5年前UPした死海を再UPしました。
前回の続きです。
今回は二の曲輪です。
下図Kの三の曲輪から二の曲輪
にあがる石段です。石垣の上に
は御殿があったので、布積の石
垣は奇麗に積まれています。
現在地にあった案内板です。
貿易で輸入された青磁がた
くさん発見されました。
KからNに上がると
KからNに上がった二の曲輪です。
NからO方向です。
阿麻和利の住んだ御殿跡の礎石と
考えられます。
阿麻和利の肖像画です。
あまわりパークにある模型です。
現在地にある二の曲輪解説板
です。二の曲輪には正面の長
さ17m、奥行き14.5mの大
きな殿舎跡があります。
殿舎の四隅には四角い石灰岩
の石積がありますが、何のた
めにあるのか分かっていませ
ん。屋根は板葺きか草ぶきで、
一部に瓦が使われたようです。
下図N付近にある石灰岩の
石積です。これはいったい
なんでしょうか?
O付近から一の曲輪方向は
O付近から一の曲輪方向です。
殿舎裏には火の神(台所)と
ウシヌジガマ(洞窟)があり
ます。この上には一の曲輪の
石垣が見えます。
火の神(ウミチムン)です。
ここは台所であったと考えられ、
「火の神」とは台所に祀られて
いる家の神のことです。
沖縄では今でも、主婦が家族へ
の加護を願い、台所で火の神を
祀っています。
火の神の解説板です。
ウシヌジガマです。
ガマとは洞窟のことで、天災や
戦いのときに、ここで身を潜め
て難を逃れたといいます。
ウシヌジガマの解説板です。
ウシヌジには「身を隠す、凌ぐ」
の意味があります。1458年には
この洞窟が一の曲輪の洞窟と繋が
っているので、阿麻和利がこれを
利用して落ち延びたという伝説が
残ります。
下図PからM方向です。
今回はここまでで、次回につづく
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