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理事長@IGTのブログ

大阪府泉佐野市にあるIGTクリニックの理事長のブログ

クリニックを開院したとき、見事な胡蝶蘭をいくつも戴いた。

お行儀よく一列になり、何列も咲き、見るからに高そうでプロの仕事っぽい。

 

やがて花が終わり、なんだか寂しくなり、来年も咲かすことはできないかと思った。

知り合いのお父さんが蘭の仕事をしていたので、育て方を聞いてもらったら『素人には無理』、とにべもない。

 

むくむくと闘争心が湧き上がり、ならば私が咲かして見せましょう。

 

立派な鉢から株を引っ張り出すと、なんと小さなプラスチックの容器に、押し込められた根が、びっしりと詰まっている。

この花のご先祖様は熱帯のどこかで木にしがみつくように生きていたに違いない。

そう思ったので根っこを開放し、ミズゴケを巻きつけ、適当に鉢に戻して、元気になれよと育ててみた。

10株も作っただろうか、

 

それから霧吹きで水をかけたり、いろいろと手をかけて育てたが、花芽も出ず2年ほどで、ことごとく元気がなくなった。

 

結局、やっぱりプロはすごいね、と闘うことはあきらめたので立派な鉢ばかりが残った。

 

それから何年もして、朝日の夕刊の黒木瞳のエッセイに、胡蝶蘭を育てた話が載っていた。

彼女は優しく扱ってといろいろ書かれていたが、要は、時々、ドカッと水をやり、後は大事に窓際あたりにおいておけばよさそうだ。

 

それからしばらくしてクリニックが引越ししたので、お祝いにまたまた胡蝶蘭をいっぱいいただいた。

少し知恵を授かったので、再び闘争心が燃えあがった。

 

花が終わった後、根っこを自由にしてやり、ミズゴケやらを巻き、少し大きめの鉢にいれ、窓際におき、時々ドカッと水をやり、かなり乾いたねと思える頃にまた水をやる。

 

これはまことに簡単で、時々の水遣りだけを忘れることなく続けると、それに答えてか、みんな元気になってきた。

 

2年目にはいくつかの鉢の胡蝶蘭からは花芽が伸びだした。

 

なんだか嬉しくなり、素人には無理と言われた言葉を思い出しながら、やったぜ胡蝶蘭、と声を掛けたりしている。

 

根っこなんか鉢から何本はみ出すほどに元気で、花の雰囲気とはずいぶん違う。

葉っぱなんかも厚くて大きくて立派で申し分ない。

今年は全部で14株中11本に花芽が伸びだした。

 

太くてながい花の茎、光に向かって伸びるその茎は、水やりのたびに鉢の向きを変えられたりするので、まがりくねったりして、もうお行儀なんて関係ない。

一本の茎から2本目の花の茎が伸び出したり、まったく自由奔放だ。

 

日に日につぼみは膨らみだしている。

ぴくぴく動き出した蛹みたいなやつらで、飛び立て胡蝶蘭、と心の中で励ましている。

 

今年も育てたチューリップでクリニック花いっぱいになったけど、もう終わってしまったし、自慢できるものもなくなった。

 

でも、もうすぐ病棟の受付の看護師さんの後ろあたりのカウンターに、根っこがはみ出し、好き勝手に咲いている花がいたら、それは私が育てたやつらで、私は、『はばたけ胡蝶蘭』と名前を付けている。

私はハグが上手い。

理由は簡単で、スイスで働いていたときに、同僚の綺麗な女の人たちや近所の奥さん方と練習したからだ。

かの国では久しぶりに会ったときや一緒に飲みに行った帰り際、所かまわずハグをする。

時々は男同士もハグをする。

スイスではハグだけでなく、頬っぺたにキスをするのが正式(男同士は特殊な関係でなければ非正式)で、それも左右交互に3回キスをするのが決まりで、初めは戸惑うばかりであったが、半年もすれば何の違和感もない。

ハグは人間関係のバロメーターとしても極めて重要で判りやすい。

固く抱きしめられたりすると、『あっ、こいつ俺のこと嫌いじゃないんだ・・・』と判ったりする。

もちろん、その反対もいっぱいあった。

 

その頃日本では、街角でハグなんて映画の世界にもなかった気がする。

でも、今はもうそれほど珍しくはなく、抱き合ってじっと動かないのは問題だが、それほど恥ずかしいことはなさそうな気がする。

 

東京からの患者さんがいた。

私と気が合うのか、診察が終わるとハイタッチで挨拶する。

東京の病院に帰って自分の主治医にそのことを話すと、『俺もする』と言ってハイタッチをするようになったという。

何度かハイタッチを繰り返し、彼女は言う。

『せんせ、次はハグがいい』

私は、昔の練習のおかげで難なくハグをする。

『わたし、東京の先生に“大阪の先生はハグしてくれるよ”って言うよ』

でもその後、東京の先生は彼女にハグをするようになったか私は知らない。

 

子供の頃から知っている晴美ちゃん、卵巣がんに罹ってしまった。

大変な手術や抗がん剤の治療のあとでも底抜けに明るい晴美ちゃんだった。

 

彼女は教会のオルガニストでその道では名前が知れている。

晴美ちゃんは礼拝が終わり、私の姿を見つけると駆け寄ってきてハグをする。

いつも私はそれで晴美ちゃんが元気でいるか確認する。

 

