前回の続きです。
今回は浦添ようどれから浦添城城壁
までです。
浦添城崖下の浦添ようどれ
から、浦添城の崖を上がり
ます。
上図①から②方向です。
ようどれの崖の上に浦添城
があるので、通路として造
られた階段を上がります。
下の方は木の階段もありま
す。
上がった所②付近です。
この付近に浦添出身の歴史学者
伊波普猷の墓と解説板がありま
す。
伊波普猷の石碑です。
昭和10年頃の伊波普猷(1876-1947)
の写真です。(沖縄市歴史博物館より)
「沖縄学の父」と言われます。
「日琉同祖論」を主張して論争になり
ました。
伊波普猷の墓です。
浦添城に関する論文を書き、
浦添城は首里城が出来る前
の古都であると発表しまし
た。那覇生まれでしたが、
そんな因縁で浦添城に墓が
造られました。
伊波普猷の解説板です。
浦添が3山時代の、中山
の都で、首里以前の古都
であったことの論文を書
きました。明治以降での
沖縄差別で自信を失った
県民の、自信と誇り回復
活動をしました。
③付近に行くと
③から右上④方向です。
復元された城壁が見え
ます。
復元された城壁です。
上の写真と同じ場所です。
沖縄戦後にも採石で城壁
の石は持ち去られました。
解説板です。
沖縄戦後に採石で、城壁の
石が持ち出されて、ほとん
ど残っていません。ここと
あと1か所に古い城壁の石
が残りますが、それは後の
回で紹介します。
城壁の中に入ります。(上が北)
⑤付近から歩いて来た
道④方向を振り返ると
⑤付近から城壁外を見た
ところです。この内郭部
は標高130m近い高台で
す。東シナ海が見えます。
沖縄で最も高い場所の1
つです。
Google地図です。
今回はここまで、次回につづきます。
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