私の30年をかけた仕事、これからも病気の人に役立つものであればと願うばかりです。開発と臨床使用にやっと区切りがつき私の肩の荷が少し軽くなりました。なんだか苦労話のようになってしましました。長々とここまでお付き合いくださりありがとうございました。
2002年11月、動脈塞栓術の専門クリニックとしてゲートタワーIGTクリニックが開院した。
開院式にはジーンマリー(JMV)の姿もあり、緊張した様子でメッセージを読み上げてくれた。
彼とともに開発した球状塞栓物質は試験名をSAP-MSとし、当院で治療した肝細胞癌症例の2年間のデータをフランス政府に提出した。
有効性が認められ、2004年にヨーロッパで『HepaSphere』の名前で商標登録された。
2006年には、厳しい審査で有名なアメリカのFDAでも承認された。
IGTクリニックでは、肝臓癌だけに用いられてきた動脈塞栓術を他のがんにも適応し始めた。
2014年には日本でも保険適応が認められ、細々だが他の施設でも使われ始めている。
日本発の医療材料が、世界中で使われているのは珍しいとのことだ。
少しばかり誇らしい気がしないでもないが、作っているのパリの近郊で、売っているのはアメリカの会社だ。
やっとここまで来たと感慨深いが、その裏には数々の苦労があった気がする。
でも今はそのことを思い出そうとしても、『そんなこともあったっけね』と思うだけで、辛かったことは何も思い出せない。
毎年、年の暮れ、浜田から一夜干しのお魚が届く。
そのたびにお姉さんにお礼の電話を差し上げて、少しばかり昔話をするのが恒例行事になっていた。
2018年の秋、私は思い立って広島に向かった。
広島でレンタカーを借り、まだこれから紅葉が始まる山の中をドライブし、浜田に着いた。
キラキラ輝く穏やかな海が目の前に広がり、一本道の古い街道が海沿いに続く。
少し開けた場所に人がいて、道を尋ねようと車を止めた。
車を降りて、その人に近づいた。
『堀先生?』
そこには、釣井さんのお姉さんがいた。確かにいた。
お宅にお邪魔し、座敷に通していただいた。
壁には釣井さんの写真がある。まぎれもなく釣井さん、、
お線香を手に取り、ゆっくりと火を付け、仏壇に小さなHepaSphereの瓶をお供えした。
『やっと来たよ、 ここまで、、、 とうとう出来たよHepaSphere、 ありがとうね、、、』
30年をかけた私の仕事の区切り、やっとついた。
がんの治療も次の時代へ入ろうとしている。
がん治療に携わる人たちの中で、がんを薬で徹底的に叩けると信じる人はもう少数派だと思う。
小さなクリニックで私たちができることは、これからもそんなに多くはないかも知れない。
でも、あとを継ぐ息子やその仲間たちが何かを考え続け、そんなに苦しまないで命を繋げるような、そんな道をきっと拓いてゆくことだろう。
もう私は、それを静かに見守る、ほかはない。