先日、放射線科専門医会の雑誌に書いた小文です。
若い医者に言いたいことは?という特集でした。
業界内の話ですが、何かのご参考になればと思う次第です。
私は団塊の世代の最後につけている。
小学校の卒業式のあと、学年担当の教師から、『君らの世代ははこれから一生競争が続くと覚悟せよ、受験戦争を勝ち抜いても、うかうかしていると嫁さんももらえなくなる。』と脅かされ、『棺桶も予約しておいた方が良い。』と言われた。
その後の展開は、まったくその通りになり、棺桶はともかくとしても、最期は焼き場も順番待ちが続くことになりそう、との予測もある。
団塊の世代は、負けたら終わりと人を押し退けながら走りに走って、資源を食い散らかし、問題を先送りしながら、後片付けもしないで最後は年金を食い尽くす、、、 少し後の世代の持つ印象はこんなところだろうか?
大迷惑の世代が次の世代に何を残したかはなはだ心許ないが、それなりの自負があるとしたら、自分の頭で考えてどうすれば生きる道が拓けるか模索し続けてきたことだろう。
今に生きる人たちは、何か判らないことがあるとすぐにスマホで検索し、たちどころに答えを得る。
さらに、私が検討会でしゃべりだすと、スマホで検索し裏をとり、先生間違っていますよとコメントをくれたりする。
誠に正確無比な気がしないでもないが、待てよ、それって自分の頭の中を通った情報?と問い返したくなる。
同時にネットに神様がいて、神託を受け自分が正しい思いこみながら生きているのでは?と気になることもある。
こと放射線科の仕事を鑑みれば、このことは今後のAIへの発達と絡んでいないかと考えたりする。
読影レポートを書き終えて、AIでチェックし安心して所見登録ボタンを押すことにならないか?
さらにその後に来る世界は、AIで所見を書いてもらい、安心して承認のアイコンをクリックする仕事に代わってゆきはしないのか?
でも、この道は誤診を避けて、患者に災いをもたらさないの最良の道でもあるかもしれない。
スマホで便利になったのは確かだが、人は幸せになったのだろうかという疑問はここでも生じる。
そんなこんなを考えるうちに、こんな夢を見る。
外来、病棟にはいくつもの診断説明室が並んでいる。
そこでは医者が読影所見を横に置き、患者と同じ画像モニターを見ながら、ワークステーションを駆使して患者自身に丁寧に判りやすく、どこに問題があるのか、何に注意すればいいのか、顔を見ながら説明し、患者の相談にも乗ったりする。
医者は今の説明はここにも書いてありますと、目の前で報告書にサインし、患者はありがとうと握手を求めてきたりする。
患者は自分の抱える健康問題を医者から直接聞いて安心し、この病院って信頼できるねと安堵する。
診断説明室から出てくる医者の白衣には刺繍のエンブレムがあり、そこには医者の名前とともに放射線科専門医とはっきり誇らしく書いてある。
医者に限らず仕事をする誰もが願うのは、それぞれの業が人の役に立ち、それに誇りを持って遂行することだろう。
この点だけはAI様がなしえないことであり、AIに負けじと争う必要はないのかなと思ったりしている。