S.H@IGTのブログ -9ページ目

S.H@IGTのブログ

大阪府泉佐野市にある、ゲートタワーIGTクリニックの院長のブログ

先日、放射線科専門医会の雑誌に書いた小文です。

若い医者に言いたいことは?という特集でした。

業界内の話ですが、何かのご参考になればと思う次第です。

 

 

 

私は団塊の世代の最後につけている。

小学校の卒業式のあと、学年担当の教師から、『君らの世代ははこれから一生競争が続くと覚悟せよ、受験戦争を勝ち抜いても、うかうかしていると嫁さんももらえなくなる。』と脅かされ、『棺桶も予約しておいた方が良い。』と言われた。 

その後の展開は、まったくその通りになり、棺桶はともかくとしても、最期は焼き場も順番待ちが続くことになりそう、との予測もある。

 

団塊の世代は、負けたら終わりと人を押し退けながら走りに走って、資源を食い散らかし、問題を先送りしながら、後片付けもしないで最後は年金を食い尽くす、、、 少し後の世代の持つ印象はこんなところだろうか?

 

大迷惑の世代が次の世代に何を残したかはなはだ心許ないが、それなりの自負があるとしたら、自分の頭で考えてどうすれば生きる道が拓けるか模索し続けてきたことだろう。

今に生きる人たちは、何か判らないことがあるとすぐにスマホで検索し、たちどころに答えを得る。

さらに、私が検討会でしゃべりだすと、スマホで検索し裏をとり、先生間違っていますよとコメントをくれたりする。

誠に正確無比な気がしないでもないが、待てよ、それって自分の頭の中を通った情報?と問い返したくなる。

同時にネットに神様がいて、神託を受け自分が正しい思いこみながら生きているのでは?と気になることもある。

 

こと放射線科の仕事を鑑みれば、このことは今後のAIへの発達と絡んでいないかと考えたりする。

読影レポートを書き終えて、AIでチェックし安心して所見登録ボタンを押すことにならないか? 

さらにその後に来る世界は、AIで所見を書いてもらい、安心して承認のアイコンをクリックする仕事に代わってゆきはしないのか? 

でも、この道は誤診を避けて、患者に災いをもたらさないの最良の道でもあるかもしれない。

スマホで便利になったのは確かだが、人は幸せになったのだろうかという疑問はここでも生じる。

 

そんなこんなを考えるうちに、こんな夢を見る。

 

外来、病棟にはいくつもの診断説明室が並んでいる。

そこでは医者が読影所見を横に置き、患者と同じ画像モニターを見ながら、ワークステーションを駆使して患者自身に丁寧に判りやすく、どこに問題があるのか、何に注意すればいいのか、顔を見ながら説明し、患者の相談にも乗ったりする。

医者は今の説明はここにも書いてありますと、目の前で報告書にサインし、患者はありがとうと握手を求めてきたりする。

患者は自分の抱える健康問題を医者から直接聞いて安心し、この病院って信頼できるねと安堵する。

診断説明室から出てくる医者の白衣には刺繍のエンブレムがあり、そこには医者の名前とともに放射線科専門医とはっきり誇らしく書いてある。

 

医者に限らず仕事をする誰もが願うのは、それぞれの業が人の役に立ち、それに誇りを持って遂行することだろう。

この点だけはAI様がなしえないことであり、AIに負けじと争う必要はないのかなと思ったりしている。

私が堂々と自慢できるのは、チューリップの達人と呼ばれていることであろう。

 

母親の住んでいる家の隣が少しばかり空き地になっている。

家に囲まれた土地なのでいささか日当たりに問題があり、さらに砂地なので水はけが良すぎる。

肥料をどっさり入れて野菜作りを試したが、毎日の水やりを忘れるのでいかんともしがたい。

 

チューリップなら大丈夫と聞き、肥料をたっぷり入れて畝を作り、赤白黄色といろいろ買ってきて植えた。

これが意外にうまくゆき、球根を掘り上げ、次の年に植えたりするのが楽しみになった。

もちろん球根の管理に失敗したりしたが、数々の経験を積み、以下の方法を完成させた。

 

まず、花が終わり葉っぱが枯れだしたら、球根を掘り上げ土がついたまま、風通しの良い場所で2週間ばかり乾かす。

次に、土を落とし大小の球根をバラバラにして再び2週間ばかり乾かす。

そののち、大小を分けて、20個づつ新聞紙にくるみ、段ポール箱に入れて翌年秋まで保管する。

11月の初めころに肥料をたっぷり入れて畝をつくり、2週間ほど待って、球根を10㎝間隔くらいでぎっしり植える。

 

次の春、大球根は立派な花を咲かせる。

小球根は1枚だけ大きな葉っぱを出すが、花は咲かせず球根だけが大きくなる。

 

富山からの患者さんにこんな話をしたら、完璧なチューリップ栽培法だと言う。

そうだろう、球根の数はどんどん増えてゆく。

立派な大球根はホームセンターに並んでいるのと何ら遜色はない。

 

