浦添城 3 浦添ようどれ | みどりの木のブログ

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5年前UPの道明寺歴史祭り追加しました。

 

前回の続きです。

今回は浦添ようどれ館から歩いて

浦添ようどれに行きます。

 

下図にある浦添ようどれです。

沖縄戦で壊滅的に破壊されま

したが、2005年に復元され

ました。ようどれの丘の上に

は浦添城があります。

現在は浦添市が城の復元に

取り組んでいます。

 

現地の案内板です。

赤い線に沿って歩きました。

 

上図①の前庭に行くと

 

①から②方向です。

前庭で記念写真を撮りました。

 

暗しん御門跡です。

沖縄戦前はトンネル状であった

のですが、沖縄戦で天井の岩盤

が崩れて、トンネル通路が無く

なりました。

 

 

昭和9年の古写真です。

 

浦添ようどれ解説板です。

 

②から③方向は

 

②から③方向です。

二番庭の向こうに

中御門が見えます。

 

この反対側は

 

②付近で振り返り撮影しました。

地面を見ると、門の礎石らしき

石があります。木の門塀があっ

たのでしょう。

 

③の所に行くと

 

中御門です。

 

中に入ると

 

下図④から墓室方向と一番庭です。

手前が英祖王で、その向こう側

が尚寧王の墓室です。

 

浦添ようどれの西室と東室の間に、

「ようどれの碑」があります。

浦添城の生まれで第二尚氏第七代

国王となった尚寧王により「よう

どれ」の改修工事が行われた際に

建立されました。
表はひらがな文、裏は漢文で、

「賢王の御先祖一氏一族、北山よ

り之を移す。父子兄弟共に同居す」

など、改修に至った尚寧王の思い

が刻まれています。

 

右下にようどれ碑文と

その向こうに尚寧王の

墓室があります。

 

手前が尚寧王の墓室です。

 

墓室の間取り図です。

室内は前回紹介しました。

 

浦添ようどれの古絵図です。

 

今回はここまでで、次回につづく

 

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