数年して私の出番になり、私のクリニックに入院してきた。

晴美ちゃんの入院していたベッドには、あの限りなく明るい笑い声が今もしみ込んでいる。

晴美ちゃんは私の知り合いだし、若いし、綺麗し、ほかの患者さんの手前もあるし、いろいろ気を使うことがあって、クリニックでは「大丈夫か?」って聞く代わりにハイタッチはしていた、が、ついぞハグはしなかった。

 

1年以上も私のクリニックで治療を続けたが、とうとう自宅近くの病院に入院し、いろいろな処置を受けていた。

「元気だよ」というメールが途絶え、気になって様子を見に行った。

 

病棟の一番奥の病室で、家族に見守られながら晴美ちゃんはいた。

私はベッドの横で『晴美ちゃん、なかなか来れなくてごめんね』と声を掛ける。

浅い呼吸を苦しそうに繰り返し、痙攣が続く晴美ちゃん。

何も答えてくれず、瞳が宙を泳いでいる。

もう意識がないのだろうか。

私はもう何もしてあげれない、でもでも、私はなぜもっと早くここに来なかったのか、、、

 

看護師さんたちが何度も痙攣発作の処置や体の位置を変えに来る。

でも、私は何もしてあげられない。

 

晴美ちゃんの肩に手を置いて、『また来るね』と声を掛けた。

その時、晴美ちゃんの目から涙がツーっと流れ出るのを見た。

『晴美ちゃんの涙を拭くのは初めてだね』

私はベッドのそばにあったテッシュペーパーで涙を拭いた。

私ができたのはたったそれだけだった。

 

あくる朝、晴美ちゃんが天国に旅立ったと連絡があった。

 

悲しみとともにやるせない思いが湧き上がってくる。

どうして最後にハグしなかったのか?

どうして私の指で涙をぬぐってやらなかったのか?

私が彼女にできること、しなければならないことはそれだったのに、、、、

 

いま、アメリカ人の患者さんがいる。

もう長く日本に暮らし、旦那さんも日本人みたいだ。

彼女は診察室に入ってくるなり飛びつくように私に抱き付く。

 

診察が終わり、『再発はないよ』と彼女に伝える。

私も嬉しくて両手を広げハグをし、背中を軽く両手でポンポンとたたく。

私の視線の先には旦那が居て、嬉しくて嬉しくて両手の親指を立ててグーサインを私に送る。

先日、放射線科専門医会の雑誌に書いた小文です。

若い医者に言いたいことは?という特集でした。

業界内の話ですが、何かのご参考になればと思う次第です。

 

 

 

私は団塊の世代の最後につけている。

小学校の卒業式のあと、学年担当の教師から、『君らの世代ははこれから一生競争が続くと覚悟せよ、受験戦争を勝ち抜いても、うかうかしていると嫁さんももらえなくなる。』と脅かされ、『棺桶も予約しておいた方が良い。』と言われた。 

その後の展開は、まったくその通りになり、棺桶はともかくとしても、最期は焼き場も順番待ちが続くことになりそう、との予測もある。

 

団塊の世代は、負けたら終わりと人を押し退けながら走りに走って、資源を食い散らかし、問題を先送りしながら、後片付けもしないで最後は年金を食い尽くす、、、 少し後の世代の持つ印象はこんなところだろうか?

 

大迷惑の世代が次の世代に何を残したかはなはだ心許ないが、それなりの自負があるとしたら、自分の頭で考えてどうすれば生きる道が拓けるか模索し続けてきたことだろう。

今に生きる人たちは、何か判らないことがあるとすぐにスマホで検索し、たちどころに答えを得る。

さらに、私が検討会でしゃべりだすと、スマホで検索し裏をとり、先生間違っていますよとコメントをくれたりする。

誠に正確無比な気がしないでもないが、待てよ、それって自分の頭の中を通った情報?と問い返したくなる。

同時にネットに神様がいて、神託を受け自分が正しい思いこみながら生きているのでは?と気になることもある。

 

こと放射線科の仕事を鑑みれば、このことは今後のAIへの発達と絡んでいないかと考えたりする。

読影レポートを書き終えて、AIでチェックし安心して所見登録ボタンを押すことにならないか? 

さらにその後に来る世界は、AIで所見を書いてもらい、安心して承認のアイコンをクリックする仕事に代わってゆきはしないのか? 

でも、この道は誤診を避けて、患者に災いをもたらさないの最良の道でもあるかもしれない。

スマホで便利になったのは確かだが、人は幸せになったのだろうかという疑問はここでも生じる。

 

そんなこんなを考えるうちに、こんな夢を見る。

 

外来、病棟にはいくつもの診断説明室が並んでいる。

そこでは医者が読影所見を横に置き、患者と同じ画像モニターを見ながら、ワークステーションを駆使して患者自身に丁寧に判りやすく、どこに問題があるのか、何に注意すればいいのか、顔を見ながら説明し、患者の相談にも乗ったりする。

医者は今の説明はここにも書いてありますと、目の前で報告書にサインし、患者はありがとうと握手を求めてきたりする。

患者は自分の抱える健康問題を医者から直接聞いて安心し、この病院って信頼できるねと安堵する。

診断説明室から出てくる医者の白衣には刺繍のエンブレムがあり、そこには医者の名前とともに放射線科専門医とはっきり誇らしく書いてある。

 

医者に限らず仕事をする誰もが願うのは、それぞれの業が人の役に立ち、それに誇りを持って遂行することだろう。

この点だけはAI様がなしえないことであり、AIに負けじと争う必要はないのかなと思ったりしている。