前回の続きです。
今回は大手門跡付近です。
下図⑤付近から⑥方向です。
⑤の位置は大手門前にあった
馬出跡です。
現地の案内板より
①にある神橋は大正時代に
武田神社参道として造られ
たので、戦国時代にはあり
ませんでした。
上図⑤付近の角馬出の
石塁が見えます。
地元の女子高生が見学
していました。歴史に
興味があるので、何回
かここに来たそうです。
ここの解説板を拡大す
ると
拡大した解説板です。
詳細にみると
大手石塁の空撮写真です。
現在地がこの解説板のある所です。
上空から見た発掘調査の写真です。
上図写真①で栗石が出土しました。
石塁(角馬出)の下には三日月堀
跡が発掘されています。
写真①のところです。
赤丸の所を拡大すると
石垣の内側に詰めて水はけ
をよくする栗石です。
当時栗石の技法は西日本だ
けしかないので、この石塁
は武田氏滅亡後に、ここを
利用した豊臣か徳川のもの
のようです。
この角馬出の下は、発掘で
三日月堀跡が発見されてい
るので、武田氏時代は大手
前に三日月馬出があったよ
うです。
大手石塁の空撮写真です。
大手石塁解説板です。
解体修理前の石塁写真です。
下図⑤付近から③(南)方向
の角馬出跡です。
上が北です。
石塁の外側には水堀があった
ようです。
上の写真の反対側です。
⑤付近の石塁上から北方向です。
石塁の上にあがる石段です。
石塁の上⑤付近から③(南)
方向です。
⑤付近から東側です。
角馬出の外側は水堀でした。
背景は躑躅が峰の尾根が延
びてきた所です。
尾根が切崩されています。
Google地図です。
⑤付近から北東方向です。
大手門前の土橋です。
戦国時代は木橋であった可能性
があります。渡った所には櫓門
があったと考えられます。
土橋の上⑥から堀底を見た
ところです。かなり深いです。
尾根続きの大手門付近なので、
深く掘らないと水堀にならな
いでしょう。
上図⑥ら⑦方向です。
堀を掘って出た土砂を
主郭(本丸)土塁とし
て利用しています。
土塁の断面です。
大手橋を渡り本丸側から見た
角馬出です。
神社で車のお祓いを受ける人が
ここから車で中に入れます。
今回はここまでで、次回に続く
5年前の紅葉ライトアップを追加しました。
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