いがぐりこ、こと、栗林あやです。

 

 

 

人は、

 

小さな子供の頃の

 

家族の中での自分の立ち位置を、

 

つい、今の人間関係に重ねて

 

再現しようとする。

 

 

 

 

私の場合は、こんな感じ↓

 

ざわつく時は「ちっちゃな頃の私いたね」って気づいてみる

 

(こんなとき、生存確認ができると、私は安心します笑)

 

 

 

 

たとえば、その

 

家族関係・親子関係で身につけてきた

 

人との関わり方のパターンが足枷となって、

 

 

そのせいで大人になった今、

 

生きづらさを感じて辛い思いをしているとする。

 

 

 

 

 

「またやってしまった。」

 

「今の苦しい状況から、抜け出したい。」

 

「なんとかして人生を変えたい。」

 

 

問題が起こるたびに、そう思う。

 

 

 

 

でも、実際には

 

「なかなか変えられない」

 

ということが多いと思う。

 

 

 

そりゃ、そうだろうなって思う。

 

 

 

 

 

なぜなら。

 

それが、安全だから。

 

 

 

 

今まで息苦しさを感じながらも、

 

いい加減この状況から抜け出したいと思いながらも、

 

 

 

その、小さな子供の頃の

 

家族の中での自分の立ち位置を

 

今の人間関係に重ねて再現して生きることで、

 

ここまでなんとかして生きて来た。

 

 

 

このパターンは、自分の身を守ってくれたもの。

 

命綱。

 

だから、手放せない。

 

 

 

 

要するに、

 

小さな子供の頃の

 

家族の中での自分の立ち位置のパターンから抜け出すのは

 

とても怖いことなのである。

 

 

 

 

 

生きづらさを感じながらも、

 

慣れ親しんだこのパターンなら、

 

苦しいけれど、一応は生きていける。

 

安心できる。

 

 

 

 

 

だから、表面上で

 

「今の苦しい状況から、抜け出したい。」

 

「穏やかに暮らしたい。」と言っていても、

 

 

無意識のうちに、

 

今までのその人にとっての

 

「安定」「安心」した状態である

 

そのパターンを、また取ってしまう。

 

 

 

 

 

他人からしてみたら、

 

 

「もういい加減、拗ねるのやめなよ。」

 

「まだそんなことで悩んでいるの?」

 

「またそんなヒドイ恋愛してるの?」

 

「いい加減、前に進めば?」

 

 

と思うようなことでも、

 

 

その人にとっては、

 

それが一番、何よりも慣れ親しんだ

 

安心できる状態なのだと思う。

 

 

(興味のある方は「反復強迫」でググってみてください。

心屋では「『どうせ』と『やっぱり』を繰り返す」と表現したりします。)

 

 

 

 

 

 

これは、私が今まで

 

多くの方のカウンセリングをさせていただいて

 

感じた主観だけど、

 

 

心の傷が大きいければ大きい人ほど、

 

その「『どうせ』と『やっぱり』を繰り返したい!」という

 

心の奥底にある無意識の欲求が、

 

とても強いように思う。

 

 

 

 

 

人は、

 

小さな子供の頃の

 

家族の中での自分の立ち位置を、

 

つい、今の人間関係に重ねて

 

再現しようとする。

 

 

 

 

 

だから、

 

私たちカウンセラーはカウンセリングの場において

 

小さな頃の家庭環境にフォーカスすることが多々ある。

 

(もちろん、全てではない)

 

 

 

 

でも、私は個人的に、

 

単にそこにフォーカスしっぱなしにしたまま終わるだけでは

 

足らないと思っている。(あくまで個人的にです)

 

 

それで楽になる人はいい。

 

 

 

 

確かに、

 

小さな子供の頃の

 

家族の中での自分の立ち位置のパターンがあるから、

 

今の人生(とくに人間関係)に支障をきたしている。

 

 

 

たしかに、そうなのかもしれない。

 

 

 

 

でも、

 

 

小さな子供の頃の

 

家族の中での自分の立ち位置のパターンがあるよね

 

って認識させることは、

 

場合によっては

 

それ自体が、自己憐憫のエサになってしまうことがある。

 

 

 

 

とくに、悲しいかな、

 

 

心の傷が大きくて

 

「『どうせ』と『やっぱり』を繰り返したい!」という

 

無意識の欲求が強い人ほど、

 

 

 

中途半端にかじった知識が

 

自己憐憫のエサとなり、

 

 

それを口実にして

 

ますます、今の苦しい状況から抜け出す流れを阻害する。

 

 

 

 

 

家族のせいにして恨んで生きるほうが、

 

苦しいけれど、安心と安全の世界に居られるのだ。

 

 

 

恨んで生きるということは

 

ますます、あの時の親や家族の影響を

 

これからも受け続けて生きていくということだ。

 

 

それが心地よいなら、それでいい。

 

 

 

 

いま、できる限りの配慮を持って

 

言葉を選んで書いている。

 

 

 

 

もし、心当たりがあるのなら、

 

『どうせ』と『やっぱり』を繰り返そうとした時、

 

そこに気づいて踏みとどまることだと思う。

 

 

 

些細なことからでいい。

 

 

 

「どうせ、愛されてない」

 

「どうせ私、かわいくないもん」って思いそうになった時

 

「ちゃうちゃう」って試しに思ってみることだ。

 

 

 

 

 

そして、

 

こわいけど、こわいけど、

 

 

 

 

小さな子供の頃の

 

家族の中での自分の立ち位置のパターンを

 

繰り返しているように感じた時

 

(もう直球で書いちゃうと「誰かから傷つけられたように感じた時」)

 

 

 

いままで繰り返してきた、

 

あの反撃のパターンを

 

今回こそ、やめることである。

 

 

 

今まで、慣れ親しんできた

 

その復讐のパターンを、やめるチャンスである。

 

 

 

 

 

 

 

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