S.H@IGTのブログ

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大阪府泉佐野市にある、ゲートタワーIGTクリニックの院長のブログ

私は血圧が少し高いことがある。

降圧剤を処方されているが、あまり真面目に飲んでいない。

 

薬に頼らないのであれば、塩分控えめが良いはずなので、弁当屋さんの弁当の小さなソースや醬油は使わない。

はじめはなんだか物足らなかったが、すぐに慣れて素材の味が良く分るようになって、却ってつつましやかな弁当を楽しんだりしている。

でも、弁当にトンカツが入っていることがあり、その時だけはとんかつソースの小さな袋からとんかつソースをたっぷり小さなとんかつの上に絞り出す。

 

昔、関空からアメリカに行くとき、当分日本食は食べられないからねと思い、とんかつ屋さんに入った。

 

私が座るテーブル席の前に、一人白人の男性が座った。

50歳手前であろうか、会社の地味な制服らしい服を着ている。

先程関空についたばかりと思える。

お茶とメニューが配られ、困る様子もなく、何かを指差し注文した。

トムハンクスみたいな男で、背筋を伸ばして行儀よく座り、落ち着いた雰囲気だ。

時々周りを見回したりしているが、物珍しさの様子はない。

 

私の想像は膨らんだ。

 

きっと彼は貨物機のパイロットに違いない。

時々、関空に来る。

数回前に偶然、関空のとんかつ屋さんに入り、ロースのとんかつを食べた。

その味が忘れられず、関空に降りるたびにこのとんかつ屋さんに来る。

 

間もなくお盆に乗せられたとんかつセットが彼の前に置かれた。

あごの下で両手を組む彼は、ウエイトレスにニコっと微笑む。

キャベツの千切りが添えられ、ご飯とみそ汁と漬物がセットになったとんかつを見ながら、彼はかすかに微笑み、心の中でこれこれ!と沸き起こる興奮を静かに抑えているいるのだ。

ほんの数秒だが組んだ手を放さず、嬉しそうな顔でとんかつ定食に目を注ぐ。

 

やがて慣れた手つきで割り箸を割り、ゆっくりとおひつ型のご飯の容器の蓋をとり、とんかつソースの器から小さな柄杓を使ってソースをとんかつの上にかける。

左手にご飯の器を持ち、右手のお箸でとんかつを挟み、ゆっくりと口に運ぶ。

その仕草は柔らかで、その表情は完璧な幸せ感を醸し出している。

 

彼の日ごろの悩みや、仕事のことなど頭の中からすっかり消え失せている。

幸せで嬉しくてなんだか満たされて、それを見ている私もほのぼのと幸せな気持ちになっている。

 

私は医療者であり、医療の目的は人を幸せにすることだと心得ているが、こんなに自然に完璧に人を幸せにする技をまだ自分のものにしていない。

 

380円の給食弁当の冷えた小さなとんかつの上にソースを絞り出すたびに、貨物機のパイロットの幸せそうな顔を思い出す。

兄がモンゴルで小さな旅行社を経営している。

その兄に頼まれ、泉佐野市民病院が新築移転した時に、余った医療材料をモンゴルの病院に送ったりした。

その縁もあって泉佐野市とモンゴルの町に姉妹都市交流が生まれたらしい。

 

何年か前、市役所の重鎮がモンゴル訪問団を作りウランバートルに出かけた。

事の経緯は覚えていないが、私もその一員になった。

お役目としてモンゴルのがんセンターで講演をする羽目になり、少しはモンゴルとの親善交流にお役に立ったつもりでいる。

 

その2泊3日の弾丸ツアーの帰りである。

ウランバートルからインチョンに向かう飛行機の中で、いやに態度のでかいのがいた。

体格もでかく、CAさんにも横柄である。

あいつ、なんだかどこかで見たような・・・・?

ほどなくして、モンゴル人の有名人なら、「朝青龍」に違いないと気づいた。

印象が悪いのはなるほど、と納得できる。

 

インチョンの乗り換えカウンターで再度「朝青龍」発見、なんだかカウンターで少しもめている様子。

隣にいた私にやおら「ドルの小銭もってる?」と聞く。

イカン、ヤバイ、カツアゲか?と一瞬思ったが、切符を買うのに100ドル札しかなく、お釣りをもらえないから、両替できるかとの質問であった。

その場をどう切り抜けたか忘れたが、私たちは無事に関空行きの飛行機に乗った。

 

私は秘書と一緒だったので、モンゴルで面白かったことなどなど、大きな声で笑いながら話していたらしい。

通路を挟んで斜め後ろにいた「朝青龍」、突然、『そこのお二人さん、楽しそうじゃん』と話しかけてきた。

いきなり有名人に話しかけられて、戸惑ったが、「朝青龍」の態度がいやに馴れ馴れしい。

敬語なんか一切使わない。

私なんかより1万倍有名なのだから立場上、私は敬語を使うべきかと考えたが、それではどうもその場の会話が弾む感じもない。

ほんの数分で、なんだか友達と話し合っている雰囲気になった。

 

『朝青龍君』とは色々と話が弾んだ。

 

『私』:実はね、関空の前でがんの治療してて、モンゴル人の患者も治療できるよ。

『朝青龍君』:(私の名刺を眺めながら朝青龍君はしばらく考え)、『そんな治療はモンゴル人にはあんまり重要じゃないよな』と言う。

『私』:(モンゴルがんセンターで講演までしてきたのに、)、モンゴルでも困っている人、いるよな?

