりして、もうお行儀なんて関係ない。

一本の茎から2本目の花の茎が伸び出したり、まったく自由奔放だ。

 

日に日につぼみは膨らみだしている。

ぴくぴく動き出した蛹みたいなやつらで、飛び立て胡蝶蘭、と心の中で励ましている。

 

今年も育てたチューリップでクリニック花いっぱいになったけど、もう終わってしまったし、自慢できるものもなくなった。

 

でも、もうすぐ病棟の受付の看護師さんの後ろあたりのカウンターに、根っこがはみ出し、好き勝手に咲いている花がいたら、それは私が育てたやつらで、私は、『はばたけ胡蝶蘭』と名前を付けている。