S.H@IGTのブログ

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大阪府泉佐野市にある、ゲートタワーIGTクリニックの院長のブログ

最近、私が診ている患者さんから「アインシュタインからの墓碑銘」という本を戴いた。

アインシュタインと親交のあった三宅速という外科医の物語である。

この先生は九州大学の外科を作り上げた教授であり、作者の比企寿美子さんは、三宅速先生のお孫さんに当たる。

 

三宅先生はヨーロッパから日本への船旅の中でアインシュタインと知り合い、ご夫妻は福岡にあった三宅速先生のご自宅を訪れたほど親しかったという。

その後も親交を重ねられたことが詳しく記録されている。

三宅速先生は、岡山の空襲で亡くなられ、このことを知ったアインシュタインが、ご家族に贈った言葉が徳島の穴吹の光泉寺にある三宅先生の墓碑に刻まれているという。

 

この本の中に、空襲の真っ只中、三宅先生を助けるべく焼夷弾の降り注ぐ街を駆け回った医学生が登場する。

この本の作者の従兄の螺良英郎という方である。

 

この名前を見たときに、私の体にフラッシュバックの電気が走り、本を閉じ眼を閉じてあの記憶を瞼に映した。

 

私が勝手に恩師だと思っている徳島大学の内科学の螺良教授は、ダンディで優しく新進気鋭の免疫学の研究者であるとともに、真の臨床医でもあった。

 

ポリクリという学生の臨床実習がある。

学生が螺良教授の外来診療の後ろに並び、診療の流れを学ぶ実習である。

学生にとっては学んだ医学の知識がどのように実際の臨床に役立つかを実感できるカリキュラムでもある。

 

患者さんは母親に連れられた高校生らしき見るからにおとなしそうな細身の男の子であった。

螺良先生の診察室の壁には彼の胸のレントゲン写真が掛けられている。

両側の肺には、まん丸い影がいくつも映っている。

学生が見ても肺の異常は明らかだ。

螺良先生は患者さんと一言二言話したあと、患者さんにズボンを下すように指示した。

学生たちは教授がいきなり何を言い出すのか大層驚いたものだ。

 

男の子は恥ずかしそうにズボンを下し、学生たちが目にしたのは、腫れあがった陰嚢であった。

螺良先生は静かに一言、「精巣腫瘍です、直ちに入院して化学治療をしましょう。」とはっきり二人に伝えられた。

なんとすごい医者なんだ、この先生は、、、

私はこの先この先生に追いつくことができるだろうか、、、

 

それ以後、私は螺良先生の免疫学の講義は一言一句決して聞き逃さなかった。

免疫学に興味を持ち、その難しさも同時に勉強した。

 

螺良先生から卒業後、私の教室で研究しないかとお勧めいただいたが、よほど頭がよくなければこの道ではやっていけないのではと不安だった。

大阪に帰らなければならない事情もあり、結局のところ放射線科を専攻した。

 

卒業後20年近く経ったころ、螺良先生は大阪で開かれた何かの研究会に招待され、間近に講義を拝聴できる機会があった。

講演の内容は記憶から遠くに失せてしまったが、私が螺良先生に師事していたら、今頃何をしているんだろうと想いを馳せた。

講演のあと挨拶させていただいたが、一介の学生だった私のことをよく覚えていると言って戴き、本当に嬉しく思ったと同時に、免疫学をこれから自分の仕事に生かしたいと心から思った。

 

螺良先生とのご縁であろうか、、 免疫学こそががん治療の柱であるべきと今も思い続けている。

 

そんな私と螺良先生とのご縁を、作者の比企寿美子さんにメールでお伝えした。

 

まもなく、比企寿美子さんから、「百年のチクタク」というご著書を送っていただいた。

この本には、三宅速先生から始まる家族とその周辺のお話が詳しく記されている。

 

いつか、2冊の本を携え、比企先生をお訪ねし、サインを戴きたいと夢見ている。

 

今年の夏には、徳島の光泉寺、三宅速先生のお墓にお参りに行くつもりでいる。

私のドイツ語の能力で、墓碑銘が読めるか甚だ心もとないが、この寺の和尚さんにも詳しいお話をお聞きしたいと思っている。

 

砂漠は熱いと決め込みスーツケースに夏の服を詰め込んだが、スマホにドバイの天気予報みたら、最低気温16度とあった。

ほんとかなあ、と不安だったが、2月のドバイは、暑くもなく寒くもない。

 

降り立ったドバイの町は、派手な高層ビルが林立し、上海の街の景色とはあまり変わらない。

走る車の中からは砂漠らしい景色は何処にも見当たらない。

 

3日間の滞在中に2日も雨が降り、少しの雨で道路は水没、各所で通行止めだ。

私の秘書は危機管理能力に優れ、小さな折り畳みの傘をもっていた。

相合傘で歩く秘書と私を見て、雨の中を走るドバイの人は、なんと感じたのだろうか?