『朝青龍君』:なんでもない病気が、モンゴルじゃ治らないんだよ、そっちの方が数も多いし、がんよりそっちが大事じゃん』

『朝青龍君』:(太い二の腕をまくり上げて)、俺、モンゴルで手首を怪我したわけよ、モンゴルの医者にかかったけど、全然よくならず肘まで腫れちまってね、それでこりゃイカンと思って、日本に来て知り合いの京都の医者に処置してもらい、すぐによくなりはじめ、時々、こうやって時々そのためだけに日本に来るわけよ。

『私』:ちょっと診せて、、(そういえば兄貴も同じようなことを言っていたっけ、)

 

相撲の話は一切しなかったけど、なんだかいい友達ができたような気がした。

こいつ、賢いよな、事の本質をとらえる力があるよな、そんな感じがした。

 

関空で、『連絡おくれ、いつでも相談に乗るよ』、と言って別れたが、その後、なんの連絡もない。

でも、またいつかどこかで、『よう! どっかで会ったけな?!』って挨拶するような気がしてならない。

次は、『朝青龍君』、なんて呼ばず、モンゴルの名前で呼ばせてもらうよ!

初回のソロフライトの命題は、離陸し飛行場の周りを四角く回り、車輪が接地したら直ちに舞い上がる訓練(タッチアンドゴー)を3回繰り返せ、とのことであった。

私は極度に緊張しながら、この命題を完遂した。

地上に降りても歩けないくらいに憔悴しきっていた。

不思議に高揚感や達成感はなく、何が楽しくてこんな苦労をしてるんだろうと感じるばかりであった。

 

2回目だったかと思う、1回目がうまくいったので油断したに違いない。

滑走路の端からエンジン全開で滑走路を走りだすと、ものすごい音がし始めた。

何が起こったのかさっぱり分からない、すでに滑走路の中間地点だ、これを過ぎたらもう離陸するしかない、私はとっさの判断でスロットルを閉じ、ブレーキを踏み、滑走路のぎりぎりで飛行機を止め、駐機場に引き返した。

起こったことを整備の人に説明したら、ドアをロックするのを忘れたので、隙間から空気が入り込んだからだと言われた。

完全な私のミスである。

ミスの上にあの判断が1秒でも遅れていたら、私は滑走路から飛び出し、離陸失敗の記事を新聞に載せてもらっていただろう。

後で、管制官の許可なしに離陸をキャンセルし、無断で駐機場に戻ったと管制官から大目玉を食らった。

ミスの原因は明らかで、安全チェックリストを確認しなかったからだ。

 

それからもソロフライト訓練は続いた。ある時、滑走路に近づき着陸前に車輪を下したが、操縦室のパネルに車輪が下りたとの確認ランプが点灯しなかった。

もう着陸態勢に入っている、このまま下りれば胴体着陸になる。

そんな訓練受けたこともない。頭の中は真っ白である。

『緊急事態、緊急事態』と私は無意識に無線で叫んでいた。

驚いたのは管制官も一緒だろう、無線を通して管制官も極度に緊張しているのが判る。

こっちはもっと大変だ。

『速度を落としてゆっくりと管制塔の近くを通過せよ』との指示が来た。

幸いスローフライトという技術を知っていたのでギリギリの低速度、低高度で通過した。

通過した後,管制官から明るい声で『双眼鏡で車輪の下りていることを確認』との通信があった。再び上昇し、飛行場を周回し、必死の思いで着陸した。

後で整備の人に、間違えて真昼間に着陸燈を点灯したので、操縦席のパネルの明るさが自動的に落ちて、明るい光の中で車輪が下りたことを知らせるランプが見えなかったと説明を受けた。

無意識に触ったスイッチが着陸灯だったのだ。

安全チェックリストに乗らないような凡ミスが、管制官を慌てさせたのだ。

 

まだある。

サンノゼから1時間も飛んだところにあるカルフォルニアのニンニク畑の小さな飛行場に着陸した。

空港に近づくとニンニクの花のいい匂いを機内でも感じる。

教官が、突然、今から一人で飛べという。

『落ちるなよ、俺、家に帰れなくなるから』、いやなジョークである。

一人で飛び立ったのはいいが、なぜか操縦桿が重い。

左に旋回しようと思うが、操縦桿も飛行機も重い。

これではニンニク畑に不時着もできず、飛行場に帰ることもできない。

先程のジョークが、重たく心にのしかかる。

操縦桿が折れるかと思うほどに力を入れ、何とか旋回した。

なぜ?なぜ?考えることより、とにかく力いっぱい操縦桿を回し、高度を下げないようにスロットルを回す。

何としてもあの飛行場に、重い飛行機を滑走路がまっすぐ見える位置まで戻すしかない。

もうすっかり飛行機と闘っている気分だ。

普段よりかなりの大回りしかできない。

何とか真っすぐ前に滑走路が見える!

飛行機から、崩れるように外にでて、教官に事の顛末を報告した。

『自動操縦装置のスイッチ入れたやろ』、すっかり呆れた顔で答えてくれた。

飛行機はまっすぐ飛ぼうとし、私は旋回しようとし、力くらべだったのだ。

そんなスイッチがあることを知らなかった私が悪いのだ。

そんなスイッチを無意識に入れるほど、動転していたのだ。

 

飛行機はとにかくアブナイ。

そんなこんなを経験し、何とか無事試験合格し、自家用陸上単発の免許証を得た。

 

そんなわけで日常生活には何の役にも立たない免許証だが、本職のカテーテル治療の時は、医師免許証を片手にアブナイ、アブナイ、を呪文のように唱えながら仕事をしている。

 

ただし、この場合のアブナイは自分の命ではなく、患者さんの命なのである。