浦添城 2 浦添ようどれ ようどれ館 | みどりの木のブログ

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毎日UPでブログ

5年前にUPした応神天皇陵です。

追加しました。

 

 

前回の続きです。

浦添城跡は沖縄戦でほとんど破壊

されましたが、浦添ようどれだけ

が平成17年に復元されました。

なので浦添ようどれから紹介しま

す。

 

復元された浦添ようどれです。

 

沖縄戦で破壊された浦添ようどれ

 

浦添ようどれ館からの紹介です。

ここには英祖王の墓室内部を再現

した模型があり必見です。是非こ

こを訪問してください。

浦添城見学前にここに来たいです。

ようどれ館の展示を一部だけ引用

させてもらいます。

 

Google地図です。(上が北)

浦添城の北側崖を掘って浦添

ようどれが造成されました。

 

第2尚氏の7代目尚寧王が、島津

軍に負けたことを恥じて、首里城

の玉陵に入らず、自身の出身地で

ある浦添城の浦添ようどれに眠っ

ています。

 

尚寧王の肖像画です。

 

「ようどれ」の名前は夕凪(ゆう

なぎ)を意味しています。無風の

「夕凪」のなかで静かに眠るとい

うことで「浦添ようどれ」と言う

名前になりました。「浦添ようど

れ」の別名は「極楽陵」ともいい

ます。

また尚寧王は本家の当主になれた

のに、島津軍に敗れ、首里の玉陵

に入れなかった哀れさで、

「ようどれ」は「世哀」とも書け

るので、「世の哀れ」という解釈

もあります。

 

沖縄戦で破壊される前の

ようどれ入口古写真です。

 

沖縄戦で破壊される前の

浦添ようどれ墓室前です。

右が英祖王で、左が尚寧

王の墓です。

 

浦添ようどれの古絵図です。

 

英祖王の墓室内のレプリカ

が館内にあります。

英祖王の王朝は中山を支配

していました。尚巴志によ

る沖縄統一以前の王朝です。

 

英祖王の墓室内部の

レプリカです。

 

浦添城ようどれ館にある

ようどれ内部を再現した

英祖王の墓室内部です。

石厨子解説板です。

沖縄古来からの御嶽ではなく、

仏教のレリーフがあります。

 

厨子内部には骨があります。

 

 

 

この厨子にも仏教関連の

レリーフがあります。

 

今回はここまでで、次回につづく

 

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