でも実は色分けが大変で、花が咲いているときに、この花何の色と区別をつけて置く。

花にもいろいろあり、色が違うだけでなく、咲き方や形が何となく品があるやつもいるし、まったくアカンやつもいる。

一番後に咲いて、一番早く散るやつもいる。

 

そんな訳で、育ての親ながらえこひいきがはなはだしい。

 

花の時期は毎朝、根元の葉っぱを2枚は残し、花束にしてクリニックに持ってゆく。

患者さんが、きれいねとコメントしたりすると、すかさず『私が育てました』と自慢をする。

 

花束を持ってエレベーターの中で看護師さんや職員さんに会ったとき、『これ君に!』と言いながら渡したとき、なんとリアクションするかを楽しみにしたりしている。

 

今年の6月、用事があってソルトレークに行った。

彼の地に高校の同級生がいる。

かなりの美人でアメリカ人に拉致され、幸福な家庭を築いている。

お土産を買う暇がなかったので、日本の新聞紙にくるんだ球根を20個ばかりプレゼントした。

とても喜んでくれ、私もとても嬉しかった。

私の選び抜いた球根が彼の地で芽をだし、彼女の庭で花を咲かせてくれれば、こんなロマンチックな話はない。

 

さて、今年は大問題がある。

春の連休、球根を掘り上げた畝に目を付けた近所の野菜作りセミプロの人がカボチャを植えた。

もうすっかり秋になったのに、畑はまだ一面カボチャの葉っぱで覆われている。

 

当分、球根は植えれそうにない。

カボチャに早く枯れろと祈るのは、さもしい限りであろう。

そんな訳で来年は無理かもと思い始めている。

 

今年は500個以上の球根が段ボール箱に眠っている。

 

クリニックのスタッフや知人のところに、嫁に出そうか、、、

うまく育ててくれるだろうか、少し心配している。

 

患者さんにあげたりして、『秋に植えると来年の春にはきっときれいなチューリップが咲くよ』と伝えれば、どんな薬より良く効くかも知れない。

ひょっとして、私のカテーテル治療より良く効くかも知れない。

それも少し心配だ。

私の30年をかけた仕事、これからも病気の人に役立つものであればと願うばかりです。開発と臨床使用にやっと区切りがつき私の肩の荷が少し軽くなりました。なんだか苦労話のようになってしましました。長々とここまでお付き合いくださりありがとうございました。

 

 

2002年11月、動脈塞栓術の専門クリニックとしてゲートタワーIGTクリニックが開院した。

開院式にはジーンマリー(JMV)の姿もあり、緊張した様子でメッセージを読み上げてくれた。

 

彼とともに開発した球状塞栓物質は試験名をSAP-MSとし、当院で治療した肝細胞癌症例の2年間のデータをフランス政府に提出した。

有効性が認められ、2004年にヨーロッパで『HepaSphere』の名前で商標登録された。

 

2006年には、厳しい審査で有名なアメリカのFDAでも承認された。

 

IGTクリニックでは、肝臓癌だけに用いられてきた動脈塞栓術を他のがんにも適応し始めた。

2014年には日本でも保険適応が認められ、細々だが他の施設でも使われ始めている。

 

日本発の医療材料が、世界中で使われているのは珍しいとのことだ。

少しばかり誇らしい気がしないでもないが、作っているのパリの近郊で、売っているのはアメリカの会社だ。

 

やっとここまで来たと感慨深いが、その裏には数々の苦労があった気がする。

でも今はそのことを思い出そうとしても、『そんなこともあったっけね』と思うだけで、辛かったことは何も思い出せない。

 

毎年、年の暮れ、浜田から一夜干しのお魚が届く。

そのたびにお姉さんにお礼の電話を差し上げて、少しばかり昔話をするのが恒例行事になっていた。

 

2018年の秋、私は思い立って広島に向かった。

広島でレンタカーを借り、まだこれから紅葉が始まる山の中をドライブし、浜田に着いた。

キラキラ輝く穏やかな海が目の前に広がり、一本道の古い街道が海沿いに続く。

 

少し開けた場所に人がいて、道を尋ねようと車を止めた。

 

車を降りて、その人に近づいた。

『堀先生?』

そこには、釣井さんのお姉さんがいた。確かにいた。

 

 

お宅にお邪魔し、座敷に通していただいた。

壁には釣井さんの写真がある。まぎれもなく釣井さん、、

 

お線香を手に取り、ゆっくりと火を付け、仏壇に小さなHepaSphereの瓶をお供えした。

『やっと来たよ、 ここまで、、、 とうとう出来たよHepaSphere、 ありがとうね、、、』

 

30年をかけた私の仕事の区切り、やっとついた。

 

がんの治療も次の時代へ入ろうとしている。

がん治療に携わる人たちの中で、がんを薬で徹底的に叩けると信じる人はもう少数派だと思う。

 

小さなクリニックで私たちができることは、これからもそんなに多くはないかも知れない。

でも、あとを継ぐ息子やその仲間たちが何かを考え続け、そんなに苦しまないで命を繋げるような、そんな道をきっと拓いてゆくことだろう。

 

もう私は、それを静かに見守る、ほかはない。