勝連城(続日本100名城)  6 三の曲輪 | みどりの木のブログ

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毎日UPでブログ

5年前UPの聖墳墓教会を再UPしました。

 

前回の続きです。

今回は三の曲輪です。

 

Eが三の曲輪の虎口です。

 

三の曲輪解説板です。

三の曲輪は高い所にあり、

深井戸でないと水が出ない

ため、掘る技術が無く井戸

が造れないのでしょう。

代わりにすり鉢状の水溜施

設があったのでしょう。

 

上図虎口EからD方向を見ると

 

虎口EからD方向を見たところです。

虎口は木造の門があったようです。

四脚門の柱跡が残っています。

下図北東方向になります。

 

Google地図です。

 

三の曲輪図です。

 

三の曲輪解説板です。

室町時代に阿麻和利の時には、

三の曲輪は二の曲輪と一対を

なして、儀式などを行う広場

になりました。

 

勝連城の城主(按司)一覧図です。

 

下図Fの人骨出土地解説板です。

 

下図に発掘時のLやH部分

は埋め戻されています。

 

F付近から北方向です。

石段の上が二の曲輪です。

 

発掘時の写真です。

一番上がHで、一番下がLです。

 

H付近の埋め戻された遺構跡です。

貯水槽なのでかなり大きいです。

 


次にGからI方向は

 

GからI方向です。

トゥヌムトゥとは廃城後に、

旧暦2月と5月に行う収穫祭

(ウマチー)の際に、神人(

カミンチュ)が腰かけていた

座石です。

肝高の御嶽の近くには、神人

たちが腰掛けたという石列

(トゥヌムゥトゥ)がありま

す。以前は、ウマチーの際に

神人たちの前で若者が「イユ

コーイミソーリー(魚を買っ

て下さい)」と呼びかけて回

ったと言われています。

 

トゥヌムトゥです。

 

トゥヌムトゥ・肝高の御嶽解説板です。

 

城壁越しに下にあった港跡を

見たところです。

 

石積の解説板です。

勝連城の石積はほとんど

が布積です。

 

今回はここまでで、次回につづく

 

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