私の趣味のような研究でしたが、何かに導かれるように最初の治療が出来ました。
病気に悩んでいた患者さんの明るくなった顔が、開発を続ける力になりました。
私が新しい塞栓物質の研究をしているのを知っていた脳外科医の友人からの紹介だった。
左足の動静脈奇形で何年も前に手術を受けたけれど、足の裏の痛みや出血などの症状がだんだんと強くなり、もう足を切断するしかないと言われ、何とかならないかと私を訪ねて来られた。
私の研究の内容をお伝えし、他に治療法がないのならこんな方法もなくはありません、と話したところ、その場ですぐに治療してほしいとお願いされた。
足の付け根の動脈からマイクロカテーテル足の裏にある動静脈奇形のすぐ近くまで進めることができた。
もう後は、塞栓物質を注入するだけだ。
こんな時、医者はどんなに怖い気持ちになるか、ご存知だろうか?
頭の中を数々のことがよぎる。
痛みが出たらどうしよう? ショックは起こったらどうしよう、、、 足の皮膚がはげ落ちるのでは?
肺に飛んで呼吸困難になったらどうしよう?
失敗したら新聞にのるかなあ・・?
これで医師免許もなくなるかも・・・・
ほとんど最悪のシナリオが頭の中を駆け巡る。
いいことは何も思い浮かばない。
でもでも、動物実験では大丈夫だったよな、、、
でもほかに治療法はないよな、このままだと足は切断だよな・・・・
最後はどんな気持ちで塞栓物質を動脈に注入したのか・・・、 もう覚えていない。
治療直後、彼の足は見た目には何も変わっていない。
一つだけ明らかに変わったのは、病気の部分の拍動が確実に弱くなっていることだ。
良かった、何も怖いことは起こっていないよね。
その安堵だけが、心地よい。
あくる日、彼は痛みが消えたと明るい顔で言う。
少し歩けるようになったと、弾んだ声で教えてくれた。
彼の喜ぶ顔を見ながら不思議な気分、なぜか素直に喜べない。
良かったね、と話しながら何故なんだろうと考えるばかり、、、不思議に高揚した気持ちもならなかった。
ただ、今までの動物実験の結果と人での結果とが同じだった、だから動物実験のやり方は間違っていなかった、少しばかりの誇りを感じた気がする。
しばらくして、義理の弟の肩の筋肉に腫瘍ができ、私に相談に来た。
大学の親しい整形外科医に相談したところ、良性腫瘍だが手術が必要、だけど、この腫瘍は術中に大出血するので、筋肉と一緒に取ることになり、機能障害が残り厄介だという。
手術がしてもいいけれど、手術の前に腫瘍の血流止めるために私の得意な塞栓術をしてほしいという。
何という僥倖、何というめぐりあわせであろう。
全くの初めてではないし、ジェンナーが息子に種痘を打つ気分より、気が軽い。
義理の弟には、塞栓術の必要性を懇々と説き、私の研究の内容と、それが正に安全で問題ないことも伝え、決して世界で初めての臨床使用ではないと言った。
しかし、私は彼にそれが『世界で初めて腫瘍に使う』とは言わなかった・・・、気がする。
術後に整形外科医からは手術がとても楽で輸血も要らなかったとのコメントをもらい、いただいた手術の病理標本には、しっかりと球状塞栓物質が血管内に詰まっていた。
この写真は今でも私の宝物で、講演を頼まれたときにはこのスライドを見せ、『世界で初めて腫瘍の塞栓術』といつも自慢をしている。
彼は術後も立派にゴルフを続け、今もシングルプレーヤーであり続けているのは、私のおかげでと言っていい。
どうも恐れていた副作用は、それほどでもなさそうだ。
なんだか期待が出来そうだ。
段々と自信を深め、私の診ている患者さんたちのことを考え始めていた。
そのころ、私は大学で肝臓がんの患者さんの治療を専門にしていた。
今までの塞栓術では、肝臓の機能が悪くなったり、痛みが出たりの副作用が患者さんたちを苦しめることを知っていた。
新しい塞栓物質なら何とかできるかも、、、思いはするが、そんな簡単に臨床研究が組めるわけはない。
肝臓がんに苦しむ何人も診ながら、何もこれ以上できない無力感に包まれていた。
そんな時に、私は大阪の南部、新しくできる関西空港の近くの病院に転勤が決まった。