 

日本で想像していたドバイと何もかも違う、、、もう頭の中で納得できない。

 

一目でいろいろな人種がいるのがわかる。

レストランやホテルやタクシーで出身は何処? と聞くと、バングラデシュやパキスタン、インド、インドネシアやフィリッピンと答えてくれる。

みんな満足して働き暮らしている様子。

とうとう働くドバイ人には出会わなかった。

 

そんなこんなでアラブの街に行ってきたという印象は今もない。

 

今までアラブのことは肌身で感じる機会はほとんどなく、昔、スイスで働いた時に、チェニジアのお金持ちを治療し、文化の違いを強烈に感じたくらいだ。

もう一つ、

ヨーロッパからの帰り、ドバイ空港はいつも経由地だった。

ある時、ドバイの空港のビジネスラウンジにいたとき、ニカーブという目だけを出した黒ずくめの女性が二人、私の隣に座った。

無為に緊張したのを覚えている。

でも二人は座ると同時にニカーブを脱ぎ始め、中から見眼麗しい千夜一夜の舞姫が2人出てきたのだ。

ミニスカートの二人は二カーブをバッグに入れて、スマホ片手に転げるように笑いながらラウンジからでていったのだ。

何かを垣間見た。

 

学会の懇親会で知り合いになったサウジアラビアから来たハディジャは、もうすっかり欧米の人達と変わらない。

可愛らしい人で、声も優しい。

ユキオミシマが好き、トヨコヤマザキの大ファンだという。

日本に来たいという、、、大歓迎だ。

 

彼女がトヨタの車を運転して、ドバイの町を案内してくれた。

ふと気が付くと、懇親会の時にはしていたヒジャブはなく、きれいな黒髪をナビカセながら町を案内してくれている。

帰りにホテルまで送ってくれて、別れ際、私の秘書とハグをしている。

私もしたかった、、、

 

帰る日にイラン人とフランス人とミーティングがあった。

出席していたイラン人の女性二人もノースリーブにノーヒジャブである。

アレレ?と思ったが、それを聞くとイランに帰ったら、しっかり長袖を着てヒジャブは必携とのことである。

伝え聞くとイランも変わりつつあるらしいが、どうなんだろう?

 

なんだかアラブが面白い。

みんな好奇心強いし、友好的だし、誰ともけんかをしてる様子もうかがえない。

 

私が見たのはアラブのほんの一面である。

ドバイで見たイスラムは、学会上のお祈り部屋の入り口だけだった。

なんだかここからは踏み込めない世界の入り口のように感じた。

 

人類みな兄弟と思うものの、同じ人間の日々の生活に及ぼしている宗教の影響をもう少し見てみたい。

 

いま、私が一番行ってみたい国はサウジアラビアだ。

昨年、夏の終わりに知り合いのシリア人の医者から、今の仕事は何?と簡単なメールが届いた。

彼は昔、大阪の大学病院に留学していた放射線科医だ。

一緒に研究したことはないのだが、帰国する直前に私のクリニックを1週間見学してくれた。

返事には、他の病院では全く治療できない乳癌や肺がん進行例を、カテーテルで治療していると書き留めた。

 

秋も深くなったころ、突然、アラブ諸国のカテーテル治療の学会から招待メールが届いた。

プログラムが添付されていて、既に私の名前が、いくつかのセッションに載っている。

この状況になると断る理由をみつけるのは難しい。

 

このご時世、中東に行くなんて、、といろいろご意見ご忠告を頂いたが、アラブが如何なるところか知らないで一生を終えたくない。

 

その学会は、思っていたより大きく運営もしっかりしていて、3000人くらいは参加していただろうか。

アラビア半島を中心に、ヨーロッパやアメリカから有名どころが参加し、かなり国際色豊かだ。

でも不思議に東洋系は少なく、私を含めて4,5人しかいない。

 

発表はすべて英語で、アラビア語はほとんど聞こえてこない。

アラブ人同士で話している時も、時々英語が混じる。

お互いの国の訛りが強くて解らないときに、英語になるのだろうか?

 

私は合計5回も発表の機会を与えられ、今回はやり切った感が強い。

その訳は、簡単だ。

壇上で緊張しながら話している時に、聴衆の誰が寝ているのか、だれがボーとしているか、誰がスマホをいじっているか、実は結構わかるのだ。

今回は私の発表中、誰も寝ていない。

自慢の症例を提示した時は、会場の人々の声にならない ”オー、、“ が聞こえたりする。

要は私の話がウケたと感じることができたのだ。

幾つもの質問を受け、多少焦ったりしたが、関心を示してくれた証であろう。

新しい技術を探し求める人たちがここにはいっぱいいる!、と感じたのだ。

 

翻ってこんなこと、日本の学会で発表した時に感じたことがあったろうかと、考え込んでしまう。

 

学会場を歩いていると、色々な人が声を掛けてくる。

“貴殿のクリニックで研修できるのか?” と何度も聞かれた。

よくよく聞くと、アラブの人達は外国で1年間勉強した実績がないと、まともな医者として認められないらしい。

私は、快くOK, と答えるのだが、ほんとに全員来たらどうしようと今不安になっている。

 

とにかくアラブの人達は人見知りもせず、積極的で行動的なのだ。

昔の日本にも、こんな人たちが多くいたから、今の日本があるのではと思ったりする。

今の日本人が、未来の日本を作ることができるのだろうかと、余計な心配までしている。

 

3日間で知り合いもいっぱいできた。

サウジアラビアやイランやエジプトにも来てほしいと言ってくれる。

なんだか恐ろし気なところばかりだが、行ってみたいと思い始めている。

 

医療器具の展示会場であのナディーンを思い出した。

どこかのブースの人だかりの中心にいないかと探してみたが、見つからない。

 

あの妖しい香水をもう一度嗅いでみたかったのに、、、、

 

つづく、、、